僕らは

@coloragelemon

高橋 (1)

 目を覚ますと、窓の外で雨が降っていた。それほど強くはないが今傘なしに外出すれば面倒だな、くらいの雨だ。ひたひたさあさあと心地よいノイズが僕の頭に染み込んでいく。でもそれ以上に侵食してくる音がある。ふと、誰かの視線を感じる。そちらを向くと、数人のクラスメイトがこちらを見てクスクス笑っている。一瞬の困惑。

 そういえば授業はいつ終わったのだろう、ついさっき先生が徒然草の何段だかを読んだり解説したりしていたのに。今は休み時間らしいとみて納得した。皆授業終わりにも寝ていた僕を放置したらしい。別に放置されたことが癪に障るわけではないが、寝続けたことによってそいつらにに嘲りの的にされたのが悔しい。数人に続き多数のクラスメイトが僕のお目覚めに気づいてぷかぷかと笑い始めた。だが具体的なコメントをする奴は誰もいない。しばらくたつと最初から何もなかったかのように、すぐにお互いの話題なりじゃれあいなりに戻った。僕は再び机に伏せた。

 視覚が遮断された空間で、聴覚情報が頭を占拠する。雨の音も人間の声も、一つ一つが重なり合って無秩序に縒られるとどうしてこんなに心持よい波になるのだろう。人間、完璧な静寂よりも多少の雑音があるほうが落ち着くらしい。ざわざわと僕の世界を外側から包み込んでくれるようだ。しかし雨音はそれ一つ一つを詳細に聞いても何ともないが、人間の発する音声は、それ自体をよく聞くと意味を持っていることが多い。だから後者は意図して細かく聞かないようにしている。どうせくだらない会話ばかりだ。抽出された特に深みもない言葉の羅列を耳に入れてもつまらない。それにしても、喋るやつは本当によく喋るなと感心する。宇宙全体に比べて極々ちっぽけなただの有機体がその部分器官を震わせて意味ある情報を発したり、ふわふわ笑ったりするのはどことなく不思議だ。そんな存在に囲まれていること、果ては僕がその摩訶不思議な有機体に属しているのは何だか面白い気がする。そんな存在が作る相互関係は堅固になりうるのだろうか。僕も彼らもこれからどんな活動をしてどんなふうに朽ちていくのだろうか。

 チャイムが鳴った。7限、きょう最後の授業の始まりだ。先生が入ってくる。皆一斉に自分の持ち場に吸い込まれていく。起立、気を付け、礼。僕はワンテンポ遅れて日直の号令に従った。



 連絡伝達が終わったので、今日はようやく帰れる。掃除当番から無言の圧力を受けつつもだらだら支度をしていると、クラスメイトの高橋が声をかけてきた。

 「今日この後、何か用事あるのか」

 「いや、ない」僕は答えた。

 「じゃあ一緒に帰らないか」

 彼はそう言って僕の荷物に目をやった。僕はそれを催促と解釈して、丁寧にまとめていた教科書やファイルなどを少し無造作にカバンに詰め込んだ。

 今や高校に入学して半年以上たつが、もともと人との交流に積極的でない僕はそう多くの友達を作れたわけではなかった。そして数少ない友達の一人である高橋は僕と同じ高校に来た唯一の中学同期だが、特に中学時代仲良かったというわけではない。新たな環境に身を置いたとき、共通事項を持つ人間はそれを凝結核として集まるもので、その摂理に従ったまでだ。さらに彼もまた友達が少なかった。彼の寡黙であまりにまじめな性格が他の人間を斥けてしまっていた。冗談を吹っかけても「それはよくない」とか「それは違う」とか言うだけだった。一度、夏休暇の課題が多いから数個さぼろうかとおどけて彼にこぼしたところ、与えられたタスクを期限内に終わらせられないやつは何をやってもだめだと強い口調で罵られたことがあった。実際彼は課題の出たその日から計画的に、かつ余裕をもってこなしていくので社会人になったらさぞ上司の機嫌をよくするいい働きをするんだろうと勝手に思っていた。僕はあまりおしゃべりが好きではないが真面目といえるほどきちんとした生活を送っていない浮いた人間で、高橋からすれば目に障る存在だろうが、やはりずっと一人でいるのも気分悪いらしく僕にしばしば絡みにきた。

 荷物をまとめて二人で教室の外に出る。がやがやしたノイズはさっきより一層増している。僕らにさよならの声をかけるものは一人としていない。雨もまだ止んでいない。



 高橋とは途中で別れた。玄関について傘をぱたぱたと振り回して家に入る。家族はまだだれ一人として帰宅していない。部屋に沈殿していた空気をずかずかかき乱し、向かった先は自分の部屋。机に座ってパソコンを開くと、昨日やっていたフラッシュゲームのゲームオーバー画面がそのまま表示されていた。僕はコンティニューボタンをクリックしてゲームを再開した。パソコンの背後で、ピカピカ分厚い数学理科の参考書が横たわっていて僕に何か訴えかけているようだ。

 今日もあっという間に日付が変わり、午前2時になった。さすがにベッドに潜り、パソコンの画面を注視したせいで冴え冴えとした眼を無理やり瞼で覆う。そういえば今日は何人と話をしただろう。帰宅途中も高橋と会話はしたが、お互いに口数は少ないしどこか自分の領域に他人をやすやすと侵入させないような警戒心があってそこまで盛り上がるような話はしていない。夕飯の時も家族と大した話はせず、ただ目の前にある料理をもくもくと口に運ぶ作業を済ませただけだ。僕は人と話さずにいるほうが落ち着くからこれでいいのだという考えも抱いている。しかし、落ち着いているだけで心の底から喜んでいるわけではない。教室の空気を沸かせている連中、どうしてああも楽しそうにしているのだろう。くだらないことで騒いでいるのを、僕はもっと高尚な精神を持っているからそれはおもしろくないんだと軽蔑したところで、全く詮無いことだ。本当は心が躍るような感覚に僕も浸っていたい。楽しそうにしている人間の輪に交じってバカ騒ぎしたい。でもそれができないから毎日フラッシュゲームというインスタントな娯楽に身を任せている。今の陰鬱な毎日がずっと続くのだろうか。それでいいわけはないとうすうす思ってはいる。しかし解決方法はわからないまま。どうすればいいのか。

 夜の静寂は僕の焦りを一層煽り立ててくるけれど、思考はいずれ睡魔に負けてどこかに蒸発するほかなかった。

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