天魔の娘に転生しました

天寝子

第1話 魔王の娘


江山えやまさん!ここってどうでしたっけ!」


 パソコンを前に頭を抱えていた私のもとへ後輩が何かの書類を持ってやってきた。


 見たらわかるでしょ、と言いたくなるようなことまで尋ねてくるので少々鬱陶しいけれどあしらう訳にもいかない。


 先輩としての対応を忘れることなかれ。


 その一心で今日までやってきたけれどやっぱり私には向かないのかもしれない。


 書類に目を通し、一からわかりやすく丁寧に教え込む。

 教えられた方の後輩は「あー」とか「なるほど」とか相槌を打ってはいるが、実際に身になっているのかは分からない。









『江山さんに任せとけばなんとかなる』









 そんな魂胆が丸見えだ。

 その実、会社内でも私の立ち位置は面倒事引受役。みんながやりたくない仕事を私に押し付け、やらせる。


 私は元来、頼まれたら断れない性格なのだ。

 勘違いしないでほしいのは『断れない』だけであって、やりたくてやっている訳では無いということ。

 それをどう履き違えたのか会社の人たちは仕事のできない後輩の面倒を私に押し付け、それでいて『江山さんはなんでもやってくれるから助かるよ』と言うのだ。


 違うだろう、と言えればどれだけ楽なことだろう。

 私にはそんな根性はない。















 家に帰って会社でのストレスを癒してくれるのは飼い猫のミィだけ。

 顔は悪くないはずだし、性格だって問題ない、趣味は映画鑑賞に読書、スタイルは身長が高いだけでいいとは言えないけれど…………けど、男の一人いたっていいんじゃないの?


 この仕事に就いてからもう十年?経ってるだろうか。そろそろ歳だって危なくなってくるというのに男の影すらできない。

 このまま独身で一人寂しく生きていくのか、なんて思うと息がしにくくなる。



 なんとなしにテレビをつけると見たこともないアニメが入っていた。

 いわゆる深夜枠ってやつだと思う。

 主人公の男の子が異世界に生まれ変わってすごい能力で敵をバッタバッタと倒していく。


「私も生まれ変わりたいな……」


 掻き消えるような言葉はアニメの音楽に揉み消され、どこか彼方に飛ばされる。

 ミィを抱き上げ、下から覗くと愛らしい瞳と目が合う。


「ミィも生まれ変わりたい?」


 と聞くと、『ミィ〜』と鳴き返してくれる。

 私の気持ちを汲み取ってくれるなんて、できた猫だ。


 ミィにこの家一番の高級おやつを与えて私は眠りについた。

















 体が軽く、ぽわぽわと暖かな感覚に身を包まれる。

『心地いい』の最上級だ。


 夢、だろうか。

 夢を夢だと認識できる夢って何か名前があったはずだけれど私にはそんな知識はなかった。

 夢ならなんだってできるんだろうか。試しに空を飛んでみよう。


 よく近所で見かけるハトをイメージして飛ぶ。


 やっぱり、無理だった。

 人ができないことはできないんだ。

 そういうことで納得しよう。


 少し残念な気持ちになったが、依然としてこの味わったことのない心地良さはある。

 今までの体の重さが嘘みたいに軽く、今ならなんだってできそうに思える。

 ミィもここへ連れてきたかったけれどそれは無理な話ってものだろう。



「気分はどうでしょうか」



 私が心地良さに気を取られ、まさに天にも登るような気持ちで鼻歌を歌っていると突然、背中から声が聞こえた。



「失礼しました。江山 かおる様」



 振り向くと恐ろしいほどの美人と目が合った。

 うわっ、という声が漏れ、恥ずかしさで口を塞ぐ。

 その女性は私の仕草に笑うこともせず、機械のような表情で私を見下ろしていた。とても冷たく、感情なんて読み取れない。


 私の夢だと言うのになんだか恐怖を感じた。



「江山様、ご理解、ご納得いただけましたでしょうか」



 ――何が?



 理解?納得?会社のプレゼンか何かなんだろうか。



「やはり少し混乱しておりますね。ではこちらの方でまとめさせていただきます」



 勝手に話が進んでいく。

 目の前の美人はパソコンでも打ち込むような仕草で虚空に向かってカタカタと何かを鳴らしている。


 とりあえず夢なら覚めればいい。


 頬を抓って目を覚まそうと思いっきり右頬を引っ張る。



 ――痛い



 おかしい。夢って普通、痛みとか感じないんじゃないの?なんで痛いの?

 頭に入ってくる情報が多すぎる。

 訳の分からない不思議な空間、感じたことのない心地良さ、見たこともない美人、痛くない頬――――何が何だかって感じ。



「江山 薫様」



 打ち込み作業をしていた美人さんは急にこちらへ向き直り、おとぎ話とかにでてくる天使や女神のような微笑みを見せた。


 そして――――






「あなたは神に選ばれました」






 ――は?


 心からの言葉だった。

 私の心からの言葉は美人さんには届くことは無かったようで、それを無視して話が進められる。



「前世での行い、多大に評価致します。ですので、こちらからサービスとして貴方様の生前最後の願いである『異世界転生』を提供致します」



 ――ちょ、ちょっと待って。生前?最後?どういうことなの?


 美人さんはこちらの言うことなど聞こえていないかのような素振りだ。というか本当に聞こえてなさそう。


 ――生前って何!私は死んだの?!


 声を大にして叫ぶ。

 すると、今度は通じたのか美人さんは女神のような微笑を向け、



「はい」



 とだけ答えた。


 納得する訳が無い。できる訳が無い。

 待ってほしい。私にはまだやりたいことが、やらなきゃいけない事が――――仕事だって終わってないし、結婚だって……


 ――ミィ……は、



「飼い猫様の方はこちらではお教えすることは出来ません」


 ――嫌!ミィは……ミィだけは残せない!


「そう言われ――――」



 言葉を途中で切り、美人さんは何かと電話するような姿勢で後ろを向いた。「はい、わかりました」という声が小さく聞こえ、少し希望が見える。



「こちらから特大サービスで手配できるそうです」


 ――本当ですか!?


「ですが、それは向こうについてからです。それに手配にも時間が必要なので……」


 ――お願いします。……ただ、一つだけ願いを――――わがままを聞いていただけるのなら、ミィは死なせないでもらえますか


「――――。はい、こちらでその様に対応させていただきますが、そちらの世界へお送りする際に姿が多少変わるのは許してください」


 ――ありがとうございます!



 美人さんはゆっくりと微笑み、手を大きく広げる。すると足元に大きな見たこともない模様が浮かび上がる。

 複雑な模様で何語かもわからない文字のようなものが羅列されている。青白い光を発光させて私の視界を奪っていく。


 ――名前!あなたの名前を!


 見えなくなる恐怖はあったけど、この人の名前を知りたかった。

 なんとなく、聞いておかなければならないような気がしたから。


『私の名前は――マリア。それではお元気で、私の可愛い子山羊』


 その声は慈愛に満ちていて、とても安心する声音だった。

 マリア、と心の中で呟いて私の視界は完全に白に覆われた――――









 □□□□□□□□□□□□□□□□



「天魔様!目が!目が開きましたぞ!」


 ――だれ?


 何かの声。男の人……?天魔様……?

 私はいったい……


「おお!我が娘よ!目が覚めたか!」


 抱き抱えられる感覚。

 目が覚めた、なんて言ってるけど何も見えない。

 ――いや、眩しい?視界が一面真っ白だ。



 だんだんとそれにも慣れ、視界が鮮明になっていく。


 そこはとても煌びやかで豪華な部屋だった。きらきらと光を反射する大理石のような床、真っ赤な真紅のカーペット、豪華なシャンデリアみたいなもの。


 そうだ、私は生まれ変わって……ということはここは異世界?


「ま、魔王様!そんなに高く持ち上げては……!」


「いいじゃないか!めでたい!めでたいぞ!我が娘、シャルケよ!」


 とても大きな声。そして誰かの泣き声。誰だろう、なんで泣いているのだろう。


「魔王様!泣いてしまわれたではないですか!これでは奥様に……!」


 魔王…………そうだ!魔王!

 誰がま、お……う



 目の前には見たこともないほどの化け物。大きな禍々しいばかりの角に、むき出しの鋭い牙、真っ赤な瞳に巨大な体。

 間違いない、これが魔王だ。転生そうそう大ピンチだなんて。


 真っ赤な瞳に写っていたのは魔王と同じ毒々しい紫の髪をした赤ん坊。さっきの泣き声はこの子だ……った、んだ……


 



 気づく、これが――私だと。


 



 間違いない。私しかいない。


 




 ――私、江山 薫は生まれ変わったら悪魔の……それも魔王の娘になってしまいました!

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