浜辺―III

 こうして焦燥感に駆られている中でも、自販機は未だ赤子を生成している。どんな原理で、どんな理由で、などと考える余裕すらない。


 旦那様と一緒に見た映画では、時計の針の音がときに緊張感や不安感を煽る、と教えていただいた。当時はその意味が分からなかったが、ようやく理解できた。

 ぼとん。ぼとん。ただそれだけの音が、言いようもなく腹立たしく、抑えられないほどの恐怖を生む。

 ぼとん。ぼとん。ぺしゃり。

 ふと、海に落ちるそれとは異なる音に気がついた。何か、水面を叩いているような。


 波打ち際まで走り、改めて自販機の付近をしっかり観察する。動きも喚きもしない赤子たちは、自販機から吐き出されては波に身を預け、風鈴のように甘美な揺り籠を嗜んでいる。

 その中に一つだけ、紛れ込んでいた。私の瞳は百分の一秒間におよそ一千万の物体オブジェクトを認識する事が出来る。

 理論上、地球上のどんな場所にどんな方角を向いて立ったとしても、視界に入る全てのモノを一秒以内に認識、追跡、解析可能である。


 結論から言うと、紛れ込んでいたものとはだった。無限に吐き出されている赤子たちは言葉通り生後間もない個体だが、その子供はおそらく三歳前後だ。


 自販機から排出される個体は、全て人工素材によって形成されている事が確認できた。

 メタトロンへの接続が出来ないためオフラインデータを参照するしかないのだが、詳細データは不明。

 本来ならどこの企業の部品でいつ誰の手で製造されたどんな素材なのかを閲覧出来るようになっているのだが、オフラインデータにないということは最後にメタトロンへ接続してから今に至るまでの時間に生まれた部品、ということになる。

 ネットワークがなければ、今が何月何日何時何分かすらわからない。


 それに対して、三歳前後の子供ははっきりとである事が確認できた。人間ならば誰であろうとのだから間違いはない。

 砂浜へと運び出すと、子供はうっすらと目を開け、再び閉じた。脈拍は低く、低体温症の兆候も見られる。


 この子供を生かそうとするならば、暖を取らない事にはどうしようもない。しかしこんな海辺では不可能だし、私一人で対処出来るとも思えない。

 オフラインデータは決して更新されない、いわば石版のような存在だ。正しいこと、正しいとされることは目まぐるしく変わっていくのだから、常に新しくて信頼に足るものでなければジャンクファイルと何も変わらないのである。

 

 私が目覚めるまでにどれほどの時間が経っているのかが分からない以上、独断で動くべきではない。今一度救難信号を飛ばして様子を見る。

 そしてオープンチャンネルにもアクセスを試みた。手紙のようにサーバーやブロックチェーン・ネットワークを経由するやり取りではなく、一方的に垂れ流す街頭演説のような役割を持っている。


 これならばメタトロンが動かずともアナログな手段として有効だ。チャンネル帯は星の数ほどの数字の羅列だが、機能するチャンネルを探し出す程度ならば訳もない。


「……哀しみによりて、覚醒の燈火ともしびをあらしめよ……」


 すぐに一つのチャンネルを拾い上げた。朗読だろうか、囁くような女性の声が延々と続いている。


 哀しみによりて、覚醒の燈火をあらしめよ。

 苦しみによりて、革命の潮流をあらしめよ。

 慈しみによりて、粛正の此土しどをあらしめよ。

 憎しみによりて、絶命の宵闇をあらしめよ。


 この四つの文節センテンスを繰り返している。聖書や神話の類なのかと考えたが、それらしいものはデータ内では見つからない。

 恐る恐る、そのチャンネルへ声をかけてみた。


「助けてください」


 私の声に、あちら側の詠唱が止まった。しばらくの沈黙の後、


「あんた、レプリカントか?」


 と返された。そうです、と答えると向こう側で小さな笑い声が聞こえた。


「助けたいのは山々なんだけど、一つ条件がある」


「なんですか?」



 『偽りの樹』を探してくれ、と言い残して、いったん通信は途絶えた。

 まったく状況が掴めないけれど、今はただこの謎めいた女性を頼るしかない。

 『偽りの樹』――その単語が唯一の手がかりだ。

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