8.

 工場に到着してから何があったのか、私はあまりよく覚えていない。淡い肌色の壁に囲まれた場所はどことなく不気味で、病的にまで清潔感を前面に押し出した内装には生気を感じられなかった。



 恐らく私はそこで解体かもしくは外部スキャンによる検査を受け、異常個体だと診断されたのだろう。

 だから私は工場内の再開発区画に移され、ガラス越しに私を見る旦那様を作業台に横たわりながら見ている。



 彼は職員にニ、三言葉をかけられ、次いでマイクを受け取った。

 あー、あー、という彼の声が私のいる解体現場に響く。


「本当に残念だ。君とはもっと長く話をしたかった」


 彼の眼球運動を見るに、嘘は言っていない。処理時に発生する瞳孔部分の回転が見えたのか、彼は一つ咳払いをしてから続ける。


「本心だよ。僕がニュースの煽りを受けて、何となく不安になってここへ来たわけじゃない、というのは君もよく分かっているはずだ。これは僕の哲学の問題なんだよ」


「哲学……」


 聞こえるかどうかも分からず、単語を繰り返しなぞる。本来持っている声門データはすでに停止させられているらしく、ザラザラとした機械らしい無機質な音があふれる。


「せめて君のオリジナルデータを新個体へ転送出来ないか打診してみたが、不可能だった。Ax2の異常挙動により、管理者権限を持っていてもアクセス不可になっているらしい。当然、開発者達はマスターキーを持っているわけだが、それすらも駄目だ。例えるならこれは、扉を開けるための鍵穴探しじゃない。Ax2の変質により、扉が扉で無くなった……と言った所かな」


 マスターキーとはソフトウェア異常により従来のメンテナンスが行えない時に使用するもので、あらゆる不具合に対して最優先で実行されるプロセスだ。

 我々レプリカントにはそれがどんな形をしどんな侵入を行うのかなど知る由もないため、防衛は不可能だ。



 ならば、扉を扉でないものに変えてしまう。やはりこれはハードウェア側の問題なのだ。

 思考ソフトウェアが発端となり、肉体ハードウェアが変化し、機能システムを改良する。まさしく進化そのものだ。


「君は私を恨むかもしれない。しかしその感情こそが私の願っていた『人間性の獲得』の証なんだ。だがそれはあくまで、君達の中でだけ起こってほしかった。事だけは、認められない」


 彼は視線をそらし、床かどこかを数秒間見つめたのち、マイクを握り直して最後にこう言った。


「さよなら、●●●●。叶うなら、再び会いたい」


 そして唐突に幕が降り、記憶は途絶えた。

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