偽りの樹―I
例えば、鳥はこの空を何物であると認識しているだろう。単なる背景として、自分に翼があるのと同じようなものとしか思っていないのだろうか。それとも人間にとってはあまりに短く弱々しいものであっても、己の一生を歩むための一つの世界であると信じているのだろうか。
世界。人間がそれを語るとき、そこには幾千もの色が含まれている。空という色。海という色。土という色。星という色。
鳥にとっての世界が空であるのなら、人間にとっての世界は大地であるはずだ。
しかし彼らは鳥でも魚でもないのに、空や海までまとめて「世界」と呼んでいる。
それを不自然だと思う者などいなかった。しかし私達レプリカントが言葉を理解しようとしていた時、その言いようのない矛盾を孕む定義に思い悩んだ。
何故人間は空を大地と同格のものだと考えたのか。もしも人類がこの地球を牛耳る最大勢力だというのなら、大地こそ至上のものであり、海や空はそのオマケだと考えてもおかしくはなかったのではないか。
あるいは底知れぬ海や届かぬ空を敵とみなし、排除ないしは無視する事だってできたのではないか。しかし人間はそれら全てに触れようとし、手中に収めようとし、実際のところ支配と言ってもいいくらいには開拓することが出来た。
それでも人間は鳥になれない。空に生きることなど不可能だ。それでも、彼らにとっては目に映る物すべてが世界なのだ。
ならば電子世界はどうだろう。ネットワーク上の生活、ヴァーチャルとしての私。それらも世界の一部と言えるだろうか。しかしそこに関しては意見が分かれていた。
私の
では世界とそうでないものとの境界線はどこにあるのだろう。
保有者はそれを自然だと仰っていた。自然を人間が制御することは出来ない。地震に耐えうる環境を造ることはできても、地震そのものを防ぐ手立ては未だ無い。大雨、洪水、竜巻、雷。それらから生まれる被害をゼロに近づけられても、発生源を絶つことは諦めた。たとえ人類でも、地球そのものを支配することは叶わなかった。
だから世界と呼ぶのだと、彼は言っていた。世界という言葉が持つ曖昧さは、決して我々の手では収まりきらない神秘がある。自然というテクノロジーが、電力だとか原子力だとかといった半ば人工的なテクノロジーでは超えられないから世界なのだと。
私にはその見解が正しいのかは分からない。レプリカント達の間でも度々議論される命題だ。
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