1-2
九月一日に、僕は常貫さんの奇行を目撃した。
始業式そうそう何をしているんだ、と思ったが、何とか事件と銘打つほどの大きな奇行ではなかった。そういう意味では、始業式にふさわしい挨拶代わりのジャブみたいなものだ。
僕はその時、彼女の姿を見て思わず「うぇ!」という、非常に間抜けな声を出してしまった。冷静に考えれば、ひどい扱いをしているのだけど、でも、こうなったシチュエーションを聞けば、およそ理解できるはずである。
僕はその日の放課後、テスト勉強をするべく一階にある図書室にいた。進学校を謳っている我が校では、明日から二日間に渡ってテストが実施されるのだ。
しかし、図書室には僕だけしかいない。というのも、この高校は進学校とはいうものの、名前だけという側面が強いからだ。そのため、テスト勉強で居残りをするといっても、大半が教室に残って雑談に興じるような奴らだけである。私語を禁止されている図書室に来るはずがない。
僕もできれば、こんなところではなく、自宅に戻ってから勉強に励みたいのだが、
彼は天才肌というか、物を覚える事に対して常人のそれを少しだけ逸脱している。それゆえ、こういうテスト前であっても、家に帰れば漫画やゲームなど娯楽作品にどっぷりと浸かっており、その上、成績がかなりいい。少なくとも、中の上あたりにいる僕なんかでは敵いもしない点数をたたき出している。
以上の理由から、僕は彼の前では勉強をしたくない。
必死に勉強している様を彼にこれでもかというほど見せつけた挙げ句、得点が彼よりも低いとなったら、僕は恥ずかしさのあまり彼と顔を合わせられなくなる。彼は全く気にしないだろうけれど、僕は気にする。
全く、道理に合っていないと自分自身を責めるに違いない。
そういう理由もあり、また、丁度司書も呼び出しにより席を空けていたため、当時、僕は広い図書室の中に一人寂しくいた。
実際には、もうこの時点で二人いたのだけど、でもこの時の僕はまだ、そのことに気がついてはいなかった。
「はあ」
数学の問題をいくらか解いたタイミングで、僕は気分転換を兼ねて消しカスを捨てようと席を立った。
それと同時に違和感を覚えた。
青いゴミ箱が剥き出しの状態で放置されていたのである。
この図書室は普段、ゴミ箱をそのまま置いておくことはしない。掃除をするとき以外は、基本的に掃除用具が入ったロッカーのとなりに存在する、ゴミ箱専用の収納スペースに入れておく。だから、こうしてゴミ箱が置いてあるのは少々奇妙なことであった。
掃除当番が入れ忘れたのだろうと思いながら、カスを捨て僕は本来あるべき場所にゴミ箱を戻すべく運んだ。
そして、取っ手を掴み開けたところ、その中に入っていた常貫さんと目が合った訳である。
「うぇ!」という声が思わず喉を突いて出た。
常貫さんは開けたのが僕だと認識した瞬間、優しく微笑んだ。
「『うぇ!』とはいい挨拶ですね。なるほどつまり、パリピの仲間入りを果たしたという訳ですね!」
「別に『うぇーい!』を縮めた訳じゃありませんよ。というか、ナチュラルに僕を陰キャ扱いしていませんか、それ?」
「ふふふ。どうでしょう?」
頼むから否定してくれ、と切に思った。
でも、まさかそんなことを言えるはずもなく、彼女が狭い空間からにゅっと出てくるのを待った。
「で、どうしてそんなところにいたんですか?」
「少々、先生方から逃げていたんです」
「そうなんですか、それはまた大変ですね。……って、待ってください」
「はい?」
小首を傾げて、何かおかしいところがあっただろうかと思案顔になる彼女。その表情は思わず救いの手を差し伸べたくなるような、保護欲に近い感情を刺激してくるものだった。でも、そろそろ半年に届きそうなぐらい付き合いになる僕は騙されない。むしろ、そこまで考えずとも答は明白だろうと、ツッコみたくなる。
「どうして先生から逃げているんですか」
「ああ、そういうことですか! ほら、アレですよ。アレ。学校祭に天体観測したアレです。なんて言うんでしたっけ? 学校祭星空事件とか言うんでしたっけ? とにかくアレの件で呼ばれているんです」
何ででしょうねぇ。と彼女は困ったように眉をハの字にした。
そんなの、考える前に分かるだろうと、内心で毒づく。
学校祭星空事件というのは、学校祭最終日に常貫さんが夜の学校に残り、無断で天体観測をした一連の出来事を指す。命名したのは、僕と鼓稀である。ちなみに、この事件の名称は僕達と常貫さんしか使っているところを見たことがない。
「分からないんですか?」
「お恥ずかしながら。夜の学校に無断侵入していたと言うこと以外、分からないんですよ」
「それだけ分かれば、十分ですよ。じゃあ、ここを出てすぐのところにある階段を二階分上って、すぐ左の部屋に行ってください。そこが職員室ですから」
「そんな風に、すぐに私を自首させないでくださいよ! もう少し先生方を走らせましょう? そして、日頃の運動不足を解消させてあげるんです」
「ちなみに、だれから逃げていたんですか?」
「杉田先生です」
「バリバリの体育教師じゃないですか! あの人、授業のない時間、殆ど体育館で走ってますよ。……というわけで、早く自首してきてください」
「嫌ですよ。怒られるのは慣れても、できれば怒られたくないんですよ」
高校が始まってからまだ四ヶ月とちょっとである。どんなペースで怒られれば、慣れるという言葉が出てくるというのか。
「分かりました。じゃあ、僕も一緒に行ってあげますから」
「まるで、小学生みたいですね。ふふふ」
「小学生の扱いを受けているのは常貫さんの方ですけどね!」
何が可笑しいのかコロコロと笑う彼女の手を掴んで、職員室へ向かおうとする。これでは本当に小学生と変わらない。
「えー、大丈夫なんですか?」
「ん? 何がですか?」
彼女は心なしか、顔を朱色に染めてそう言った。僕はその言葉の意味が分からなくて、彼女の顔と手を交互に見つめた。
「いえ、手をつないで廊下を歩くというのは、少しはばかられるので……」
そこまで言われて遅まきながら僕は理解した。確かに、異性と手をつないで廊下を歩けば、それだけで奇異の目で見られるだろう。
しかし、だからといってこの手を放すことができるかと言われると、
「もし、ここであなたを解放したら、ちゃんと職員室まで行きますか?」
「行くわけないじゃないですか。そのまま逃げますよ」
できないと言うほかない。
「じゃあ、職員室まで行きますから、ちゃんと謝ってきましょうね」
「え、本当に行くんですか? 振りじゃなくて? 誰かに見られでもしたら恥ずかしくないんですか? おかしなものを見る目で見られるますよ?」
「大丈夫ですよ。あなたと一緒にいる時点で、僕はどうせ恥を晒しているみたいなものですから」
「その発言は、かなり酷くないですか?」
「酷いかもですけど、あなたにはもっと酷いことをされているので、道理に合っていますから」
この後も、いくらか言い合いが続いたけれど、最終的に彼女を職員室まで連行することができた。いかにも不満があると言わんばかりに、彼女は頬を膨らませて僕のことを睨んでいたが。
罪悪感のような感情は湧くけれど、だからといって彼女を見逃してしまっては、道理に合わないというものだ。怒られるようなことをした人は、怒られて然るべきだと思う。
三階から二階に降りる際、二年生の教室の時計が午後四時を指し示していたのが見えた。常貫さんといろいろ話しているうちに、かなり時間が経っていたらしい。
この後に、もう一つ寄るべき場所がある僕は急いで学校を後にした。
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