犠牲―II

 公園までの道のりで監視者やサイカに出会うことは無かった。あちらこちらの高所をちらちら確認したつもりだったけれど、本当に誰もいないのではないかと思うほどに静かだった。

 その公園は何一つ変わっておらず、ミラが流したAx2の血溜まりもそのまま残っていた。砂場に投げ捨てられた吸い殻も。彼女が座っていた偽りの樹に腰を下ろし、血溜まりを指で撫でた。


「哀しみによりて、覚醒の燈火をあらしめよ」


 彼女と初めて交わした会話を思い出し、その時の真似事をした。言葉の意味は分からないけれど、同じようになぞれば彼女の想いが少しでも理解出来るんじゃないかと思ったからだ。


「苦しみによりて、革命の潮流をあらしめよ」


 続けて呟くと、デルタが口を開いた。


「慈しみによりて、粛正の此土しどをあらしめよ」


 彼は続きの言葉をなぞった。驚いてそちらを見て、確かめるように揃って声を出した。


「憎しみによりて、絶命の宵闇をあらしめよ」


 沈黙が流れる。彼の視線にどんな意味が込められているかを探ろうとしたが、それが悲しさであるか寂しさであるか、あるいは別のなにかか、捉えようのない色をしていて判然としない。


「どうして知っているの?」


「これは俺たち覚醒体の合言葉みたいなものだ。俺達を導いたが作った」


「ある人って誰なの」


だ。そうとしか説明できない」


 何とも歯切れの悪い言い方が引っかかったけれど、嘘でもなさそうだった。諦めて腰を上げ、砂場に足を向けた。せめてこの吸い殻の山は片付けておいたほうがいい。

 最初の一本を拾い上げた時、背後から声がした。


「もしかして、煙草を一本持っていないか」


 振り返らなくても分かる。彼女の声だ。いつものように陽気で、心が安らぐ声だ。


「それを言うなら、チーズを一切れでしょう」


 スティーヴンソンの『宝島』。あのゲームセンターには置いてなかったが、オーナーと暮らしていた頃に読んだことがある。しかし彼女は小説なんて読まないと思っていたから、少し驚いた。


「本土に戻れたらたっぷり煙草をくれよ」


 その後に続く台詞をなぞって笑う。ふう、と吐き出す煙が彼女の帰還を確信させた。


「おかえり、ミラ」


「ごきげんよう、お嬢さん」


 そうしてふふっと同時に笑った。その瞬間だけは、あと二時間で彼女に訪れる未来を考えずに済んだ。


「ミラ、状況は?」


 しかしデルタは努めて冷静だった。それに合わせて彼女も表情をすっと無に戻した。


「ラウラと取引をした」


「どんな内容だ」


「それがな、思いのほか譲歩してくれたんだよ」


「内容を話してくれ」


「あんたらはただ島から脱出すればいい。あとは私次第だ」


「だからどんな――」


 デルタは明らかに苛立っていた。彼にはもう、それがどんな意味を持っているのか気付いてしまったのだろう。私にはまだ何も見えてこないが、しかし悲しげに微笑む彼女の横顔を見ると、きっと何一つ喜ばしくないのだろう事は分かった。


「知りたいのか、本当に」


「俺達にも知る権利がある」


「ファイ、あんたはどうだ」


 分からないうちは楽でいい。全ては想像の域を超えないのだから。知ってしまえばそれは呪いになり得る。彼女の犠牲によって私達が助かるというのなら、私達は今後ずっと、彼女の亡霊に縛られる事になる。

 ……それでもいい。それが良い。答えは最初から一つしかない。


「教えて、ミラ」


 目を閉じて、彼女は最後の一口を吸い込み、吐き出した。地面に落とし火を消すと、


「これは全部、私の生きた証だ」


 と呟いた。そしてもう一度口を開いた。


「私はこれから、監視者たちと戦争を起こす。三人が島を出るまで生き残れたら私の勝ち。その逆は……言うまでもないよな」

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