第2話「残念感」
目まぐるしく、いくつもの光景が浮かび、刹那に消え去る。その中を、成すすべもなく浮遊するわたし。
三千世界って、こういうの言うんだろうなって、どこか他人事のような感想が浮かぶ。
と、不意に重力に引かれるような感覚。高空から落下するように、一つの光景が迫ってくる。
藍色の海。緑の大地。深い森。黒々とした深い森。
無限に思われるその時間が、不意に終わりを告げた。
最初に感じたのは、身体にのしかかる重さ。そして湿った衣服の不快感。鼻孔をくすぐる、朽ちた木々と苔の匂い。
次第にはっきりしてきた意識の中で、状況を確かめる。
周りは森。密林と言っていいほどの深い森。森の土で湿った服。背中には重い荷物。背中にゴブリンだったら、非常に残念な結末だわ。
堅く握った右手には、小銃。
木製の銃床、長く伸びた銃身。三八式の刻印。旧軍の三八式小銃。
ゆっくり起き上がり、自分の状態を確かめる。濃紺の詰め襟、編上靴。ひいじいちゃんが使ってた海軍陸戦隊軍装だ。
頭にはつば付きのヘルメット、腰のベルトには銃剣と小型南部拳銃、※弾薬盒。背中の荷物は、陸軍装備。食糧の入った背嚢、携帯天幕、飯盒に水筒。小円匙。
肩がけの雑囊はずっしりと重い。カタログのようなものが入ってたけど、確認は後。
とりあえず武器があるとわかって、ちょっと落ち着いた。でも、身体に全然違和感がない。ドールの身体に転生って言ってたけど?
それにこの装備のドールといえば…。
もう一回確認。
ひいじいの話を参考に作った軍装と陸軍装備。それに、ふくよかな頬、ふくよかな胸、ふくよかな(以下略)
あー、この身体って、「あんな」だわ。やっぱり。
「あんな」はフェスで見て衝動買いした、1/12サイズのドール。
なぜって、他人とは思えなかったから。体型とか。わたしによく似た子が売れ残るのもかわいそうだし。
小麦色の肌に黒髪。身長もわたしと一緒くらいだし、体型も…。そりゃ違和感ないはずだわ。
確かに思い入れは強いんだけど。
でも。
ドールに転生っていうから、いろいろ期待したじゃない。黒ゴスの魔女とか、和ロリの陰陽師とか、姫騎士とか。異世界でいい男に囲まれて過ごす、夢のような日々とか。
みんな里子に出したから、だめだったのかな?
もしかして、わたしの異世界生活、最初から残念?
しばらく放心したあと、気を取り直して出発。視界の悪い場所は危険だって、ひいじいが言ってたし。
それと、この子の装備はサバイバル向きだから、これで正解なのかも。密林でイブニングドレスとかは、ちょっと笑えない。
ん?おしりの下に革トランク。おしりが大きくて気づかなかった。
問題はそこじゃないか。これ、開くとドールハウスになるお気に入りの肩かけトランク。30cmくらいだから邪魔にならないし。主幹さん、初グッジョブです。
小銃とトランクを肩にかけて、とりあえず移動。念のため、拳銃はいつでも撃てる状態に。威力不足の7mmだけど、やたら長い小銃は、森の中じゃ使いにくい。
30kgの装備を背負っているけど、意外に動ける。元の身体より体力あるみたい。
だけど、歩きにくい。湿った重い空気、沈む腐葉土、まとわりつくクモの巣。ブーツに染み込む水分。
初夏の気温とはいえ、毛織りの第一種軍装は地獄の暑さ。この身体、やっぱり汗かくんだ。
何口めだろうか、水筒に口をつける。生ぬるい。それにアルミ臭。中身が減らないのはいいけど、重さも減らない残念仕様。異世界からの勇者には程遠い汗まみれ。勇者じゃないけど。
それにしても、なんでこんなに冷静なんだろ?『あんな』のキャラ設定が、どこかの戦技訓練生だからかな?身体の方に気持ちが引っ張られてるのかも。
2時間は歩いたころ、声が聞こえた気がした。
異世界で最初に出会うのは、モンスターっていうのがお約束だっけ。用心しすぎて損はないし。
近くの茂み身を潜め、ゆっくり背嚢を降ろす。ひいじいちゃんの昔話を思い出しながら、小銃を操作。挿弾子を挿し込み槓桿を引く。90度起こし押し戻す。弾薬盒は、残り55発。
ひいじいの無限ループ話に付き合って良かったけど、ますます女子力下がりそう。昨日まで婚活してたのに、今日はサバイバル。むせる。
いつでも発砲できる状態で、耳を澄ます。グギャグギャと破裂音の多い、獣じみた声が複数、次第に近づいてくる。
視界は20m。会話の通じそうな相手じゃないことは、何となくわかる。ためらったらやられるって、ひいじい言ってたな。
来た。20m先の木陰から、緑褐色の醜い小人。オンラインゲームでよく見るゴブリン、全女子の敵。
前面の敵。数3。
射撃姿勢は膝射。片膝を立てた胡座。
素早く照準を合わせ、引金を引く。
パカーンと密林に反響する銃声。社員旅行で撃ったライフルより、遥かに軽い銃声と反動。
秒速760mの普通実包は、狙い通りに頭部貫通。もう一射、同じく貫通。威力不足とよくいわれる三八式だけど、あれは嘘。ひいじいの話のとおりよく当たる。いい銃だわ。
残った一匹は、何が起こったか分からず混乱し、背を向けて逃げ出す。ためらわず、撃ち抜く。仲間を呼ばれたらまずい。
血と硝煙の匂い。むせる。死体は放置でいいか、触りたくないし。
弾丸を補充しながら考えてみる。ゴブさん前から来たから、このまま進むと遭遇率が上がりそう。わかりやすく反対方向に行くと、追手に見つかるかも。いくら銃があっても、囲まれたら終わり。
よくある異世界ものじゃ、ゴブリンに捕まった女子は悲惨。花婿がゴブリンなら婚活辞めるよ。
荷物をまとめ、足早に木々が薄い左に進む。さらに2時間、少しずつ木々が薄くなり、ようやく広場になったところが見つかった。
どうやら追手はないみたい。気が抜けて、その場にへたり込む。女子としてどうかと思う座り方だが、どうせ女子力低い。初日から、それにしてものハードスケジュール。もう寝たい。
寝落ちする直前、ドールハウスがあったことを思い出す。やばい。寝落ちしたらあの世行きだったわ。
肩から降ろした革トランクを、ゆっくり開いてみる。少し開いただけじゃ、何も起きない。
思い切って開くと、ぼふっと煙が上がり、格子戸が現れた。京都の町家なんかのあれけど、違和感半端ない。そういえばこのハウス、和モダンだったっけ?格子戸付けた覚えはないけど。
なんか納得できない部分もあるけど、疲れたからとりあえず入ってみた。
右手のスイッチで照明が付いた。
高い天井にルームファン、グレーの石壁にマリンランプ、窓は町家風の格子窓。絨毯は緋色に金の麻の葉模様。キッチンは北欧風のレトロモダン。
わたしの作ったドールハウスと同じ。ちょっと感動。
けど、感動はそこまで、すぐに落胆。
何もないのだ。例えるなら、入居前のマンション。家具がない。ベッドもテーブルも冷蔵庫も、アジアンなスツールも。大正レトロなタンスも。
愕然としつつも、そういえばと、雑囊の中にカタログみたいなものがあったのを思い出す。
タイトルは、「転生のしおり」と「異世界生活」、あと紙束。電信用紙?
薄い方の「転生のしおり」から読んでみる。
20ページの内容をかいつまんでいうと、
・ゲームじゃないからレベルとかはない。
・それぞれの世界ごとに特殊な能力があるらしい。
・死んだらそれまで。
・持ち込める物は身に着けていたものだけ。
・その他の物品の持ち込みは、原則禁止。
うん、シビア。
もう一冊の「異世界生活」は、写真入りのカラーで50ページくらい。内容は、ドール用品の購入用カタログ。これで追加購入してくれってことかな。
付属のはがきに記入して注文するみたい。
1/12サイズしかないのは、他のは処分してしまったからだろうね。
ただ、注意書きには、配送料(速達は割増)がかかる、届くまで1日(速達)〜数日かかるなど、いろいろ残念なお知らせが。昭和の郵便局か。
さらに、人里から10km以上離れたところには配送できないって。なので、ここじゃ多分無理。
普通こういうのって、スマホ持ってて、そこから注文、即納品が定番じゃない?
期待が大きかっただけにすごく残念。もう、ごはん食べて寝るよ。
キッチンが備え付け扱いなのは、ハウス本体にボンドでくっ付けたからかな?わからないけど、火が使えるのはありがたいよ。
背嚢に入ってた米を、飯盒で炊く。おかずは缶詰の大和煮。それと、粉末味噌で作った、具のないみそ汁。
異世界初の食事がこれって、どうかと思うけど。
とりあえずお腹の膨れたわたしは、急激な眠気に意識を手放した。
床に突っ伏して。
※用語
編上靴(編み上げブーツ)、弾薬盒(弾薬入れ)、背嚢(リュック)、携帯天幕(テント)、小円匙(スコップ)、雑嚢(ショルダー)、挿弾子(クリップ)
第3話予告
奪う者と守る者、そのおこぼれを狙う者。牙を持たぬ者は生きて行かれぬ異世界。あらゆる旅人が武装する、スティバーリ地方。ここは血に染まった魑魅魍魎が跋扈する大地。あんなに染みついた硝煙の臭いに引かれてマッチョな筋肉が集まってくる。
次回、『ゴリマッチョ』。あんなが見る、異世界の男はごつい。
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