「ってことで、お願い!」

 夜影ヨカゲさんは二人に両手を合わせた。

「ダメ?かな?」

「いや、駄目だとかいう前に、目的が、」

 全て言い切る前に両膝をついた夜影さんに、二人の目が見開かれる。

「おい、冗談はよせ」

 そういうのを無視して、両手を丁寧に、、、

「わかったから!文句は言うまい!頭を下げるな!」

 慌てて肩に手を置いて止めさせた。

 多分、夜影さんは土下座しようとした。

 でも、なんで、慌てるんだろうか?

「お前ほどの奴に頭下げられるのはゴメンだ」

「本当だな。夜影に土下座させたらワシが許さん」

「お前もわしと同じだろうが」

「ワシは文句も何もない。夜影に反対の意を言えるほどワシは厳しくなれん」

「それは逆に問題だが、、、」

 夜影さんは二人に背を向けると、(計画通り)というような笑みを浮かべた。

 あぁ、なんか、この人ズルいとこあるなぁ。

「んじゃ、時空の門、過去へと開けるから、飛ぶ準備宜しゅう」

「飛ぶ!?」

「なんだ、お前は飛べんのか。」

「は?いや、お前はいつ着替えた!?」

「今だが。カラス風忍装束でな、飛べるようにもなっている。」

「才造、翼の調子は?」

「翼!?」

「あぁ、問題ない」

「儂はどうしろというんだ?」

「飛べない忍がいたとはね。仕方ないねぇ、お留守番でもしとく?」

「、、、そうする。お前らが戻ってくるまで儂は儂で情報収集をしておこう」

「んじゃ、そゆことで宜しゅう。さて、、、と」

 掌を真っ直ぐ前に向けて、まるで手の甲を眺めるようにじっと見つめた。

 手の甲の中心から浮かび上がる黒い傷のような模様は、手首から、そして腕へと這い上がった。

 掌の向こうの空気が見えるような気がした。

 空間が歪んで、だんだん風が背中から吸い込まれるかのようにその歪みへと走る。

 夜影さんの姿はそれと共に変化をしていく。

 二股に分かれた尾はゆらりと天を向く。

 着ていた服は呑み込まれるように着物へと切り替わっていく。

 籠手等の防具も共に呑み込まれ、消えていった。

 歪みはさらに大きくなり、クパァッと真っ黒な口を開ける。

 その先は暗闇であり、恐怖を煽られる。

「ここに、入る」

 振り向いた夜影さんの顔には黒い模様が浮かび上がっており、印象を奪われる。

「クナイ、あんたの本名は絶対に口にしなさんな。妖の中には名を盗る奴もいる。それだけならまだしも、呪われたり、喰われたりする危険だってある。クナイ、と名乗りな。才造も名乗らないこと」

「了解」

「わ、わかりました」

「ちっと、待ってな。変化するから」

 黒い影が立ち上ぼり、夜影さんを包み込む。

 それが大きく膨れ上がれば、もう、面影なんて見ることは叶わない。

 影が完全に晴れることはなかった。

 それでも、影を纏った巨大な黒龍は、両翼を広げて俺を見下ろした。

「乗せてやる」

 才造さんがそう言いつつ俺の腕を掴んだ。

 そして、思いっきりぶん投げられた。

「うわぁ!?」

 体は軽々と黒龍の背中まで上がり、落下する。

 着地は難なく出来たが、驚いた。

「お前らを追って飛ぶが、危うそうだったら尾でも掴むぞ」

 才造さんは翼を羽ばたかせ、数回の後、空気を強く叩いて地面を蹴り、飛んだ。

 空中で留まり、本当に鳥のようだ。

 黒龍となった夜影さんも、一つの羽ばたきの後に飛び、短く唸ると暗闇の穴へと飛び込んだ。

 背中につき出す突起を両手でしっかり掴んで、前を見る。

 何も見えない暗闇だ。

 振り返えれば進んでいるという実感が、遠ざかる光の点で確認出来た。

 才造さんは真っ黒だけど、それでも飛んでいるとわかる。

 光の点は見えなくなった。

 少し経てば、前方に光の穴が見える。

 そこへ飛び込んだ。

 眩しさに目を閉じ、顔を伏せる。

 耳には、自動車の音が入り込んだ。

 古い?

 目を開けて景色を眺める。

「クナイ、これは通過点だ。現在から五十年前の景色だ。」

 才造さんは隣を飛びつつ俺にそう声をかけた。

「なんで、わかるんですか?」

「ワシは戦国の時代からずっと生きてるんだがな。」

 俺にチラとだけ目線をやって、そう答える。

 そういえば、そんなことを言っていたな。

 夜影さんが、咆哮を上げた。

 すると、前方に黒い歪みができる。

 そして大きな口を開け、そこへ飛び込む。

 再び暗闇の中だ。

 時に逆らって、飛んでいく。

 不思議な感覚だった。

 光の点が近付く。

 そこへまた飛び込む。

 雨が降っていた。

 顔に強く叩き付けられる雨は、冷たい。

「百年前くらいだな。」

「ここに住んでたんですか?」

「いや、ここじゃない。百年前の八月頃なら、まだここに引っ越してきていない。」

「何月かまでわかるんですか?」

「草花を見ればな」

 その風景さえ通り過ぎていく。

 通過点、だから。

 また咆哮に呼ばれて暗闇は口を開ける。

「くッ、重いな。一気に飛ぶか」

 才造さんは俺の頭上まで近付いてくる。

 苦しそうな顔をしながら。

 光の点が近付いてくる。

 光に呑まれる。

「わかるか?平成二〇〇二年、九月十二日だな」

「細か!?」

「この日だけは忘れるわけがない。」

「何でですか?」

「ワシと夜影の大事な日なんだ。暇があれば教えてやる」

 そういうと、俺の隣に着地した。

 翼を畳んで、疲れたように溜め息を溢す。

「広島県、因島、、、だな。」

「海、、、ですよね?あの、見えるのは」

「そうだが。瀬戸内の、」

「あの、もしかして、俺たちがいた場所と同じ所を飛んでますか?」

「いや、時間も場所も違う。夜影が、通りたい景色を通ってるんだろうな。ワシらの思い出といったところだな。」

「初めて海見ました」

「そうだな。お前のとこなら元々山しかないな」

「山、あったんですか?」

「あった。現在は削って建物で山のやの字もないがな。残念だ」

「綺麗ですね。感動しちゃいます」

「人工的なもんで溢れた街中にずっといると、頭が可笑しくなる。」

「そうですか?」

「麻痺した奴にはわかるまい」

 翼を広げてまた飛ぶ。

 この景色を目に焼き付けておこう。

 生で見れるのはきっと、一生でこれが最初で最後だ。

 咆哮が響く。

 遠ざかる景色。

 暗闇に溶け込むように、俺達は逆らっていく。

 真っ直ぐと、迷うことなく、振り返りもしないで。

 夜影さんと才造さんの大切な景色を、横切りながら。

 遠くに、灰色の点がある。

 大きくなっていく。

 そこに飛び込んだ。

 曇り空だった。

 騒がしい。

 馬の荒い足音が土を蹴って、砂煙を上げて進んでいく。

 人の大きな声が塊になって刃を光らせる。

 これって、、、。

「ワシらが暗躍した戦国時代だ。丁度、戦だな。」

「忍たちもいます?」

「いる。墨幸様が戦っておられる。夜影もいるな」

「あ、あれですかね?」

「これが後の墨幸忍隊十勇士の書物の一番有名な霧ヶ峰夜影のあの場面と同時刻だな。分身が別のとこで全滅させてる時の、本体の方の動きだ」

「凄い、、、。速くて最早影なんですけど、、、。才造さんは?」

「この時、ワシはもう少し左の方で夜影の命令通り働いてた」

「左の方?あー、あそこの?」

「そうだな。アレだな。こうして見てみれば、夜影の腕のよさも、頭のよさもわかる。不利だったんだがな」

「勝ったんですよね?でも、なんか、見た感じ劣勢って感じじゃないですよ?」

「夜影がそう整えたんだ。ワシらは知らず従ってただけに過ぎん。主でさえも思いのままならば、もう負け戦も乗り越えられた理由もわかる」

 咆哮が聞こえた。

 もうそろそろこの景色も遠退くんだ。

「負けたこともありましたよね」

「だが、主と忍隊十勇士だけは生き残った。意地でも夜影が生き残らせた。逆に夜影が生き残ったのが可笑しいくらいの状況だったな」

「そんな酷かったんですか?」

「生かす為に、主も部下も撤退させて、敵から逃れる為に囮になった。分身と変化を使ってまるで撤退している本物のように振る舞ってな。死にかけながら戻ってきて、、、あれは真似出来んな。流石だ」

「夜影さんでも勝てないんですか?」

「相手に伝説の忍もいたからな。逃げ切れたこと自体が有り得ない。よくあの状態で戻ってこれたもんだ」

「俺の読んだ書物には載ってませんでした」

「あぁ、この内容に関しては十勇士じゃなく、墨幸家の方だろう」

「なるほど」

 そう話してる内に、次の景色が迫ってきている。

 どうして、どうして思い出を振り返るかのように?

 見たかった?

 見せたかった?

 思い出したかった?

 なんだろう?

「見えるぞ」

 光の中から現れたには、山々の上空の景色。

 人の影は何処にもない、現在では消え失せた自然の姿。

 何処なんだろうか?

「ここらは知らん。ワシらが産まれるよりも前のだろう。場所もわからんな」

 徐々に、高度が下がってきている。

 広い草地に向かって、低空飛行。

 そして、フワリと着地した。

 両翼を地面へと広げた状態で下げる。

 その翼の上を滑り降りた。

 俺が降りたのを確認した夜影さんは体を起こして、翼を立て、畳んだ。

 それと同時にゆっくりと頭を持ち上げ、高い位置から俺を見下ろす。

 周囲に纏っていた薄い影が濃くなりつつ、夜影さんを包み始める。

 ザッ、と才造さんは着地すると、翼をしまった。

 どういった風になっているのかわからないが、現在でさえまだこんな鳥に限りなく近い状態では飛べないというのに、凄い。

 鳥の骨が軽い構造であるように、忍の体も鳥のように軽いのだろうか?

 大きな影の塊は、ゆっくりと地面へと降りてきて、這いながら端から消えていく。

 そして、影から取り残されるように現れたのは、着物姿の夜影さんだった。

「ここ、、、ね。あぁ、、、」

「どうした?」

「うん、、、予定と違うとこ、着地した、、、。合わせる顔なんてないじゃない」

「だが、崩壊する前の過去じゃないのか?」

「ううん。崩壊した後なんだけど」

 そう言われて首を傾げたのは才造さんだけじゃなかった。

 夜影さんでさえ、わからないというように不安そうだった。

 崩壊したはずが、何故?

「もりかして、間違えた?」

「そんきや」(それはない)

 突然聞こえた声に、身構えた。

 そんな、気付かなかった。

「おき。見知みしぬ姿、こんくうきやんなせるや、烏天狗からすてんぐさわぎてき」(おかえり。見知らぬ姿が、この空を飛びやがるから、烏天狗が騒いで居ったぞ)

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