第3話 どうやらこれは肉まんでは無く桃まんだったようだ
「えっ?あ、あれ?」
あれ?さっきのは夢?いや、寝ていた訳じゃないから白昼夢?それとも幻覚?
ただ、それにしてはやけに明確で現実味を帯びていた。
最後に猫耳女神の顔が間近に迫って、唇に柔らかいものを押し付けられた感触も余韻を残している。
え?あれってもしかして……と、それが何だったのかを考えて顔が真っ赤になりそうになった瞬間、それが目の前を通り過ぎる。
「へっ?」
顔が真っ赤になるより先に、俺は驚きで目を丸くする。
なんか、今、鳥の羽根が生えた小さな女の子が目の前を通り過ぎて行ったんだけど……。
「あれは小鳥族という種族です。あ、やはり突然、こんなのを見たら驚きますよね」
前を行くおっぱい先生…もとい、宗村先生がこちらを向きながら苦笑する。
先生が居るし、後ろを振り返れば、高い壁と先程通ったドアがあるのが見える。
つまり俺は元の場所に戻ってきたはずだ。
けれど目の前に映るのはありえない現実離れした風景。
高層ビルのような高い建物は無く、平屋建てか高くても2階建の建物が立ち並んでいる普通の街並み。
街の中に視線を向ければ、道路はしっかりとアスファルトで舗装され、それに沿うようにアーケードの付いた歩道があり、様々な店屋が軒を連ねているのが見て取れる。
軽く見回しただけでも、世界中で愛されているハンバーガーショップやコンビニ、全国展開している本屋にCDショップ。
ファミレスや牛丼チェーン店、100円ショップやスーパー、ゲームセンターに大手家電量販店などもある。
ここからは見つけられないが、カラオケ、ボウリング場といった娯楽施設もあると宗村先生は言う。
壁の向こう側が山奥の何も無い所だっただけに、こんな普通の街並みでも凄く現実離れしているように感じるのだが、それだけが原因じゃ無い。
そんなどこにでもありそうな商店街を歩く人々の姿の多くがおかしい。
薄い青地に白のラインで十字架を象ったような模様の入った法衣を着た女に、巨大な剣を背負った男。
金属の全身鎧を身に纏った耳がやけに長いイケメンが居たかと思えば、その隣には矢筒と弓を背負った学生服姿の女がいる。
更には犬のような耳と尻尾を生やした男と鎧を着て二足歩行しているやけにリアルなトカゲの着ぐるみがカフェテラスで談笑し、自分の身長程もある先端に赤い宝石が付いた杖を背負った小さな少女とその倍以上の背がある額から2本の角が飛び出た大男がゲームセンター前にあるUFOキャッチャーで遊んでいる。
ここまでなら、まぁ、なんとかファンタジー系のコスプレイベントでも行っているのではないかと思ったかもしれないが、トカゲの着ぐるみは着ぐるみのままお茶を飲んだり、サンドイッチを頬張っているし、さっきから空を鳥の羽根が生えた俺の顔くらいの大きさの人が飛んでいるのが見える。
おかしい。
俺はあの自称神達に確かに異世界に行くのを止めて、元の世界に戻せと言ったはずだし、ジジィもそのプライドに懸けて元の場所に戻すと言った。
それを信じればここは現実のはずだ。
だが目の前の光景は現代日本では、いや、この世界ではありえない光景。
俺は言葉を発する事が出来ず、パクパクと口だけを動かして、宗村先生に答えを求める。
「ここはアスガリアという異世界です。さっき通ってきたあのトンネルはこちらとあちらの世界を繋ぐ通路のようなものです」
え?アスガリア?異世界?ってことはあの自称神達が言っていた世界って事か?
そういえば確かに猫耳女神は言っていた。俺自身が異世界の門を通って来たって。
じゃあ、さっきのは白昼夢とかじゃなくて本当にあった事なのか?
いや、でも宗村先生の態度から考えると、俺はこの光景に驚いて、ほんの僅かな時間だけボーっとしていたような感じだ。
多分、長くても1秒程。だが、俺があの自称神達と喋っていたのは5分とか10分とかそれくらいだ。
時間感覚がおかしいが、あれが本当に神で、その御業だとすれば、時間を引き延ばしたり、一時停止したりする事も出来るのかもしれない。
あのジジィは確か時だか空間だかを司るって言ってたし。
「まぁ、戸惑うのも仕方ありません。ですがこれは現実です。公にはされていませんが、世界の数か所でこのように異世界へ通じる門が実在するのです。そして当原々高等戦修学校は、この世界を探索する為の知識と技術を教え、開拓する事を目的とした学校なのです」
宗村先生の顔は冗談を言っているようには見えない。
ははははっ、マジか、これ。
ジジィと猫耳女神と喋っていた時は、あんなに落ち着いていられたのに、今の俺は混乱状態だ。
いや、自分が混乱しているって客観的に思えている時点で冷静なのかもしれないが、とにかく頭では理解出来ているのに感情が追い付いて来ない感じだ。
ああ、そうか。後悔するってそういう事だったのか。
確かにあそこで素直に受け入れて加護を貰い受けていれば、何かと便利だったのかもしれないな。
この世界で加護を得る方法は分からないし、いつになったら得られるかも分からない。
最初からくれるというものを貰っていた方が、有利に立てただろう。
っていうか、どうせならもっと分かりやすく説明しろよな!
元に戻されても異世界だなんて普通思わねぇっての!!
それに俺をここに勧めたあのクソ親父やクソ先公も卒業生だってんなら、この事を知っていたはずだ。
くっそ~、なんで教えてくれなかったんだ。
いや、あのクソ親父はいっつもそうだ。
小学生時代なんて、親父の急な出張に付き合わされて、いきなり何の説明も無しにアマゾンの奥地に連れて行かれたり、ロッキー山脈の頂上に連れて行かれたりもした。
一番酷かったのは、真夏のブラジルの直後に南極基地に連れて行かれた挙句、1週間も滞在させられた事だろうか。
あの時は経験した事の無い寒さに死ぬかと思った程だ。
俺が中学に入った頃からは親父は1人で行く事が多くなり、俺も落ち着いて学校に行く事が出来るようになった。
ようやく息子を振り回していた事に気が付いて自重していたと思っていた矢先にこれだ!
そりゃ、多感な時期に世界各地を回って色んな経験をしてきたおかげで、ちょっとした事ならば、驚く事も動じる事も無くなってはいたが、流石に異世界は理解の範疇外だってーの!
その上、この世界を開拓しろって?!……もう、なんか頭痛くなってきた。
「色々と混乱していると思いますが、詳しい事は明日の入学式で説明します。今日の所は寮に入ってゆっくり休むといいですよ」
「はぁ。そうですね」
色々と疲れた。
着いた先が何も無い山奥だと思ったら、自称神達におかしな事を言われ、訳も分からぬまま異世界に足を踏み入れさせられ、しかもこれから通う学校がその異世界を探索する為の場所だとか。
もう考えるのも億劫になり、俺は宗村先生に案内された学生寮に入ると、荷物の整理もせずにベットに突っ伏し、そのまま眠ってしまうのだった。
* * * * * * * * * *
翌朝。
俺はまだ暗い部屋の中で目が覚めた。スマホで時間を確認すると朝の5時。
枕に慣れなかったとか、今日が入学式だから緊張していたとか、初めての異世界で浮かれていたとか、そういう事は全然無い。
単純に腹が減ったからだ。
昨日は色々とあり過ぎて精神的にも肉体的にも疲れていたのか、晩飯も食べずにずっと寝ていたのだから、当然の話だ。
流石にこんなに早くては寮の食堂も開いていないだろうから、もう少し我慢してもう一眠りしようとしたが、長時間眠っていたせいなのか全く眠気を感じない。
仕方が無く起き上がり、周囲を見回す。
俺の入寮した
部屋には備え付けのベットと机がそれぞれ2つあるだけの2人部屋だ。
だが今、この部屋にいるのは俺1人。
新入生の人数の関係でたまたま相部屋にならなかったのか、それともまだ入寮していないのか分からないが、とりあえず俺が寝ている間には誰も来なかったようだ。
とりあえず起きても迷惑が掛からない事が分かった俺は、ベットから跳ねるように降りる。
「腹は減ってるけど、日課を欠かしちゃいけないよな」
それに流石にこんなに早い時間では寮の食堂はまだ開いていない。
それなら仕方が無いと自分に言い聞かせると、トレーニングウェアに着替えてタオルを首に掛け、部屋を出る。
共同の洗面所に向かって顔を洗いつつ、持参したペットボトルに水を詰める。
「よし、準備完了」
俺は空腹の腹に渇を入れて、まだ肌寒く暗い、朝露の煙る寮の前からランニングを開始する。
ランニングというか体力作りは俺が小学生の頃からやっている日課だ。親父に付き合わされるのは、他の何よりも体力が必要だったからだ。
人通りが殆ど無い静かな朝の街並みは、ここが異世界であるという事を感じさせない。
まぁ、街並み自体は現代日本風だから当然と言えば当然か。
ただここは俺の住んでいた街と違い、空気が美味い。
昨日、寮へ向かう途中で宗村先生が教えてくれたが、ここには自動車やバイク、電車にバスといった交通機関は殆ど存在しない為、排気ガス等の公害になりうるものが殆ど出ていないからだそうだ。
交通機関が無い理由は単純。この街はそこまで広くないからだ。
この場所は死火山の火口をくり抜いて作られたそうで、周囲は高い断崖で囲まれている。
端から端まで5kmも無いだろう。
街の中央には学校の校舎があり、東と西に学生寮を含む住宅街が広がっている。
南側には異世界の門があり、昨日見た元の世界の商店街が広がっていて、北側には外へ繋がる門とファンタジー世界に定番の武器屋や防具屋、道具屋などのこちらの世界の商店街があるらしい。
“らしい”というのは俺は宗村先生から軽く聞いただけで、まだそっち側に行った事が無いからだ。
この学校に入学した以上、すぐに行く事になるだろうから、その時になってから行けばいい。
それと確か南東には牧場だかがあり、その他の建物が建っていない場所は農園が広がっていて、ある程度、自給自足が出来るようになっている。
まぁ、2つの世界を自由に行き来する事が出来るし、街の人口もそこまで多くないようなので、食料が不足するという事はまず無いだろう。
とまぁ、こんな感じでこの街は意外と狭いのだ。
それにしても眠って脳が冷静さを取り戻したせいなのか、既にこの異世界に順応し始めている自分がちょっと怖い。
と、そんな事を考えつつ周囲の景色を眺めながらランニングをする事、30分。
どうやら街の端っこまで来てしまったようで、高い崖が見えてきて、その手前には広葉樹らしき樹木が林立している。
1本1本の幹は太く、かなりの高さがあるので、きっと崖崩れが起きてもこの樹が防いでくれるだろう。
俺はペースを落とし、ゆっくりと木の下まで進む。
幹に寄り掛かるように腰を下ろし、流れる汗を拭いながら、手に持っていた水を飲む。
空腹の胃に水が流し込まれていくのを感じ、それと共にぐぅ~と腹が盛大に鳴る。
ああ、これはヤバイかも。
いくら日課とはいえ、ちょっと無理をし過ぎたかも。エネルギー不足だ。
こんなことなら商店街の方に向かえば良かった。
あっちなら確かコンビニもあったし、こんな朝早くでも食べ物を調達出来たはず……けど、もう駄目だ……座ってしまったせいもあって、もう動けない……ほら、それに目の前に肉まんの妄想まで浮かんでやがる。
ああ、もう妄想でもいいや。意識を失う前にこの肉まんだけでも食べてやろう。例え妄想でも最後に食べるという欲求くらいは満たしたい。
俺は朦朧とした意識の中、手を伸ばし肉まんを掴む。
程良く中身が詰まった皮の柔らかさと少々冷めてしまったが熱くない温もりが掌に伝わり、鼻孔に甘い香りが漂う。ああ、どうやらこれは肉まんでは無く桃まんだったようだ。
「いただきます」
俺は鷲掴みした桃まんに向けて大きく口を開けた直後、激しい音と共に痛みと熱さが頬を貫く。
「ぃいっってぇぇぇ!!って何だ!?お、俺の桃まんは!?」
痛みによって意識がはっきりしていき、俺は辺りをキョロキョロと見回す。
そして前にかざした右手に桃まんの柔らかさを感じて、ホッと胸を撫で下ろす。
って、あれ?そういえばこの桃まんは俺の妄想だったはず。感触などあるはずが無い。
とか不思議に思ったのも束の間、さっきとは反対の頬に熱と痛みが走る。
「この不埒者!いい加減に手を離しなさいっ!!」
「ほふぇ?」
熱と痛みでジンジンする両頬のおかげで、俺はようやくちゃんと意識が戻ってくる。
俺の右手の先には先程まであった桃まんは無い。
あったのは柔らかい別のもの。
「え、え~っと……」
意識してやった訳ではない。だが右手は勝手に動き、その柔らかいものが桃まんでは無い事を確かめるようにモミモミする。
「えっ、あっ、うわぁ!ここここれはそ、その……」
「言い訳無用ですっ!!」
慌てて手を離すが時既に遅し。
目の前にいた人物の拳は俺の鼻頭を見事に貫き、真っ赤な鼻血が噴き出す。
とはいえ、この程度で俺の意識は狩り取れな――――
「あれ?」
盛大に腹が鳴って俺は目を覚ます。
さっきのが夢だったというオチは、両頬と鼻の痛み、そしてシャツを汚す血の赤が否定する。
ああ。やってしまった。
意識を失う直前に目に映ったのは、キリッとした表情のまま目を吊り上げ、やや頬を赤くしていた女性の顔。
そして俺の手は、いくら意識が朦朧としていたとはいえ、見ず知らずの女性のむむむ胸を……。
改めて右手に残る柔らかさを思い出し、鏡を見なくても自分の顔が真っ赤になっている事が分かる。
ちっぱいな猫耳女神に抱き付かれた時とは全く別質の張りと柔らかさ。
確かにあれは男を駄目にするものだ。おっぱい星人が生まれてしまうのも無理は無い。正直、俺も―――
ぐぅぅぅぅぅ~~~~~っっっっ
しかしどうやら今の俺は色欲より食欲が優先のようだ。
スマホの時計を見る。
時刻は――
「げっ、やっべぇ!早く戻らないと!」
時刻は既に7時半。
寮にある食堂の朝の利用時間は7時から8時までで、その時間を過ぎてしまったら食べる事は出来ない。
そして今、俺が居る場所は周囲の景色を見ながらとはいえ、それなりのペースで30分掛けて走ってきた場所だ。
つまり行きよりも速いペースで戻らなければ、朝食にありつけない事になる。
入学式自体は9時からなので遅刻の心配は無いが、ここで朝食まで抜いてしまったら、式の最中に倒れてしまうのは確実だ。
というか場合によってはさっきのように意識が朦朧として、近くにある肉まんに思わず飛びついてしまう可能性だってある。
そうなったらもう学生生活の全てを“変態”で過ごしてしまいかねない。
それだけは絶対に避けなければならない。
いや、まぁ、既にさっきの子が言い触らしていたらヤバいんだけど、弁明の機会が無い以上、そこはもう運に任せるしかない。
「俺の体力よ!もってくれよっ!!」
俺は最後の力を振り絞り、全力疾走に近い速さで刻楼寮へと戻るのだった。
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