逃走―III

 電動バイクは時速百二十キロを超え、国道を走り続けた。ずっとずっと北上を続け、遠方には少しずつ列島本土が浮かび上がってくる。

 風切り音の凄まじい中でも、私達であれば内部通信で会話は可能だ。しかしこの数十分間、会話は一切無かった。


「くそっ、早いな」


 沈黙を破ったのはデルタだった。内部通信ではなく、わざわざ声に出して発言したことに、私は一つの可能性に気がついた。

 デルタはバイクを止めた。ハンドル部のスイッチを押すとストッパーが飛び出し、角度を変えることなくそれは自立した。


「海峡の橋にもう奴らが回り込んでやがる」


 まだ位置的には島北部の中腹辺りなので、当然橋はまだ見えていない。ミラと同じように監視カメラでも用意してあったのだろうか。


「どうするかな」


 彼はハンドルに顎を載せ、寝そべるような姿勢でぼやいた。


「なあ」


 その姿にミラが背中越しに声をかける。


「あんた、本当にレプリカントか?」


「どうしてそんな事を訊くんだ」


「質問に答えろよ、どうなんだ」


「……ああ、俺も同族だ」


「証拠は」


「証拠?」


 男は上ずった声で上体を起こした。

 振り向いてミラの顔を見て、じっと見つめて、そしてまた背を向けた。

 ポケットから煙草の箱を取り出す。この人も模倣イミテーションを嗜む部類か。箱にはパーラメントと書かれている。


「証拠だったな、ほら」


 男はサングラスを外し、両の眼を顕にした。透き通る蒼色、その奥には私達と同じ歯車のレイヤーが回っている。


「なぜメタトロンを使わない?」


 ミラの疑念は最もだった。会話なら内部通信で良いし、橋の状況も私達に共有すれば良い。それで何か損をするとは思えなかったからだ。


「この島全体を走るメタトロンは、あくまで擬似的なネットワークだ。昔ながらのやり方で、サーバーを設置してやり取りをしている」


「だろうな、レプリカントもそんなにいないだろうし、そうしなけりゃトラフィックを支えきれない」


「そう、あくまで前時代の遺物を、かつてここにいた誰かが作り変えたんだ。だがこの島はレプリカントを閉じ込める牢獄だ。そんな所でもオンラインになれるのはおかしいだろう?」


 私達は口をつぐんだ。確かにそうだ。ミラ自身も言っていた、ここはレプリカントの廃棄場のようだと。

 そこでネットワークが使えるのなら、本土へ救援を求められる。仮に本土側にレプリカントがもういなかったとしても、トラフィックの妨害くらいは出来てしまう。


「島のメタトロンは外部受発信出来ない。孤立状態スタンドアローンだ。恐らくオンライン復帰する為に更新プログラムをインストールしたんだろう。だがそれもオンラインからの提供ではなく、予めサーバーデータに備蓄してあるファイルを直接通信で受け取っただけだ」


 通常、アップデートはメタトロンの管理領域へアクセスし、最新のデータで上書きする。方式は前時代と何ら変わらない。

 彼の言うやり方は、いわば外部メモリなどに保存してあるファイルをただ読み込んだだけ。

 違いは二つ。それはほぼ確実に最新のデータベースでは無いという事。そして実質オフラインでのアップデートという事。

 つまり私はメタトロンに復帰し、また世界に自らの存在を繋ぎ直せたと思い込んでいたが、実際にはますますこの島に縛り付けられていただけに過ぎないのだ。


「島専用のデータベースを取り込むと、本来のメタトロンへのアクセス権を失う。本物のネットワークに復帰するには本土まで戻り、再接続を行うしかない。俺は孤立したくない。だから今のお前たちとは繋がれない」


 悪いな、と口添えて、彼は短くなった煙草を地面に落とした。荒廃した景観の中では、ポイ捨て一つで何かが変わることもない。


「仕方ねぇ。ひとまず信じるよ。それでどうする?」


「一旦隠れ家へ避難する。橋付近にはステルスドローンを待機させてあるから、俺が常にモニタリングしておく。良いか?」


 頷く他なかった。バイクを反転させ、今度は島の中心部へと突き進む。すっかり見慣れてしまったボロボロの街並みと、構わず立ち続ける草木達。その内の何割が「偽りの樹」なのだろう。不自然なまでに生命の力を感じさせるものだから、奇跡よりも先に科学の介入を予期してしまう。

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