第2部 エピローグ①

 ――3週間後


「これは……凄まじいな」


 馬に乗って目の前に広がる光景を見ながら、アリオンの首長、エルベールはそう漏らした。

 そこに広がっている光景はつい3週間前に出来たばかりの物だ。

 アリオンの防壁、その正面に扇状に広がった大きな谷で、そこにある地面は土ではなくガラスのような物で一面に覆われている、この世では決して見ることの出来ないであろう、異常な物だった。それをひとしきり眺めた後、男は後ろにいた部下に顔を向ける。


「この光景を作ったのは、ギルドの切り札で間違いないな?」

「は、間違いないと思われます。しかし私自身、目の前で見ても信じられない光景です」

「確かにな。彼らの言う切り札がこれほどの物だとは……。しかし、中央にはなんて説明するべきだろうな」

「ありのままを報告するしかないでしょう。それからを判断するのは上の者達の仕事です。ですが、上の連中は彼女を出せ、と言ってきそうですね」

「それについてはギルドに言え、としか我らは言えんな。最も、これだけの人材をギルドが手放すとも思えんがな。それよりも、我らにはまだまだやらなければならない事があるしな」


 そう言って男は馬を動かし、後ろにある都市を眺める。


 あのゴブリン襲撃から3週間が経過し、アリオンは復興に向けて動き始めていた。具体的な動きとして、商業区にある瓦礫の撤去、死体の片付けが始まっていた。しかし、戦火の中心となった商業区の被害は甚大であり、大半の建物が取り壊しとなっており、実質商業地区は壊滅したと言って良いだろう。これらから考えられる経済的損失は、担当者の顔を青を通り越して白にさせてしまう程の莫大な物になることは簡単に予想がつく。

 しかしあらかじめ避難をさせていたため、民間人への被害が出なかった事が幸いと考えるべきなのだろう。


 さて、復興に向けて前へと進んでいるアリオンであるが、そこに見慣れない軍服を着た兵士達が住民と一緒に瓦礫の撤去作業を行っていた。

 アリオンの所属している国家、リヴィエール諸国連合の中央議会から派遣された、先遣隊の兵士達であった。彼らがここに到着したのは戦闘が終了して2週間が経過した頃だ。防衛担当が予測したとおり、中央からの戦力は間に合わなかった。しかも戦力は4,000と全く足りない。それを考えるとあの反攻作戦を支持した首長エルベールの判断は結果的に正しかったのだろう。

 

 しかしその代償は大きかった。


 あの反攻作戦において第一防壁に突入した兵士1,572名のうち半数以上の797名が戦死、または負傷という大きな被害を受けた。

 最終的な被害としては、戦死、負傷を含めて3,559名となり、参加した総戦力の四割を失った。同然ギルドも大きな被害を受けており、今後の運用計画に大きく影響することだろう。

 また、やむを得なかったとは言え、アリオンの前に大きなガラスの谷が出来てしまった。これが今後、都市にどのような影響をもたらすのかは判明していくだろう。

 

 なお、現在先遣隊がアリオンの復興を手助けしているわけであるが、その間の都市周辺の治安はどうなっているだろうか。


 結論を言えば、戦いの前よりも悪化している。


 原因としては多くの戦力を失ってしまったために、見回りを行う兵士の不足等が挙げられる。しかし、この問題にさらに事態を悪化させている要因がある。

 

 それは、あの防衛戦で生き残り、逃げたしたゴブリン達である。彼らは敗残兵であるが、未だ武器などを所持したままであり、その数も膨大である。その彼らが生き残るために各地でゲリラのような真似をして戦闘を続けているのだ。その結果、地方の村が襲われ、全滅するなどの被害が出ている状況である。

 当然、アリオンの行政府もこの状況を見過ごすことは出来ず、中央に討伐軍の派遣を要請し、中央政府も即座に動く事になる。

 内容としては中央からの援軍4万が各地に散らばり治安活動を行うことになっている。しかしそれでも状況が落ち着くまで、まだまだ時間を必要とするだろう。


 いずれにせよ、アリオンを襲った災厄は終わりを告げた。後は未来に向けて歩き出すだけである。


 **


 しばらくの時間が経ち、商業区が復興作業にいそしんでいる頃、シェリアの姿はアリオンの行政地区の中核である首長の屋敷にあった。

 大広間の中央には入り口から赤いカーペットが敷かれ、その先にはエルベールが座る席が設けされている。そしてその彼の前には何人もの兵士達が整列し、その中にシェリアとウィル達の姿もあった。

 彼女たちがここにいる理由は今回の戦いでの功労者に対する表彰と褒賞の受け渡しのためであった。今回の戦いでは多くの者が戦死したが、その中で英雄がいくつも生まれた。その英雄に対して報いるための式典がこれだ。

 そのため、この場にいる兵士達は正装用であろう、白を基調とした鎧を身に纏って参加していた。

 

 この中で一際異彩を放っている人物がいた。

 シェリアだ。今回彼女は式典と言うことで、アイリスによってコーディネートされていた。具体的にはあの白いドレスを身に纏い、頭には銀色のティアラ、髪は赤色のリボンで一つに纏められている。また、化粧も施され、そこにいる者たちの視線を集めていた。


 なお、着飾っているのは彼女だけではない。ウィル達も例外でなく、ウィルとロイは何時もの私服姿でなく、黒のズボンと上着、白いシャツをきたタキシードのような服を着せられ、アリアは頬を染めながら青色のフリルが着いた可愛らしいドレスを着ていた。

 そんな中、次々に名前が呼ばれ、彼らに勲章と褒賞が渡されていく。やがてウィル達の出番になった。


「続いて、ギルド所属。ウィル・アーレイ、ロイ・デュラル、アリア・ミレナール、前へ」


 エルベールに呼ばれた三人が彼の前に向かい、起立する。


「ギルド所属、ウィル・アーレイ、ロイ・デュラル、アリア・ミレナール。君たちはこの戦いにおいて重要な局面に身を投じ、そしてそれを見事にやり遂げ、アリオンを救う道しるべを作った。その功績を讃え、各自に報酬白金貨10枚(金貨100枚分に相当)を授与する。今後もアリオンのためにその力を貸して欲しい」


 その言葉と共に、彼の御付の者から報酬が書かれた紙がウィル達に渡された。

 そしてウィル達は彼に一礼すると元の場所に戻ると、ついに彼女が呼ばれた。


「ギルド所属、シェリア・ラグ・パストラール、前へ」


 そう呼ばれ、シェリアは背筋を伸ばし、胸を張ってゆっくりと前へ進む。


「ギルド所属、シェリア・ラグ・パストラール。君は自身が持つ大魔法を使ってアリオンに迫るゴブリンの軍団を殲滅し、このアリオンを窮地から救った。その功績を讃え、白金貨20枚を授与する」


 その言葉と同時に彼女にも紙が渡された。その紙には確かに報奨金。白金貨20と書かれていた。


「本来、このアリオンを救ってくれた英雄にはもっと多くの金額を渡すべきなのだが、復興に使わなければならない。許してくれ」

「いえ、構いません。お気遣い感謝いたします」

「さて、表彰式は以上だ。夜、戦勝を記念した夕食会がある、各自、部屋でゆっくりと休んでくれ」


 その言葉と共に全員が一旦解散した。


 **


「あー、疲れた」

『お疲れ様、シェリア』


 用意された部屋にあったソファにだらんと寄りかかってそう言う彼女にアイリスがそう声をかけた。以前の人生は普通に生きてきた彼女に今回この様に呼ばれて表彰されるようなことはなかった。故に粗相があってはならないと考えた末の気疲れだ。

 なお、部屋には二つのソファがあり、その一つにシェリアとアリアが座っていた。


「だらしのないヤツだ。俺なんかいつも通りだったぞ」

「そうだぜ、シェリアちゃん。もっと心を強く持つことも大事だぜ」


 そう言って彼女の目の前に立っているウィルに疲れている様子は見られない。隣にいるロイも同じだ。


「にしても、この式典に出るために服を着替えさせられるとは思わなかったな」

「控え室に入った瞬間に侍女軍団に襲撃されたからな。さすがに俺の筋肉も恐怖を覚えたぜ」


 そう、二人が着ている服は彼らが自身で持っていた物ではなく、借り物なのだ。式典に出る以上、当然変な格好で出ることは出来ない。それは開催する側も同じ考えだ。なお、シェリアに関しては先にあったようにアイリスが行ったため、彼女は侍女達の襲撃に遭うことはなかった。


『それにしても二人とも、その服よく似合っているわ。今日だけと言わず、明日からその服にしたらどう?』

「勘弁してくれ。この格好は肩が凝って仕方がないんだ」

「だな。それに俺たちは堅苦しいのは苦手なんだよ。正直言って俺の筋肉が抑えられているようで好きじゃねぇし」

『あら、そうなの。それにしてもアリアちゃんも可愛いわ。まるでお姫様のようじゃない。それも侍女達がしてくれたんでしょ?』

「は、はい」


 そう言ってくるアイリスにアリアは頬を赤く染め、もじもじと体を動かして視線を泳がせる。

シェリアが着ているドレスとは違い、胸元は開いておらず、色気のような物はないが、代わりに可愛らしさを重視しているため。それが清楚な姫様と言う印象をもたらしている。


「にしてもアリアよぉ、さっきの式じゃいつも通りに見えたぜ? なんで今になって恥ずかしそうにしてんだよ。だったらいつも通りの服でも良かったんじゃねぇのか?」

「いや、違うのよ。これはその、アイリスさんに勧められて着たのよ。これを着たら絶対に可愛いからって言われて……」

『あら、私そんなことをしたかしら? 私はシェリアちゃんを仕立てるのに忙しかったから、そんな暇はなかったけど』


 きょとんとして腕を組み、片方の手を頬に当てながら言うアイリスの言葉にアリアが固まる。シェリアから見た姉の様子だが、嘘を言っているような様子は見受けられなかった。代わりに頬が染まる程度だったアリアの顔が、熱湯でゆでられたタコのように赤くなってく。


「しょ、しょうがないじゃない! せっかく侍女が持ってきてくれたんだから、私だって一度くらいこんな服を着てみたかったのよ! それに女の子は誰だって一度で良いからお姫様の様な姿になってみたいって夢見てるのよ!」


 そう早口になり、恥ずかしさからか、または別の感情からか、目元に涙を浮かべながらアリアは叫ぶように言った。

 その様子にアリアを除く一同は苦笑いを浮かべる。


「にしても、今回はひどい戦いだったな。こんなにあちこちに死体が転がっている戦いなんてなかった」

「ウィルさん達は経験したことがなかったんですか?」

「ウィルはともかくあたしとロイは、ね。ウィルが経験がないって事が不思議なんだけど?」

「向こうにいた時もこんな大規模な戦いはなかったさ。ま、全員生き残れて良かったんじゃないのか?」

「それは確かにな。だけどあの黒騎士に気絶させられたのが情けねぇ。こりゃもっと鍛えねぇと……」


 と、話が続いていく。その会話に混ざりながら、シェリアはこの光景を守ることが出来たと、そう安堵した。

 

  **


 夜になり、シェリアらがいる屋敷では戦勝パーティが始まった。赤色のマントを身に纏った演奏家達の奏でる音楽を背景に、参加者達が用意された豪勢な料理と酒を片手に、談笑している。なお、これはアリオンの関係者だけでない。中央政府から派遣された役人や貴族、またアリオンに派遣されている軍の人間などが参加していた。

 そんなパーティ会場の一角、一つのテーブルにテーブルにウィル、ロイ、アリアの三人はまとまって食事をしていた。それぞれの皿には彩り豊かな料理が配置され、次々に口へ運んでいた。


「ん~、さすが首長のところの料理は違うわね。街の食事処も良いけど、ここも気に入ったわ」

「だな。ところでよ、これ残ったら持って帰っても良いのか?」

「アホか、んなみっともない真似が出来るか。諦めて食ってろ」

「そうか、ダメなのか……」


 と、ロイは少々落ち込んだ様子で新たな料理を持ってくると再び、それを口に運んでいった。


「そういえば、シェリアのヤツはどうした? お前ら一緒じゃなかったのか?」

「ああ、シェリアさんなら、あそこ」


 そうアリアが指差した方向にはシェリアと、それを囲むように複数の男が立っていた。遠目でも分かる豪華な刺繍が入った上着やズボンを身に纏っていることから、良いところの出と言うことが分かる。そんな彼らに囲まれた彼女は困惑している様な、居心地が悪そうな、そんな表情をしていた。


「シェリアさんモテるねー。で、周りに居る男は誰だろうね。綺麗な装飾品をいくつも付けている所から貴族かな? でもアリオンでは見たことがないから、おそらく中央からやってきた貴族って感じかもね」

「だな。それにしても、ああやって言い寄るって事はそれだけシェリアちゃんが綺麗って事なんだろうな。まぁ、筋肉を愛するこの俺から見ても綺麗って事は分かるからな。あんな風になるのも当然って事だろうよ。でもよ、俺の見た感じでは迷惑そうにしているように見えるぜ?」

「そりゃそうでしょ。知らない場所であんな大人数で迫られたら、そんな顔になるわよ」

「それにアイツはああいうことは苦手だろうしな」

「助けてあげないの?」

「そうだな……」


 そう言ってウィルはジッとシェリアの方を見ると、持っていた皿をテーブルに置いた。


「ちょっと行ってくる。ここは頼むぞ」

「あいよ、しっかりとやれよ王子様!」

「頑張って、王子様!」

「誰が王子様だ……」


 ロイとアリアの冷やかしに似た声援を浴びながら、ウィルはシェリアの元へと向かう。

 現在彼女に迫っているのは五人で、その誰もが引くことなく彼女に手を差し伸べている。 


「麗しい姫君、どうか私と踊っていただけませんか」

「いえ、この男ではなく、是非私と!」

「私と!」

「私だ!」


 と、だんだん険悪な雰囲気になっていく。これは早く助け出した方が良いだろう、とウィルが思い、足を速めた。そして距離が1メートル程になったとき、シェリアは近づいてくるウィルに気づく。そして、彼女の表情が変わった。片方の口元が上がり、紫色の瞳がギラッと光った、そんな感じがしたウィルは寒気を感じ、そこに立ち止まる。


 ――嫌な予感がする。


 そんな人間の本能から感じる何らかの危険信号が彼に鳴り響く。アイツは何かよからぬ事を考えている、急いでここから立ち去るべきだ、と彼はそう思うと、回れ右をしてロイ達の元に戻ろうと歩を進めようとする。しかしすでに遅かった。


「ウィル様!」


 そんな声と共に彼の右腕にドンという衝撃と共に柔らかく、暖かい感触が伝わってきた。本能から発せられる危険信号が最大音量で鳴り始める。振り向きたくない、そんなことを考えながらもウィルは、汗をだらだらと垂らしながらさび付いたロボットのような動きで彼がそこを視界に収める。そうして彼は思った。


 ――誰だコイツ。


 さて現在の彼女の容姿だが、道で擦れ違う人、その殆どが振り返ってしまうほどの綺麗な容姿をしている。かつて、シェリアが騎士団の野営地に足を踏み入れた際もその様な反応であった。世界でミスコンがあれば確実に上位を狙えるだろう。しかし、ウィルやロイ、アリア、そしてアリオンの住民において、現在はそうでもない。


 それは何故か。


 それを説明する理由としてロシアの文豪、フョードル・ドストエフスキーの言葉がある。


 曰く、人間とはどんなことにも、すぐ慣れる動物である。


 そう、シェリアがアリオンで生活している以上、それを見ることは日常となる。特に毎日のように顔を合わせるウィル達にとって、彼女の容姿がどれだけ綺麗な物であっても、そうしていくことで見慣れた光景になっていたのだ。

 では、それが変わってしまったらどうなるだろうか。そしてその方向が遥か上を行くようなものであった場合、彼はどうなるのだろうか。


 今、ウィルの視界に入っているのは、アイリスによって綺麗に化粧が施され、ティアラなどの装飾品で飾られている。これだけでも普段と違うのだが、それをさらに加速させているのが彼女の表情と仕草だ。

 また控え室に居たときは彼女の何時もの様子であったため、何とも思わなかったのだろう。しかし、今そこにあるのは頬を上気させ、上目遣いで自身を映し出す瞳。何らかの口紅が塗られているのか、柔らかそうでキラキラと輝くピンク色の唇。


 そして何よりも彼の腕に触れている豊満な乳房の感触が彼を惑わせていた。


 当然彼も男である。シェリアの大きな胸を自身の目で追ったことは何度もあった。修練の時などは呪いにより、四六時中ドレス姿だったため、それをはっきりと見ている。

 だが、今この時のように至近で、しかも腕に押し当てられて感触を味わうなどと言うことはなかった。いや、あるわけがない。

 ウィルは己の下半身に血が集まり、己の息子が覚醒し始めたのを感じ始めていた。


 「ウィル様、ずっとお待ちしておりましたわ!私、不安で不安で仕方がありませんでした!」


 ――やめろ、そんな目で俺を見るな!


 目元に涙まで溜めながらいうシェリアにウィルは心の中でそう叫ぶ。全身から熱と汗が吹き出し、顔は真っ赤になっている。

 シェリアに声をかけていた五人が恐る恐ると言った様子で近づいてきた。 


「あ、あの、姫君? その男は一体……」

「ふふっ、申し訳ありません。今日はこのお方と過ごす約束をしておりましたの。申し訳ありませんが、皆様のお誘いにはお応えできませんので。さぁ行きましょ、ウィル様」


 そう言ってシェリアは彼の腕から離れるとその手を取って駆けだした。


「ちょ、ちょっとまて! お前、何時もとなんか違うだろ!? って引っ張るな、おい!?」


 そう言って引きずられるようにウィルは連れて行かれていく。その光景を5人の男達は唖然としながらそれを眺めていた。

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