取引―IV
くそっ。デルタは舌打ちをして着ている服のボタンを剥いだ。レイヤーを解除し、外装のロックを外した。顕になった心臓部からはいくつものケーブルが伸びている。人間と同じようにAx2を循環させ、人間と同じように脈打つ
彼はケーブルの中で一番太いものに手をかけた。大動脈。取り外せば、強制的に意識が飛ぶ。直ちに死にはしないが、ものの数分でアセンションを起こす。
「待て、デルタ。今はお前達に伝えたい事があって侵入しただけだ」
「そうかい、俺はあんたと話すことは何も無いが」
「私にはある。取引をしよう」
ぴんと張り詰めた空気が続く。私もミラも、ただデルタを見上げることしかできない。彼の目はそんな私達を何色とも付かない眼で見つけ返すだけで、サンはそれを遠巻きにぼんやりと眺めているだけだった。そういえば、お昼ごはんがまだだった。なのに一言も声を上げない。大人しい子、不自然なほどに。
「その子供をこちらへ返してほしい。そうすれば我々は本土へ帰る」
「サンを人質に取るつもりか」
「なるほど、すでに名前があるのか。では経緯を評してその名を用いよう。サンは我々としても必要不可欠だ。譲渡するのなら、島内部に限り行動の自由を約束する」
デルタの視線がサンへと移る。私は最悪の選択を想起し、彼を抱き寄せ背を向けた。デルタも、それを見ているはずだ。
「……ふふっ」
突然漏れ出た笑い声に、身の毛のよだつ感覚が走る。鳥肌なんてものは実装されていないが、幻肢痛のように、明確に知覚した。
「では三十分待とう。それまでに橋へ来い。待っているぞ」
ぷつり、と何か音がしたわけでもないけれど、デルタはラウラという女の侵入が解除されたのを悟ったのか、心臓部を格納した。
沈黙が流れる。ここには何の雑音もない。鼓動音も。呼吸音も。雨粒の一滴すらも。
彼が私を見る。生暖かいサンの身体を、一層強く抱きしめる。サンを渡せば、私達は最低限の自由を保証される。
昨日今日、見つけたばかりの少年。私達の命。天秤にかける自由があるのなら、きっとそれは強く傾いて地面を叩くだろう。
けれど。私の中には強迫観念にも似た意志が根を張っている。この子を守る。そう
「……来ないで」
彼が一歩ずつ近づいてくる。私は少しずつ後ろへ下がる。だが、すぐ後ろは壁だ。
「ファイ、落ち着け」
「駄目だよ、この子を守らなきゃ」
「違うんだ、聞いてくれ」
「私は……私達だけが……」
「くそっ」
デルタが地面を蹴り上げた。一足で私との距離を詰めた。それに背を向け、目を閉じた。私を殺してでも、自由を手にしたいのだろうか。ならそうすれば良い。私を殺してみると良い。
そういえば私の血はまだ青白いだろうか。ミラのように青黒いものに変色してしまっただろうか。
どちらでも良い。どうせ、ただの色だから。どんなに優れた聖人も、どんなに堕落した悪人も、同じ真紅が流れている。
「やめろ」
その声で、私は目を開けた。私は、私自身は、何もされていない事に気がついた。
ではデルタは何を――。
「……どうして」
その光景を信じたくはなかった。そうであってはならなかった。私はいつの間にか、信じ切ってしまっていた。何の根拠もなく、突然浮かび上がった記憶を信じ私を抱きしめた彼女のように。
「ミラ、どうして」
デルタはミラの右腕を掴み、静止させていた。彼女の指先は豹のように爪を立て、何かに向かって手を伸ばしていた。
どこへ――無論、私の方へ。私の中に在る、サンの方へ。ミラは選ぼうとしたのだ。サンを捨て、見せかけだけの自由を獲ろうとしたのだ。彼女は天秤にかけたのだ。かける事が出来た。そしてその答えは私の想像と同じように――かちゃん。音を立てる程に強く、大きく傾いたそれを見て彼女は決意した。
私からサンを奪う。デルタはその意志を察知して止めた。
私だけが、ただ呆然としていた。優しく、強く、気高い横顔が壊されていく。
ミラ――腕を捕まれ尚力を込めるその表情は、言葉では言い表せなかった――貴方は、何処にいるの?
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