禁断の果実
人里から少し離れた森の中の小さな家に、双子とその父が穏やかに暮らしていました。
弟のアスフとその兄のノスィは互いをアス、ノスと呼び合い、毎日二人で森に入っては泥だらけになって帰ってきていました。
しかしある日、弟が風邪をひいてしまいました。兄は街に薬を取りに行きました……しかし、彼は戻っては来ませんでした。
足を靴に突っ込んでつま先を地面に打ち付けながら、父親に出かけることを伝える。
「いいか、必ず帰ってこいよ」
無数に繰り返されたこのやり取りは、一度も途絶えを知らない。
僕はそれを望んでいないのに。
頷きドアに体重をかけ、いつもの空と森に挨拶をする。
「いつもと変わらない、な」
あれから一年、ノスは戻ってはこないままだ。
手がかりも全く無い手探り状態ではあるが、大切な一人だけの兄だ、諦めきれないアスにとって、兄の捜索はもはや日課となっている。
「今日は…東にしよう」
太陽に向かって足を踏み出す。これもいつもと変わらない。彼は今日もお日様が沈む頃、一緒に沈んで帰るのだろう。
映え渡る青空と対をなし、地面を睨んで歩き続けた。
しかし、今日はいつもとちょっと違うようだ。
こげ茶色の、広い山道の隅に転がった鮮やかな赤が、僕の視界にひょっこりやってきた。
丸みを帯びたそれは、太陽の光を反射して、沈んだ僕に突き刺してくる。
(この辺にリンゴの樹なんて見たこともないけど…)
不思議に思った僕は、リンゴの元まで歩いて行き、まるでなにかに引っぱられるように手を伸ばし、リンゴに触れた。その時から僕は知った。
変わらない日常なんて、ありえない
「今日もアスはノスを探しに行ったよ」
そう言って、アスの父親は、写真の中の美しい女性に話しかけた。
「ノスはどこに行ってしまったんだろうね…あの子までいなくなってしまったら、ここに住んでいる意味がなくなってしまう…」
「アス、そろそろ帰らないと叱られるぞ」
待ってくれ、ノス!リンゴの雨が降ってるよ!潰れちゃう!ーーーーー
「ああ、気が付いたな」
朦朧とした意識の中、僕はまだ夢と現実の区別が付けられていなかった。
「ノス……?」
「寝ぼけてんのか?俺がリンゴに見えねえ
の?」
(ノスじゃないのか…)
そう頭の中で呟いて目を開くと、見覚えのある果物が、大の字になって寝ている僕の顔を覗き込んでいた。
「…?人面…リンゴ?」
「失礼なやつだな、リンゴだって顔くらいあってもおかしくないだろ?」
僕は頭を打ったんだ、それかまだベッドでねてるんだな、と僕はしょうもない現実逃避をすることにした。
リンゴは片眉をググッと引き上げ、呆れた表情でこっちを見つめている。
「なに考えてんのか知らないけど、まず家に帰る方法を探すべきじゃねえの?まっさか、こーんな薄暗いところに住んでるわけじゃねえよな?」
僕を二発のショックが襲った。
ひとつ目は、完璧に日常が変わったこと。
ふたつ目は、日常が恋しいこと。
(てちょっとまってよ、変化ってのはそういう意味じゃなくって…)
しかし、この状況が変わらないことは明白だ。諦めろ。自分の本能がそう自分に言い聞かせているように感じて小さくため息を漏らし、立ち上がりながらひとまずここを出る方法を訪ねてみた。
「上に戻りたいんだけど…」
「ハッ!上に戻るって?ここを登るとかどうよ?まー俺はオススメしないけどね」
僕は上を見あげた。空がいつもの数倍遠くにあるように見える。
「まあ、ここから出る方法は俺にはわかんねえけど、とりあえず街に行ってみたらどうだ?誰か知ってるモンスターがいるかもしれんしな」
聞き慣れない言葉だ。
「モンスター…ってなに?」
それを尋ねる。
「人間じゃない生き物。ここでは全部そう呼ばれてるんだ。喋るリンゴがいるんだし、不思議じゃないだろ?」
要するに喋る虫とか鳥とかがいるということだろうか。
僕の頭の中で、足が沢山ついている、巨大な虫が遊びに誘ってくる様子が再生された。
「やあ、アス!僕と虫取りやらない?」
唖然とした。本気でいってんの?
気づいたら、呆れたリンゴの顔が、文字通り目と鼻の先にあった。
「ひっでえ顔してんな」
頭を振りつつ、僕はひとまずデカい虫との交流を中断した。
「悪いけど、街の場所を教えて欲しいなぁ…」
恐る恐る尋ねる。言動が横暴なリンゴに、僕は情けないことに萎縮してしまっていた。
しかしリンゴは何食わぬ顔で、こう言った。
「ん、ああ、ここをまっすぐ進むといい。俺はやることがあるから、まあ、その…頑張れよなっ!」
僕の質問に律儀に答えてくれたリンゴは、そのままぴょんぴょん跳ねながらあっという間に暗闇に消えた。
まるで逃げるみたいに。
「なんで…?」
不審に思った僕だったが、モンスターのことを思い出したので、虫との交流を再開しながら、進み始めた。
<WELCOME TO TRANCE ようこそ トランスへ>
僕は、そうでかでかと書かれた古い看板のある洞窟の入口で、困ってきょろきょろしていた。そこでふと、フサフサして黄色いシャツを着ている二足歩行のイヌを見つけた。それはこちらに近づいて、目の前で止まった。思わず体を仰け反らせてしまう。それに構わずイヌは顔をぐっと上げて、キラキラした目で元気よくこう言った。
「ねえねえ、どこから来たの?もしかして迷子?」
なんてフレンドリーなんだろうか。
僕は無邪気を無邪気で返せず、仰け反らせた体を戻せないまま
「ち、地上から来た」と答えた。
「えっ?…それじゃあ人間なの?…あーまずいよ!それはまずいよ…」
なんだか凄く焦っている。
僕は口を開けたまま、イヌの目を見つめた。
「ここにいると、人間は殺されるちゃうんだ。ノスターシールドっていう自警団に」
殺すというワードを脳が処理した瞬間、僕は冷や汗と共に顔を青ざめさせた。
「あ、でもここでは多分大丈夫だよ。
警備が薄い田舎だし、キミが悪い人じゃなければ、きっと優しくしてくれるよ」
思わず安堵した。しかし、これでは先に進めない。僕はイヌに、早く地上の家に帰らないといけないと伝えた。
「あ、そんじゃ、とりあえず僕の家に来なよ。他に行くとこ、ないでしょ?」
そう言って、彼は僕の手を引いて走り出した。
まだ出会って間もないのに、まるで兄弟と共にいるかのような、奇妙な安心感があった。
狭い洞窟ゆえに、ちょっと歩いたと思ったら、あっという間に彼の家が見えてきた。
その家は遺跡のような集落の、ある一角にあった。
「父さん、母さん、お客さんを連れてきた」
ノックをしながらそう言って、ジャックはドアの前から一歩引き、僕の横に立った。
ちょっと怖かったけど、出てきたのは優しそうな…イヌだった。
イヌは少し驚いたように見えたが、すぐに表情を和らげた。
「ああ、よく来てくれました。ようこそ。歓迎しますよ」
深く、低く、それでいて優しい声だった。
「ジャック、友達ができたのね。ささ、入って下さい」
次の声はゆっくりとしたトーンの、慈しむような雰囲気をしていた。やはりイヌだ。
この光景に全く驚いていない自分に驚いてしまった。
「ねえねえ、そういやキミ、名前はなんていうの?」
ちょっと戸惑ったけど、誤魔化すように、今度は親しみやすい感じで。
「アスフ・ルートだよ。言いづらいからアスでいいよ」
「僕はジャック。よろしく、アス。それじゃあ入ってよ」
リビングだ。緑の壁と、テーブルとイス、そしてソファにキッチンと、暖炉のついたシンプルな構成の部屋。とても温かみを感じる。
クローゼットのそばの台に置かれた像を見つめている僕に、父イヌが話しかけた。
「その像が気になるのかい?」
「ああ、いや…この像が、なんか気になって」
ほんとは緊張して、適当に見てるふりをしていたーなんて、言えるはずもない。
「それは私たちの守り神だよ。昔は地下にもいたんだ。不安でいっぱいだった私たちを照らしてくれた太陽がね」
みんな持ってるんだよ、と笑いかけられる。
優しい声と目尻に、心の緊張が緩んでいくのを感じた。
そのまま、イスにつくよう促され、父イヌも向かいに座った。
「それじゃあ、自己紹介するね。私はディープです。よろしく。それで……キミはここから出たいんだよね?」
僕はゆっくりと、自分の兄弟を探さなければならないと伝えた。
「そうか……」
ディープはとても悲しそうだ。
「できればここに住んで欲しかった。君はジャックの初めての友だちなんだ…それでも、危険を承知で、君は先に進むのか?」
僕は深く頷いた。躊躇いなく。
「そうか……話しておきたいことがある。ジャック、悪いが席を外してくれ」
ディープが視線を僕からジャックに切り替えた。
「ええ!僕も聞いておきたい!だって、きっと、僕が一緒にいればアスはシールドに殺されないかもしれないし、それに……」
ジャックの参加意欲の高さに、ディープは困り果てている。
「ジャック……その話はまた後でするから。少しの間だけ、待っていてくれ」
彼の主張を遮って、彼はため息混じりにたしなめた。
「……」
ジャックはしょんぼり肩を落とし、背を向けて部屋から出ていった。
ガチャン、という音を確認してから、ゴホン、と一拍置いて、ディープは口を開いた。
「さて、いきなりだが、実は、あの子は人間に殺されかけたことがあるんだ」
僕は目を見開いた。ディープは再度話し続けた。
彼の話は、こうだ。
彼は殺意に狂った人間の手によって重症を負い、一命を取り留めたものの、記憶を無くしてしまった。
その人間は突然現れた。血塗られた料理用のナイフを持って、食材の代わりにモンスターを刻んだ。
殺す度に強く、激しくなっていく。理性に穴が空いた、誰にも止められぬほどの強大な赤黒いオーラを纏った生き物。
しかしそれは、優秀な科学者たちによって地下深くに封印された。
しかし、あまりにも多くの犠牲を払った事件だった。
ノスターシールドは、それから出来たものだだった。
「あの子は変わらずいい子だ。素晴らしい私の息子…しかし、私も母さんも、元の名前であの子を呼んでやることが出来なかった。分かったんだ。昔のあの子はもういなくなってしまったことが。
それからはジャックという名前で彼を呼んでいる。二人目の息子として…」
「本当の名前は?」
僕が尋ねて、
「彼の以前の名はルークだ。いい名前だろう?」
ディープは目を細め、寂しさと愛しさの両方が込められた表情になる。僕はその裏にある悲痛さを敏感に感じ取っていた。
「どうせあの子は君に付いていくだろう。息子はそういう子なんだ…だから頼む。あの子の力になってくれ。二人で支えあって、きっとこの地下から脱出するんだ。いいね?」
僕はこれにどう答えたらいいのか、結局分からなかった。
その後、僕は寝室に案内された。
入ってすぐに白くてふわふわした布が見えたので、ドアを閉めてから、その柔らかさを堪能するのも忘れ、倒れ込むように一気に眠りに落ちた。
少女の声が聞こえた。
なんで、どうして
失望に纏われた嘆きが聞こえた。
彼らは敵じゃない、やめて…!
彼女は手を伸ばしたーーーー
僕は音が出そうなほど勢いよく目を開いた。
「うわぁぁあお」
ジャックがひっくり返っている。
彼は頭を降って、照れ隠しのように屈託のない笑みを見せた。
「す、凄い起き方するんだね。人間ってみんなそうなの?」
苦笑いで否定した。
布団をたたみ終わると、朝食の合図が聞こえてきたので、眠い目をこすりながら、朝食を頂いた。
うとうとしながら咀嚼すると、歯ごたえのある音と自然な甘みを感じ、皿の上に乗っておるものを確認すると、それがすべて野菜だと気づいた。しかし食べ終わると何故か満腹になった。味気の無さを除けば素晴らしくヘルシーで最高だ。
こんな感じで、なんちゃって脳内食レポートをしながら食をすすめ続けた。
「ごちそうさまでした!では、これ以上お邪魔できませんので、速やかに出ますね」
母イヌのシャローが、もう少し、と引き止めたが、遠慮した。サラダ生活を回避するという目的も兼ねて。
「本当に助かりました、お世話になりました」
深々とお辞儀をし、最大限の感謝を込めた。
「ああ、無事でいてくれよ」
「また来てね。アスフさん」
二人の厚意にもう一度頭を下げ、振り返って歩きだそうとした。
「ちょっとまって!」
ジャックがパジャマ姿のまま走りながら、僕を引き止めた。
「……やあジャック、起きてたんだね」
振り向かず、背中で答えた。
「なに勝手に行こうとしてるんだよ!僕もついていく!」
僕は黙って振り向き、どう答えたらいいのかわからず立ち尽くした。
「ジャック。本当に行くんだね……」
ディープが小さく呟く。
「当たり前だよ!このまま1人で行かせられる訳ないじゃないか!シールドの目が光っているんだ、ほっとくなんて無理だ!それに……僕の友達なんだ!
悪いけど、アス、父さん、母さん、絶対についていくからね!」
息子も父も、覚悟を決めた表情をしている。
「全く…だがこれだけは守れ。必ず帰ってきなさい。いいね」
父は息子の意志の大きさを感じ取った。止められないと思ったのか、止めるべきでないと思ったのか、それは彼にしかわからないことだが、一度失いかけた息子を手放すのは、どんなに辛いことだろうか。
アスは、自分の父親の、毎日必ず送られるあの言葉が、体中に染み込む気がした。
こうして僕はジャックの家を後にしたわけだが、どこに行ったらいいか分からないことに気がついた。
片手でぺちっとおでこを叩いた。
あちゃー。のポーズを見たジャックが僕に
「かめじいのところに言ってみようよ」
と言ってきた。
「かめじいはトランスに住んでるから、すぐに着くよ。さ、行こうか」
やがて、僕らは他より少し高いところにある、古ぼけた石の家の前に到着した。
「かめじい!遊びに来たよ!」
ジャックがそう言ってノックをすると、ドアを開けて『かめじい』が姿を現した。
「おお、ジャック、よく来たね。それに…珍しいお客さんもおるようじゃの」
その予想通りの姿に、思わず噴き出しそうになった。歯を食いしばりながら自己紹介をした。
「アスフ・ルートです」
口を動かさないので、ボソボソした喋り方になってしまった。
「?まあ、とにかく入りなさい」
促されるまま、ジャックとお邪魔した。
ヘンテコな部屋だ。ボロボロの地図、何故か地球儀、それに帽子が何十個もある。
三人がテーブルについた。
「そんないいもんは置いとらんよ。さて、何か用があってきたんじゃろ?
「うん。地上へ出る方法とシールドと戦わずに済む方法を教えて欲しいんだ」
ジャックがテーブルに手をついて、前のめりになりながら問いかける。
「人間の君は地上へ出たいんじゃな。しかし、申し訳ない。地上へ出る方法はワシにはさっぱりわからん。………じゃが、研究所に行けば、なにか分かるかもしれんぞ」
研究所。明確な目的地が決まった。
「それと、以前現れた人間の話じゃが、大体はディープから聞いているか?」
イエスで答える。
ジャックが僕を見やった。
「殺意の話をしてたのか…」
「そうだよ」
流石に名前云々の事は黙っておいた。
かめじいが、組んだ前足に顎を乗せながら、説明を始めた。
「それじゃあ、要点のみを伝えよう。奴は『殺意』と呼ばれておる。奴の強さの秘密はEXPと呼ばれるものによるのじゃ」
『EXP?』
ジャックと同時に尋ねる。
「EXPとは、研究所が発見した未知の物質じゃ。何故かモンスターの体の中に存在し、力を与える、意味のわからん存在。通称EN X POWER。つまりEXPじゃ」
「それが殺意とどう関係が?」
ジャックが真剣な面持ちで尋ねる。
「EXPは、生物を乗り換えて数を増やしていく性質がある。より強い個体へとな。ついでに宿主を強くする。殺意とEXPの関係はお互いにとって理にかなったもの。最悪の組み合わせじゃ。クソ喰らえってとこじゃな」
「それが僕達の中にも…」
ジャックは自分の体からEXPを見つけ出そうとするかのように頭を振り、背中や手足に視線を動かしている。
「どうせならわしには若さを与えるものが欲しいのう…エン・ヤング・パワーとかないんかい!だっはっはっ!」
見れば見るほど、モンスターは人間と変わらず表情豊かで、確かな心を持っていた。奇妙な感覚だった。
「おっほん…まあ、つまりじゃな、EXPを稼げば、シールドに対抗出来るんじゃあないか?おそらくお前さんはそういう機会にいくつか出くわすじゃろうしな」
「あ、じゃあシールドってどのくらい強いの?」
ジャックの質問に重要性を感じ、ずずっと体制を前に傾ける。
「おっと、そうじゃそうじゃ、EXPはある程度集めるまでは強さに反映されない。一定の量集めるとレベルアップと言ってな、突然体がなにかに包まれる感覚になり、そこで強くなれるんじゃが、兵士は2、3回はレベルアップしている。つまりレベル3か4くらいじゃな。そうすると、隊長は6。めちゃ強いぞぉ」
「ひえ〜こりゃ会わないことを祈るしかないね、アス」
僕は重々しく頷く。恐らく、これからレベルアップしたとしても、隊長はここで最強のモンスターのはずだ。なるべく関わらないのがベストだろう。
「そういえば、殺意は封印されてるんですよね?出てきちゃったりしないんですか?」
何気なく尋ねたつもりが、おじいさんの笑顔が凍りついた。
「あぁ…んーとな、多分、いやいつか必ず出てきちゃうじゃろう」
今度は僕が凍りつく番だった。
「それじゃあ…僕たちはどうなっちゃうの?」
ジャックは恐る恐る尋ねた。
「うむ、みんなやられちまうな」
「で、でも、EXPを集めて戦えば、勝てる可能性だって」
僕はすがるようにそう言った。
「ない。単純な殺し合いで奴を上回ることは出来ん。奴は殺意に飲まれておる。こと殺しに関しては、地上でも奴には叶うものはおらんじゃろう。同じようにEXPによるレベルアップで強くなろうとしても、奴に勝てるようになるまでとなると現実的じゃない」
「それじゃあ、ここはまた殺意にメチャクチャにされちゃうってこと?」
ジャックは慌てている。
「そうじゃな、そこは研究者に任せるしかない。それに、他のモンスターも恐らくもう諦めているじゃろうな……まあ、人間のあんたはここの住民じゃないんだから、なるべく早く地上に帰りなさい。少しでも命が救われるなら、ワシらもうれしい」
目の前の老亀は、静かに微笑んでいる。僕はなにも答えることができなかった。
「それじゃあ…とりあえず研究所に行こう、アスは家に帰らないと」
「……」
僕は迷っていた。このまま家に帰っていいのだろうか。ここのモンスターたちはみんな死んでしまうというのに、それを知っても人間だからといって見捨てていいのか?
しかし、ここにいてはシールドに見つかったら殺されてしまう。殺意を倒すなんて到底不可能だし、研究所に任せるのが最善策だろう。そうだ、自ら危険に突っ込む必要は無い。そもそもここは彼らの場所だ。彼ら自身で解決すべきだ。僕は家に帰ってノスを探さないといけない…なら、僕は彼らの分も生きればいい。それで彼らも報われる…。
「そんなこと…できるわけ…ないっ…!」
ジャックは僕の異変にすぐ気づいた。僕の言葉の意味をすかさず処理し、神妙に問いかける。
「アス…まさか殺意と戦うつもりなの?」
僕は何も言えなかった。
ジャックは悲しそうに僕をみている。
「アス……かめじいも言ってたけど、殺意が暴れてキミも死ぬのは一番ダメなパターンだよ。キミには家族がいる。兄さんだって行方不明なんでしょ?じゃあ、誰が探すんだよ?」
僕はきっとジャックを睨んで、激情のまままくし立てた。
「じゃあ、キミが僕だったらここから出られるか?沢山のモンスターがここに生きていて、これから頭のおかしい殺人鬼に皆殺しにされるんだぞ?それを知っていてこれから生きていくなんて僕には出来ない!キミだって、キミの親だって、かめじいだって……もう知ってしまった!僕の中にはもうキミたちがいるんだ!これから死ぬモンスターたちをね!それに……ノスは、兄はもう死んでるさ、その事実から逃げてただけなんだよ!」
ついに口に出してしまった。もうだめだ、止まらない。
ノスはきっとこの世にいない。
父とももう会えない。
モンスターも僕も死ぬ。
どうしたらいい?
無理だ。どうしようもない。
「アス、諦めてしまうのかい?」
ジャックがもう一度尋ねるが、
「そうだ。僕には何も出来やしない…」
俯いた僕は完全に諦めモードで、なんの希望も持たず、何もせず、ただ滅する時を待つ愚者そのものだった。
その様子を見て、ジャックが熱っぽく語り始める。
「アス、僕が前に大怪我をした時も、両親は諦めなかった。だから僕は生きてるんじゃないかな」
僕はそれでも俯いたまま。
「……キミの気持ちも分かるよ。全てが嫌になる気持ちも。でも、本当に諦めていいの?残った可能性を信じないの?アスはそれでいいの?…それに…みんなを、アスフを死なせたりしない。僕だって、やれるだけやってやる」
僕ははっとして顔を上げた。
ジャック人差し指を、空に向かって伸ばしていた。
その目には、確かな光が宿っていて。
嫌でも比べてしまう。僕は自分の絶望に浸って、努力することを放棄した。自分に出来ることがないと信じ込んで。
だけどジャックは光を見ていた。僕が目を背けて、見ようとしなかったそれを見つめて指を指している。
すぐそばで、導いてくれる太陽に。
僕は先程の考えを叩き捨て、ジャックと共に、光を逃がさないように、遠い太陽に向かって進むことにした。
大変なのは分かっている。どれだけ遠くたって、迷ってる暇はない。今はただこの頼もしい友を信じるのみ。
「ごめん、ジャックは強いんだな」
「そんなことはないよ。親から諦めることは良くないって育てられてきたからかもね……それから、僕はアスと一緒に殺意に立ち向かうことに決めた。だから約束してくれ。もう絶対に諦めないって」
僕は思いっきり頷いた。
そして二人はニッと笑って、拳をぶつけた。
「とりあえず研究所に行こう、もしかしたら戦う必要さえなくなるかもしれないんだから」
「それまでにシールドに見つからないようにしないとな」
僕らは歩き出す。もう道に迷うことは無い。
しかし、この時はまだ知らない。自分が何に戦いを挑もうとしているのかを。
何を守り、何を成し、また何を背負うのかを。
僕はまだ、知らない。
第1部 禁断の果実 終
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