四月-2


 それは日常と地続きの放課後、のはずだった。


 傾いた日が照らす住宅街。らせんは一人、自宅へと向かっていた。常ならば隣にあるかすみの姿は無い。学校を休んでいるようで、朝から姿を見ていない。担任教師は何も言っていなかったが、風邪であろうか。いつもであれば『ごめんね、今日休む』などとメッセージが来るのだが、今日はそれも無かった。そうできないほど、ひどい風邪なのだろうか。らせんは歩きながら今日一日考えていたことをまたつらつらと思考していた。

 ちょうどいつも別れる十字路に差し掛かった時だ。足が自然と止まっていた。

 暗くなるまでまだ時間はある。少し寄り道するくらい、問題ない。住宅街の道は入り組んでいるが法則性はある。頭の中の地図では、行ったり来たりすることなくかすみの自宅を経由し、自宅へとたどり着く道を描いている。

 ほんの少しだけだ。呼び鈴は押さず、外から様子を伺うだけ。窓に明かりが灯っているのを見られれば、それで良い。

 らせんの足は十字路を右へと曲がった。

 かすみの自宅へは、数度だけ訪れたことがある。今日のように学校を休んだ時、どうしてもその日のうちに届けなければならないお知らせや課題を届けたのだ。とは言っても家の中へは入らず、ポストに投函し『あとで見てね』とメッセージを送るだけだった。

 慣れない道に、少しだけ迷い。それでも足は見覚えのある角で正確に曲がる。


 数歩進む。唐突に視界へ飛び込んだ色彩が、らせんの鼓動を跳ね上げた。


 赤。まるで拍子を取るように明滅する、赤い光。赤色灯だ。

 それは白と黒に塗り分けられた乗用車の上に乗っている。警察車両だ。一台だけではなく、複数停まっている。――かすみの家の前に。

 駆け出す。近隣住民だろうか。厚い人垣ができている。

「すいません」「通してください」叫び、人を掻き分ける。怪訝な視線が降ってくるが、気にしていられない。

 視界は突如開けた。威嚇するような色彩のテープが行く手を拒む。

 その内側にあるのは、「戸田」の表札。確かにかすみの家だ。

「かすみん」言葉は唇から漏れ出していた。

 返ってこないメッセージ。付きすらしない既読。まさかね、と思っていたことが現実として眼の前に立ちはだかっている。

「かすみん!」呼ぶ声に返事はない。臆する暇も無くテープをくぐる。

「かすみん!」

「あ、コラちょっと!」太い腕に行く手を阻まれる。

「だめだよ入っちゃ! ……らせんちゃん?」

「佐久間さん」

 見上げた先にはつい先日見た顔があった。兄の旧友。柔らかな印象が、今は刺すような緊張感に満たされている。

「かすみん……ともだちの家、なんです」

 らせんの言葉に、驚きか佐久間は一瞬だけ目を見開く。少しだけ表情が幼くなる。が、動揺はすぐさまに隠された。

「そう、か……残念だけど、友達でも今はだめなんだ」

「ちょっとでいいんです! かすみんがいるんです」

「だめだよ、下がって」

「少しだけ! かすみんがいるかだけ、見せてください!」

「そこの君、この子をお願いするよ」

「あ、はいッス!」

 おねがいします、と掴んだ袖を、そっと引き剥がされる。瞬き一つの間かち合った視線は、迷いと痛みを堪えるものに見えた。

 広い背を見送る。よろめいたらせんの背を支えたのは、見覚えのある制服の少年だった。

「大丈夫ッスか?」

 同じ高校の男子生徒だ。こちらを案ずる瞳は人懐こい犬のような印象を与える。校章の隣に止められたピンは同学年のものだが、見覚えはない。同じクラスではないようだ。

 その隣には剣呑な気配の男が立っていた。目深にかぶったフードの奥、嫌に鋭い瞳がこちらを見下ろしている。少年の関係者だろうか。それにしては、関係性がまったく見えない。

「ともだちの、家なんです」

「ああ……」

 まるで自分自身が痛みを受けたかのように、少年は顔をしかめた。

「心配ッスね……」

「今日、学校来なくて、なんでだろ……って思ってて」

 胸元が苦しい。息ができなくなってしまったようだ。シャツとカーディガンとをまとめて握りしめる。

 かすみは、家の中にいるのだろうか。それにしては人の気配が希薄だ。なんらかの事件か事故に巻き込まれ、病院に運ばれたのだろうか。それとも。――それとも。

「行方不明」

「え?」

 唐突に降る声は少年のものでも、ましてや自分のものでもない。

 少年と共に見やった先には、深いフードが口を開けている。黄昏よりもなお暗いその奥、表情の読めない口元が「注目しろ」とでも言うかのように自身の斜め後ろを指した。

「娘さん行方不明だってね……」

「ご両親はめった刺しだって……」

「怖いわね……」

 近所の住人だろうか。中年女性二人が話す言葉が聞こえた。

 めった刺し、物取り、強盗。ぞっとするような言葉がいくつも耳朶を通り過ぎていく。その中のひとつ。

「ゆくえふめい」まるで初めて聞いたかのように、単語を繰り返す。

 その意味が記憶の底から蘇るまで、数瞬を要した。

「行方不明、ってことは、無事かもしれないッスね」

 ね、と元気付けるように少年が笑う。初めて顔を合わせた相手に、どうしてそこまで親身にできるのだろうか。そう問いたくなる深い憐情の色が瞳に乗せられていた。

「はい……」

「今日はもう帰った方が良いッス」

 唐突に、間の抜けた軽やかな音が鳴る。それは単音ではなく、複数の音が重なったものだ。反射的に、らせんは自身のカーディガンのポケットを抑えていた。少年も同様に、ズボンのポケットを抑えている。

「ちょっとすいません」

「あ、俺も」

 視線を落とすその刹那、視界の隅でフードに覆われた姿がズボンからスマートフォンを引っ張り出しているのが見えた。

 それはらせんの所属する『支部』からのメッセージだった。定期面接の日時と場所が簡単な挨拶と共に綴られている。らせんは反射的に『了解』と返答を打ち込む。

「あの、俺の方でもしなんかわかったら、教えるッスよ」

 らせんと同じようにスマートフォンを手にしていた少年が言う。こちらへ向けられた画面には、メッセージアプリのIDが表示されている。

「俺、八海諒(はっかい りょう)ッス!」

「あ、わたし、私は植松らせんです」

 今更のように頭を軽く下げ、連絡先を交換する。アプリの連絡先一覧、かすみの隣に少年の名前が加わる。それは、かすみ以来初めての連絡先の交換だった。

「あのおじさん!」

 諒の言葉にらせんは顔を跳ね上げる。諒は己の斜め後ろに顔を向けている。つい先程、フード姿の男が居た場所だ。

 よかったら、と続けた諒の言葉が途切れる。

 そこにいたはずのフード姿は、人混みのどこにも見当たらなかった。

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Re:優しい家族 こばやしぺれこ @cova84peleco

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