04

「まあ、まあまあまあ」


 お手伝いのフキさんが、テーブルの上のクッキーを前に感嘆の声をあげた。


「可愛いじゃないですか」


「おかしくないかな」


「飾っておきたいぐらいですよ」


 あたしはこの度、初めて音楽雑誌を買った。

 そして、真音が使ってるギターを模ったクッキーを作った。

 我ながら…なかなか凝った物を作れた気がして大満足。


 早速それを箱に詰めて、あたしは待ち合わせのダリアに向かう。

 初めて、あたし達が出会った場所。



「まだ早いかな…」


 約束の11時より、30分早くついてしまった。

 クリスマスだけあって、すごい人。

 ダリアの店内は、クリスマスを一緒に過ごす友達同士や恋人同士で溢れてる。


 …まさかあたしが…恋人とクリスマスを迎えるなんて。

 いまだに夢みたい。

 初めて、恋人と迎えるクリスマス…

 あたしにとって、最高のクリスマス。



「…遅いなあ」


 11時を30分過ぎても、真音が来ない。

 約束はよく破られるけど、会える日は時間に正確な人なのに。

 もしかして、何かあったんじゃ…


 不安になったあたしは、お店の外にある公衆電話から、家に電話をしてみた。


「もしもし、瑠音です。誰かから電話なかった?あ、そう…ううん、いいの」


 …連絡なし…か。

 もしかして、夕べのライヴで何かあったのかしら…



 周りには、たくさんのカップル達。

 どうしよう。

 ナッキーさんの家、行ってみようかな…

 実はあたし、電話番号も知らない。

 用がある時は、バイト先である音楽屋にって言われてるし。

 それは、真音もナッキーさんを気遣っての事なんだろうけど…


 ここからなら一本道だし、行き違う事もないはず。

 …よし。


 あたしは立ち上がる。

 そしてクッキーを大事そうに持って、ダリアを出た。



 * * *



「あら」


 目の前で開かれたドア。

 気だるそうな「マリさん」は、あたしを見て目を細めた。


「マノンならまだ寝てるわよ」


「あ…そうですか」



 …前も思ったけど…本当に奇麗な人。

 あたし、真音と付き合ってるのに…なぜか、この人を前にすると、自分が偽物の恋人みたいな気分になってしまう。


 …だって、絶対真音の隣にいて似合うのは…あたしより、マリさんだ。



「約束でもしてた?」


「…はい」


「夕べむちゃくちゃ飲んだから、デートどころじゃないかもよ?」


「……」


 無言で立ってると


「上がる?」


 マリさんは気怠そうに髪の毛をかきあげながら言われた。


「い…いいえ…ナ…高原さんにも悪いですし…」


「ナッキー?いないわよ。最近帰ってないから」


「え?」


 ――と、いう事は…

 真音、マリさんと二人きりで…ここに?

 よく見ると、マリさんが着てるTシャツは、見た事がある…


 …真音の物だ。



「寒いでしょ?中入んなさいよ」


「あの…」


「何?」


 あたしは意を決してマリさんに問いかける。


「マリさんは、真音を…好きなんですか?」


「……」


 マリさんはあたしの質問にキョトンとされたけど。


「そうねえ…」


 小さく笑いながら


「体の相性はとってもいいのよ。でも、もうすぐお別れだし」


 って…


 体の相性……

 そういう事については、もう聞いてた事じゃない。

 色んな女の人と付き合った、って。


 でも…いざ相手の人から聞くとショック…

 しかも、ナッキーさんの彼女なのに…



 ずずーんと気分が落ち込んできた所に、マリさんの言葉がリピートされる。

 …お別れ…


「…お別れって?」


「あら…聞いてないの?」


 立ってられるのが不思議なほど、あたしは揺れてる。

 体の相性…

 お別れ…

 …何…?



「マリ、なんで起こしてくれんかったんや。今日出かけ…」


 マリさんの後ろから、寝ぼけた顔の真音が出て来て。


「あ…悪い。こんな遅れたら、心配やもんな」


 あたしを見つけて、そう言った。


「よし、出かけるで」


 真音が、あたしの腕を取る。


「行ってらっしゃい」


 マリさんの声が、何だかとても余裕のある大人の女の人って気がして。

 あたしはマリさんに一礼すると、真音の腕にしがみついた。



 * * *



「なんか、今日のるーは…いつもと違うなあ」


 真音は、満面の笑み。

 あたしは、意地で組んでるだけの腕を…悲しく思う。



「実は…話があるんや」


「…え?」


 ドキッとしてしまった。

 話…?



「何?」


「いや、歩きながらもなんやし…どっか…」


「そこでいいから」



 気付いたら、こんなとこまで歩いてた。

 いつもの並木のベンチ。

 真音は自動販売機でホットコーヒーとココアを買って座った。



「…話って?」


「実はな」


「……」


「メジャーデビュー、決まったんや」


「え?」


 メジャーデビュー…


 宇野君から噂は聞いてたから…あまり驚きはない。

 だけど…びっくりするほど…

 あたし、ガッカリしてるかも。


 …何なのかな…この感情。



「…すごいじゃない…おめでとう」


 つい、そっけない口調になってしまった。


「…あんまり『おめでとう』って感じやなさそうやけど?」


 うつむいたあたしに、真音が真剣な声で言った。


「そんな事ないよ。夢だったじゃない」


 本当は…寂しい。

 どんどん遠くへ行っちゃう。



「それで、な」


「ん」


「アメリカに行く事になってん」


「……アメリカ?」


 うつむいてた顔、あげれたけど…きっと眉間にしわが入ってる。

 マリさんの言ってたお別れって、この事なの?



「二年ぐらいや思う」


「……」


 あたしの気持ちとは裏腹に、真音は心なしか弾んだ声。


「こっちより先にアメリカデビューなんて、思いもせんかったわ」


 アメリカデビュー…


「…遠いね…」


 あたしの弱い声に、真音はハッとして


「できるだけ手紙も、電話もする」


 真顔で言ってくれたけど…あたしの気持ちは沈んでしまっていた。



「るー」


「…ん?」


 もう真音の顔が見れない。

 うつむいたまま、声だけを拾う。



「俺、言うたよな?るーに似合う男になれるよう頑張るっちゅうて」


「……」


「せやから、待っといて欲しい。二年間」


「…会えないの?」


「そう簡単には帰れへんやん」


「……」


「るー…?」


 何も言わないあたしに不安になったのか、真音は遠慮がちな声。



 …何なの…かな。

 あたし、真音の彼女…だよね?

 なのに…デビュー前に相談もなかった。

 …前もって言われても、同じだったかもしれないけど…

 あたしへの報告が、全て決まってからだ…って事に、あたしは落ち込んだ。


 …マリさんだって知ってたのよ?

 どうして…あたしは後回しなの?

 マリさんは…真音の事、なんでも知ってるみたいな顔してた…



「……キスして」


 両手を握りしめて小さくつぶやくと、真音はしばらく黙ってたけど。


「…何で急に?」


 低い声でそう言った。


「…クリスマスだし…ダメ?」


「いや、俺は嬉しいばっかやけど…ええんか?」


「…うん」



 あたし…どうしちゃったんだろう。

 キスして…なんて。

 自分でもおかしいって思うのに…真音はそれにも気付かない。



「なんか緊張、やなあ…」


 真音が、そっと…あたしの頬に触れた。

 そして、唇が額に。


「…震えてるやん…」


 胸が締め付けられる。

 マリさんにも、こんな事したの…?



 唇が重なった。

 大好きな人の唇なのに…どうしてこんなに冷めてるんだろ…


 唇が離れて、真音があたしを抱きしめる。


「…もっと抱きしめて…」


「…なんかあったんか?」


「…別に何も」


 真音はあたしから離れると、あたしの顔をのぞきこんで


「嘘つけ。今日のるーは普通やないで?」


 その言葉が、突き刺さった。


「…どうして?好きなら当然でしょ?抱きしめられたい、そばにいたい…って」


「るー」


「マリさんとは何度もそうしてきたんでしょ?」


「…マリが何か言うたんか?」


「あたしは…真音の何?」


 真音から離れて問いかける。


「…マリとは、愛だの恋だのいうんやない」


 低い声。


「…もう、誰ともそうしないって言ってたのに?あたし以外の人とは愛がなければいいって事?」


「そうやないって」


「…そんなの、マリさんに対しても失礼だよ」


「……」


 真音はめんどくさそうに髪の毛をかきあげて。


「もう、ええやないか」


 つぶやいた。


「あたし、そういう考えにはついていけない」



 一瞬、夢を見た。

 真音があたしを好きでいてくれるなんて。

 甘かった。

 何もかもが違ってたのに。



「これ、プレゼント」


 クッキーの入った箱を、真音に渡す。


「るー、俺は…」


「もう、いいよ。あたし達、やっぱり違ってたんだもん」


「……」


「あたしはきっと、これからもこうやって真音をイライラさせてしまう。あなたの夢も理解できてない…彼女失格だよね」


 泣かない。

 だって、悲しくないもの。



「あたしは…あなたを待たない」


「……」


「さよなら」



 紺色のダッフルコートの襟を立てて、あたしは歩き出す。


 悲しくない。

 痛くない。




 だって、世界が違ったんだもの。

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