もしも「国民の健康のために痩せ過ぎを禁止する法律」ができたら
「くそっ、どこへ消えやがった!」
「お前は向こうを探せ!」
「はい!」
警官たちの靴音が夜の街に響き渡る。
その頃、区画を二つ隔てた路地で、白鳥蝶子と春風香は乱れた呼吸を整えていた。
「どうにか、まけたみたいね」
「はい、お姉様」
禁じられたスレンダーボディを有する二人は、常人には通り抜けられないビルの狭間を抜けて追っ手を振り切ったのであった。
「さぁお姉様、アジトへ帰りましょう」
「ダメよ」
「えっ?」
「もうあの場所は突き止められてると考えたほうがいいわ。今戻れば、飛んで火に入る夏の虫よ」
「でも、それじゃあ【女神たちの肖像】(規制前の写真集)は?」
「諦めるしかないわ」
「そんな! もう桐谷美冬様の柳腰も河北麻季子様のおみ足も見られないのですか?」
「香、わがままを言わないで。私だってつらいの」
「そうですよね、ごめんなさい」
「こんなこともあろうかと、別のアジトを用意しておいたわ」
「さすがお姉様!」
「行きましょう」
「はい」
二人が歩き出した瞬間、
い~しや~きいも~
おいも~
おなじみの歌と共に、甘い芳香が二人の鼻をくすぐった。
ぐう
と、香の腹が鳴った。
彼女はその名にふさわしく、おいしそうな香りに敏感なのである。
きっ
と、蝶子が香をにらみつけた。
「ごめんなさいお姉様!」
「あなた、おなかが空いてるの?」
「そんなことありません」
「正直におっしゃい。ほくほくの石焼き芋が食べたいの?」
「……」
「サツマイモなら美容にいいとでも?」
「ビタミンは豊富です。でも、糖質の塊です!」
「その通りよ。私たちが口にするもんじゃないわ」
「焼き芋なんか食べたくありません。見たくもありません!」
「さ、行くわよ」
「はい」
蝶子が颯爽と歩き出した。
石焼き芋屋のトラックが二人の横をのろのろと通過していく。
香はぎゅっと鼻をつまんで、蝶子の後を追った。
◆ ◆ ◆
翌日、新しいアジトであるマンションの一室で、蝶子と香は日課のヨガをこなしながら、二人の同志の到着を待っていた。
ここで落ち合う手はずになっている。
しかし、約束の時刻を過ぎても一向に現れない。
「何かあったんでしょうか」
香が心配そうに言った。
「……」
蝶子は目を閉じて肩甲骨の周辺を伸ばしている。
「もしかして、捕まってしまったんじゃ……」
「そうかもね」
「そんな!」
「あり得ることよ。私たちは法に触れることをしてるんだもの」
「もしそうなら、助けに行かないと……」
「どこへ?」
「……」
「下手に動いたら私たちまで捕まるわ」
「見捨てるんですか?」
「感情的になっちゃダメ。私たちの目的は何?」
「明日のショーを成功させることです」
「そうよ。何があっても、ショーは絶対に成功させなきゃいけない。あの子たちが来ないなら、私たちだけでやるしかないわ」
モデルも観客も、真健法(真・健康増進法)に反対する者たちだけで行う秘密のファッションショー。
同志である二人のモデル――櫻子と飛鳥は、捕まったのではなく、怖気づいたのかもしれない。その可能性に蝶子は当然気づいている。だが、あえてそれを言うことはない。
重苦しい雰囲気を打ち消そうと、蝶子はリモコンでテレビをつけた。
「まいう~」
あろうことか、その時放映していたのは、恰幅のいい芸人が地方のグルメを堪能する番組であった。
「うまっ、うまままま! 奥さん、このエビ、ホントぷりっぷり! 弾力の宝石箱や~」
ナレーションはひどいものだが、デブが汗をかきながら食事をしている姿というのはそれだけで絵になるものである。
蝶子は即座にテレビを消すべきであった。しかし、タルタルソースのたっぷりとかかったエビフライは確かにものすごくおいしそうで、目の毒だと思いながら、どうしても指が動かない。
「お姉様!」
と、香が蝶子からリモコンを引ったくり、
「えいっ!」
と気合いを込めてテレビを消した。
蝶子は解き放たれたようにため息をついた。
「ありがとう、香。助けられちゃったわね」
「当然のことをしたまでです」
真健法が成立して、グルメ番組はかつての1.5倍に増加した。女性向けファッション誌の売り上げは半分以下に落ち込み、書店の店頭にはグルメ情報誌がずらりと並ぶようになった。少年ジャンプは連載の半分をグルメ系が占めている。まさに空前のグルメブームであった。
二人は揚げ物への幻想を振り払うように、レンジで蒸した野菜を勢いよく食し、翌日のショーに向けて最終調整に勤しんだ。
会場として予約しているホールの管理人・忍田雫から蝶子の携帯に電話が入ったのは、香が半身浴でたっぷりと汗をかいている時であった。
「冗談でしょ?」
「冗談でこんなこと言うわけないでしょう」
ごめんなさい、やっぱり明日は貸せない――雫はそう告げたのであった。
「今になって言われても困る」
「本当にごめん」
「あなたのことは同志だと思ってたのに」
「私もそのつもりだった」
「じゃあ、どうして?」
「妹が結婚するの。折り合いが悪くてずっと音信不通だったんだけど、式に招待してくれて」
「……」
「勝手すぎるよね。許してなんて言わない」
「一つだけ質問」
「何?」
「妹さんは痩せてるの?」
「いいえ。最近会ったけど、控え目に言ってもぽっちゃりね」
「そう」
「……」
「せめて痩せててほしかったわ」
吐き捨てるように言って、蝶子は電話を切った。
会場がなければショーは開けない。
万事休すかと思われたが、蝶子が風呂に入っている間に、今度は香が飛鳥からの電話を受けていた。
聞けば、飛鳥は雫が会場貸しを渋ることを見越して、別の会場を抑えに行っていたのだという。
「良かったですね、お姉様!」
「そうね」
蝶子は微笑んで見せたが、内心では、
(罠だ)
と感じていた。
あまりにタイミングが良すぎる。飛鳥は警察と通じている公算が高い。
けれど、今から新しい会場を探すのも現実的ではない。「反社会的」な集会を開こうというのだから。
(イチかバチかね)
蝶子は飛鳥の指定した会場でショーを開催することを決意し、秘密通信でファンたちに会場が変更になったと伝えた。
◆ ◆ ◆
夢のようなひとときであった。
違法なスレンダーボディに憧れる女たちの前で、実際に違法なスレンダーボディを有する蝶子・香・飛鳥は、磨き上げた肉体と最新ファッションの数々を披露した。
蝶子はキレイ系、香はかわいい系、そして、全体が痩せても胸だけ痩せない特異体質の飛鳥はセクシー系。高身長でモード系の似合う櫻子を欠いたのは残念だが、
(ショーが開けただけでも感謝しなきゃ)
と、眩しい照明を浴びながら蝶子は思った。
警察の罠ではないかという不安は杞憂に終わる――はずであった。
いよいよクライマックスというところで、不意にステージが暗転。
客席が明るくなると共に、後方の扉から二人の警官が突入してきた。
女たちの悲鳴は、
「動くな!」
というマッチョな警官の一喝で封殺された。
「真・健康増進法違反で全員逮捕します。大人しく我々の指示に従ってください」
比較的静かな口調で言ったのは、スリムな警官である。
後にわかることだが――飛鳥が警察と通じていたわけではない。怯えた櫻子による密告であった。
「貴様ら、まったく、紙きれみたいに痩せおって。不健康だからやめろというのがわからんのか。真健法は他でもない貴様らを守るために……」
マッチョな警官のネチネチした説教を、
「余計なお世話なんだよ!!」
ランウェイの先端に立つ蝶子の怒声がブッタ切った。
「何だァ、抵抗する気か?」
「痩せ過ぎが健康に悪いなんてことは百も承知! 私らは好きで痩せてんだ! 今の自分が好きなんだ!」
「ふん、そうかい。だがあいにく、俺には魅力的とも思えんな。女ってのはしっかり脂が乗ってたほうがいいんだよ」
この発言には、それまで萎縮していた会場のあちこちから、
「最低」
「エロオヤジ」
等々のブーイングが上がった。
「けっ、女の努力は男のためっていう典型的な勘違い野郎だな。よく見てみろ。客席に一人でも男がいるか? 女には女の理想があるんだよ!」
「だからその理想とやらが不健康だと言っている!」
「知らん! 骨が折れようと病気になろうと関係ない! 私たちは、いや、私は! 風に飛ばされそうなほど細い女が最高にキレイだと思う!! この価値観は法律が変わったからって一ミリも揺るぐことはない!!」
水を打ったような静寂。
それから、割れんばかりの拍手。
マッチョな警官は小さく咳払いをし、
「とにかく逮捕だ」
と言って、ランウェイのほうへ歩き出そうとした。
その後頭部を、スリムな警官の弾倉がしたたかに打った。
「がっ……!?」
マッチョな警官は目を見開いたまま気絶した。
「結婚して四年目になります」
と、スリムな警官は唐突に身の上話を始めた。
「昔はモデル体型同士の誰もが羨むカップルでした。それが、真健法ができてから、相方はこれ幸いとばかりにぶくぶく太り始めました。まんまるい彼女もかわいいなと思います。でも僕は正直、彼女にずっと痩せていてほしかった」
それから、スリムな警官は、
「どうぞお逃げください。皆さんは大変おキレイです」
と言って、ピシッと敬礼した。
力の抜けた蝶子はへなへなとその場に座り込んだ。
「お姉様!」
と、香が駆け寄る。
ところが、ガラス細工のような蝶子の体すら、香の細腕では助け起こすことができない!
過度なダイエットはやはり相応のリスクを伴うのであった。
(了)
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