第4話 浸食

 それから数日の間、少年は夕食の時間帯になる度に太の家にやってきた。やはり、両親や兄弟が家に帰ってきていないとのことだった。


 美里は最初に連れてきた日と変わらず、率先して家に少年を引きいれ、積極的に話しかけていた。太が早く帰ってきた際に見たかぎりでは、包丁を握っている姿がいつにもまして楽しげであり、やはり父親である自分が思っていた以上に負担をかけていたのだなという気持ちを強くした。


 一方、美優の方はといえば、いつにもましてだらけている時間帯が増えた。少年がいる時こそ、笑みを浮かべてなんでもない言葉を重ねていたが、帰宅後は寝室の布団の上や机の上などでごろごろしはじめる。それこそ、終始機嫌良さげな姉の注意を受けても、なにも言わずに同じ姿勢をとっていた。元々、自分の衝動の赴くままに、寝転がったり食べたりテレビのチャンネルをがちゃがちゃ回したりする娘ではあったが、ここのところその根底にあった気力をごっそりと削がれている感があった。


 渦中の少年はといえば、お邪魔しますと口にしたあとの振る舞いがいよいよ我が家じみてきていた。少年が醸しだすいかにも恵まれていそうな雰囲気が、それほど経済的に豊かではないこの家に徐々に馴染みつつあった。言葉にも気安さが目立ちはじめ、少年にとって年上であるはずの娘二人に対しての口調から敬語が減っていき、上の娘の計らいから、姉妹が共用している子供部屋にまで通されるようにすらなっていた。


 そんな三人を、太はおおむねただ見守るだけだった。


 一応一度、少年が帰ったあと、上の娘に対して、さすがに毎日は面倒を見過ぎなのではないのか、と控え目な提案して見せたことがある。その時の美里は、事情を飲みこみながらも、わかっているけど、あの子もたぶんさびしがっているから、などと言い繕った。弱々しげな瞳からは、少年と一緒に食事をしたりして過ごしたいという美里の個人的な感情が窺えた。しかしそれゆえに、積極的に美里自身の望みを潰す気にはなれず、あの少年を追い出そうと強くは主張できなかった。


 反対に下の娘からは、あの子苦手、とあからさまな愚痴を聞かされもした。それらの物言いはもっぱら、姉である美里が子供部屋に少年を連れこんでいる時や、少年が帰宅したあとに太と二人きりになったあとに口にされた。姉に直接話せば、喧嘩になると目に見えているせいか、あるいは父親の自分が知らないうちに直接愚痴っているのかもしれない、と思いながら、下の娘の言葉に耳を傾け続けた。美優曰く、なんとなくあの少年の目は一見優しげではあるがどことなく虫けらを見るような冷やかさが混じっている気がすること、話をしている際の受け答えはしっかりしているし笑ってはいるものの、実のところ話自体には欠片も興味を示さずに舐めるようにただただ観察されている気がすることなどを話し、できれば早く出て行って欲しい、と最後に小さく付け加えるのが常だった。


 娘二人のはっきりとした考えの違いに驚きながらも、どちらかといえば太の主観は下の娘の方に寄ったものだった。これには少年に対する第一印象があまりよろしくなかったことや、父である自身がもたらせなかった上の娘の喜びを少年が引きだしたことによる嫉妬だとかが混じっていたので、我ながら公平でないとは思ってもいたのだが。


 こうした心を持った太も、少年と二人きりで話す機会があるにはあった。美里は家事で動き回っていることが多いため、居間を空けている時間があり、美優もまた、あまり少年とともにいたくないという気持ちのせいか、なにかと理由をつけて席を外したがったため、訪れた機会だった。太自身は少年をあまり好ましく思っていなかったのもあり、できるかぎり言葉をかわしたくはなかったものの、若くとも客人である少年を相手にしないわけにはいかず、今日の調子はどうだい、などの当たり障りのない話を振ってみた。それに少年は薄く微笑みながら、ええ、おかげさまで、などと卒のない答えを返してきた。変声期の訪れていない声と、年齢以上に大人びた佇まいは、どちらかといえば好印象を与えるものに見えた。それなのにもかかわらず、太は少年のその卒のなさに苦手意識を抱いており、ともするとその感情は不快感にすら繋がりかねないものであった。なぜそう思ってしまうのかと問われれば、上の娘を取られてしまったような気がする、というどことなく子供じみた感情が大元にあるのは疑いようがなかったが、それ以上にもっと生理的な嫌悪に近いなにかを覚えてもいた。


 そう考えながらも、やはり直接的に少年を追い払おうという気は起こらなかった。たしかに毎日ただ飯喰らいをしていく得体の知れない少年にいい感情を持っているわけではなかったが、子供一人に食事を与えられないほど困窮しているというわけではなかったし、具体的になにか悪いことをされたわけではない。しいて言えば、下の娘が気疲れを起こしているが、それとは反対に家事を一手に引き受けていた上の娘の気が楽になっている。美優には悪いが、今まで父と姉の庇護を全面的に受けていたのだから、多少の負担はちょうどいいのではないのか、という気持ちにもさせられた。


 これらの事柄を合わせると、太としても不本意ではあったが、少年を追いだすほどの動機は見いだすことができなかった。


 とはいえ、この状況がもう少し長々と続くようであれば、休みの日にでも少年の自宅を訪問しようと考えていた。少年の言うように親がいなければいないで別の日にあらためて訪れられるように機会を作るし、もしも両親や代わりの責任者がいるのであればその場で話しあって今後についての決め事をしなくてはならない。どういう結果にまとまるかは現時点ではわからなかったが、そうすればお互いの妥協点が見出せるだろう。上の娘の希望もあるため、週に何回か預かるという形に落ち着くのではないのか、そんなことをぼんやりと考えながら、太は慣れない四人の夕食の時間に浸っていた。

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