1ー4

「妾は神じゃ! 星の神とでも、覚えておくとよいぞ」


 そう言われて、そうなんですか。神様なんですね。じゃあ奉りますね! となる人間がこの世に何人いるだろうか。平々凡々な日本人像を地で行くような僕は、残念ながらそちら側に含まれない。


「ハア、ソウナンデスカ。カミサマナンデスネ、スゴイデスネー」

「ちょっと、待つのじゃ。どこに行こうとしておるんじゃ?」


 適当に話しを合わせて帰ろうと思ったところを、少女は学生服の襟首を掴んで妨害した。後ろから引っ張られる力が、想像以上であったため、思わず尻餅をついてしまう。


「痛っ! 何をするんですか!」

「神の話を聞かず、途中で帰ろうとするものだから、罰が当たったんじゃ」

「罰って、あなたが襟を引っ張っただけでしょう。首が絞まってたらどうするつもりだったんですか!?」

「どうって、そうじゃなあ。異世界にでも送っておったかもなあ」

「……え。それはいいです」


 そう答えたところ、少女は意外そうな表情を浮かべた。小学校の頃に、消しゴムを貸そうとして僕に断られてしまった男子の顔を思い出した。


「え、あ? え、だって異世界転生じゃぞ? ほら、今話題の」

「話題かも知れませんけれど、でも、トラックに轢かれなくちゃならないでしょう? 嫌ですよ。絶対に痛いじゃないですか、それ」

「死に方なら、いくらでも選択肢はあるんじゃけどな。それこそ、通り魔から人をダメにするクッション死まで、いろいろあるぞ?」


 通り魔はともかくとして、人をダメにするクッション死ってなんだ? クッション死という字面だけを見れば、ショック死に見えなくもないが、だからといってどういう風に死ぬのかいまいち理解できない。


「そうじゃなあ。人をダメにするクッションがあるじゃろ? そこに、お主を貼り付けて死ぬまで放置するんじゃ」

「ただの餓死じゃないですか、それ!」

「あの柔らかい感触に包まれながら死ねるのじゃぞ?」

「空腹のあまり、そのクッションを食している自分の姿が想像できるんですが……」


 文字から受ける印象とは裏腹に、やっていることがえげつなさ過ぎる。それならまだ、トラックで轢き殺されるというテンプレの方がいくらかマシである。


「じゃあ、トラックにするのじゃな?」

「というか、どうして僕が死ぬことになっているんですか? 嫌ですよ。まだまだこの世に未練があるんですから」

「未練? 例えば?」

「なんですか。言ったら叶えてくれるんですか?」


 彼女は頭をかきながら、僕のもとまで歩いてきた。コツコツコツと黒塗りの下駄が音を鳴らしていた。

 苦々しいその表情。僕はその顔がどのような心情を表しているのか知っている。

 余裕でできるし! と大見得を切ったはいいものの、結局やる前に怖じ気づいて何かいい言い訳はないかと思案する表情だ。忘れるはずもない。僕が昔、よくしていたのだから。


 つまるところ、これで目の前の少女は神様の類いではないと分かったも同然である。

 そんな彼女は躊躇(ためら)いがちに口を開いた。


「あー、その、なんじゃ。実はこの地域は、その昔十月のことを神在月と言っておったんじゃ」

「どうしたんですか? 藪から棒に。今、その話は関係なくありませんか?」

「まあ聞け。その内繋がってくるんじゃから。それこそ、風邪の時に出る痰が喉にひっついた時のように絡みついてくる」


 咄嗟に出た比喩表現としては、これ以上無いほど酷いものであった。生々しいにも程がある。

 感想が顔にも表れていたのか、少女は空気を変えるべく咳払いをした。


「……でな、普通、十月と言ったら神無月じゃろ? 例外と言えば、出雲ぐらいじゃ。でものう、ここもその例外に含まれておったんじゃ。何故だか分かるか?」

「神がいたから、ですか……?」

「そうじゃ。妾がずっとおったんじゃ」


 単純に考えればそうなる。神の有無で月の異名が異なるのだから。

 そして、それこまで言ってから僕はある一つの悲しい真実に思い至った。


「……もしかして、神様全員から、ハブられていました?」

「グフッ! お主、なかなかつらい所を攻めてくるのう。それも、急所を的確に狙い澄まして。でも、まあよい。どのみち妾の口から言おうとしておったことじゃ。話が早いに越したことはない」


 とはいえ、自分の口から言うのと他人の口から言われるのでは、受ける精神的ダメージに大きな差があるだろう。後者よりは、自分の口から自虐ネタとして言った方がいいに決まっているのだ。

 パッと考えただけでは、出てこない発想が頭の中に浮かぶと、思わず口にしてしまうという悪癖が僕にはある。直そうとはしているのだが、一向に治る気配がない。


「その、なんか、すいません」

「いや、頭を下げるのではない。妾としてはそっちの方が傷つくんじゃ! 生暖かい優しさで窒息死させる気か」


 彼女は肩で息をしながらそこまで言い切ると、深呼吸をして今までのことがまるで無かったかのように話し始めた。


「それで、神の集いに出ることを禁じられた妾は、まあ当たり前ではあるが、少々力が弱くなってしもうてな。本当に酷いもんじゃよ。妾が出てくる日本書紀とかいう書物の出番を大方消されるわ、その上、男神とされてしもうた。何よりも許せんのが、妾の権能を奪ったことじゃ! 妾は縁結びの神でもあったんじゃぞ! 星だけじゃない!」


 というわけで。


「妾もかなり力を抑えられておるから、何でも叶えると言うのは不可能じゃ。星については何とかなるかもしれんが、星は願われるものではないじゃろ? むしろ、願うものじゃろ? どうせお主くらいの男の子のことじゃ。縁結び関係の願いと相場が決まっておろう。物を言うのは勝手じゃが、叶えられんかもしれん」


 本来の目的としては、常貫さんの迷惑行為をなんとかして欲しいと願うつもりだったのだが、少女が言うにはそのような御利益はないらしい。

 だから、当初の目的をそのまま口にすることはできなかった。あんな予防線を張ったのだから、全ての願いを、今はできないと一蹴するに決まっているだろうが、それでも、彼女が用意した土俵の中で戦うべきだろう。

 それが道理に合った行為と言うものだと思う。


 それゆえ、僕は星か縁結びのどちらかの願いを思いつく必要があった。

 お願いであれ何であれ、とにかく即興で何かを考えると言うのは大変難しい。しかし、僕はお願い事を驚くほどあっさりと思いつくことができた。

 お誕生日に貰ったプレゼントの包装を、しゅるしゅると解いていくような容易さで六年前のことが思い出された。

 鼻孔を懐かしい香りが通り抜ける。

 それと同時に僕は呟いていた。


「あの子に、あの妖精さんに会いたい」


 言ってしまってから、僕は羞恥に焦がれた。なんて台詞を言っているんだ僕は! 妖精さんに会いたいなど、間違っても十六歳の男が言っていい言葉ではない。


「はて、妖精? そんな奴おったか……? あ、いや。ちょっと待て。おったわ。

あれじゃろ? お主とよくここで遊んでおった奴。一年ほどお主とここにおった奴じゃ」


 未だ、羞恥心に駆られている僕は頷いた。喉がはりついて声を出せるコンディションではないのだ。

 しかし、と僕は思う。この子はどこから僕と彼女のやり取りを見ていたのだろう。確かに、一年間くらいここで彼女と会い続けてはいたが、こんな少女の姿など見たこともなかった。いや、それ以前の疑問点として、この子は七年前どうやってこの山を登っていたというのか。明らかに年齢がおかしい。


 顔をしかめる僕とは対照的にに、少女は笑った。愛玩動物を可愛がるような視線と言えば、正鵠を射た表現になるだろう。


「なんですか、その表情」

「ちょっと、微笑ましくてのう。六年も前の女の子を未だ恋しているんじゃから」

「別に、恋とかそんなんじゃ……。ただ、もう一度会って話がしたいだけです」

「わざわざ縁結びの神に願ってまで?」

「……そうですよ、何か文句があるんですか!」

「うふふ。いや、別にないのじゃ。ぐふふふふ」


 変な笑い声で台詞を挟むな。と僕は睨んだが、それでも少女は微笑みを浮かべ続けた。それどころか、より一層頬を緩ませていた。


「で、どうなんですか。合わせてくれるんですか!? できないんですか!?」


 頬に熱を感じるままに、僕はそうまくし立てた。

 できないという言葉を言わせて、この話の流れを中断させようとしたのだ。もちろん、できるもんならしてみやがれ、という思いもそこには含まれていた。

 しかし、少女は僕の予想とは裏腹に、表情を崩すことなく、


「お安いご用じゃ」


 と言った。


「は、え? 本当に?」

「いくら弱体化された神であっても、それくらいのことは可能じゃ。特にお主の場合は酷く簡単じゃ。なにせ、この先その子と再会する因果にあるのじゃから。ふむ。しかし、それだと妾の仕事がなくなってしまうから、そうじゃな。ついでに赤い糸でもつけておこうかのう。右手を出すんじゃ」


 これから再開する因果がある? それに赤い糸? それらの情報が頭の中でグルグルと回り出した。そんなことをしている間に、少女が早くしろと急かすものだから、僕は半ば無意識的に言われた方の手を差し出した。


「よし、これで見えるようになったのじゃ」


 その声で、僕はハッとした。右手の小指に微かな違和感を感じて視線を移す。そこには、一本のどこまでも伸びているような赤い糸が結んであった。


「なんですか、これ?」

「赤い糸じゃよ」

「見れば分かります。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……」

「赤い糸以外に言葉が必要かのう。異世界転生以上に有名だと思うんじゃが。その運命の赤い糸は」


 運命の赤い糸。誰もが知っているそれが僕の手から伸びている。どこまでも絵空事めいていて現実感がない。だから、僕は聞いてしまったのだ。なんですか、これ? って。その言葉に意味なんて無かった。ただ、目の前の信じられないことを否定して欲しくて出てしまった言葉だ。


 少女は、そんな僕の気持ちを裏切るように言った。


「それはお主の運命の赤い糸を可視化したものじゃ。それ以上でも以下でもない。その上、これは現実なんじゃ。お主がそれを辿ってみるなり、そのまま放置するなり好きにすればよい。とりあえず、妾は――」


 僕を見つめる双眼は、今まで見たこともないほど威厳に満ち溢れていた。その先に続くのは、きっと大事な話なのだろうと嫌でも予感させられる。弛緩していたはずの空気が、気がつけば息をするのも躊躇われるほど張り詰めていた。

 気がつけば、僕は目の前の少女を無意識のうちに神様だと認めていた。赤い糸が出現した時点で、そういう常識から外れた考えが確信に変わっていたが、今のがダメ押しになったようだ。


 こんな表情、きっと神様にしかできない。そんな神秘的な表情だった。

 神様の小ぶりな唇が開く。そこから紡がれた言葉はこうであった。


「――妾は、お主の青春の甘酸っぱい話をここで心待ちにしておるからのう。偶には遊びに来るんじゃぞ!」


 およそ考え得る限り、威厳も何もない発言であった。

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