第4話 ジジィのツンデレなんて、どんな世界であろうと需要なんて無いぞ

 私立原々高等戦修学校の入学式は式典と呼べるほど、大仰なものではない。

 真新しい水色のブレザー制服に身を包んだ約80人の新入生が校内にある講堂に集まり、典型的な肥満体型で狸腹の校長による新入生への祝いの言葉と、この学校の意義や生徒に求める目的などを長ったらしく小難しい言葉を並べて喋るのを、ただ聴いているだけのつまらないものだ。

 生真面目な人間なら全て聞き、メモを取っていたりしているのかもしれないが、ざっと見回した所、俺を始め、まともに聞いている人間は多くない。それどころか多くの者があまりの退屈さに船を漕ぎ始めているのが実情だった。

 新入生の男女比はおよそ半々だが、人種や国籍は様々。

 ただ日本にある学校なだけあってか日本人が7割程。残りが留学生といった感じだ。中国や韓国などからの留学生だと日本人と似ていて判別が難しいし、自由な校風なので髪を染めている者も居るようなので、割合的にはもう少し留学生は少ないかもしれない。


「――皆さん一般生には、より高みを目指して欲しいものです」


 校長が言っている一般生とはこの入学式に参加している一般科の生徒の事である。

 ここに居る生徒を一般生と称したのは、俺達以外に入学式には参加していない20人の特待生が存在するからだ。

 どうやら特待生は俺達とは別に入学式をやるらしい。

 別けている理由は単純明快。

 特待生は文字通り、特別待遇の生徒であり、学校側から様々な恩恵を得ているスクールカースト上位の生徒の事を指す。

 特待生となる明確な理由は分からないが、校長は彼ら特待生に追い付けるように探索知識と技術を身に付け、精進しろとか言っているので、俺達のような異世界初心者ではなく、入学の時点で既にこのアスガリアという世界の知識等を持っている人達なのだろう。普通の学校で言えばスポーツ特待生みたいな枠だと考えると分かりやすい気がする。

 ちなみに俺が何故校長のつまらない話をちゃんと聞いているのかというと、昨晩、長く寝過ぎて眠気が襲って来ない事も要因の1つだが、頬と鼻頭がズキズキと痛みを走らせているのが主な原因だった。

 鼻の骨は折れてはいないようだし鼻血も止まったけど、頬は紅葉のように赤く腫れていて、鼻もトナカイのように赤くなっていて痛みが収まらないのだ。

 う~ん、これは先生に言って保健室にでも連れて行って貰った方が良いかな?とか思っていると、ようやく校長の無駄に長いありがたい話が終わる。

 丁度良いタイミングだと思い、俺は目立たないように席を離れ、こそこそと宗村先生の元へと向かう。

 ふと壇上を見ると、校長と入れ替わりで白髪の壮年教師が現れる。

 吊り上がった鋭い目と横に細長い眼鏡からして、多分、生徒指導の先生とかではなかろうか。きっとこれから学校の風紀がどうのとか、またつまらない話が始まるに違いない。

 これはさっさと保健室に退散するのが吉だ。


「――では早速だが、新入生の君達にはこの学校の事を理解してもらう為に実戦を経験して貰おうと思う。ああ、たとえ殺されたとしても問題は無いから安心したまえ」


 白髪教師が何か物騒な事を言った直後、講堂の床が輝き始める。

 後もうちょっとで宗村先生の所に行けるという所で俺の視界は光に包み込まれる。

 そして眩しさに瞑っていた目をゆっくりと開けると、もうそこは入学式の会場では無かった。

 そこはやけに薄暗く、見たことも無いような気味の悪い植物が生い茂った森の中。

 俺が知っている場所で言い表すならアマゾンの奥地といった所だろうか。

 ただそこよりも空気は重く、澱んでいる感じがする。アマゾンのような湿気は無いのに、立っているだけで背中から嫌な汗が噴き出してくる。

 ヤバイ。ここはヤバ過ぎる。

 ここが何処で何故こんな所にいるのかは分からないが、色んな所を巡ってきた俺の経験がここがヤバイ場所だと言う事を本能的に伝えてくる。

 そう。ここはこんなにも木々が生い茂っているのに、鳥の鳴き声も虫が動く音すらも聞こえない。

 まるで何かに怯え、息を潜めているかのように生けとし生ける者全てが沈黙し、動きを止めた静寂の世界。これは全ての生き物が恐れて身を隠し、逃げ出した後に出来る世界だ。

 この無音の世界が出来る理由はただ1つ。

 それは絶対的な強者あるいは捕食者が存在する時だけ。

 それに気付いた瞬間、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえるようになる。心音だけで居場所が知られてしまうのじゃないかという恐怖が全身を突き抜ける。

 ガサリと背後の草が動き、俺の身体は硬直する。

 物音をたてないようにゆっくりゆっくりと音のした方へ身体ごと向ける。

 草を別けているようなその音は徐々にこっちに近付いてくる。

 俺の足はまるで棒になったかのように動かない。動けない。恐怖で足が竦み、顔が強張っている。


「あっ!あなたは……」


 俺は安堵する。

 そこに現れたのは俺と同じ水色の制服に身を包んだ、まるで日本人形のような艶のある綺麗で真っ直ぐな黒髪の美女。

 彼女の方も同じ制服を着た俺の姿を見て同じように安堵の表情を見せるが、すぐに険しい顔になって自身の腕で胸を抱き、1歩身を引く。

 どういう訳か俺を警戒し、俺に敵意と恨みがましい視線を向けてきている。

 この学校に俺の知り合いは居ないはずだし、原々に着いてからは宗村先生と寮の管理人くらいにしか出会っていない。なので恨まれるような事もしていない。

 そもそもこんな美人と知り合いだったら忘れる訳が……ってあれ?この顔にはどこか見覚えがあるような?


「あっ!あなたは今朝のっ!!」


 侮蔑するような鋭い視線が向けられ、俺はその目付きと腕で隠している桃まんで彼女の事を思い出………って危ねぇ!!

 俺からじりじりと距離を取ろうとする彼女に慌てて駆け寄り、咄嗟に突き飛ばす。

 直後、俺の頭の上に人のものとは思えない巨大な腕が振り下ろされてくる。

 ああ、これは死んだな。

 よく分からない場所で、よく分からないものに襲われ、よく分からないうちに殺される。

 あははは、よく知りもしない女子を庇って死ぬとか俺はバカだな。

 あっ、右手に残る感触だけなら知っているか。

 けどここで庇ったとしても一瞬で殺されていたら時間稼ぎにもならない。庇われたあの子もすぐにこの訳も分からない存在に殺されてしまうのは明白だ。いわゆる殺され損って奴だな。

 あ、でもあの子が殺される瞬間を見ないだけマシかな?

 けどどうせ死ぬならあの子には朝の件を謝りたかったな。いくら空腹で意識が朦朧としていたとはいえ、男として最低の事をしたんだから。

 俺の胴体ほどもある太くて筋肉質の赤黒い腕がゆっくりと振り下ろされてくる。

 そういえば死ぬ瞬間は時間がゆっくりと進むって何かで聞いたか見たかしたけど、本当にゆっくりなんだなぁ。

 っていうかあまりにスローモーションだと恐怖が膨れ上がってくるから、焦らさないでとっとと殺して欲しいものだ。

 はぁ、人生15年と数ヶ月。

 彼女も作れないまま、こんな所で人生に幕を下ろすとは思わなかった。

 やっぱりこれはあの自称神様達を本当の神様だって信じなかった罰なのかな?

 俺の目の前まで赤黒い腕が迫る。

 はぁ。童貞は卒業出来なかったけど、あの猫耳女神のおかげでファーストキスは済ませられたし、この顔と右手には柔らかな感触が残ってるし、それで良かったと思っておくべきかな?


「にゃはははは、初めてを奪っちゃってゴメンにゃ」


 あははは、本当だよ……って、おい!

 なんでお前が居るんだよ!!

 気が付けば目の前まで迫っていた赤黒い腕は消え失せ、俺の目の前には猫耳女神が居る。

 その後ろには不服そうな顔をしたジジィまで居る。


「ボクの事を思い出してくれたおかげでなんとか間に合ったにゃ」

「あっ、もしかして今度こそ俺は死んだのか?」


 そこは俺が昨日、門を潜り抜けた時に訪れた、何処とも知れない白い世界。


「うんにゃ。まだ死んではいないにゃ。でも死ぬ直前ではあるにゃ。あ、それともっと触りたかったら遠慮しなくていいのにゃよ?」

「え、おお……ってそうじゃねぇよ!どういう事だよ、これ!」


 話によれば俺が猫耳女神の事を思い出したおかげで俺の精神とのリンクが繋がり、時を司るあのジジィが極限まで時間を引き延ばして、俺の精神だけをこの時空の狭間という所に連れて来る事が出来たのだという。

 昨日の別れ際のキスは俺とのリンクを繋げやすくする為の儀式だったという訳だ。

 そして現実世界の方では、今まさに徐々にあの赤黒い腕が俺を押し潰そうと迫っている危機的状況は変わらないらしい。


「改めて聞くにゃ。ボク達の力を借りる気にはなったかにゃ?」


 ずるい質問だ。

 ここで断れば、あの腕に押し潰されて死ぬだけ。

 それを回避するには頷く以外に道は無い。

 つまり俺に選ぶ権利など残されていないのだ。


「あんたから加護って奴を貰えば俺は死なずに済むのか?」

「多分にゃ」

「多分かよっ!」

「加護はその人間が強く思う気持ちに対応した能力になるのにゃ。ボクは運命を司る神にゃ。だから死という運命を覆す程の強い気持ちがあれば、きっと助かるにゃ。後は……」


 猫耳女神がチラッチラッとと背後に視線を送っている。

 その視線の先に居るのはジジィだ。


「本来、1人の人間は加護を1つしか授かる事が出来ないにゃ。でもキミのような強い意志を持っていれば複数の加護も使いこなせるかもしれないにゃ。ボクとマータイの2つの加護を使えれば運命を覆す確率は格段に上がるはずにゃ」

「ふん。儂はこやつが好かん。じゃがディティニスが渡すと言うのなら、考えんではない」


 ジジィのツンデレなんて、どんな世界であろうと需要なんて無いぞ。


「ツンデレではないわっ!!もしここでディティニスが力を渡した所で、すぐに死んでしもうては折角の加護が無駄になるではないか!お主が死のうがどうしようが儂には関係は無いが、残り少ない力が無駄になり、ゴルドーの奴にただで力を与えるのは見過ごせんだけじゃ!!」


 神の与える加護の力というのは有限制らしい。

 加護を持った人間が死ぬとその力は世界に拡散され、他の神へ均等に分配されるという。


「分かりやすく説明すると、例えばボクとマータイしか神が存在してなくて、お互いに10の力を持っているとするにゃ。そこでボクがキミに10の力を使って加護を与えるにゃ。その後、キミが死んでしまった場合、10の力は拡散されてそれぞれ5となって、ボクとマータイにそれぞれ戻ってくるのにゃ」


 総量は20で変わらないが、猫耳女神の力はトータルで-5されることとなり、ジジィが15、猫耳女神が5となる。

 つまり猫耳女神の力は最初の半分になってしまうという訳だ。

 ちなみにゴルドーの信徒が復活可能なのは、10の力の内、死亡時に拡散される量が2しか減らず、加護の力が0になるまで蘇る事が可能なのだとも教わった。

 つまり永遠の不死なのではなく、残機制という訳だ。

 ただ金を積めば加護の力は増えるので、課金すればするほど残機も増えるというチート仕様だったりする。


「ふぅ、仕方あるまい。別にお主を助ける為に力を貸すわけではない事を心に留めておく事じゃぞっ!!」


 需要の無いテンプレツンデレセリフと共にジジィが青色の光を掌に生み出すと「ツンデレでは無いと言っておるじゃろうがっ!!」と叫びながら、俺に向けてその光を投げつけてくる。

 光がぶつかると思った次の瞬間、光は俺の胸の前でピタリと止まり、そのまま身体の中へとスーッと入り込んで消える。


「次はボクにゃ。マータイはあんな事を言っているけど、内心ではキミには期待しているのにゃ。それはボクも同じだから頑張って欲しいにゃ」


 猫耳女神は小さな胸の前に赤色の光を生み出すとそれを自身の口に放り込む。

 そしておもむろに俺の口を柔らかい唇で塞ぐ。

 昨日は消える直前だったのであまり実感が無かったけど……うぉ~、柔らけぇ~!これがキス……か……とか思っている内に、口の中に光の球を流し込まれてしまう。

 そしてゆっくりと柔らかな感触が唇から離れていく。


「にゃはははっ、女神様からの直々の口付けにゃ。これでキミに祝福が訪れるはずにゃ♪」


 あまりの甘美さに俺の思考が蕩ける。


「ふん。浮かれておらずに気を引き締めよ。間も無く、お主の精神を元の世界に戻すぞ。その後、体感時間で10秒の後に儂の時間停滞の効果が切れるじゃろう」

「その10秒の間に加護を発動させて、なんとか迫ってくる攻撃を避けるのにゃ!」


 甘美に酔いしれそうになっていた俺はその言葉で我に返る。

 そうだ。現実の俺は今、絶体絶命のピンチに陥っているのだった。


「では元の世界に戻すぞい!」


 昨日と同じくジジィが杖を振ると俺の身体が薄くなっていく。


「あ、そうにゃ。一応、身体が竦んでしまわないように恐怖の感情を弄っておくにゃ~」


 その言葉を最後に俺はあの危機的状況の現実へと戻った。

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