四月-1
植松らせんにとっての友人というものは、草食動物の群れに等しい存在だった。学校という閉じられた世界で、強者に目をつけられずに生き延びるための相互協力者。友人を増やし、交友関係を広げるということは、らせんにとっては弱者が生き延びるための生存戦略のひとつに見えていた。
植松らせんに友達は少ない。必要としていないから、積極的に作ろうとしていない。らせんは自身が弱者であるとは思っていない。例え中学校で誰とも会話せず、教科書をゴミ箱にブチ込まれていたとしても、特に問題は無かった。
植松らせんは特殊である。らせんは隠された教科書の場所を察知し、破られたそれを修復する『能力』があった。トイレの個室に閉じ込められても、授業開始の鐘が鳴るまでに脱出する力があった。どんな嫌がらせを受けても音を上げないどころか、まるで何もなかったかのように過ごすらせんを、中学時代の同級生たちは次第にいないものとして扱うようになっていった。
植松らせんは孤独である。だがそれを本人は気に入っていた。どこに行くのにも『友達』と一緒でなければならないなど、煩わしくて仕方ない。それならば孤独である方が楽だ。
どうせ、自分をわかってもらうことなどできないのだ。自分の持つ『能力』も、その『出自』も。ならば初めから終わりまで、徹頭徹尾一人でいた方が良い。期待も失望も、偽ることも迷うこともせずに済む。
凪いだような心で、息ができる。
それが植松らせんの生き方だった。
「かすみん」
春の浮ついた空気も落ち着きかけ、次いでやってくる大型連休の気配にまたぞろ空気が騒ぎ出す、四月の半ば。
帰宅途中のらせんは、同じクラスの戸田かすみに声を掛けていた。
「らせんちゃん」かすみは困ったように眉を下げ、芯の薄いへにゃりとした笑みを浮かべた。
戸田かすみは高校二年生になったらせん唯一の『友達』である。一年三組に振り分けられた直後、隣の席に座っていたのが彼女だ。そして何の因果か、同じ図書委員に立候補したのも彼女だった。
「よろしくね」
「あ、はい」
それが初めての会話だった。
そこからお昼休みにお弁当を一緒に食べるようになり、同じ図書委員として放課後も過ごすようになり、「二人一組」と言われた時にはどちらともなく組むようになった。そうして二年三組となった今も、同じクラスで過ごしている。
らせんにとってのかすみは、都合の良い友人だ。おそらくかすみにとってもそうであろう、とらせんは思っている。
らせんはかすみの家族についてをよく知らない。とりあえず父と母が揃っていることは知っているが、それ以上のこと、例えば兄弟の有無だとかペットを飼っているかということは知らない。
かすみも恐らく、らせんの家族についてを知らない。らせんは自身の家族についてをかすみに話したことがない。聞かれたことがないから、話していない。
同様に、らせんはかすみに家族についてを尋ねたことがない。
らせんにとって家族とそれにまつわる昔話というものは、極力避けたい話題だった。ある程度親交を深めれば避けては通れない。濁せば好奇心を掻き立ててしまうし、はっきりと口にすれば妙な同情をされる。
だかららせんは他人との交流を避けていた。好奇心も同情も、らせんにはただただ不愉快なばかりだ。
かすみもそうなのではないか、とらせんは推測している。
つまるところ、『普通ではない家族』。あまり口にしたくない、家族間の問題や過去。かすみもそういったものを抱えているからこそ、家族の話をしないのではないだろうか。
はっきりと口にしないままに、らせんはかすみとある種同盟のようなものを組んでいるつもりであった。
名付けるならば『家族について突っ込まない同盟』であろうか。
休み時間や放課後、話題にするのは授業のことや図書委員の仕事、読んだ本についてのみ。無論休みの日にお互いの家に行くなどということはしない。学校でのみ会い、話す。
お互いの隠したいことには触れず、上っ面だけをなぞる、学校という閉じられた場で生きるための同盟としての『友人』。
らせんとかすみは、そういう関係である。
正直、らせんには必要の無い関係だ。ただそれは『無ければ無いで問題無い』というものだ。つまるところ『有れば有れでそれも問題は無い』のだ。むしろ担任教師に「友達を作れ」とせっつかれずに済み、教科担任に「先生と組もうか」などと憐れまれずに済んでいる。まあまあ有用な関係であるとも言える。
積極的に解消しようとは思わない。だから今も、特に急いでいるわけではないから声を掛けた。
らせんがかすみを見つけたのは、T市駅前の商店街にある本屋の前であった。古くからある本屋で、ポイントカードといったものは無いがとにかく品揃えが豊富であり、らせんもよく利用する店だ。
かすみの手にはその店の名前が刷られた紙袋があった。
「何か買ったの?」
声を掛けてそのまま通り過ぎるのもなんだ変な気がして、らせんはかすみへ歩み寄る。
「あ、これ……ちょっと弟に頼まれて」
そんならせんの視線から隠すように、かすみはそれをリュックサックへとしまった。ああ、対応間違えたかな、とらせんは心中で呟く。
人に見られたくない本、というものはある。自分は好きであっても他人から見れば奇妙に写ったり、おおっぴらにひけらかせるものではなかったり。らせんにも心当たりはある。そういうものが読みたい時もあるのはわかる。だってお年頃だもの。
つまるところ、BL本か、弟に頼まれたのが真であるのならばちょっとエッチな少年漫画か。
あたりをつけながらも、らせんはそれ以上かすみの買い物について追求するのを止めた。
「らせんちゃんは、どうしたの?」
「図書委員の当番はやく終わったし、市立図書館に寄ろうと思って」
「私も行って良い?」
「うん、いこ」
図書館へは、ここから歩いて十五分程度だ。いつもの歩みであれば二、三分短縮できるが、今日は超過するだろう。
今は日没時間が伸びてきている。少し帰りが遅くなる程度なら、心配する者もいるまい。
そう思いながら、らせんはかすみに歩を合わせる。
図書館を出たのは午後五時を少し過ぎた頃だった。らせんとかすみの自宅は同じ新興住宅地の中にあるため、途中まで図書館についてを話しながら歩いた。
「じゃあ、また」
「また明日」
いつものように声を掛け合い、似たような住宅が立ち並ぶ中、らせんは左に、かすみは右に曲がる。特に別れを惜しんだりはしない。明日もまた学校で顔を会わせるのだ。
日没まではまだ少しあるとは言え、両脇に建物がそびえる道は薄暗い。家々の明かりもそちらこちらで灯り始めている。自然とらせんの歩みも速くなった。
「らせんちゃん、だよね」
十字路を横切った時だった。
「は、」横合いから唐突に投げかけられた呼びかけに、らせんは肩を震わせた。
「久しぶり。覚えてるかな?」
黄昏の空を背負って立つのは、見慣れないスーツ姿の男だった。
らせんの脳裏を瞬時に人名が駆け巡る。高校生であるらせんにとって、スーツを着るような年頃の知り合いは少ない。あると言えば、『支部』に所属している者か。
らせんの背に嫌な汗が浮かぶ。眼の前の男に、とんと覚えが無い。これはまずい。とても気まずい。
「ええ、はい、お久しぶりです」
ここで「どちら様ですか」と聞ける度胸があれば良かったのだが、らせんの口は咄嗟に誤魔化すことを選んでいた。ここまで気さくに声を掛けておいて覚えられていないという、あの申し訳なくなる空気を避けたのだ。
その間に、らせんは必死で眼の前の男を観察する。相手の勘違いでなければ、思い出せるはずだ。
柔らかな印象の男だった。浮かべた笑みは人好きのするもので、状況としては怪しいことこの上ないのに警戒を解いてしまいそうになる。年は二十代後半から三十代、らせんの兄に近い年齢に思える。
「俺だよ俺。佐久間洋介。懐かしいなぁ高校の時よく遊びに行ってたじゃないか」
ああ、と思わず声を上げそうになる。その名前には覚えがある。
七つ年上の、らせんの兄。様々な事情により小学生の頃から一人でいることの多かったらせんを、何くれと気にかけてくれる。
記憶の中の兄を見上げれば、その隣にもう少し幼い顔をしたこの男がよく居た。
「直衛、元気?」
「はい、相変わらずムキムキです」
わは、と子供のように大きな口を開けて佐久間が笑った。ああ、こうやって笑う人だった。記憶は一つを足がかりに、次々とよみがえる。
口数の少ないらせんに、根気よく話しかけてくれたこと。らせんとは真逆に、顔も態度も身体のサイズもうるさい兄と、なぜかよく遊んでいたこと。たしか今は。
「刑事さん、でしたっけ」
「そう。今は見回り中。フラフラしてたわけじゃないよ?」
なるほど、言われてみればそう見えてくる。
「最近物騒だからさ、らせんちゃんも気をつけるんだよ」
「はい。心得ます」
「その口調」佐久間はくしゃりと相好を崩した。変わらないなぁ、と楽しそうな言葉が続く。
「三つ子の魂なんとやら、と言いますし」らせんは肩を竦める。はは、とまた佐久間が声を上げる。
「早く帰るんだよ。あと直衛によろしく。近いうちまた飲もうぜってさ」
ええ。とらせんは頷き、手を振った佐久間に軽く頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます