偽りの樹―II

 その論争の例としてよく挙げられたのが、『偽りの樹』。正確には『超越系自然形態』と呼ばれる品種だ。


 例えば大きな災害が起きたとして、そこに一本の大木のみが生き残ったとしたら、人々はそれを奇跡と呼ぶ。手前勝手に物語性を見出して、後世に残そうと画策する。

 場所を移したり、鉄を突き刺してみたり、ありとあらゆる手段で生きながらせようとする。しかしそれは自然によって作り出された風景からは程遠い。批判されるのも無理はない。


 考えた。自然という超常的なエネルギーはそのままに、どんな天災にも耐えうる命を築くことは出来ないものかと。


 そうして研究されたのが超越系自然形態。鉄やセメントで補強するようなやり方ではなく、ある特定の成分を与え続ける事で、本来持つ樹の耐久性を底上げする。いわば生命の偽装ドーピングだ。

 これには一定の効果が見られた。死ににくいのなら繁殖の機会も増える。痩せ細った土地であっても緑が残る。植物の生存は人類にとっても利益となる。


 しかし当然デメリットもある。拒絶反応なのか、一種の変異なのか、本来の何倍もの花粉をばら撒く個体があったり、葉の色が薄くなったり濃くなったり、幹の表皮がガサガサだったりツルツルだったり。

 つまりこれまでと異なる景観になりつつあった。だが木々に与えたのは地球上にある成分を基準としており、人工的に作り出されたものは何一つ加えていない。それが環境保全計画を担う者たちの声明だった。


 それが嘘であるなら大問題だ。しかし本当なら? 筋肉増強を目指すアスリートがプロテインを飲むように、健康志向の人々がサプリメントを飲むようにするのと同じ行為なのだとしたら、枯れにくく死ににくい樹は自然的と呼べるのだろうか。

 そんな議論から、超越系自然形態は偽りの樹と表現されるようになった。


 樹は見た目に変化がある個体もあればそうでないものもいる。全く副作用が見られず、むしろ活き活きとしているものもあるため、一概に悪とは言えない。だからこそ余計に議論が加熱するとも言える。

 しかしレプリカントならば、樹そのものが発する生命活動の動きで見分けがつく。サーモグラフィで生物の存在を視認できるのと同じように。


 先刻の通信の発信元はおおよそながら辿ることが出来た。オープンチャンネルは本来追跡不可能になる設定がなされているが、今回は発信者によりそれが許可されていた。オフラインとはいえ、このようなやり方でなら何とか特定ができる。まるで私がネットワークから孤立していることを知っているかのようだ。

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