第三章 青色に眩しい

 第三章 青色に眩しい


「――きて―――」

…………。

「起き――るか――」

 …………。

「起きているか君!」

 いきなり耳元で叫ばれ、僕は飛び跳ねるようにベッドから起き上がった。

 僕を起こしていたのは悠さんだった。しかしなぜかその丸眼鏡には不似合いな、真剣な顔をしている。

「なんだ――悠さんじゃ……ないですか」

 僕がふああと欠伸をすると、悠さんは「いいから起きて」と僕の手を引く。

 時計を見ると七時。

 まだ朝食には早いはずだが……。

 しかしまだ僕は顔も洗っていないのである。

「パジャマ着がえてからじゃ駄目ですか?」

「駄目」

 何をそんなに急いでいるのだろうと思いながら、僕は渋々悠さんと部屋を出た。ちなみに悠さんは私服にもう着がえていた。

 僕はスリッパ姿なのであまり走りやすいとはいえないのだが……。

「それにしても悠さん、なんだか人が少ない様な……」

「…………」

 そう。さっきから廊下や階段を通過しているが、今のところ誰にも会っていないのだ。すれ違うこともなかった。

 悠さんは無言のままだ。

螺旋階段を使って三階に上がると、そのまま右の渡り廊下に来た。

「て、悠さん、そっちは嵯峨野さんの部屋ですよ⁉」

「わかってるわ」

 僕は本当に何がしたいのだろうという気持ちに駆られながらも、そのまま廊下まで来たわけだが……。

 するとなぜか、嵯峨野さんの部屋の頑丈なカードキー制のドアの前に、皀葵、西東北南、及川味香、五条笑、明楽なお子が、何やら神妙な顔つきで集まっていた。

「連れて来たわ」

 悠さんは昨日のとはまるで別人なくらいにきりっとした良く通る声で言った。

「えっと……皆さん、何があったんですか」

「見たい?」

「え?」

 北南さんの言葉に、何かを感じずにはいられなかった。

 今年の春や先月に感じたのと同じ戦慄である。

「子供にはかなりショッキングだよ、少年」

 五条さんが言うと、皀さんや及川さんも頷いた。明楽さんは、ただうつむいたまま。

 それでも自分の眼で事の起こりを見て確かめたかった僕は、自分がそれを見るのに恐怖を感じている事にも気づきながら、

「見させてください」

 と、一言。

 すると皀さんは

「気分が悪くなったら、すぐに出てきな」

 と、彼女らしくもないことを言いながら、カードをドアノブの位置にある隙間にスライドし、扉を開けた。

「‼‼」

 扉から流れる、あまりにも異様な臭いに一瞬ひるみながらも、僕は部屋の中に入り、寝ぼけた瞼を覚醒させた。

 それは、アオ色の情景。 

 青色に、僕の目には映った。

 真っ白な無機質な部屋の、立方体状の空間。部屋の隅には机。中央の奥には医療用ベッド。あとは換気扇と近未来型のライトがあるのみ。

 昨日もここで会話していた。ちょうど嵯峨野さんがベッドに横たわっていたので、こちらに足を向ける形だったか。

 そして、その無機質なシーツが、青色に染まっていた。少なくとも僕にはそう見えた。たとえそれが現実は赤色だったとしても、この異様な空気は、気分は、青色だった。

 ベッドの上の嵯峨野蓮は、シーツの上で仰向けに寝ていた。背中から紅の血をながし、はだけた病衣から覗く腹は完全に切り裂かれ、それはまるで解剖か手術のようだった。ハラワタがはみだし、自分の身体にもあんなものが詰まっていると考えると、恐ろしかった。

 そしてその口。ステンレスのハサミが、あんぐりと開かれた口に、突き刺さっていた。恐らく喉にまで貫通しているだろう。

 嵯峨野連の瞳に命の輝きはもうなかった。

 ベッドの前の床には、大きく、恨みがましい血の文字で、

『ヲマヱノセヰダ』

 と。ご丁寧に明楽なお子の顔写真とともに。

「こ、これは……⁉」

「いるか君、ドアを見て」

 北南さんに言われ、ドアを振り返る。

 そこには、またも戦慄の光景が。

 ドアの端に、板の破片が、釘で打ち付けられていた。

「私たちが体当たりしてドアを開けたから、ここは元々、板で塞がれて開かないようになっていたわね」

「なんだ……って⁉」

 それじゃあまるで……密室だ。




【事件状況報告書】


事件内容 ――――― 殺人事件。

現場 ――――――― ウキルタス島・陽荘館別館、病室。

被害者 ―――――― 嵯峨野蓮(17)男性。無戸籍。

凶器 ――――――― 刃渡り十三センチメートルの医療用ハサミ。

死因 ――――――― 直接の死因は腹部を切り裂かれたのと喉を刺されたことによる出血性ショック死だが、その前にも両肺を背中からハサミで刺されており、それだけでも三十分程度で死に至っていたと思われる。

死亡推定時刻 ――― 一時から一時半頃。

容疑者のアリバイ ― 

・相川いるか ……………… なし。

・宇田川悠 ………………… 五条笑と自室で団欒。

・五条笑 …………………… (略)。

・明楽なお子 ……………… なし。

・皀葵 ……………………… 研究室でデータの整理をしており、パソコンの記録からアリバイ成立。

・西東北南 ………………… なし。

・及川味香 ………………… 一階の掃除(他のメイドも同)。

・伊地知稜都 ……………… なし。

備考 ――――――― 現場の床には犯人が書いたと思われる『ヲマヱノセヰダ』の血文字と、その横に

明楽なお子のモノクロの顔写真が残されていた。

           部屋は当初内側からドアに木材を釘で固定してあったため、密室状態にあった。




 皀さんに即席で作って頂いた資料に目を通す。

 僕たちはあの後、とりあえず会議を開こうということになり、ホワイトボードのある大きな会議室に集まった(かなり事務的な造りとなっている)。

 そして今、全員に一枚ずつ事件状況報告書のプリントが配布された。

「先ほど皆さんに一人ずつ話を聞いてわかるのはこのくらいですが……」

 と、皆の前で皀さんは紙に目を落としながら言った。

「凶器のハサミの指紋や部屋に抜け道がないかなどのことは、後で詳しく調べたいと思います」

 彼女は言った。そこに患者を失った悲壮感は感じられなかった。ここにいる方は全員がプロフェッショナルなのだ。昨日とは違い、数名が正規の白衣を着ているし、伊地知さんに関しては眼鏡にマスクと、完全に医者の風格だった。

 流石に明楽さんはそうはいかなかったが。


『お前のせいだ』


 あれは確かに嵯峨野さんを殺めた犯人によるものだったが、しかし僕には、彼自身の心の叫びにも聞こえるのだ。

 現場の写真。

 あれによって明楽なお子は、決定的に落ち込んでしまっている。背中を押せば落ちてしまうような、絶望具合だった。――それを慰めようとは誰もしなかったが。

 そしてあの惨状。

 なぜ犯人は嵯峨野蓮を殺したのか。明楽なお子ではなく嵯峨野連を殺したのか。――しかもあんな残忍な殺し方で。

 肺に穴をあけ、内臓をかきだし、そのうえ喉に凶器を刺すだなんて――僕には人間の仕業に見えなかった。

 いや、違う。

 あれは人間だからこそできるのだ。残酷な人間だからこそ。

 もし犯人が明楽なお子への見せしめのために彼を殺したというのであれば、その効果は覿面だろう。

――でも……僕には、理解できない。

 犯人の思想が。

 なんであの人を殺したのか。

 意味が分からない。

 まるで本末転倒だった。

 恵まれない環境で育ち、学校にも通えず、病に倒れ、挙句の果てには二十歳前に殺される始末。

 救いのない話だ。

 報われない人だ。

 そんな彼が、数少ない友だと、僕に言ってくれた。

 素直に嬉しかった。

 なのに。

「…………」

 無意識に拳が締まる。爪が皮膚に食い込む。

 卓袱台返ししたい気分だった。何が現場だ何がアリバイだ、そんな事してもあの人は戻って来ない、と。

 落ち着こう。

 まずは冷静に、だ。

 八つ当たりは犯人にだけでいい。

 僕はアリバイ表に目を向けた。

 ちなみに、昨晩(嵯峨野さんは勿論のこと)北南さんと会ったことは内緒にしてある。

 嘘の証言をしたわけだ。

 いざとなったらすべてを話すつもりでいるが、しかし。

 これで僕と北南さんは無実となったわけだ。――残るは伊地知さんと明楽さんだけということになるが――一階で掃除をしていたというメイドたち。彼女らだって一人くらい途中で抜けてもバレやしないだろう。悠さんと五条さんだって、二人が共犯ならば論理は崩れるし、皀さんのパソコンのデータだって、上手く細工出来るかもしれない。

 それに、まだ私たちの知らない、部外者による犯行の可能性だってあるのだ。

「…………警察を呼びます」

 及川さんがメイド服のポケットからスマートフォンを取り出す。

「待って味香ちゃん。通報するのは後にして!」

 明楽が叫ぶように言った。僕はその声を聞き、彼女は狂ってしまったんだと、その時思った。

「どうしてですか……人が死んだんですよ?――そのこと、ちゃんと判っているんですか?」

 もう耐えきれないような、悲痛な声で彼女は言った。

「あの子は私の患者よ⁉」

「だから何だっていうんですか!」

「あの子は私のよ‼」

 痺れを切らしたように明楽なお子は立ち上がった。

この修羅場に、流石の僕も、少したじろいでしまった。

「それが……本音だったんですか」

 皀さんは言った。前髪に隠れて表情はうかがえないが、怒っていることは確かだった。

「葵ちゃん、落ち着いて……」

「うるさい黙ってろ‼」

 なだめる北南さんを払いのけるように、彼女は叫んだ。

 皀さんは心の底から怒っているように、手の甲に血管を浮かせていた。

「あなたには失望しましたよ明楽所長――いや明楽!」

「皀さん、ワタシはあなたの上司よ⁉ 研究費に自腹を切って借金に苦しんでいたあなたを助けてあげた恩を忘れたっていうの⁉」

‼」

 皀さんの中で何かが切れた。彼女は拳で思いっきり机を殴った!

 机はミシィイッと鈍い音を立て、その拳からは血が流れだし、指があり得ない方向に曲がっていた。

「――――‼」

 明楽はあまりの事態に、怯えたようにその場で尻餅をついた。

「皀さん、大丈夫ですか⁉」

 思わず僕は立ち上がって言った。

「あ、伊地知さん‼消毒液と包帯と氷水持ってきて‼」

「あ、はい!」

 伊地知さんは北南さんにハスキーボイスで返すと、焦った様子で部屋を飛び出した。

「今伊地知さんが行ってくれたから、もう少しの我慢だよ!」

「とりあえず止血をして……」

「いや、それだと骨や神経に負担がかかるから――」

「――っ、み、皆、大袈裟だよ、大丈夫だからさ……っつ――痛った!」

 皀さんは言葉ではそう言っているが、今も実際苦しんでいるし、汗で腕がびっしょりだった。

皆が皀さんに駆け寄っているなかで、ひとり尻餅をついた明楽だけが、恐ろしいものでも見るかのようにぶつぶつと呟いていた。

「狂ってる……あなた病気よ!自分の指を折るだなんて⁉頭おかしいのよ‼」

「あんたの方がよっぽど狂ってる!人を実験動物みたいに扱いやがってこのボケ老害が‼‼」

 痛みをぐっと我慢し、皀さんは明楽を罵った。

「なんですって皀……あなたって人は!」

「あなたは判っていないようだけれども……蓮君を一番傷つけていたのはアンタなんだよ!」

「⁉ ――そんな、そんなわけがないでしょう!」

「ホン――ットあんたって人は自分の勝手だけで生きてるんだね……馬鹿でもわかるわ!――これ、ココにいる人みーんなが知ってることよ?――あんたは医者失格よ」

「…………そんな……そんな……」

「医者だけじゃないわ」

「…………」

「人間失格。」

 皀さんにそう言い放たれ、明楽はぐったりとしたように目を伏せた。やっと周囲からの冷たい視線に気がついたようだった。

 あまりにも哀れで情けのない大人だった。

 けれど彼女は、そうやっていつも生きてきたのだろう。幼いころから。

 子供がそのまま大人になったというか……。

 しばらくすると廊下から急ぎ目の足音が響いてきた。

 ドアが勢いよく開けられた。

「救急箱と氷水、――はぁ、はぁ――持って来ました……」

 と、部屋に戻った伊地知さんは、かなり息切れした様子だった。その手には十字マークの箱とたらいに入った冷水と角氷が。

「OK。――そっちの腕を持って……いるか君は氷を患部に当てて!」

「――っ、はい!」

 皀さんの手に北南さんが軽くアルコールをかけ、傷口に染み込ませたら氷水に入れ、冷やす。

「葵ちゃん、ちょっと痛いかもだけど」

「え?――な、何、早くして!」

 すると北南さんは氷水に手を突っ込み、デリケートな痣だらけの指にやさしく触れ――そのまま強引に指を元の方向にへし曲げた。

「ぎ、ぎゃあああああああああああああ‼」

「我慢して!これしないと指が変な風にくっついちゃうから!」

 見ているこっちが痛くなりそうだった。

「部下をいたわる事くらいしろよ明楽!」

「…………」

 本当にこの人は、なぜ医者になろうとなど思ったのだろう。 

 



 一通りの応急処置が終わり、さてこれからどうしようということになり、結果警察を呼ぶこととなった。まあ、正常な判断だろう。

 だが。

「ええ⁉来られないってどういうことですか⁉」

 皆の目が一気に及川さんに集まった。

 今及川さんには、自身の携帯で警察に電話を掛けてもらっているところである。

ちなみに今この場にいるのは、他の部屋で待機しているメイドさんたち、怪我で自室で休んでいる皀さん、そして、殺害された嵯峨野蓮を除く七人である。

「あ、ちょっと待っていてくださいね」

 及川さんはスマホをスピーカーモードに切り替えた。

「警察の方が来られないっていうのはどういう……」

『いやな、その浮き輪島っていうのは……』

「ウキルタス島です……」

『お、それやそれ!ねえちゃんすまんな、ワシもう歳なんよ……最近物忘れがひどくて……』

「ああ、はあ」

 陽気なオジサンが出てきた。

 大丈夫かこれ……。

「それで、来られないのは何でですか?」

『ああ、なんかさっきその島の近くで船の爆発事故があったみたいでな』

「…………」

『それで厄介なことにその船ってのが海外の軍のもなんだそうで、日本警察はその敷地に今現在立ち入り禁止なんだなんや』

「……ヘリで来て貰うことは……」

『それもあかん。海軍と空軍の両方が目ぇ光らしとるんや……。明日になったらOK出ると思うから、それまで待っといてな』

「え……そんな……」

『ごめんなねえちゃん。役に立てなくて。明日には必ず行けるようになるから!ほな』

「え、あ、ちょ……」

 ぷつり。

 通話の切られる音。

『トゥートゥートゥー……』

「…………はあ……」

「あああ!」と、僕は後ろに反り返った。

 なんてこった。

 これもあれも、すべて犯人の計らいなのか⁉

 思わず周りを見回してしまう。この中に殺人犯がいて、いまもほくそ笑んでいるのかもしれないのだ。

「…………」

 もちろん皆浮かない顔をしていた。

 疑心暗鬼になりすぎだな、僕。そう思いながら椅子に座りなおす。

「……仕方がないですね」

 と、及川さんが立ち上がった。

「せいぜい警察の皆さんが来る間まで、私たちであれこれ思考してみましょう」

 堂々と、彼女は胸を張り、真剣な顔つきで。


「探偵役と、洒落込みましょうよ」

 

「探偵役って……いったい何をするの?」

 北南さんが訊ねる。

「まずは皆さんの持ち物のチェックですね……もちろん部屋のゴミ箱も」

「? そんなことをして、どうするんですか?」

 僕は訊く。

「密室を作るための特殊な器具ですとか、返り血の付いた服がないか、皆さん全員で見に行きましょう――異論はありませんね」

 沈黙。

「では私の部下のメイドたちを呼んで、まずは皀さんの部屋を調べましょう」

 すると及川さんは、メイド服のポケットから無骨なトランシーバーを取り出す。セクシーな胸元が少しだけ揺れた。

「浜崎、聞こえる?」

『――はいメイド長――』

 ざざーというノイズに混じって、女性の声が聞こえた。

「いまから皆さんの部屋をひとつずつ回っていくから、あなたたちも来て」

『――わかりました――』

――こちらは先ほどの刑事のおっちゃんより百倍頼りがいがあるな……。

「では、行きましょう――くれぐれも不審な動きはなさらないように」

 すると明楽がちっ、と舌打ちをした。

 今までになく嫌な感じだった。

 僕ら七人は部屋を出て、眩しい白色光の当たる廊下を歩く。

 外から差し込むヤシの葉の間からの網目状な木漏れ日が、僕らの頬で揺れていた。

 僕たちがこんなに真剣になっているのに、空は何を場違いに晴れやかな顔をしているのだろう。

 青空。しかしあの惨状とは遠くかけ離れた、アオだった。

 ふと窓の外に、あの別館を見た。

 今もあそこには嵯峨野蓮がいる――いや、死体が、ある。

「…………」

 こんなにも近くに、死という概念があるのか。

 埋めてもらえる墓もなく、悲しんでくれる家族もなく、理由にできる病もなく、懐かしむ思い出もなく、償ってくれる罪人もおらず……そんな中で彼は死んだのだろう。

 彼は自身にハサミを向けられた時、何を思ったのだろう。


『早く殺してください』


 悲しいことに、想像は容易だった。

 彼は間違いなく天国に逝ったのだろう。

 少なくとも、ここよりは楽園のはずだ。

 もしくは、彼は海に還ったのかもしれない。母なる海に。

 だからこんなに晴れやかなのだろうか。

 横で伊地知さんが、何も言わず、外を見ていた。

 眼鏡とマスクに隠れてよく見えないが、その表情は悲哀に歪んでいる事だろう。

 無機質な廊下に、七つのスリッパの靴音が響く。

「ここが皀さんの部屋です」

 及川さんが示すドアの前には、既にメイドさんが三人、立っていた。

 及川さんがコンコン、とドアを叩く。

「皀さん?私です、メイドの及川です」

『ああ、どうぞ』

 ドアの向こうから声。

「失礼します――部屋の中を調べさせてもらっても、構いませんか」

 部屋に入ると皀さんは、右手を庇うような姿勢で、ベッドの上でぐったりとなっていた。

「浜崎、草薙、高橋。今からあなたたちには、この部屋の捜索をしてもらいます」

 メイドたちに、及川さんは言った。すると今度は僕たちの方に向かって、

「皆様には公正を期すため、メイドの様子を監視して頂きます。少しでも不審な事がありましたら、すぐに私へお知らせください」

 と言った。

 結局、皀さんの部屋からは何も発見できなかった。

 続いて悠さんと五条さん、及川さん、伊地知さん、明楽なお子の部屋と続いて空振りだったため、このまま何も見つからないだろうというムードになっていた。

 そして次は僕の部屋。

「うーん……何も見つかりませんね」

 メイドの浜崎さんが、机の中を探りながら言った。

 一応言っておくが、嵯峨野連を殺したのは僕ではない。

 このまま僕の部屋からも何も出ないだろうと思っていたその時だった。

「……あら?」

 と、メイドの草薙さんが荷物入れの中をのぞきながら言った。

「この鞄は何ですか?相川様」

 ドア前にいる僕に、彼女は訊いた。

 大きな黒い鞄。

「やけに重いですけど……」

「ああ、それは予備道具入れですよ」

 と、僕は言った。

 予備道具入れとは、僕がもしもの為についつい持ってきてしまう鞄で、その中には十徳ナイフや懐中電灯、ハンマーなどが入っているはずだ。

「昔からの癖で、いつも旅行の時には持って来ちゃうんですよ……」

「調べさせてもらっても、構いませんか?」

「はい」

 すると草薙さんは、鞄の中身をひとつずつ机の上に置いていった。

「ねえねえ」

「ん?」

 悠さんが僕の服を引っぱった。

 僕よりも身長が低いので、何だか妹みたいだった。

 僕は腰をかがめた。

「ぶっちゃけいるか君は誰が犯人だと思うの?」

 ドストレートな質問に、僕は一瞬狼狽したが、

「え?いや……わからないな……明楽さんは嫌な感じだけれど犯人とは違うって感じだし」

 僕は本人に聞こえないよう、悠さんの耳元で囁いた。

「だよね」

 と、悠さんは頷いた。顎に手を当て考え込む姿は、刑事ドラマの警部のようだった。

 そのとき。

「――‼ 相川様」

「……? 何ですか」

 またもや草薙さんに声を掛けられた。しかし今回は声量がかなり大きかったので、びくついてしまう。

「こ、これは……」

 草薙さんが持っていたのは、確かに僕のものだった。

 金属製の、柄の部分だけが木でできた、釘うち用のハンマー。

 だが。

 その鎚には、扇状の血痕がくっきりと残っていた。

 身に覚えのない血痕。

「こ、これは――⁉」

「どういうことですか相川様!」

「ち、違います!身に覚えがありません!恐らく犯人が僕を嵌めるために鞄に仕舞ったんですよ!」

 旗から見たら、本当にただの言い逃れにしか聞こえないだろう。

 ただ、こればっかりは本当に身に覚えがないのだ。

「あなた、この金槌で、嵯峨野さんの部屋のドアに釘を打ったんでしょう。その時に付いた血でしょうこれは!」

「違います明楽さん!第一密室なんてどうやって作るんですか!理由もさっぱり判らない」

「けれど実際、証拠がこうして挙がっているじゃないの」

 明楽はにやにやとしながら言った。

「無駄な抵抗はやめなさい。――これ以上罪を増やさないように」

「…………」

 お前にだけは言われたくない。

 そう思った。

 しかし、周りの人も明楽の言葉を否定してくれないということはつまり、そういうことなのだろう。

「さあ、さっさと自白を――」

「待って!」

 その声の主は――北南さんだった。

「――何、西東さん」

「いるか君は、無実です!」

「⁉」

 皆の目が北南さんに集まっていた。

を庇ったってあなたには何の利益もないのよ?」

「明楽所長、待ってください!」

「何なの⁉」

「だって私、昨晩はいるか君と一緒にいましたから」

「――嘘でしょう?」

 明楽の表情が曇った。

「どうしてそれを今まで隠していたの?」

「そ、それは――……」

 僕は北南さんに助け舟を出そうとしたが――何も言えない。

 僕は悠さんや五条さん、伊地知さんや及川さんを見たが、何も言ってはくれなかった。

「…………」

 すると何を思ったのか明楽は、部屋を飛び出して廊下を走って行った。

「ち、ちょっと所長!」

「待ってください――いったい何を」

 僕が明楽を追いかけると、既に彼女は角を曲がっていた。

「明楽さん!」

――いったい何をする気だ?

 後を追い、僕も角を曲がる。

 見ると、明楽なお子が北南さんの部屋に入って行っていた!

「何してるんですか!」

 僕が叫んでも聞こえていないようにずかずかと部屋に入る明楽。

 僕も扉を開け、中に入る。昨日と同じ、見慣れた部屋。

「ちょっとあんた!」

「…………」

 明楽は無言で狂ったように部屋を漁っていた。

 引き出しを全て引っ張り出し、クローゼットを掻きまわし、箱もすべてひっくり返した。

 埃が舞い、ゴミが飛び散る。

 ばりん!という音とともに置物が割れた。破片が床に飛び散る。

「ちょっ――やめろ!」

「放せヒトゴロシが‼」

 僕が抑えようとしても、彼女はそれを振り払って部屋を荒らした。

 明楽が畳んである衣類を引っ掻き回した、そのときだった。

「――あった‼」

 明楽は二歳児のように幼稚な言葉を発した。

‼‼‼」

 目を真ん丸に開け、狂ったように飛び跳ねる老婆。

 恐ろしい。

 正直言って、とても怖かった。

 気持ち悪い。

「これでお前らの共犯も立証だあぁあぁ‼――だああっはぁあ‼ざまあみろおぉお‼‼」

「…………」

 ひっひっひ、っと、発作を起こしたように笑う明楽。その手には、

 それは間違いなく決定的な証拠だった。



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