犠牲―I
馬鹿野郎、とデルタは悔しそうに呟いた。彼女はあと二時間でアセンションする。ならばせめて、身を挺して私達だけでも安全に本土へ帰したい。それが彼女の望みだと言う。
彼女はぎりぎりまで足掻き、これまで同様に平静を装うものだと思っていたし、事実昨晩は殆ど陰りを見せることはなかった。ただ一言だけ、
「四人で過ごす最初で最後の夜だ」
というそれだけが彼女の吐いた弱音だった。
なのにどうして。なんの相談もせず、黙って出ていって勝手にそんな無謀な行動を取っているのか。怒りと悲しみとが混在し、ぐるぐると思考の螺旋に囚われかけたが、意識を正して声を上げた。
「お願い、ミラを撃たないで!」
私の声は向こうに届かない。古き良き電話とは違う。大声を出そうが届くことはない。しかし叫ばずにはいられなかった。
デルタはそんな私の思いを汲み取り、その内容をラウラに伝えてくれた。
〔安心しろ、今はまだ拮抗状態だ。銃器を向けてはいるがお互い睨み合っているのみだよ〕
今はまだ。つまり彼らは状況次第で躊躇なく引き金を引く。それはそうだろう、人質を取って私達の解放を要求しているのだ、あちら側にはなんの利益もない。こればかりはミラの悪手と言わざるを得ないが、しかしそれ以外にもっと良い方法があるのかと考えても、何も思いつかない。
けれどこのまま指を咥えていたって、いつかは彼女の身体に穴が空くか、彼女の存在が消え失せる。しかしせめて自然のままに、アセンションによって成就される結末であってほしかった。
〔ミラ、お願い……返事をして〕
だから私は彼女に通信を試みた。数秒間の沈黙が、絶望の色をより濃く煮詰めていく。
〔ファイ、ごめんな〕
十数時間ぶりに過ぎないのに、たったそれだけの言葉で救われた気分になった。たった一人抱え込み、遠く私達を突き放したりせず、対話を選んでくれた。それだけで十分嬉しかった。
〔ミラ、そんな危険な道を選ばないで。せめて私達と話をしよう〕
〔私には時間が無いんだ。三人が無事に生きていけるって確信を得られないと、死ぬに死ねないだろ〕
〔私だって!〕
拳を握りしめる。その気持ちは有り難いし、よく分かる。けれど叫んでしまった。もはやここからは理屈じゃなく、感情の問題だ。
〔私だって、貴方の幸せを望んでいるの。自己完結は死者のエゴでしかないんだよ〕
〔……はっ、はははっ〕
急に笑い出したものだから、何かおかしな事を言っただろうかと不安になってきた。が、ミラはすぐに悪い、と付け加えて話を続けた。
〔やっと本音が訊けた〕
かちん。ジッポを開く音。じじじ、と煙草葉に火を灯す音。ふう、と息を吐き出す音。何回も何十回も聞いた、彼女の儀式。つまり今、彼女は警戒心をほんの少しだけ緩めたのだ。
〔分かったよ。それじゃあもう一度だけ会おう〕
〔ありがとう。そっちに向かうから――〕
〔私達が初めて会った場所。そこで待っていてくれ〕
そうして通信が一旦切れた。
初めて出会った場所。小さな公園、傷だらけの彼女、そして「偽りの樹」。デルタに視線を送ると、頷いて私に決定権を委ねた。
ありがとうと囁いて、私達は走り出した。これが彼女と過ごす最後の時間となる。
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