第6-1話 出会い①
「ここどこ? 今私はどこにいるんだ?」
彼女、シェリア・ラグ・パストラールは迷子であった。
サルバドールに着いた次の日、せっかくの休暇を楽しもうとアリアとともに街へと繰り出した。最初の方はなんてことない普通の買い物であり、この世界で初めて見る品々に彼女はその視線を奪われた。
それが悪かったのだろう、気づけばアリアとはぐれ、見知らぬ土地に一人取り残されてしまった。それを何とかしようと必死に人混みの中を進んではアリアの姿を探したが、アリオンとは比較にならないほどの人の多さに断念せざるを得なかった。
さらに悪いことに、その人混みのせいで、道が分からなくなり、どこに行けば宿に帰れるのかまったく分からなくなっていた。
ならば周りの人に聞けば良いのだがそんな気も失せていた。
というのも、彼女を通り過ぎる人のほとんどが彼女をジロジロと見ているためである。当然だが今の彼女は男女問わず十人が通り過ぎたら九人は振り返るような美貌を持つ人物である。アリオンでは町の住人が彼女に慣れている影響でそのようなことはなかったのだ。しかし、別の町であればこのように注目を集めても仕方がないであろう。
故に声をかけづらく、最終的に声をかける気力さえも失われてしまった。
『はぁ、ちゃんと周りを確認しないからですよ』
「じゃあアイリス姉、道案内をしてよ。そう言うんなら道ぐらい分かっているんでしょ?」
『……あっ、空に綺麗な蝶々がいる!』
「よし分かった、今から貴方のことはポンコツ姉さん、略してポン姉って呼ぶことにする。オーケー?」
『やめて! 私が馬鹿っぽく思われるから絶対にやめて!』
そう言って拒否してくるポン姉ことアイリスを無視しつつシェリアは今後どうするかを考える。まず目立つことはしたくなかった。国や騎士団の内情を聞いた後だ、目立ったしまうことで目を付けられ、貴族などの面倒ごとに巻き込まれないようにしたかった。
それを考えると、屋根を使っていくというのは難しいだろう。
だが、現状ではそれをしないと迷ったままであることは明白である。危険を冒して行くか、それとも地道に行くか、天秤を掛けている時だ。彼女の目にある光景が入ってきた。
人があからさまに避けて通っている場所、そこには柄の悪い冒険者達とフードを被った彼らよりも背が低い人が立っていた。そしてそこから聞こえてくる会話は次の通りであった。
「おいおい、いつまで黙ってるんだお前。こっちはお前にぶつかられたところが痛くてたまらねーんだよ」
「さっさとコイツの治療代を出しやがれ。それともそのフード引っぺがして無理矢理はぎ取ってやろうか」
その声を聞いたシェリアは頭が痛くなるような気がした。フード姿の人は典型的な当たり屋にあったようである。ぶつかったと主張する人物は腕を押さえているが、まったく痛そうにしていない上にその言い方はチンピラそのものだ。
『柄の悪い冒険者達ね。どうするの、シェリア?』
「うーん、どうしようかな」
周囲を見渡すが、誰もが巻き込まれることを恐れているのか、ちらっと視線を向けるだけでそのまま通り過ぎていく。その様子を見ていられなかった彼女は動き出す。
(昨日の今日だけど、相手は冒険者だからさっさと逃げれば問題ないだろう)
そんなことを思いながら、シェリアは早歩きでその人の元に行く。そしてその人の手を取ると、
「早く、こっちだ!」
そう言い、その手を引っ張って走り出す。それに最初は唖然としていた冒険者達だったがすぐに我に返るとシェリアたちを追い始める。
「待ちやがれこのアマ!」
この状況で待てといって待つ者は当然いない。彼女たちはその追ってくる声が聞こえなくなるまで走り続けた。
しばらく走り続けた二人は、建物と建物の間の小さな路地に逃げ込んでいた。その入り口からシェリアは顔を出し先ほどの冒険者たちが追ってこないか見る。
逃げている間に声が聞こえなくなっていたが、まだ追ってきていることを考えており、彼女は注意深く来た道を見ている。
「撒けたなら良いけどな……」
そんなことを呟きながらチラリと隣にいるフードをかぶった人を見る。
逃げる際にシェリアは彼の手を引きながら走っているときは、ある程度手加減して走っていた。当然ながら常人が彼女の全力について行けるわけがない。馬のように速く走れるわけがないし、体力も無限ではない。その事を分かっているため、走りながら相手の動きを観察し調整していた。
しかし、その人は彼女に着いてきた。ペースを上げても難なく追いついてくるだけでなく、息が上がっている様子はなかった。
(何者なんだ、この人?)
しばらくの時間が経過し冒険者達の姿が見えなかったため、完全に撒いた考えた彼女は。ふぅ、と息を吐くとその人物に体を向ける。
「どうやら撒いたようだ。で、大丈夫かな、君は?」
冒険者たちの姿が一向に見えないため無事に撒いたと思ったシェリスは隣にいる人物に声をかける。その人物の身長は彼女よりも少々高いがフードを深くかぶっているため顔は口元しか見えない。姿は怪しかったが嫌な雰囲気は感じていなかった。
「はい、助けてくれてありがとうございます。えっと……」
「シェリア・ラグ・パストラール。シェリアでいいよ。で、何であんな連中に絡まれていたの?」
「ああ、えっと、武器とかを買いたいと思っていて町を歩いていたんですが、その時偶然あの人たちと肩が当たってしまったようで。後はおそらくシェリアさんが見た光景のままですね」
「典型的な因縁付け方だね。なるほど、よくわかった。それにしてもなんで町中でそんな格好をしているの? そんな格好をしていれば因縁をつけられても不思議じゃないし、せめてフードを外すとかした方がいいと思うんだけど」
「うっ、やっぱりそうですよね。でもあまり誰かに見られたくないって言うか、見つかりたくないって言うか……」
「もしかして君、泥棒だったりする? もしそうなら今すぐ君を捕まえて衛兵に突き出さないといけないけど」
「えっ、それは困る! 泥棒じゃないから突き出さないでください!」
「だったらフードを上げて顔を見せて。私はこの町……ていうかこの国の住人じゃないから大丈夫だし」
「そうなんですか? それじゃ……」
そう言ってフードを上げるとそこにあったのは黒い髪と黒目を持った一人の少年だ。身長はシェリアよりも少々高いくらいで、顔つきから高校生程度の年齢と推測できる。
(黒髪に黒目か。日本人のような顔立ちだけど、似ているだけだろう)
この世界において同じような髪色と目を持っている人を彼女は何度も見たことがある。顔立ちこそアジア系の人は見たことがなかったが、そんな人もいるのだろうと彼女は思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「俺は三神裕也って言います。あっ、こっちだとユウヤ・ミカミですね」
「そうか、ユウヤ君っていうのか、よろしく……ん?」
彼の言葉に違和感を抱いた彼女は頭の中でそれを判読する。
さて、この世界での名前の基本は名前が前に、そして下に名字がつく。彼女の知る限りこの形が基本だ。にも拘わらず彼はそれの逆で言った。となれば考えられるのは彼女が知らない地域から来たか、もしくは話題となっている異世界、つまり彼女の故郷から来た人物であるかのどちらかである。
「君、出身地はどこなの?」
嫌な予感がしつつ、彼女はそう質問を投げかけた。もし、自身の考えが間違っていなければやっかいな人物に関わった可能性があるだろう。彼女は心の中で間違っていることを祈る。
「えっと、日本って国です。ここから遠い国なんですけど……」
(オーマイガー……。この少年、件の勇者様じゃん、なんて偶然だ)
一度は会ってみたいと思っていた人物であるが、このタイミングで出会えるなど誰が予測できるだろうか。当然彼女の思考は停止し、じっと彼を見ている形となる。
「あの、俺の顔に何か付いていますか?」
「あ、いや、なんでもない、なんでもないよ!」
さて、そう焦り誤魔化すように言ったシェリアであったが、何を話そうかと考え始めた彼女の沈黙の時間が始まる。
(世間話をするか? いや、そんなことをしても意味はないだろう!? だったら私は同じ日本から来ましたっていうか? いや、そんなことを言ってもしこの国の王族にばれたら何をされるか分からないし……。こうなったら――)
思い立った彼女はクルッと体を正反対に向け、そして首だけを彼の方に向けるとこう言った。
「じゃ、そういうことで」
彼女が出した答えは”逃げる”である。
一度は会いたいと思った相手であるが、その立場を冷静に考えた結果、あまり関わりたくなくなったのだ。自身の力や王国を渦まく状況を考えればそうなるのも当然だろう。
そう告げたシェリアはクルッと体の向きを変えて離れようとする。が、そうしようとした彼女の左手を裕也が掴んだ。全身のあちこちから冷や汗が湧いてくる。
「ど、どうしたの? 何か私に言い忘れたことがあるのかな?」
さび付いたロボットのような動きで首だけ彼の方を向くシェリア。
「あの、せめてお礼だけでもさせてくれませんか? さっき近くに飲み物屋みたいなものがあったんで奢りますよ?」
「いやいや大丈夫だって。だって私大人だし、ジュースぐらい自分で買えるから」
「いや、それでも飲み物ぐらいおごらせて……ん?」
と、そこで言葉が止まり、彼は考え込むように視線を落とす。何か不味いことでも言ったか? と、そう考えたシェリアであったが、手は捕まったままであるため逃げることが出来ない。少しの沈黙の後、再び彼は視線を向けてくる。疑うような表情とともに。
「あの、この国に来ていろんな言葉を覚えたんですけど、ジュースって単語がなかったんですけど……」
そこでシェリアは自らの失態に気づく。
彼女は今まで何気なしにこの世界の言葉を使っていたが、たまに意味が通じない時もあった。それは単語であり、ことわざであり、とにかく様々だ。とは言え、この世界の住人であればただその意味を教えるだけであり良いため、特に問題が起こることはなかった。
では現状ではどうか。相手は自身と同じ世界から来た人間である事は間違いない。となればこの世界にない単語を言えば当然怪しまれる。
「そ、それはあれだよ、国が違うからさ、私の故郷にはいろんな飲み物をジュースっていう風習みたいなものがあってね」
シェリアは頭をフル回転させて、なるべく怪しまれないように無難と思われる答えを導き出す。それで納得したのか、裕也からの視線が元に戻る。
「あ、そうだったんですね。言われてみれば国が違うんだから確かにそうだ」
「そうそう、その通り。まったく思春期真っ盛りの子は早とちりしやすいな」
「あの、思春期って言葉もなかったんですけど、国が違うからですか?」
再び失言。誤魔化せたと思った気の緩みからである。彼からの視線にシェリアは明後日の方向に顔を向ける。どうにかしなければ、そう考えるシェリアであるが、彼女のやらかしは止まらない。
「そ、その通りだよ、さっきと同じで国が違うから。思春期って言葉あるから。君みたいに高校生くらいの子にも使うから……」
「……その、高校生って言葉も国が違うからですか?」
「その通りだよ。まったくもっと他国の文化に寛容になったほうがいいぞ。そう、それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで――」
「ダウト、完全にダウト! そんな言葉、異世界にあるわけないだろうが! ていうかいい加減にしろよ、さっきからボロを溢しまくっているじゃねーか! しかもそのたびに回答や態度がめちゃくちゃになってるし! わざと? わざとなの!?」
「ち、違うよ、国が違うから——」
「うるせぇ、そんな言葉が今更なんになるんだっつーの! なんでも国が違うって言葉で誤魔化しきれると思ってんじゃねーぞ!」
完全にアウト、試合終了である。
誤魔化そうとして考えれば考えるほどパニックになっていき、次から次へと失言をかましていくシェリアに裕也の不信感は最大値に達した。もはや彼女が何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。
『絶体絶命ね』
そう内側から姉が呆れた口調で言ってくる。しかしシェリアは諦めていなかった。きっとこの状況を打破する方法がある、勝利の方程式が存在する。そう思いながら脳のニュートロンネットワークを回し続ける。
(そうだ、ここは異世界だ。ならばあちらの世界で出来ないようなことをすれば誤魔化せるかもしれない。いや、きっとそうだ)
シェリアはゆっくりと彼の方に体を向ける。そして捕まれていない右手を顔の上の方に持ってくる。そして猫の仕草をするように手の形を変え、口から小さく舌を出しながら彼女は言った。
「てへっ」
彼女が出した答え、それは可愛らしい仕草をすることでどうにか出来るだろうというものだった。そう、すでにパニックになっている彼女の思考は正常な判断を下せなくなっているのだ。その状況で考えてもろくな答えは出ないだろう。
そんな彼女の行動に、裕也は空いていた手を拳に変え、彼女の頬にたたき込んだのだった。
「あのー、男が女性に手を上げるのはどうかと思いますー。男は女を守る者じゃなんですかー?」
「うるせぇよ、現代日本は男女平等なんだよ。それくらい大人なら許容しろ」
壁に背もたれながら立ち、赤くなった右頬をさすりながら、不貞腐れた様子でシェリアは言う。それに対し同じように壁に背もたれながら、よほど先ほどの行動に苛ついたのだろう、吐き捨てるように裕也は答える。
「で、あんたも俺と同じ世界から来たんですか?」
「多分ね。よくSFにある平行世界とか、そんなのじゃない限りそうだと思う。もっとも召喚された君と違って、向こうの私はすでに死んでいるけどね」
「死んでいる? 事故か何かですか?」
「上から建築用の鉄骨が振ってきたようでさ、それが直撃してグチャッてね」
そう手で押しつぶすような仕草をしながら話すシェリア。裕也はその光景を想像したのか、心底嫌そうな表情で顔をそらす。
「うわぁ、絶対そんな死に方はしたくねー。ちなみにこの世界に来てからどのくらい経つんです?」
「1年と半年ぐらいかな? 今は冒険者をやっていて生計を立てているよ。君はどのぐらいなの?」
「俺も同じぐらいですね。学校から帰るためにバスを待っていたら、この世界に召喚されたんですよ。で、今日まで勇者になるための訓練や勉強とかしていましたね」
「へぇー、召喚された時はどんな感じだったの?」
「なんかよく分からない部屋でしたよ。そんなところに呼ばれて、さらに勇者って呼ばれて大混乱です。で、それを断ったらいきなり眠らされて監禁されました」
「うーわ、ひどいな。元の世界には? 帰れるんでしょ?」
そう軽く言う彼女に裕也は一瞥した後、不安げな表情で空を見上げる。それにつられてシェリアもそれを見る。建物の間に見える空は雲一つなく晴れ渡っていた。
「……一応俺を召喚した姫様は必ず帰れるようにするって言っていましたよ。どこまで本当か分からないですけど」
「そっか……」
晴れ渡っている空とは裏腹に彼の心の中には不安な気持ちでいっぱいなのだろう。
見知らぬ世界に召喚され、帰れるかも定かではないとなると気が気でないのは当然だ。
「それで勇者の君がなんであんな所にいたの? 話を聞くかぎり、君はどうみてもこの王国にとってVIPみたいなもののはずだし、そんな人が一人でいることなんてあり得ないでしょ?」
重くなった空気を払うかのようにシェリアは気になっていることを問いかける。勇者と言うことは彼がこの王国の重要人物であることは間違いない。にも拘わらず彼は護衛の一つも付けずにここにいる。隠れているのか、そう思ったシェリアは周囲を見渡すが怪しい人物は見受けられない。
「実は少し前に一週間に1度は外に出てもいいって約束をしたんですよ。で、護衛をつけるって言われたんですけど、余計目立つから良いって断っているんです。でも、大抵隠れて護衛していますから、その度に撒いているんですけどね」
「やっかいなVIPだな、護衛を担当している人たちは可哀想だ。それじゃ今日もそうなの?」
「はい」
その答えにシェリアは心底呆れたような表情をしながら顔をそらす。
「……大丈夫なの、私? 勇者と話していた不審人物として捕まったりしないよね?」
「大丈夫ですよ、もしそうなったら俺から姫様に言うんで。で、逆にシェリアさんは何をしていたんです?」
「何をやっていると思う? 驚くなよ、迷子になっているんだ」
「どや顔で言える台詞じゃないですよね、それ。大の大人がクッソ情けないこと言っているだけですよね」
と、まるで自慢するかのように語るシェリアに、彼は駄目な人を見るかのように目を細める。それを見た彼女は口を細め不貞腐れる。
「仕方がないじゃん、ここは広すぎるんだから。もっと田舎者に優しくしてほしいよ……。ちょっと待てよ、裕也くんだったよね、ここのギルトがどこにあるか分かる?」
「はい。知ってますよ。それがどうかしたんですか?」
それを聞くとシェリアは腕を組み考え込むように目を閉じる。そして考えをまとめると、彼に顔を向ける。
「あのさ、君はこの後その格好で町を回るんだよね? そうなるとさっきみたいに因縁を付けられる可能性があるよね」
「ですね。でもそれがどうかしたんですか?」
と、不思議そうな表情を向けてくる裕也に彼女は続ける。
「要はそんな格好で一人で歩くから因縁をつけられるわけだ。つまり誰かと一緒であればそんな危険も小さくなるということ。だから君は私を道案内する。その代わり、私が君を護衛するというのはどうかな?」
「えっ、いやそれは悪いですよ、いくらなんでも」
「やっぱり、初対面の人は信頼できない?」
「確かにいい年して”てへっ”とかふざけたことや、道に迷った事をどや顔して言う大人なんて信頼できないですからね」
「ちょっと辛辣すぎない!? もう少しオブラートに包んで! 泣いちゃうよ、私」
「でもそうですね……。良いですかお願いしても? 俺としても今日は目一杯楽しみたいので」
「うん、引き受けた!」
「それじゃ俺の行きつけの場所に行きましょう。シェリアさんも楽しめる場所ですよ」
「本当に? 教えて教えて」
そう言い合いながら二人はともに路地を出て行った。
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