2-2

 教室のドアを開けて固まってしまった僕であったが、まさかこのままずっと居続けるわけにも行かず、数秒間呆けた後、自分の席に着いた。

 思い溜息が漏れた。


「おはようございます。どうしたんですか? 朝から。そんなんじゃ、幸せが逃げていっちゃいますよ?」

「……いや、別に。何でもないですよ」


 隣の席から話しかけてきた常貫さんにそう返す。何の因果か彼女とはずっと席がとなり同士なのだ。

 ……よもや、運命の赤い糸の効力じゃないだろうな?


「そんなことはないでしょう? 宝くじに当たったと思って、よくよく見たら最後の桁だけ違っていた人の顔していましたよ」

「どんな顔ですか? 僕には全く想像できないんですけど……」

「こんな表情です」


 そう言って見せてくれた表情は、何というか筆舌に尽くしがたく、表現に窮するようなものだった。この世の語彙の全てを集めてもこの絶望感を表す文章はできまい、というほど喪失感や非痛感が溢れていた。

 ただの十六歳がしていい表情うんぬんの前に、できる表情ではない。

 どんな過去を過ごせばできるというのだろうか。


「あ、ごめんなさい。これは、宝くじに当選したと思って、数千万円の買い物をしてしまった上で、当選していないことに気づいちゃった人の表情でした。もう少しマイルドにした方がよかったですね」

「知りませんよ、そんな微妙な違いは」

「数千万を微妙な違いですか。なるほどつまり、河合さんはものすごく金持ちであると言うことなんですね!」

「そんなに金持ちなら、僕はあなたの格安ボロアパートに住むことはなかったですよ」


 それを言うと、彼女は酷く納得したような表情をした。

 なおも話しかけようとしてくる彼女を適当にあしらっているうちに、一つおかしな事に気がついた。


「常貫さん、そういえば今日ってテストって話ですよね?」

「? ええ、そうですけど。国数英三教科のテストですけど、それが?」

「あ、いや。テストの内容がという話じゃなくて、普通、テスト前になると朝のこの時間って教室がシーンってしていますよね? それこそ、水を打ったように」

「どうしたんですか? テスト前特有の熟語使いたいマンになっちゃったんですか?」

「いや、別にそこは重要じゃないでしょ……。僕は、どうしてこんなにクラスが賑やかなんだろうなって思ったんです」


 何人かの生徒が席を立ち、友達とともに話し合っては盛り上がっている。比率的には男子の割合が多い気がした。

 理由が分からず、眉をひそめる僕に対して、常貫さんは手で口を覆った。


「ええ!? もしかして、今学校中を席巻しているあの話題をお知りでないんですか!? ええ!? あのビックニュースを!?」

「大げさにそうやって煽るの、止めてくださいよ」


 そう口では答えたが、少々ショックであった。

 確かに、僕は学校中の話題全てを知っているわけでなければ、そういうのを収集する趣味があるというわけではない。しかし、あくまでも平均的なレベルでは知っているつもりであった。友人とは言えないまでも、知人から話をある程度聞かされていたからである。

 片や常貫さんは、クラスのネットワークから逸脱した存在であった。それゆえ、彼女が情報を得ようと思えば盗み聞きをするか、事件の当事者になるぐらいしか手段はない。有利であると思っていた情報戦において敗北を喫した事実は、思いの外受け入れにくいものがあった。


 でも、ここでへそを曲げて情報を得ないという選択肢を選ぶほど、僕は愚かではない。妙な敗北感を覚えながら、常貫さんにその内容を喋ってもらうように、促した。


「しょうがないですね。じゃあ、ちょっとだけお教えしますよ」


 そう言って、本人曰く『ちょっと』だけのお話が延々十分ほど続いた。といっても、内容自体はわずか一文で収まる内容であった。

 転校生が昨日から来ている、と。

 たったそれだけの話しを、そんなにも膨らませて喋れることに僕は驚いた。ちなみに、他にどんなことを言っていたのかと言うと、十分のうち九割以上が転校生のこういうところが可愛いといった、転校生の容姿に対する彼女の感想であった。

 聞けば、昨日職員室で出会ったようである。何でも僕が彼女を職員室に連行した後入れ違いで入ってきたようだ。


 たまたま声をかけられたので話してみたら、かなり盛り上がったようだ。外見だけを見て彼女を慕うというのは、かなりあることではあるが、会話をして盛り上がるというのはあまり聞いたことがなかった。

 常貫さんは会話のあちこちで、話題が明後日の方向に飛んで行ってしまうため、慣れるまでは会話事態がストレスになってしまうのだ。まあ、ストレス自体は小さいものだが、基本的に会話はノンストレスで行うものであり、そのため自然と彼女は人から敬遠されるようになった。その上、問題行動の数々が、さらに人々を遠ざける要因となったのである。

 彼女の話が終わると同時に朝礼の開始を告げるチャイムが鳴り、それに三十秒送れて担任がやってきた。

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