第2話 砂の世界で生きるためには

 沈みゆく西日に、藍色の覆いがかけられていく。

 今日が終わろうとしていた。


「ちょっと早いけど、野営にするか」

「あ、そうなんですか?」

 私の提案に、トオルは意外そうな顔をする。


「西日、見たいんだろ?」

「そりゃあ、まあ。でもこんなところで……」

 トオルは周囲を見回す。


 私たちが今いるところは、砂山の上、つまり高台である。遮蔽物は何一つない。


 日が沈んでからここで光を灯せば、夜暗の中、ずっと遠くからでも私たちの位置を特定することができる。


「危なくないかって?」

 トオルの言わんとしていることを察し、尋ねる。私の言葉を聞いたトオルは、こくりと首肯した。


「まあ、夜盗がいた頃ならさておき、今はみんな死んでるからね」


 夜中、砂の下から怨霊の乗り移った骸骨が出てきて襲われるならまだしも、である。

 もっとも、その骸骨も深く沈んでおり、出てくるのは容易ではないだろう。

 それほどまでに、この世界から人が死に絶えて久しい。


「でも、獣とか……」

 トオルが不安そうな声を出す。旅慣れていない者の雰囲気が出ている。


「大丈夫さ。大丈夫」

「……具体的な根拠が示されていないのが、ちょっと不安なんですけど」

「まあ、私に任せなよ。ボディーガードが大丈夫だって言ってんだ。なら大丈夫だ」

「……雑だなあ」

 トオルは苦笑して、諦めたように首を横に振った。


「なに、並大抵の獣なら追い払ってやるさ」

 私はそう言って、腰のベルトにつけたポーチから、金属の筒を四本取り出す。


 機械加工による細かい切削跡がついたそれは、まごう事なき旧文明の遺物だ。

 私はそれを東西南北、四方に投げる。四本の筒が砂に落ち、ぽすっという音を鳴らす。


「今の、なんですか?」

「そうだね、未来みたいな大昔の、秘密道具ってやつさ」

 そう言って、私はぱちりと指を鳴らす。


 すると、四本の筒からシュボッという音が鳴る。その音は、高圧の空気を放出する音だった。


 四方の筒から放出された空気は、それぞれ干渉し合い、目には見えない風のドームを作り出す。簡易的ではあるが、テントの完成だった。


「おー、すげえ」

 トオルが感嘆の声を上げ、ぱちぱちと手を鳴らす。


「いいねその反応。開発者も喜んでるよ」

 草葉の陰もとい、砂の下で。


「それ、なんていう名前なんです?」

「名前、名前なあ……」

 そう聞かれて、困る私であった。


 というのも、これはこういう道具だという認識しかしておらず、わざわざ名前をつけていなかったのだ。


 そりゃあ、これが普通に市販していたり、製造していたであろう旧文明時代には、名前がついていただろう。


 しかし、文明が崩壊し人が大半死滅したこの世界において、道具の名前というものは、あまり意味をなさない。


 名は認識する者がいてこそ、初めて意味をなすのだ。


「……空気のテントだから、エアーテント?」

「なんで疑問系なんですか」

「正解がわかんないから」

「……ということは、今、名付けたと」

「そういうこと。どうだ?」

「……どうだって、名前ですか?」

「他に何があるんだよ」

 私の言葉を聞いたトオルは、困ったような表情を浮かべた。


「……えっと、その……、安直」

「よしわかった。今晩お前は外な」

「いやいやっ! 嘘です嘘! 素晴らしい名付けです!」

 そんなやりとりをしているうちに、今日の西日は消えていった。


                 ○


 翌朝。旧河道を東に進む。


 旧河道というのは、かつての水の通り道だ。

 とはいえ、今は乾いている。旧河道の底は比較的平らで、地面もそれなりに硬い。故に歩きやすい。


「そういえば姐さんってずっと旅を続けてきたんですよね?」

 トオルが問う。私はそれに首肯して返した。


「そうだな。それが?」

「何かありました?」

「……何か?」

 トオルの問いは漠然としていて、意味を掴みかねる。


「いや、旅の見所とか、名所とか、面白いとことか」

「……そんなものはないよ。私が見てきたのは――」

 一度、目を閉じる。何かあっただろうか、と思案する。


 色々あるといえばあるのだが、それをいちいち説明するのは骨が折れる。だから、適当に返すことにした。


「砂と砂と砂、それに砂があって、あとは砂かな」

「砂だらけじゃないですか」

 トオルが苦笑する。


「砂なら、今も飽きるほど見てますけど」

「そういうことだ。見る物なんて無いよ」

「……それって、飽きません? 退屈では?」

「飽き、退屈……ねえ」

 そう言われ、しばし思考。


「少なくとも今はしていないよ」

「というと?」

「旅の道連れがいるからね」

 そう言って、微笑む。


「なんていうか、それはどうも」

 トオルは私から目を逸らし、少し不器用に礼を言う。普段は人懐っこいトオルだが、こちらから距離を詰めるとその対応に困るらしい。


「じゃあ、この旅が終わったら、また退屈になるんですか?」

「どうかな? 一人で旅してても、案外と退屈はしないんだけどね」

 そう言って、私は足を止める。


 生き物の気配がした。


 この砂漠には潤いというものがない。土地にも、生き物にも。

 故に、ここで生きるものたちは、往々にして飢えている。


「……“オオカミ”が来る」

「狼?」

「似てるけど違う。まあ、見ればわかるさ」

 私がそう言った直後、背後から微かに足音。振り返る。


 そこには十頭近くの獣がいた。私がオオカミと呼んだものたちだ。

 オオカミと言っても、かつていたイヌ科の生物とは違っている。


 体高は人間の大人ぐらいあり、全身の毛は抜けきって素肌が露わになっている。

 体は細く、無駄な肉一つついてないその体は、節ばっていた。


 口からは牙が伸びている。上下二本ずつの計四本。それは獲物の命を刈り取るために巨大化し、そして鋭くなっている。

 その牙のせいで口が閉まらなくなったのか、この種は往々にして口を半開きにし、そこから涎を垂らしていた。


 前後の足から伸びる爪は短いが、鋭い。牙が一撃必殺としたら、あの爪は攻撃回数を重ねて獲物を弱らせるためのものだろう。


「……足跡、つけてきたのか」

 オオカミのうち一頭が、砂地に残る私のブーツのあとを一瞥し、その後私を見据え、吠えた。

 おそらく、仲間に『狩るぞ』と言っているのだろう。


「う、うわわ」

 トオルは無論おびえていた。そりゃあそうだろう。このような生物の群れ、それも敵意をむき出しにしたものと出会うのは初めてなのだから。


「……な、退屈はしないんだ」

 こんなことは日常茶飯事である。


「砂以外にもあるじゃないですか!」

「まあ確かに。今度からは砂と砂と砂と砂、それと可愛いイヌっていうことにするよ」

「あんな恐ろしい風貌をした犬はいないと思うんですけど」

「なに、慣れっこさ。安心してな」

 私はそうトオルに言い聞かせ、太ももにつけたホルスターから、武器を抜く。


 それは黒色の金属を削り出して作られたような、そんな無骨な外見をした、銃に似たものだった。


「あっ、銃だ」

「残念、これは銃じゃないんだよなー」

「え、じゃあ何ですか?」

「水鉄砲」

「えっ」

「聞こえなかった? 水鉄砲」

 私の言葉を聞いて、トオルは呆然としていた。


「……いや、向こうから生肉とか温かい血とか、そんなの好きそうな動物というか猛獣っぽい群れ来てません?」

「なぁに心配はいらない」

 私は笑みを浮かべて、トオルに視線を向ける。


「慣れている」

 私はそう言い残し、オオカミの群れへと向かう。


 水にも血にも飢えた獣の群れは、ただひたすらに痩せていて。


 乾きと陽光に無駄なものをそぎ落とされた結果、ただ生きることに率直な彼ら。


 私は、そんな彼らに多少の好感を覚えていた。


 けれど。

「まあ言語通じないだろうけど、言っとくぞー」

 戦うしかない。彼らが、襲ってくるというのならば。


 戦闘前、常にやっている儀式を、今回も始める。


「撤退するなら危害は加えない。こちらに危害を加えようものなら、こちらも容赦なく反撃する用意がある。だから」

 手に持った銃をくるくると回す。以前観た旧文明の映像でやっていた動き。私はアレが好きだった。ガンプレイというらしい。


「痛いのが好きだったら襲ってこい」

 にっと笑ってみせる。奴らがそうしているように、私も奴らに牙を見せる。


 奴らは牙を隠さず、私に近寄ってくる。もっとも、隠そうとしても隠せないだけかもしれないけれど、近寄ってくるってことはだろう。


「それじゃあ、戦闘開始ってとこかな」

 ガンプレイを止めて、敵を見据える。敵も私を見据える。


 双方の、戦闘の意思が交換された。


 敵の総数は十二。敵は三方向に別れて私を襲おうとする。


 集団が三つに分離する。

 右翼に五頭、左翼に三頭、中央に四頭。


 オオカミが駆け、砂塵が舞う。なるほど、私を囲むつもりらしい。


「そのまま逃げていってくれたら御の字なんだけど」

 小さくため息を吐く。

「そうもいかないよな」


 中央の集団、その内の二頭が私にその牙を届かせようと突っ込んでくる。

 二頭は私の目前で進行方向を、分ける。左右から襲撃。左の方が、少し早い。

 一歩、引く。


「うおっと」

 それだけでは足りない。牙の長さを読み違っていた。慌ててのけぞる。牙が私の眼前をかすめ、テンガロンハットを貫こうと――。


「これ、お気に入りだから困るな」

 私はのけぞった勢いをそのまま、左足を蹴り上げる。左足がオオカミの肉を叩きのめす。オオカミの悲鳴が聞こえたのを確認し、右のもう一頭に注意を向ける。


 右のオオカミは仲間がやられたのを警戒したのか、私から少し距離を取り、間合いを計っているようだった。


 なるほど、この戦術は正しい。彼我の均衡を維持しているうちに、たった今倒れた仲間は回復し、加えて私を取り囲もうとする他の仲間たちと共同して私を仕留めることが出来るだろう。


「正しいんだけど、なんていうかーその、なんだ」

 右手でテンガロンハットの位置を直し、腕越しに敵を見据える。


「浅知恵だな」

 そう言い残し、私は後方へ体を沈めつつ跳ぶ。そんな私の頬を掠める、熱量を帯びた空気が二つ。


 背後からオオカミ二頭が、私に飛びかかっていた。私は体を沈めて彼らを回避し、その体勢のまま、銃を構える。


 先ほど水鉄砲と称したそれ――ブラスターから、超高圧の、熱された水が飛び出す。光線のように飛ぶそれが、オオカミ二頭を続けざまに射る。


 獣の悲鳴があがり、砂を上げて二頭が倒れる。

 死にはしないが、死ぬほど痛い。これはそういう得物だった。


「残りは九頭。……多いなあ」

 そう言ってため息を漏らしつつ、先ほど私と対峙していた慎重な一頭を打ち抜く。残り、八頭。


「さてさて、とっとと終わらせたいから一気にかかってくるか、逃げるかしなさいな」

 そう言ったものの、彼らは間違いなく襲い来ると断定していた。


 この星に、次の機会なんてものはそうそうないからだ。

 今日を生き抜くための食物は、確実に手に入れることが肝要だ。


 私の思ったとおり、残り八頭は戦意を喪失しないで私に牙を剥く。

「そういうことなら、とっとと終わらせようか」

 私はそう言って、得物を構えた。


                 ○


「はい終わりー」

 砂上に倒れる十二頭を見て、淡々と言い放つ。


「お見事です姐さん。さすがは長年旅をしているだけある」

 トオルはぱちぱちと拍手をしながら、私を褒め称えた。


「まあな。慣れてるって言ったろ?」

「ええ、安心しました。それで……」

「それで?」

 私が問うと、トオルは目を輝かせて口を開く。


「こんな出来事、沢山経験したんですか⁉」

 トオルは入れ食い気味にそう尋ねてくる。


「お、おう。まあな」

 その勢いに少したじろぐ私であった。


「そういう話! もっと聞かせてください!」

「えっ、これ面白いのか?」

「そりゃあもちろん! 砂漠を征く凄腕の用心棒って感じでかっこいいじゃないですか」

「あー、なるほどなー」

 話を聞きながら、こういうことに食いつくところは実に男の子らしいな、と思う私であった。


「……わかったよ、それじゃあ、歩きながら話してやる」

 私がそういうと、トオルは嬉しそうに私を見上げるのであった。


「ま、話してもいいんだが、こんなことはこれから沢山遭遇するけどな」

「え」

 トオルの目の輝きの中に、怯えが交じったような気がしたが、私はそれを見なかったことにして、今まであった戦闘を語ることにした。

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