第2話 ゆうたいりだつ
目が覚めたのは昼を過ぎたころだった。キッチンのテ―ブルにおかれた大皿のはしにおにぎりが3個あった。母が夜勤終わりに作って、それを父も食べて出て行った、と言うところだろう。そういえば父はうだつのあがらない大学教授だが、何を研究していたっけか。僕も今日から幽体離脱について、いろいろと調べなければ。
その前に腹ごしらえと、僕はおにぎりを一つとってほおばった。梅が入っていた。梅が嫌いな父は全部残していったらしい。残りも全部梅だった。
「梅が食えないなんて信じられん」
僕はぶつくさ言いながら自室のパソコンで『幽体離脱」と検索をした。やはり、いわゆる心霊主義の一つらしく、現実に起こりうるものかは考えにくい。肉体と意識が離れるというのは、ファンタジーの世界だ。しかし恐ろしいことに、予測には、『幽体離脱 やり方 簡単』などというものもあった。ネットだと割とばかばかしくなってくるので早々に僕はブラウザを閉じた。
僕はなるべく日影を歩きながら図書館に向かった。それでも汗は吹きだしてくる。蝉は四方八方から鳴き声を浴びせてくる。ようやくついたころにはテンションダダ下がりの汗だくになっていた。しかし図書館と言うのはなんでこんなに涼しいんだろうか。これでドリンクバーでもあれば最強だ。
「さて、幽体離脱ってどこのコーナーだ?」
そうやってローラー作戦なみにいろいろなコーナーを巡ったが、医学コーナーにはなかった。最終的にはオカルトやミステリーのコーナーにちょこちょこあるぐらいだった。それらをパラパラめくり記述を探す。しかし結局のところ虚構だ。物語の構造と一つとして組み込まれているに過ぎない些細なパーツでしかない。とはいえ面白いストーリーだなと読み込みそうになっていたのを踏みとどまって、僕はふりだしに戻った。医学コーナーには幽体離脱はなくとも睡眠障害についての本は置いてあった。夢遊病のような、そういった類の症状が「幽体離脱」だと彼女は思い込んでいるだけとか。それならまだ解決はできそうだ。
となると、なにをどうすれば良いのだろうか。医師の診察はもちろんだろうが、およそ睡眠障害の原因のほとんどが肉体か精神的なストレスによるものが多いと言われる。家庭の問題であったり、昔学校でいじめにあったりとか、そういったものを抱えて眠り続ける彼女を相手に僕ができることはなんだろう。
――まもなく閉館時間です
無情にもアナウンスが流れた。日はまだまだ強いが実はもう6時を回っていた。僕は積み上げていた本を元に戻し図書館を出た。
家に戻ると母も父もすでに帰っていた。めずらしいこともある。家族そろっての食事になった。夕飯はカレーだ。
「父さんってさ、大学で何教えてるんだっけ?」
「文化人類学だよ」
「幽体離脱とかって研究とかする?」
「ん? 幽体離脱? まあ、俺はないけど、文化から見た人間を研究する学問だから、なぜ人間は超常現象を信じたりするのか、とか、そういうの研究してるやつはいるよ」
そういってごろりとカレーに浸るジャガイモをスプーンですくってほおばる父。そのあとは、カレーになぜジャガイモが入っているかを文化人類学的に語りだし、僕はそれを聞いたり聞かなかったりしながら食べ進めた。母は割とその話にのっかって相槌を打っていたので父さん自体は満足そうだ。
「わたし、あしたから夜勤続きだからよろしく」
「おれもゼミの合宿があるから帰ってくるの3日後」
「だからカレーだったのか」
とゆうわけでしばらくはカレー生活である。好きだからいいけど、明日には飽きてるんだよなあ。
シャワーを浴びてちょうどよい時間に、昨日言っていた待ち合わせの時間になった。22時を過ぎて、20分ほどした後に彼女はやってきた。
「……ごめんなさい、寝坊した」
あいかわらずジョークなのかわからない。透明睡蓮は今日も白いワンピースを着ていた。線が細いからよく似合っている。
「いまも幽体離脱の状態なの?」
「うん」
「昨日はじょうろをもってたけど、物は持てるの?」
透明さんは頷いた。
「こう、念じれば持てる、みたいな」
「なるほど、わからん」
「……私からも、質問」
彼女は小さく挙手をした。
「どうして、幽体離脱中の私を見ることができるの?」
「うん?」
ちょっと待った。これは僕もおかしい分類なのか?
「でも、この子は見えないんでしょ?」
彼女は自分の隣を指さす。そこにはなにもない。
「……見えないです」
透明さんはなにもないほうをみて相槌を打っている。
「……この子が言うには、ほかの人よりは視る力が強いけど、そこまでじゃないって」
「それで僕は透明さんのような幽体離脱中の人は見ることができるっていうところか」
僕は頭を抱えた。
「まあ、僕が視える視えないはこの際置いといて、透明さんのその幽体離脱症状はいつからなの?」
「……覚えているのは、8歳くらい」
図書館で読んだ本によれば夢遊病患者はその年代が多いらしい。
「そういう状態になったって、ご両親には言ったの?」
「睡眠時間が異様に長くなったって病院に連れていかれたけど、健康には全く問題ないってなって、それから私はずっと……」
「そうなんだ」
「……幽体離脱中に病院に連れていかれたから、あの時は大変だった」
思い出に浸るように言う透明さん。話題として拾っていいものなのだろうか。
「それって、よく小説とかで書かれてる肉体と分離しきれないことで生じる限界の距離ってやつ?」
「それに近いと思う」
「そうなるとどうなるの?」
「……オフライン状態になる」
「動けなくなるってこと?」
こくこくうなずく透明さん。それって幽体離脱状態でも寝てるってことか……。治すとか言ったけど、よくわからないことだらけだな。僕は苦笑した。
「あはは、いっそ僕も幽体離脱ってのを体験できたら、なにかわかるのかもしれないけど」
「……」
透明さんはじっと僕を見つめて少し考えているようだった。
「できるかもしれない」
「え?」
「……幽体離脱」
透明さんは「ついてきて」といい廃病院の中に入った。ほこりっぽさと、薬剤の臭いがまだ残っていた。荒らされたりちらかっていたりなどはしていなく、ちょっと改修すればすぐにでも使えそうである。透明さんに連れられて入ったのは入院患者の病室だった。月明かりが入り込んで幻想的にすら見える病室には、仕切りカーテンはなく、寝台だけが6つ等間隔にならんでいる。窓側の一つだけ、シーツがしいてあった。透明さんはその一つに寝そべってポンポンとシーツを叩いた。
「……寝て?」
「はい?」
「幽体離脱もそうだけど、私と話すと眠くなったりしない?」
「……そういえば」
確かに、昨日の夜は家に帰って急激に眠くなって、結局ご飯を食べずに寝てしまったんだった。疲れて寝てしまったと思い込んでいたけど。
「私、そういう体質で、もしかしたら、あなたの体質的にも幽体離脱はできるんじゃないかって」
「うーん、でも一緒に寝るっていうのは……」
廃病院で幽体離脱少女と同じベッドで寝るってどんなシチュエーションだよ。
「? 私、半霊体だから、特に気にしない」
僕はうんうん唸ったが覚悟を決めた。
僕は彼女と顔を合わせないように反対方向を向き寝そべった。すると後ろから、もやのような感覚が背中を覆う。透明さんは半霊体というが、つまりこういう感覚と言うわけか。体温を感じるというわけではなく、どちらかと言うとひんやりするような感覚。それと同時に、急激な睡魔が襲ってきて、僕は抵抗する間もなく……。
頭がぼーっとする。誰かが僕をゆすっている。身体だけがものすごく軽い。目を開けると透明さんが立っていた。
「そのまま、起き上がって」
僕はそこで何かが抜け落ちていく感覚にぞわりとした。すぐに後ろを振り返ると、そこには自分が転がっていた。
「うっわ」
思わず声を上げてしまう。鏡で自分を見るのとは違う。あと自分の寝姿に恥ずかしさがこみあげてくる。
「幽体離脱の感覚はどう?」
「ううん、なんというか、案外普通?」
肉体の重さが抜けているのか、身体が軽いという感覚だけ。それ以外はいたって普通だった。むしろ楽であるとすら感じる。こうなるとどう透明さんの状況を解決すればいいのかいよいよわからなくなってきた。
「あれ? そのおにいさん、起きたの?」
病室の入り口にちいさな女の子が立っていた。
透明睡蓮は眠りたい ワラシ モカ @KJ7th
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