第5-1話 王都サルバドール①

 ――二週間後。

 

 この頃の彼女たちの姿は、王都サルバドールまでの最後の山を越える所まで来ていた。比較的緩やかな坂が続く標高の低い山であり、彼女達はその最後の坂を越えようとしていた。左右は崖になっており、進んでいる街道はその谷底に当たる場所に作られていた。


「ここを越えれば、あと少しで王都に着くな。長かったぜ……」

「そうね。私、もうゆっくり宿で休みたいわ……」


 そう言うウィルとアリアの言葉には、疲労という色がふんだんに含まれているようだった。運が悪かったのであろうか、ここに辿り着くまで幾度となく魔物による襲撃を受けていた。

 街道はある程度安全と言うことであったが、予想以上に起こった襲撃は彼等の体力を大きく奪っていた。

 途中、間にある都市で休憩を行ったが、それでも体力の回復は追いついていないようであり、その結果がこれであった。また、ウィルたちと同じように魔物との戦いに馴れているだろう、ダレンたち騎士団も疲労困憊と言った様子だ。


「情け無い奴等だな。俺やシェリアちゃんはなんともないっていうのによ」


 と、ロイが自慢するかのように腕を組み、その状況を見渡した。ロイの言うとおり、彼とシェリアは元気であり、シェリアはそんな彼等の代わりを務めるように目を細め、立ちながら周囲を監視している。その顔に疲労の色は全く見えなかった。


「うるせぇな、俺たちは筋肉バカのお前と違って繊細なんだよ。もうちょっと大事に扱え」

「おいおい、それを言ったらシェリアちゃんは何なんだよ? 俺みたいに筋肉なんて鍛えていないんだぜ。それにお前等に比べたら遙かに繊細に見えるぜ?」

「あいつは特別製だ。一緒にするな」

「でも、本当にシェリアさんは疲れていないように見るわね。何かコツでもあるの?」


 そんなアリアの言葉にシェリアはどう答えようか困ってしまう。


『神様から貰った特別製の体なので疲れ知らずの体なんですなんて言えないわよね』


 姉の言葉にシェリアは心の中でうなずく。到底言えるような台詞ではない。


「そうですね、いつもクエストで無茶をしていれば、次第に馴れてきますよ?」


 と、相手側も反応に困るような回答を、彼女から顔を逸らした状態で言う。


「いや、無茶って……」


 案の定アリアの反応は微妙な感じだ。それを聞こえないふりをしながら、シェリアは周囲の監視を続ける。


「にしても、妙に襲撃が多かったな。ダレンの旦那よ、街道はある程度安全って聞いていたが、これじゃそれには程遠いように見えるけどよ」


 ウィルの言葉にダレンはばつが悪そうな顔をしながら目を泳がせる。


「俺もこれは予想外だったんだぜ? 勿論、襲われないと保証するほどじゃないが、実際に街道で商隊が襲われる回数は、俺たちが巡回を始めてから激減していたんだからな」

「それが本当ならこれは時の巡り合わせが悪かったのか、それとも誰かに仕組まれていたのか。どちらにしても襲撃は止んだから良いけどよ」


 ウィルの言葉通り、王都周辺になると魔物の襲撃はピタリと止んでいた。その事からシェリアの心の中には何らかの意図的なものを感じていたが、確証はなかった。

 思考の海に沈みそうになっていたが、彼女はそれを振り払うと再び神経を周辺に向ける。周囲は崖に囲まれて、周囲の見通しが利かない。襲撃には持って来いの場所である。それが分かっているからこそ、彼女が神経を尖らせているのだ。


 やがてそんな状況も終わりを告げる。


 左右にある崖が低くなっていき、目の前の坂が途切れているのが見えてきた。


 ――もう少しで王都に着くのか、とシェリアは安堵の溜め息をつく。そして他のメンバーももう少しで終わることに気付いたのか、表情を緩ませ始めた。


「ようやくか。ったく、とんでもない旅路だったな」

「本当にね。でも、帰りもあの道を通るのよね? それを考えると嫌になってくるわ……」

「おいアリア、余計なことを言うんじゃねぇよ。俺までそんな気持ちになってくるだろうが」


 若干暗い雰囲気になっている一行であるが、いよいよ彼等の商隊が坂の終わり、下り坂に差し掛かった時、そこから見えた景色にシェリアは目を奪われた。


 そこに見えてきたのは、視界いっぱいに広がる平地で、そこにアリオンとは比べ物にならなくらいの大きな都市が造られていた。遥か向こうの方には船のような物体が幾つも並んでおり、そこに大きな港が作られていることがよくわかる。その都市に向かっていくつかの街道と三本の大きな川が流れ込んでおり、物流の拠点としては立地が非常に良いだろう。

 都市の隅々を見ていくと、イタリアにある古代ローマの建築物、コロッセウムのようなものも見受けられた。


 そして一番目を引くのは都市の中央あたりに鎮座している建築物だろう。

 それはどの建物よりも巨大な建物であった。周囲をいくつもの壁で囲み、中央にはいくつもの塔が設けられている城が建てられていた。その佇まいからそれがこの国の王が住む城であることが感じ取れる。


「驚いたか? あれが王都サルバドールだ」

「はい、もの凄く……です」


 いつの間にか隣に来ていたウィルがそう問い掛け、彼女は小さく笑いながら答える。目の前に見える都市はこの大陸での二大大国の一つとして、決して恥じないほどのものである。驚嘆を覚えないわけがない。やがて街道は徐々に石畳の路面へと変化し始めた。

 さらに王都に近づいていくと、街道沿いに建物が徐々に現れてくる。その数は王都に近付いていく度に増えていく。流れていくそれらを見ながら馬車は更に進んでいくと、他方向から来た街道と合流する。そこはシェリア達が通ってきたものよりも広いものになっており、そこにはいくつもの馬車が通っていた。

 その街道に入り、進んでいくとやがて王都の関所に辿り着く。そこには馬車の車列が幾つもあり、それが5つの列に分かれて自分の番を今か今かと待っていた。


「さすがに多いですね。アリオンでの混雑とは比較になりませんよ」

「そりゃそうだ。にしてもここまで多いとは、街道がある程度安全になったって知れ渡ったのか?」

「もしそうだったら俺たち騎士団としては有り難いことだ。俺たちがやっていることが無駄じゃないって分かるからな。しかし、これは時間がかかりそうだ」


 そう言ってダレンは目の前に広がる順番待ちの列を見ながら馬車の壁に背を預ける。


 ――2時間後。ようやく彼女達の番となり、簡単な検査の後に中に入ることが出来た一行は道なりに王都の奥へと進んでいく。広い道はアリオンのそれに比べるととにかく広い。しかし歩道の区分のようなものはなく、それぞれが自由気ままに行き来している。そんな光景をシェリアは物珍しげに見渡していく。まだここは王都の端の方であるが、行き交う人は多い。


「ここでこの数か。今はまだ順調だが、もっと奥に進んでいけば進めなくなるだろうな。まぁ、到着は夕方だな」

「詳しいですね。もしかして騎士団にいた時はここに住んでいたんですか?」

「ああ、騎士団学校もここにあるからな。町の中心部は凄いぞ、馬車が進まないなんて日常茶飯事だったからな」

「確かにウィルの旦那の言うとおりだ。でもよ、もしかしたら到着はもっと遅れるかも知れないぜ」

「それはどういうことなんですか?」

「進んでいけば分かるぜ、嬢ちゃん。ま、楽しみにしてな」


 ダレンの言葉に首を傾げながらシェリアは再び周囲の景色を眺め始めた。

 王都の中心部に近付いていくと、徐々に建物の数が増え、行き交う人も比例して増えていった。やがて都市部に入ったとき、あちこちの建物にはいくつもの橫幕や飾り付けがされて居るのに気付く。書かれていることは様々だが、一つ共通する単語があった。


「勇……者?」

「お、気付いたか嬢ちゃん? 5日後に勇者様が町を練り歩くから、その準備をしているんだぜ」

「ねぇ、ダレンさん。もしかしてその勇者って王国が異世界から召喚したっていう人かしら?」

「ああ、その通りだぜアリアさんよ。名前はユウヤっていうらしくてな、俺も会ったことはないけどよ、黒い髪と黒い瞳を持つ優しい人物だって聞いているぜ。で、その人がこの王国を救うために戦ってくれるそうだ。今回は市民への顔合わせを行った後、アリーナで勇者様の力を見せてくれるそうだ」

「へぇー……」


 シェリアはそう返しながら、異世界から召喚された人物について考えていた。

 黒い髪、黒い瞳。この特長は彼女が知る日本人の特長だ。元々は日本人であり、20年間はそれだったのだ。しかし、それは本当に彼女が知る者なのだろうか。


(さすがに同じ世界から召喚されるなんて偶然は起きないよな? でも、もし同じ世界から来たのなら……)


 一度会ってみたい、そう思った彼女はダレンに話を振る。


「ちなみにその勇者って今どこにいるんですか?」

「お、嬢ちゃん興味があるのか? 勇者様は召喚された王城で訓練をしている、っていうもっぱらの噂だ。けどそれ以上は知らないんだよ。俺?等のような下っ端には、噂以上の情報は流れてこないからな」

「そうですか」


 その答えに彼女は落胆した。その話が本当ならば、その人物に出会うには王城に入らなければならない。この大陸の二大大国であるこの国の主が住まう、あの城にだ。当然部外者である彼女が入ることなど出来るわけもなく、シェリアもそれは分かっていたからこそであった。

 その時、馬車が何の前触れもなく止まる。


「あれ? もう目的地に着いたんですか?」

「そんなバカな、目的の場所はもっと向こうだぞ」


 ロイの返答を受けながらシェリアは立ち上がると、馬車の先を眺める。そこには同じように止まっているいくつもの馬車があった。その隙間を縫うように更にその先を見よう首を動かすが、うまくいかない。そこから見るのを早々に諦めた彼女は、近くにある建物の屋根に飛んでそこに立つと先の方を眺める。

 見えてきた物は、道を塞ぐように出来ている大きな人だかりだ。その中央には鎧を着た複数の騎士と一般人の姿が見えた。


「おーい、何か見えるか?」


 その声に顔を向けると、ウィルとダレンが馬車から降りて彼女を見上げていた。


「向こうで人だかりが出来ているんですけど、しかも道の真ん中で。それに、なんか騎士の人たちがその中心にいるようです」

「騎士? 一体何をやっているんだ……。悪いがウィルの旦那、ちょっと見てくる」

「わかった」


 そう言うとダレンは駆け足でそこへ向かっていく。それを見送りながらもシェリアは人だかりが気になっては視線を向ける。


「一体何があったんだろうね?」

『分からないわ。気になるようだったら、あなたも一緒に見に行ったら?』

「そうだね。ウィルさん、私も気になるんで見に行って来ていいですか?」

「おいおい、野次馬してきてどうするんだ? まぁいい、俺も気になるし一緒に行くか。ロイは俺と一緒についてきてくれ。アリアはここで護衛を頼む」

「おう、分かった」

「いってらっしゃいー」


 そう言うとダレン達の後を追うようにそれぞれウィルとロイは道を進み、シェリアは屋根の上を進み始めた。


 **


「悪い、ちょっと道を空けてくれ!」


 人だかりに到着したダレンは人垣?をかき分け、そう言いながら中心を目指す。そして最後の人だかりを搔き分けた時、そこに見えてきたのは泣いている小さな子供を押さえつけている騎士。近くには剣を手に持った者。反対側には子供の親だろう、必死に駆け寄ろうとするも二人の騎士に制止させられている女性。そしてもう一人、金髪の男が立っていた。腕を組み、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。ダレンは思わず怒気を含んだ声で叫んだ。


「ピエール隊長! お前は何をしている!」


 ピエールと呼ばれた金髪の男はゆっくりとダレンの方を向く。そして顎を上げ、まるで見下すような視線を彼に向けた。


「おお、誰かと言えば、あの鼻持ちならないアレンの犬どもか。一体何のようだ?」

「質問に答えろ! お前は何をしている!?」

「見て分からないのか? やれやれ、これだから庶民出身の騎士は困る」


 そうピエールは首を横に振り、まるで戯けるような様子で肩をすくめながら両手の平を上に向ける。馬鹿にされていると思ったダレンは思わず剣に手を掛け、抜こうとするが寸前のところで留まる。


「もう一度言う、お前は、一体、何をしている」


 冷静さを取り戻しながらダレンは一つ一つ強く言い聞かせるように問い掛ける。それにピエールは再び見下し嘲うかのような視線を向けた。


「決まっている、躾だよ」

「躾、だと?」

「その通りだ。この子供はな、僕に対して暴言を吐いたんだよ。僕が間抜けだってね。名門貴族出身である僕に対してだよ? 当然罰を与えるに価するよな」


 その言葉にダレンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 目の前にいる男は確かにこの国の貴族出身である。だがそれと同時に市民を守る騎士でもあるのだ。しかしそんな物は彼からは感じられない。


 確かに貴族に暴言を吐くのは非常に不味い行為である。大きな権力を持つ貴族にそのようなことをすれば、商売が潰されるなど大きな不利益を被ることは間違いない。だがそれはあくまで貴族であるという立場であった場合だ。


 騎士団に入れば貴族、一般人問わず、守るという誓いを受けさせられる。国を守り、市民を守るということが騎士団の存在意義なのだから当然のことだ。だが、騎士団に入った後、その誓いを守らない者もいる。ダレンの前にいる男がその典型だ。守るどころかその対象を虐げ、それを見て笑っている。ダレンはそれが許せなかった。


「今すぐその子を解放しろ」

「解放だと? やれやれ、君は貴族を何だと思っているんだ? ただの庶民が貴族に逆らったらどうなるか、大人であれば知っているだろう? これは当然の権利だ」

「お前だって騎士団の隊長だろう。市民を守るという誓いを立てた者、その矜持はないのか!?」

「なぜ貴族である僕が市民を守らなくてはならない? 寧ろ、僕たち貴族の御蔭で仕事に就けているのだから感謝して欲しいくらいだ。あと、お前のその物言いも本来は罰せられるべきだが、同じ騎士としての情けだ、見逃してやろう」


 そう言ってピエールはダレンから目を離すと、子供を抑え付けている騎士達に体を向けた。


「そいつを殺せ」


 その言葉に従うように、二人の騎士は子供を地面にしっかりと抑え付け、剣を振り上げる。


「止めろ!」


 そう言ってダレンは止めようと走ろうとした、その時だ。突然、沢山の人だかりの中から鎧を着た男達が一斉に飛び出し、彼を後ろから押し倒した。地面に叩き付けられ、ダレンは苦痛に顔が歪む。その痛みに耐えながら首を動かして抑え付けた者を確認する。彼を抑え付けているのは二人、どちらも光沢を放つ銀色の鎧を着ていたが、その姿にダレンは見覚えがあった。それはピエールの実家であるイベール家の私兵であった。


「なぜ、こいつらがここに……」

「君は知らないだろうが、僕の父上と母上は心配性でね。普段は隠れているが、こうして僕に傷を付けようとする者がいたら出てきてくれるのさ。残念だったね、ダレン」


 その言葉に悔しいのか、ダレンの顔が更に歪む。必死にそれを振りほどこうとするが、二人がかりで地面に抑え付けられているため、振りほどけない。


「邪魔者はいない。殺せ」


 その言葉を合図に、騎士の一人が振り上げていた剣を振り下ろそうとした、その時だった。


 横から白色の細い光の線が飛んできたかと思うと、それが剣を持っていた騎士の両手を貫いた。突然の痛みに騎士は剣を落とし、苦悶の声を上げる。突然の出来事にダレンもピエールも、そして周囲にいた者達も啞然とする。

 そしてそれがチャンスとばかりに上からドレス姿の長い金髪の女性が降ってきた。それは子供を抑え付けている騎士の前に降り立つと、その右手を騎士の頰にめがけて叩き込んだ。突然の出来事にその騎士は避けることが出来ず、殴られた衝撃で地面を転がる。そして拘束が解けた子供を抱きかかえ、睨み付けるような視線をピエールに向ける。

 あっという間の出来事にダレンは啞然としながらもそれを呼んだ。


「何やっているんだ、嬢ちゃん……」

「見てられなくなりましたので」


 そう、シェリアは事も無げに言った。

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