第5話 使う度にあれを叫ぶのはかなり恥ずい
俺の意識が現実に戻って来る。
なんというか時の狭間とかいっていたあの白い空間より、こっちの方が夢のようで現実離れした光景だ。
目の前に迫り来る巨大な赤黒い腕。
さっきは萎縮していて気が付けなかったが、その腕の奥には同じように赤黒い肌をした口に鮫のような鋭い歯を持った化物の姿が見える。
恐怖で強張っていた身体も、覚悟を決めたおかげか、それとも単純に恐怖心がマヒしてしまったおかげか、程良く力が抜けている。
っと、確か体感時間で10秒とか言ってたから、早くこの状況をなんとかしなけりゃな。
「頼むぜ!俺に死を覆す力をっ!!」
どのように加護を発動するのかは教わっていない。
そもそもどんな加護が発動するのかは加護をくれた神さえも分からないらしいから教えようが無いという方が正しい。
だから俺は強く願うだけ。
死という運命に抗い、生きる道を切り開く為に。
これからの命ある時を歩む為に。
引き延ばされていた時間が通常へと戻る。と同時に眼前に迫っていた化物の巨腕が俺を押し潰すより速く、その剛腕に向けて脳裏に浮かんだ言葉と共に俺は右腕を振るう。
「“
物理的に考えれば、俺の細腕であんな太くてゴツイ腕を払い除けられる訳が無い。
けど俺の右腕にまとわりついている赤と青の光の粒子が出来ると訴えかけているように明滅しているのを見て、確信する。
次の瞬間、光は混ざり合い、紫の輝きとなって俺の腕を覆い、そして――
「GUGYAAAAAAaaaaaa!!!!!」
おぞましい絶叫と共に赤黒い腕の半ばから先が宙を舞い、どす黒い液体が噴き出す。
「っ!に、逃げるぞっ!!」
膝が崩れそうな脱力感が全身に襲い掛かる中、俺は気力を振り絞って、化物の事など目にもくれずにすぐ脇で尻餅を付いている彼女の手を掴んで起き上がらせると、そのまま茂みの中へ突っ込む。
その後はただひたすらに走る。
あの化物から少しでも遠ざかるように。
あの場所から1歩でも離れるように。
自分の今居る場所が何処だとか、闇雲に走って遭難する危険があるとか、そんな事は考えない。
元々最初に居た場所が何処だか分からないのだから、無駄な事を考えても仕方が無い。
だからただ逃げる為だけに走る。
力尽きるまで走る。
「うわっ」
足が縺れ、転ぶ。
手を繋いでいた彼女も引き摺られて、俺に覆い被さるように転倒する。
「はぁっ、はぁっ、はぁはぁ……」
「はぁはぁはぁはぁ…ふぅ……」
若い男女が荒い息で抱き合うように寝そべっている。
それだけ見ればエロティックなのだろうが、今の彼女にそんな事を考えている余裕など無いだろう。
緊急事態とはいえ、俺のペースで無理矢理走らされたのだ。
ただでさえ男女間で体力の差がはっきりし始める成長期な上に、俺は毎日のように走り込んでいたのだから、彼女が中学時代に陸上部で長距離ランナーだったりしない限り、かなりきつかった事だろう。
その証拠に呼吸を整えようにも過呼吸のようになって、うまく息を整えられていない。
楽になる呼吸法なんて知らないので、俺は子供をあやすようにゆっくりと彼女の背中を擦り続ける。
数分もすると彼女の呼吸は落ち着いてくる。
「そろそろ大丈夫そうかな?大丈夫だったら俺の上からどいてくれるとありがたいんだけど」
俺と彼女のポジションは仰向けに寝ている俺の腹の上に彼女が馬乗りになっている、いわゆる騎じょ……もとい、彼女にマウントポジションを取られている状態だ。
このままで朝のように誤解された状態のままだと、反撃も出来ずにボコボコにされる事は間違いない。
そして息が整い、混乱から醒めれば、当然――
「しっ。待った」
彼女が拳を振り上げた瞬間、俺は自分の口元に左手の人差し指を当て、右手で大声を出そうとした彼女の口に手を当てて、声を遮る。
その動作で察してくれたのか、彼女はやや怯えた表情で周囲を見回した後、ゆっくりと振り上げていた拳を下ろしてくれる。
「とりあえず降りてくれるか?このままだとあの化物が来た時にどうする事も出来ない」
などと化物が近くにいるような事を言ってみせているが、実はブラフだ。
大分走って離れたおかげなのか、それとも別の獲物を見つけてそっちに行ったのか、それともあの一撃が致命傷になって死んだのかは分からないが、さっきまでの重苦しい空気は感じられないし、僅かだが遠くから鳥らしきものの鳴き声が聞こえてくる。
化物という危機は去ってくれたようだ。
けれど彼女はそこまでは解っていないようだったので、朝のように殴られて気絶させられないように、あたかもまだ近くに化物がいるように見せかけたのだ。
その甲斐あってか彼女は俺の腹の上からどいてくれる。
重くは無かったのだが、腹と密着していた温もりと柔らかさは青少年には色々と危なくて危険でヤバかった。
服の上じゃなかったら色々と暴発していたかもしれない。
「え~っと、その……あっ、今朝はすみませんでしたっ!」
彼女に何と話しかければ良いかと考え、ハッと気付いて、まずは謝罪の言葉を口にする。
上半身を起こすと同時に膝を折りたたみ、すぐさま彼女の目の前で土下座もする。
自分でも驚く程に見事な土下座だった。
そして俺は地面に頭を擦り付けたまま、あの時の精神状態やら何やらを言い訳がましく説明する。
正直に言えば、平手2発にグーパン1発まで食らったのだからチャラにして欲しい所だが、一応、こういうのはケジメを付けておかないといけないと思ったのだ。
まぁ、この何故タイミングなのかは、この機を逃したら謝る機会を逃してしまいそうだと思ったからというのもあるが、警戒心を解いて貰いたいという意図もあった。
朝の件のせいで警戒され続けたら、まともに会話も出来ない。
この密林にいる以上、いつあのような化物に襲われるか分からない。
だから後悔は無いようにしたいし、1人より2人の方があの化物への対応策も考えやすいだろう。
「……ふふふっ、面白い人ですね。本当ならこちらが先にお礼を言う所でしたのに。事情は分かりましたので頭を上げて下さい。朝の事は先程助けて頂いた事で貸し借り無しという事にします」
なんか貸しと借りの比率がおかしい気もするが、まぁ、俺も身体が勝手に動いただけで、別に恩に着せようとも思っていなかったので、それで納得したと頷く。
とりあえずこれで少しは警戒心は緩んでくれたようだ。
「それでさっきのはなんだったんですか?」
「いや、それは俺だって知りたいよ。まぁ、ゲーム的に考えたらモンスターって奴なんじゃないかな?」
昨日、この街に来た時に見た人々は剣やら鎧やらを着込んでいた。
神から見せられたゴルドーの信徒である神殺しの姿はその多くが普通の人間であり、あんなおぞましい姿もしていなかった。それにあの化物は人の言葉を理解しているとは到底思えなかった。
それらから考えると、このアスガリアには神殺し以外にも人間に脅威となる存在がいてもおかしくない。
あの化物は知能が低そうだったので、モンスターと定義付けても良いかもしれない。
「それは私も察していました。私が聞きたいのはそっちじゃありません。あなたが何かした方です!」
「え、ああ、そっちの事か」
けどどう説明すれば良いだろうか。
素直に神様から貰った加護の力です、なんて言ったら引かれるだろうか?
いや、そもそもいきなりこんな訳も分からないジャングルに飛ばされて、化物に襲われているという非常識な状況なのだ。神様が実在していると言っても信じて貰えるかもしれない。
という訳で俺は神の加護の事を掻い摘んで説明した。
「使った後はスゲェ疲れたから、あんまり多用は出来ないけどね」
ゲームで言う所のMPが8割9割ごっそり消費したと表現するのが一番分かりやすいだろうか。いや疲れる訳だからHP消費の方かな?
まぁ、どちらにしろ、あの加護を使うなら絶対に当たるという状況じゃなければ、リスクが大き過ぎて使えない。
連発は出来ないので、もし空振ったりしたら反撃する力さえ残らないのだから。
「神様……それに加護ですか…………」
やはり簡単には信じてはくれないか。
まぁ、俺なんて実際に目の前にいて喋っていても、しかも実際に加護の力を行使しても、未だ、あれが神様だとは信じ切れていない部分がある。
話を聞いただけでは信じられないのも無理は無い。
「……神様の存在の真偽については今は置いておくとして……」
置いておかれてしまった。
まぁ、物的証拠も無い状況じゃ考えても無駄だし、彼女が信じようが信じまいが影響は無い。ドン引きされなかっただけ良しとしよう。
「その加護の力があれば、あの化物を倒す事が出来るんですよね」
肝が据わっているというかなんというか。
あんな化物を見ても、彼女は恐怖でパニック陥ったりはしていない。
よくよく考えれば、逃げる際も、俺が突き飛ばしたから倒れてはいたが、腰が抜けていたり、悲鳴を上げたりはしていなかった。
そういえばこのジャングルに飛ばされてから俺はその場から1歩も動けずにいたが、彼女は俺の居る場所まで歩いて来ていたので、俺なんかよりもよっぽど肝が据わっている気がする。
今も化物から逃げるより、戦って倒す事を考えている。
「実家が剣術道場でしたから、その影響だと思います。父も兄もこの学校で腕を磨き、強くなったと言っていましたし、幼い頃から私の一族は人ならざる者と戦ってきた一族だと教えられて育てられて来ましたので、無意識の内に心構えが出来ていたのだと思います」
まさかこの現代日本で剣道では無く剣術を教えているリアルな道場がある事が驚きだが、それにしてもなんという厨二設定。
アスガリアという世界を実際に体験し、化物の存在を見ていなかったら、思わず大笑いしてしまう所である。
どうやら彼女自身もこの地に来るまで、そんなものは御伽噺だと思っていたらしい。
「それであなたの力とはどういったものなのですか?さっき見た所では手に纏わせた光で切断していたように見えますが」
「ああ。消耗が激しいから試しにやってみるって事は出来ないけど、大体、それで合ってる」
使い方もその性能もなんとなくではあるが頭に浮かんでいる。
加護の名称は“
漢字にルビが振ってある時点で厨二感がプンプンと漂う加護である。ただ俺が命名した訳ではない。使用した時にその名称が頭に浮かんできたのだから、これはあの猫耳女神かジジィの趣味なのかもしれない。
いや、もしかするとこの世界の神は全てそういう厨二な名称を好んでいるという可能性もある。
きっとその内、当て字ですら無いトンデモ名称が出てくるかもしれない。
「俺が貰った2つの加護。それを同時に使用して合わせると空間ごと斬り裂く光が生まれるって訳だ。同時使用だから消耗が激しいっていう所だな」
よくよく考えれば、これもかなりチート級の性能だ。
空間ごとって事は、どんなに強力な防具を装備していようと、どんなに強固なバリアのようなものを張っていようと斬り裂く事が出来る。正しく一撃必殺の技だ。
燃費の悪さを差し引いても、相当に強力だ。
ただどうやら発動のキーワードは加護の名前を発音する事のようだ。
さっきは必死だったから思わず叫んだが、使う度にあれを叫ぶのはかなり恥ずい。
というかこれくらいのチート能力が無いと神殺しに対抗出来ないって事なのかと思うと、少し、いやかなり憂鬱な気分になる。
「あの、待って下さい。同時使用であの能力という事はもう2つ異なる能力の加護があるって事ですか?」
「まぁね。ただそれぞれの単体だと、正直、戦闘には役に立たない能力なんだよねぇ」
そして俺は貰った加護に付いて分かっている範囲で説明を始める。
ジジィから貰ったのは“
ただしジジィの加護なだけあってか、性能は良くない。
自分の周囲の空間に干渉して別の空間と繋げて物を出し入れする事が可能なのだが、まずお約束通りに生物を収納する事は出来ない。そして自分の体重と同じ重量、身長と同じ高さまでしか入れる事が出来ない。
俺の身長は168cm、体重は60kg程なので、それを越えるものは収納する事が出来ないのだ。
まぁ、成長期なのでここから更に増えるだろうが、それでもそこまで極端に容量が増える訳ではない。コンテナ1つ分とか無限とかには絶対にならない訳だ。
まぁ、“
そして猫耳女神から貰ったもう1つの加護は“
その名の通り、触れた相手の運気を吸収するという加護だ。
ゲーム内で運のステータスが高くなれば、回避率が高くなったり、ドロップアイテムが良くなったりと、何かしら目に見えた恩恵はあるのだが、リアルで運の良さが高くなっても目には見えないし、起きてからでないと運が良かったかどうかなんて分からない。
用途としては、今の所、宝くじを買う前に使って、当たりやすくするというくらいしか思い浮かばない。
「相手の運気を吸い取ってしまえば、勝手に転んだりして自滅してくれるなんて事があったりするんじゃないでしょうか?」
確かにこっちが吸い取れば、その分、相手は当然、運が悪くなる。彼女が言うような事もあるだろう。
「だけど運気ってのはさっきも説明した通り、目に見えるものじゃないし、そもそも量があったとして、どれ程の量があるものなのかも分からないし」
運の数値ステータスが存在していれば、目に見えて増減を確認する事が出来るが、確認する術があるのかも分からないし、そもそも運気量があるのかも分からない。
運気量が存在すると仮定しても、その量を把握する術が無い以上、もし元々の運の量が多くて、たとえ吸い取ったとしても、それでも相手の運気の方が高かったら、こっちの方に悪い運が来るという可能性がある。
そして相手の運気を全て吸い取ったのかも分からないし、1回の“
「って訳で、あの化物を倒すとなるとアレ以外に手は無いんだけど、今の俺の体力だとギリギリ使えるかどうかって感じだな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます