第2話 はじめてのおつかい


 転生してから何週間か経ったある日、私は初めて鏡を見た。城内を使用人のフィフティと一緒に歩いているときに見つけたのだ。

 生まれて数週間で歩けるなんて思っていなかったから少し楽しかった。


 自分の姿は前に一度、魔王――お父さんの瞳に反射していたのを見たことがあったけれどそれは赤ちゃんの頃だけ。

 しかもあの時は状況が状況なだけに鮮明になんて思い出せない。

 だから初めて見た私の姿を見てとっても驚いた。


 父の毒々しい赤よりも深い濃紫の長髪に驚くほどに真っ白な側頭部から生えた角、流れる血のように真っ赤な瞳。

 体格は4歳か5歳の女の子と同じくらいだった。もしかすると悪魔は成長が早いのかも知れない。


 初めて見た自分の姿に腰を抜かしかけたけれど、フィフティが背中を支えてくれたおかげで転ぶことは無かった。

「お嬢様」と優しく声をかけ、フィフティは手を引いて私の部屋まで案内してくれた。





 私の部屋は一言でいうと要塞だ。

 侵入者たちに気づかれないように、と厳重に守りを固め、警報やら何やらを何重にも付けたせい…………おかげで私は絶対安心の要塞を手に入れたのだ。

 部屋の中にはヘルハウンドという炎を身にまとった犬の子どもが私の番をしてくれている。名前はバウ。


「ただいま、バウ」


『バウッ』


 バウが私の胸に飛び込んできて床に押し倒され、顔を舐められる。不思議なことに炎の熱さは感じないけれど、舐められる舌のザラつき感はある。本物の犬みたいだ。

 あの不思議な空間にいたマリアさんの仕事が早く終わればいつかはミィもこちらへ来れる。バウとミィを早く合わせてみたい。


 一通り満足したのかバウは私の上から退き、尻尾を振り、舌を出して喜びを表現。


「シャルケ様お夕飯のお時間ですよ」


 フィフティと同じ顔の、けれど全く違う使用人が私の部屋へ呼びに来た。

 バウにお手製のリードと首輪をつけ、フィフティと一緒に廊下を歩く。途中、バウの背中に乗せてもらい少しだけ楽をしたけれど。







「シャルケよ!よく来た!」


「おとうしゃん!」


 バウの背中からジャンプして厳つい強面の大悪魔の胸へ飛び込む。この数週間でお父さんの超絶強面顔にも慣れた。それでも笑った顔はたまに怖い。


 魔王城の食事の間、リビングはとても広い。会社の食堂よりも広い。しかも美味しい。

 リビングにはお父さんの他に配下の悪魔が数人見える。どの人も最初に見れば泣くこと間違いなしな顔だけど話してみれば凄くいい人たちだった。


「シャルケ様、こちらに」


 フィフティの隣の席に座り、お父さんから食べやすく切り分けられたお肉を受け取る。何の肉かは知らないけれど――人間ではないらしい――とても上質で美味しい。油とお肉の比率が黄金比で噛んだときの肉汁もこれまた絶品。みずみずしい野菜と組み合わせればもっと美味しくなる。

 私のその様子を感じ取ったのかお父さんも満足気な笑顔を浮かべた。


 夕食を食べ終えると、何やらとても慌ただしい様子のお父さんが目に見えた。見たことのない道具をいくつも取り出し、フィフティに押し付けていたけれどそのどれもをフィフティは断っていた。


 部屋に戻ると可愛いネグリジェに着替えさせられ、ベッドに横になる。隣にはバウが寝そべり、天然の湯たんぽのような温かさで眠りに誘う。

 子どもの体力では夜遅くまで起きるというのはどうやら不可能なようでいつも同じ時間帯に眠っている。おかげで肌はピチピチ。











「シャルケ様、おつかいに行ってもらいます」


 起きてすぐにフィフティから言われた。

 すぐにおとぎ話に出てくるような可憐な衣装に着替えさせられ、背中には可愛い猫のような動物の顔のカバン。隣にはリードと首輪をつけたバウ。

 気がつけば私は城門前まで来ていた。

 振り向けば後ろには今にも泣きそうなお父さんの姿とそれを宥める配下の人たち。そして手を振るフィフティ。


 ――ちょっと待ってほしい。

 展開が早すぎてついていけない。そもそもおつかいって何?何買えばいいの?

 ていうか魔王城の外なんて行ったことないからわかんないんですけど。


「やっぱり魔道具を持たせた方が……」


「天魔様、それではシャルケ様自身の成長には繋がりません」


 いつになく厳しい口調のフィフティが何かを言いかけたお父さんの言葉を遮る。シュンとした顔のお父さんはこれまでに何度か見たことがあるけれどここまでは初めてだ。

 きっと昨日フィフティに押し付けていたのが〈魔道具〉というものだろう。


「それではシャルケ様、どうかご無事で」


 そう言うとフィフティは私を城門の外へ出し、思いっきり門を閉めた。


 ――え?何?『ご無事で?』死ぬの?


 不満と不安しか感じないけれど魔王城の門は子どもの力で開くはずもなく、諦めることにした。

 隣のバウは能天気に尻尾をブンブンと振り回し、元気いっぱいな様子。


「バウはおきらくねっ」


 頭を撫でると『クゥーン』と愛らしい声を漏らした。


「とりあえず!がんばる!」


 自分への喝を入れるために大声を出して歩き出す。

 初めての外、初めての異世界へ。









 □□□□□□□□□□□□□□□□



 魔王城の外は普通の森だった。もっとこう、空が真っ暗だとか魔物がいっぱいだとかを予想していた私にとっては予想外の光景だ。

 バウも初めての外の世界なのかいつもよりも勢いよく尻尾を振っている気がする。

 バウに引っ張られるようにして前へ進んでいく。目的地も目的もわからないのにどこへ進んでいるというのだろう。


 窮屈なくらい鬱蒼と生い茂る木々の真ん中にあるまるで私のために作られたような細いけもの道をバウが先導する。

 フィフティが私の成長、と言っていたのを聞いていたのかバウの背中に乗せてくれる気配はない。と言うよりもバウ自身、護衛と監視役で来ている気がする。


 森を進むにつれてだんだんと木々の数も少なくなっていき、葉の隙間から光が漏れ始めた。

 完全に森を抜けきると開けた道、そしてその先に木製の高い柵で囲まれた村みたいなものが見えてくる。

 バウが一度こちらを見て『行きますか?』みたいに訴えてくるので今度は私が先導することにする。


 柵は村全体を守るように設置されていた。

 そりゃあ魔王城の近くにあるのだから守りを固めるのはわかるけど、少しやりすぎっていうくらい柵が高い。

 バウが小さく唸り柵に向けて何かをしようとしたので必死にそれを止める。よく見れば口から火が漏れてる。多分、火炎放射でもするつもりだったんだと思う。


「バウ!めっ!ひとにきがいはくわえないっ!」


『クゥーン』


 怒ったあとは甘やかす、これが私の流儀。バウの首あたりを撫で回し顔を近づけるとすごい勢いで舐められた。

 するとバウはいきなり私を背中へと乗せ、何をするのかと思うと


 ――空高く飛んだ。


「バウ、まって!こわい!」


 待て、と言われて待つことなんて不可能。柵よりも更に高く飛んだバウは風の音で私の声が聞こえてないみたいで遠吠えをしながら地面へと急降下。

 お腹のあたりがふわっとする嫌な感覚に襲われ、思わず大絶叫。私は絶叫マシーンとかそういう類のものは大の苦手なのだ。

 流石のバウも私の絶叫が聞こえたのか驚いたようにこちらを振り向き、申し訳なさそうに声を出した。


「バウ!した!ちゃんとみて!ぶつかる!」


 私の絶叫のせいでバウが下を見ない。まずい、このままでは地面に激突してしまう。生まれ変わって数週間でまた死んじゃう。

 どうしようもなくただ目を瞑ることしかできない。ぎゅっと目に力を込め、次にくる衝撃に備えるためバウに抱きつく。


 ドスン、という音とともに土煙が大きくあがる。予想した衝撃が来ることはなく、体も五体満足だ。バウの方も怪我をした様子はなく、むしろ私のせいで精神的にダメージを負ったみたい。

『ごめんなさい』といった様子のバウに小さく怒り、周囲の様子を確認する。


 土煙のせいで数歩先くらいまでしか見えないけれど、どうやら着地の衝撃でクレーターが出来上がったようだった。

 土煙が消えると私から離れた場所に何人かの男の人たちが立っていた。よく見れば手には斧と槍、農具と武器になりそうなものを構えている。


「魔族……!族長、ついに魔王が侵攻を開始したということでしょうか……」


「――お前は後方へ戻り村のもの達の護衛についてくれ、どこかの街についたらこのことを知らせてくれないか」


「しかし……!」


「村の男連中じゃあお前が一番若いだろ?」


「――っ、ですが!」


 何かが始まった。

 最初からクライマックスだ。

 全く状況が掴めない私を置き去りに男の人たちはそんな会話を続けていく。


『魔王が侵攻』なんてとんでもない。

 ただのおつかいです。


「あ、あの」


 意を決して話しかける。なんとか誤解を解けないだろうか。

 私の意図とは裏腹に男の人たちは武器をこちらへ向け始める。それと同時にバウも唸り始め、口から火が漏れる。


「族長!」


 すると男の人たちの後ろから若々しい女性の声が響いた。族長と呼ばれた人は期待と喜びに満ちた表情でそちらを振り向き膝から崩れ落ちた。


「――――勇者様!」






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