08

「こんにちは」


 三月の暖かい日。

 突然、真音がうちに来た。

 庭にいたママが、真音を連れてリビングに入って来た時は、何が何だか分からなかった。


 だけど…

 久しぶりに会う真音が、何だか少し痩せたような気がする事と、顔つきが…以前と違う気がして…

 あたしはしばらく真音を見つめてしまった。


 見つめて…

 …違うでしょ。って…


 あたし、待たないって言ったし、さよならって言った。

 真音の夢を理解出来ないし…

 愛とか恋とかじゃない、か…か…体の関係を持つなんて…

 それも、理解出来ない。



「……何?」


「話しがあって」


「あたしは、ないから」



 心の片隅では…会いたかった気持ちが…う…ううん。

 ない。

 そんな気持ち、なかった。

 …そう思いたくて、つい…言い方が冷たくなる。



「…いや、話しは…ご両親に」


「え?」


 パパとママは顔を見合わせて


「まあ…さ、どうぞ」


 って、ママがソファーを指した。


 な…何…?

 パパとママに…何の話…?



「突然お伺いしてすいません。朝霧 真音あさぎり まのんいいます」


「はあ…娘とはどういう…」


 パパが呆気にとられた顔で問いかけると、真音は真顔で


「瑠音さんの事が好きです」


 って…!!


 パパとママだけじゃない。

 あたしも…目を見開いて真音を見る。



「俺は、バンドでギター弾いてます。こんな見た目からしてねとても瑠音さんにふさわしい男じゃありませんが、プロとしてやっていく事も決まりました。明後日アメリカに発ちます」


「…明後日…?」


 あまりにも急過ぎて、あたしは真音を見つめる。

 …急…じゃないか…

 クリスマスの後、話していれば…知り得た事。

 そうしなかったのは…あたしのせい…



「…それで、何だね」


 不意に、パパが面白くなさそうな顔で言った。


「君がアメリカに行くのと、娘と、何の関係が?」


「あなた、そんな言い方…」


「俺には、瑠音さんが必要です」


「な…」


 パパが口をパクパクさせてる。


「アメリカには、二年滞在する事になってます」


「むっ娘を連れて行く気じゃないだろうな!!」


「連れて行きたい気持ちは山々ですが…」


「バカな!!」


 パパは立ち上がって


「娘は、おまえみたいな奴にはやらん!!」


 って怒鳴った。


「パ…パパ…」


「あなた、落ち着いて」


 ママがパパをなだめてると。


「それは、俺にも分かります」


 真音が真剣な声で言った。


「今の俺は、瑠音さんにふさわしくありません」


「真音…」


「せっかくのクリスマスも、泣かせてしまって…俺の事は待たないって言われて、あれからずっと俺も色々考えました。でも、瑠音さんは俺の支えなんです」



 あたしは、黙って真音の声を聞いていた。

 どうして、あたしを支えだなんて言うの?

 あたしは待たないって、言ったし…決めたのよ?

 あなたの夢も理解してない。


 理解どころか…

 あたしより優先される夢に…嫉妬してた。

 あたしの事好きなのかな…って…疑ったりもしてた。

 本当に好きなら、こうはならないんじゃないかな…って。


 勝手に思って、勝手に落ち込んで…

 だけどそんな気持ちを言い出す事も出来なくて。

 物分かりのいいふりって言うか…


 あたしは、初めての恋で…自分でどうしていいか分からなくて…

 ましてや、正解が分からなくて…

 結局、真音がバンドを優先する事…仕方ない。って思う事にした。



 …だから、アメリカに行くって言われた時、仕方ないって思ったと同時に…

 もう、あたしは要らないんだな、って感じたんだとも思う。


 ――悔しかった。

 そしてその悔しさは、きっと今も…あたしの胸に残ってる。



「俺はアメリカで頑張って、瑠音さんにふさわしい男になります。だから…その宣言をしに来ました」


 自分の想いとちゃんと向き合ってると、真音がハッキリと言った。

 あたしはそれを…不思議な気持ちで聞いた。


 …あたしにふさわしい男…?

 真音…あたしの事、買いかぶってない…?



「言っておくがね」


 それに対して、パパは鼻で笑うように


「娘の彼氏はピアノが弾ける人じゃないと、私は認めんよ」


 って…


「あなた、またそんな事…」


 ママが呆れてる。


「可愛い一人娘なんだ」


「分かってます」


「じゃ、あきらめて欲しいね。娘に二年も君を待たせたくない」


 ああ…パパの言葉が、なぜかあたしの胸に刺さる。

 …どうしてだろう…


「るーはどうなの?」


「え…えっ…?」


「彼の事、好きなの?」


「あ…」


 一斉にみんなの視線があたしに!!



「…分からない」


「るー…」


 真音の寂しそうな声が聞こえたけど、今は本当にそうだから仕方ない。

 どうして真音がここまでして、あたしを好きだって言うのかも分からない。



「幸せだなって思ったら、不幸な事があったり…その繰り返しで、疲れちゃった…」


 本心だった。

 初めての恋が、こんなに気忙しいものだなんて。


「いいじゃない」


 そう言ったのは、ママだった。


「何もない恋より、感情豊かになれる恋なんて、最高じゃない」


「と…桐子、おまえはこいつの味方をするのか!?」


「こいつとは何ですか。あなた、もう少し冷静に話を聞いて下さいな。何もいますぐお嫁にって言われてるんじゃないんですから」


「うっ…」


「それに、あなただって情熱的に私を口説いたじゃないですか」


「そそそんな話は今しなくても…」


「大変だったのよ?おじいちゃまにひどく嫌われてね」


「桐子!!やめんか!!やめてくれ〜!!」


 パパの悲鳴に近い声が、家中に響き渡って、フキさんが笑いながらお茶を運んできた。



 …忘れたかった…

 クリスマスに別れてから、一度も会わなかった。

 マリさんに『間に合わなくなるよ』って言われても…あたしは抜け殻だった。


 真音と関わらない毎日は、穏やかだった。

 そう…とても穏やかで…物足りなかった。

 ときめく気持ちが、誰かを愛してるという気持ちが、そこになくて。

 あたしは、色を失くしていた。


 だけど、それが普通なのよ…

 って言い聞かせてる自分がいたのも確か。


 苦しい恋なんて…

 あたしは、これからもきっと、真音にやきもきしてしまう。

 音楽を優先される事、色んな女の人と仲良しな事…

 きっと、落ち着けない。



 結局、静かにお茶を飲んで、真音は帰る事になった。

 パパが、『もう話すことはない』って席を外したからだ。



「るー、外までお送りして」


「え…」


「このままじゃ、後悔するわよ?」


「……」


 ママに耳打ちされて、すごすごと真音の後ろをついて門の外まで。

 …忘れたいと思ったクセに…

 今、あたし…真音の背中を見て、泣きそうになってる。

 …会いたかった…って…思ってる…



「るー」


「…はい」


「クリスマス、ありがとな」


「…?」


 何の事か分からなくて顔をあげると。


「クッキー、美味かった」


 真音は、優しい顔。


「あ…」


 だけど、待たないって言ったのよ?

 あたしは、目を反らす。


「これ、あん時に渡す予定やってんけど…」


 そう言って、真音はあたしの右手を取った。

 つい、瞬間的にビクッとしてしまって…真音が苦笑いをする。


「そやな…気分悪いよな。他の女と色々あった話とかもしたし…」


「……」


「それでも、るーやないとあかんねや」


「……」


「二年後の俺に、乞うご期待」


 真音はそう言って、あたしの右手の薬指に…指輪を…



「真音、あたしは…」


 顔を上げて、真音の目を見て…

 何か…言いたいのに…

 言わなきゃって思うのに…それが言葉にならない…。



「俺の姿が見えんようになったら、捨ててもええよ」


「……」


「今すぐは、俺もダメージ大きいから。けど、ホンマ俺向こうで頑張るから」


「……」


「るーに好きなやつができたとしても、俺は二年、るーの事を支えにして頑張るつもりや」


「……」


「ほな、な」


 …それでも、何も言えなかった。



 門の前に立ち尽くして、真音の後ろ姿を見送った。

 そして…右手の薬指を…恐る恐る…見る。


 …ずっと…憧れてた。

 いつか、あたしの指にも…指輪が輝く日が来るのかな…って。


 …クリスマスに…くれる予定だったんだ…

 だけど、あの時もらってたら…捨ててたかもしれない。

 あれ以降、ずっとマイナスな気持ちしか持てなかった。

 あたしの、真音に対する気持ち。


 あたし達は、きっと上手くいかない。

 だって世界が違うんだもの…って。



 だけど…


「……」


 きっと、あたしは後悔する。

 だって、真音は明後日…アメリカに行く。

 今日何も言えなかった事…伝えられなかった事…


 …後悔する。



 だから…

『これから』を、後悔しないためにも…



 指輪は外さないでおこう…と思った。

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