逃走―II

 ミラに縋っても状況は変わらない。監視者は続々と大通りへと集まろうとしている。立てこもればひとまずは安心だが、決して鉄壁の要塞ではない。

 彼女が言っていたように、ロケットランチャーでも打ち込まれれば扉はたやすく破壊されるだろう。そうなればいよいよ逃げ場が無くなる。


 どうすればいい、どうすれば良かった。視界の端で、アゲハ蝶がゆらゆらと舞い、そしてすうっと消えたように見えた。ただの見間違いだろうか。どちらでもいい。


 大通りの奥から三人ほど、銃器を構えて膝をつくのが見えた。恐らく抜け道全てにああいった手合いを配置するのだろう。威嚇射撃なのか、何発かを適当にばら撒いて距離を詰めてくる。百メートルほど離れているようだから、訓練された兵士でもなければ中距離銃アサルトで的確に撃ち抜くのは難しいのかもしれない。なので適当な場所に撃っておいて私達の動きを封じ、その隙に配備を整える魂胆なのだろうと考えた。


 何をしたわけでもないのに、弁明の時間すら与えられずに、私達は撃ち殺されるのか。

 恐怖と絶望の感情タグを洗いざらい吐き出したくなる一秒間は、耳を突く甲高い音にかき消された。


 きいいん、と空を裂くようにそれは近づいてきて、目の前まで来たかというところで風になった。

 ぴしゅん、という音と共に、眼の前の景色が歪んだ。周囲の景色を纏うことで姿を消す、遥か昔から実現を目指し研究され続けていた「光学迷彩」だ。

 音の正体は電気駆動の大型バイクだった。Ax2よりもコストが低く、どこの国でも使われている電気エネルギーは自動車業界ではまだまだ現役だったのだ。


 それにまたがる大男はヘルメットもせず、サングラスを付けていた。ゴツゴツとした輪郭に短く揃えた金髪は眩しさすらある。

 彼はサングラス越しに私達を見下ろし、にいっと笑った。


「よう、生きてるか」


 背中を指差し、乗れよ、と白い歯を見せた。乗れよ、とはこのサイドカー付きの大型バイクにということか。絶体絶命の危機にこんな都合のいい存在が現れるなど、さながらシンデレラになった気分だ。


「貴方は……?」


「ん? 俺はデルタだ。誰に訊かれたってそう答えるさ。ほら早く」


 彼は答えながらベルトに挟んであったリボルバーを素早く取り出した。

 機械仕掛けの動きで二転三転し引き金を引くと、聞こえた銃声の数だけ倒れ込む音が後に続いた。

 通路を塞いでいた監視者すべてを、それぞれ一発の弾丸で無力化したのだ。酷く痙攣しているのを見るに、ミラと同じ電気弾かもしれない。


 今はデルタと名乗る男を信じるしかない。敵であれ味方であれ、手渡されたものがガラスの靴であれ毒林檎であれ、今この状況を変化させる事に変わりはない。言うなれば博打だ。

 その判断はミラも同じだったようで、


「信じよう、ファイ」


 脚の様子を気にしながらバイクへと歩み寄った。


「特等席はファイに譲る」


 脚を怪我していた以上、ミラはそちらのほうが楽かとも思ったが、サンが私の方になついているとなると、彼の安全のためにも私がサイドカーを選んだほうが賢明だ、ということらしい。

 大人しくそれに従い、私はサンを連れてサイドカーへ。ミラはデルタのすぐ後ろに腰を下ろした。


「さて、ひとまずはトンズラさせてもらおうか」


 きいいん、とまた甲高い音が響く。電気駆動特有のものだ。うるさくはないが静かとも言えない。

 男がデジタル式のスピードメーターをフリックすると、ぱしゅんという音と共に周りの風景がほんの僅かに歪み、もののニ秒ほどで殆ど気にならない程度にまで輪郭がくっきりしてきた。光学迷彩を再び起動したという事だ。


 スロットルをひねると躯体は一気にトップスピードまで加速し、大通りのど真ん中を駆け抜けていく。

 続々と駆けつけてきた監視者たちをあっという間に追い抜き、そのままかつての国道へと出た。バイクに乗るところを見ていた奴らはこの男が全員口を塞いだわけだから、光学迷彩をしている限りは感知されない。

 無事に……気付かれることなく、危険地帯を抜けたのだ。


 もしかしてこのまま、島を脱出出来るのだろうか。唐突に現れた希望に、ほんの少しだけ、胸がざわついた。

 

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