第5話 巡礼にグラナダ

     1


 課長は事務所にいなかった。

 冷房がんがん点けっ放しで行くようなところは。

 母屋を捜索していたら、どうゆうわけか本部長に捉まってしまった。どうしてこの忙しいときに。

「オズ君は。どこの病院だね」

「オズ君?といいますと」病院?

「ほら、君が入った。前課長だよ。無事なのか。怪我は」

「無事もなにも」なんだ胡子栗エビスリか。

 心配?本部長が。

 事件のことよりも胡子栗?

「すみません。急いでますので」

「無事ならそれでいいんだが。ああ、オズ君によろしくね」本部長はにこりと微笑む。あのにこりともしないことで有名なあの本部長が。

 どんな関係だ。

 そんなことより課長は。用もないときに用もないようなことで掛けてくるくせに。こっちから掛けようと思うと全然繋がらない。ケータイも不在。

「どうでした?」スーザちゃんから電話。祝多出張サービス界隈を捜してもらっている。「そちらは?」

「不発。課長の家って知ってる?」

 時刻確認。

 10時半。

「そちらはボーくんに任せてありますわ」

「ボーくん?」暴君。「あ、はいはい」暴君課長。瀬勿関先生談。胡子栗だ。「合流しない?手詰まりだし」

 祝多出張サービスに向かう。道すがら朝食になりそうなものを買って胃に流し込んだ。噛んだってどうせ消化できない。交感神経が優位すぎて空腹も感じていなかったが、いま食べないと今日一日何も食べられない確固たる予感があった。

 逮捕すべきは課長なのか。代表の話が本当なら。

 姉を、娘を殺した。

 どういう文脈でだろう。文字通り殺したというよりは。

 何か別の原因があって間接的に命が絶たれた。ような。

「連れてこなくて結構です」祝多出張サービスで待たされていた代表が言う。スーザちゃんに強制連行されたので少々気が立っているせいもある。「今更あの男に会わせてどうするつもりですか。殺意しか湧きません」

「殺したらよろしいのに。殺したいのでしょう?」

「スーザちゃん」冗談にしたって言いすぎ。

 出されたお茶も菓子もまったく手をつけられていない。毒入り云々というよりはそれどころではないのだろう。代表は来客用ソファに。

 二代目店主は相変わらずデスクでモニタを見つつ。「今夜の依頼に間に合うとよろしいのですけれど。信用問題ですわ」

 スーザちゃんが代表を。

 祝多出張サービスに連れて来た真意は。

「死んでほしくないんですよ」あのまま代表を残して帰ってしまえば、阿邊ルシユと同じ末路を辿るともわからない。

「死体を片づける面倒もお考えになって?」

「スーザちゃん」毒舌なのか意地悪をしたいのか。「胡子栗はどうなったんだろうね」話題を変えよう。

「説得中ですわよ」

「誰が?」誰を。

「ですから、説得を任せましたのよ」スーザちゃんが大自然の摂理を説くような口調で言う。「課長さまは、ボーくんのゆうことならばなんだって聞きますもの」

「あのさ、胡子栗が消された理由って」考えたくないが。

 本部長のあの態度で決定打。と言わざるを得ない。

「課長さまを寝取ったからですわ。ママから略奪して」

「えーっと、課長と祝多さんの関係て」

「あら。ゆってませんでしたかしら」

「いい。やっぱいい」やめよう。この話題も。「お腹すきませんか代表。大丈夫ですか」

「イワタ様を行方不明にさせ、今度は私ですね」代表がスーザちゃんのほうを向いて言う。「二代目を名乗っている割には、イワタ様のお心がちっとも受け継がれていないのですね」

「そこまでくどくどと仰るのならば、二代目など譲って差し上げますわ。どうぞ?いまこの瞬間からお遣りになって? 地下から適当な屈強をピックアップして、ターゲットの職場に堂々と踏み込む段取りを整えて、自ら現場を取り仕切りますのよ? あなたにできて?課長さま以上に強姦を憎むあなたが。輪姦を指揮できる根性がおありでして?」スーザちゃんは、そこで初めて代表を見た。

 とても数日前に18を迎えた女の子には思えない。

 18を迎えるだいぶ前に。

 18などとっくに凌駕する経験を、目の当たりにさせられた。しかも自分の意志やなにもかもを無に帰された状態で。

 そうゆう百戦錬磨の年季。僕なんか到底及ばない領域を。

 たった一人で支配している。

 背負わされている。「若造が。死んだ姉に肉体提供したかなんだか知らないが、女のカッコしたくらいでいい気になるなよ」スーザちゃんとは思えない鈍器のような声色。

 スーザちゃんだろう。

 僕も代表も口を開いていないのなら。

「そっくり返します。少女の格好をしたくらいで」代表も負けじと言い返すが。

 少女の格好をしたくらいで。

 やはり。そうなのか。「スーザちゃん?」

 世の中は空前の女装ブームなのか。胡子栗といい。いや、胡子栗は仕事か。一応潜入捜査という建前がないわけでなくはない。

「違いますわよ。なにをよからぬ妄想を」スーザちゃんが代表を指さす。「こちらは正真正銘ですけれど、わたくしは決して」

「そうなんですか?」訊きたくもなかったが。

 女のカッコしたくらいで。

「姉を殺した父への当てつけです。私が言うのも変ですけど瓜二つなんですよ」代表が立ち上がって、スリットに手を遣る。「見ますか?」

「いえ、一向にお構いなく」

 乱雑にドアが開いて、胡子栗が飛び込んできた。いかがわしいまでのタイミングだが、外で聞き耳を立てて計っていたとしてもなにもおかしくはない。そのくらいの演出はやる。

 気になるのは、気にしたら負けなのだが。下を履いていない。白いワイシャツから無駄に白い脚が。ネクタイまでしてどうしてズボンを履かないのだ。とツッコんだらきっと負けだ。

「いやあ、ごめんごめん。メガネのときはあれだけぶっかけるなってゆってあるのに。メガネしてたから儲けたとか思って寄ってたかられちゃってさ。洗ってたら時間かかっちゃって」

 人類史上に残る遅刻の言い訳の中で、間違いなく最悪の部類。より最悪なのが、これが急場凌ぎの嘘でもなんでもなくて真実だということだ。真実だろう。胡子栗に限って。

「仕事以外では外せとあれほど」スーザちゃん。ごめん。

 そこじゃない。

「久々のゲストだったからついね。見たくなっちゃってね」胡子栗が廊下から何かを。

 引きずりこむ。課長だった。

 直接的な言い方を避けるなら、着衣の乱れがあり。集団で暴行を受けたあとのような。尚、付着していた体液からDNA鑑定うんたらかんたら。

 代表があからさまに顔を背ける。「その汚らしいものを近づけないでください」

「汚らしいって。それはあんまりですね」胡子栗が。力なく四肢を投げ出してなんとか上体を起こしている課長の肩に。「トロツキは、代表の父親は」腰掛ける。「自分から頼んできたんですよ?同じ目に遭わせてくれって。土下座までして頼むもので。俺だって散々っぱら世話になった手前、いろいろ溜まってるもんとかぶちまけたいわけ。じゃなくって、俺の都合はこっちにやっといて」

「同じ目ならすでにイワタ様に」

「遭わされた?いんや」胡子栗が顔の前で手を振る。違う、の意。

「遭わされました。私が依頼して」代表が身振り手振りを大げさにする。余裕が消えて。「いるはずです」

「はず。ですよね?見ていない」

「遭っています。遭わせていただけたと」

「聞いただけ。見てもないのに」

「イワタ様が嘘をついたと?そんなはず」代表が恐る恐る視線を落とす。胡子栗の下の。

 僕の位置からも、誰の位置からも課長の顔は見えない。項垂れている。そう少なくない毛髪に通常絡みつくはずのない体液が多量にへばり付いている。

「んじゃ、とっておきのヒント。欲しいですか?あげても。ムダくんがれろちゅーしてくれたらね」胡子栗が赤い舌を出す。

「しないから」

「イワタ様に限って」代表は思い当ったようだった。

 よかった。代表の役に立たなくて。

「そんな初代に限っちゃうんですよ。困ったことに」胡子栗が課長の背中を平手でばんばん叩く。太鼓の延長。「トロツキを寝取った俺が殉職扱いにされちゃったの。まんまと課長の座まで乗っ取って。信じられる?この仕打ち」

 胡子栗に関しては自業自得の一点だが。

 祝多さんが、課長に。

 気があったとかなかったとかいうのは正直寝耳に水で。

 ないだろう。

「その愛の結晶がわたくしですわ」スーザちゃんが大真面目な顔で言う。

「ウソ」

「嘘ですわ。わたくしはママから産まれておりません」

「そうなの?」てっきり母親かと。

「殺してくれ」地獄から這い出たような怨霊、ならぬ音量だった。課長だ。「求めているのは謝罪なんかじゃない。わかってるさ。わかってる。殺してくれて構わない。殺してくれ」

「どうしていままで生きていられたんですか。のうのうと」代表が言葉を吐き捨てる。「殺す価値はありません。死ぬなら自分で」

「殺してはくれないのか」課長は顔を上げる気力もない。

「殺したら終わって」ああ、と溜息をつき。代表がスーザちゃんを見る。「イワタ様が仰りたかったのはこのことですね。ようやくわかりました。どうして誰一人」

 殺さなかったのか。

「単に惚れてたからなんだけどね」胡子栗が腰を上げて、課長を床に転がす。「出会うまでは、んな感じだったよ? それでせーかい。だけど、トロツキに会ってから初代は出張を渋るようになっちゃってね。これじゃ出張サービスの広告に偽りありってことで、かるーいお灸のつもりでね?」奴は寝取った理由を正当化しようとしている。「逆におもーいものを据えられちゃったと、まあそうゆう」

「それでイワタ様を」行方不明にした。代表が言葉を濁す。「とにかく諸悪の根源はこの男です。なにもイワタ様を」

「だからね?トロツキに手を出すと俺にみたいに消されちゃうの。わかってる?消されたいの?代表。志半ばで」

「イワタ様はご無事なのですか」

「無事のてーぎにもよるね」胡子栗が店主の席を仰ぐ。「どうですかね?そこんとこ」

「わかりませんわ。行方不明ですもの」スーザちゃんが言う。「そんなことより、汚物をここに持ち込まないでとあれほど。腐乱死体のほうが幾分かマシですわ」

「んじゃ処分で?」

「二度も三度も言わせないでくださいまし」

「待ってください。処分て」代表が眉を寄せる。「どうするの?」

「処分は処分ですよ。所有者の許可も出たし」胡子栗が元来たように課長を引きずって。「でわでわ、お邪魔しました」

「殺すのですか?」

「んな勿体ない」胡子栗が手を振りながらドアを閉める。

 台風一過だが。

 ちっとも晴れ渡らないのは僕だけではないらしい。

「殺さないのですね」代表がスーザちゃんに言う。眼はドアに固定されたまま。

「あら。あれほど殺せ殺せと仰っていましたお口は一体どちらに仕舞われたの?ああ、そうでしたわね」スーザちゃんがぽん、と手を叩く。「ママのお心が理解できたとか。まやかしですわね。このわたくしにだって」


      2


 代表は、再びソファに座りなおすと静かに語り出した。完璧に僕だけに。スーザちゃんはいつの間にやら中座していた。

 事件のあらましは、僕が課長に脅されてやらされた取り調べモドキのときに明かされた内容とほぼ同一。

 第1の事件。

 有谷長名歯科医は、患者を搾取していた。

 実の娘までも手に掛けようとしていたのを見兼ねた樫武射月が、祝多出張サービスへ依頼。天罰を受けた有谷だったが、絶命しておらず、当然致死までプランに組み込まれていると思い込んでいた樫武射月は激昂し、包丁で歯科医を殺害。死体を引きずっているところを砂宇土夜妃サウドようひに目撃されるも、事情を話し口裏を合わせる。そして出勤してきた地場李花ジバりふらをも巻き込んで三人の共犯が成立。死体損壊の表明として、生前歯科医が愛用していたドリル計7本を口にねじ込み、晴れて三人は110番通報をする。

 第2の事件。

 羽太籠牟美術教諭は、美術部員を搾取していた。

 反旗を翻した部員全七名が一斉に退部届を提出するも、ただ一名、移次未知生のみ退部を認められず、業を煮やした当人は、祝多出張サービスに依頼。天罰を受けた美術教諭だったが、絶命しておらず、当然致死までプランに組み込まれていると思い込んでいた移次未知生は諦観し、自らの制服のネクタイで教諭を殺害。死体損壊の表明として、死体の着衣を剥ぎ取り、生前教諭が愛用していた絵筆で、身体の前面をキャンバス代わりに油絵を制作。夏休み中たまたま出勤していた校医に自らの犯行を語り、新対策課の初出動と相成る。

 第3の事件、市職員殺害事件は、

「他と毛色が異なるので後述します」代表が断りを入れる。「お気づきならわざわざ申しませんけど」

 第4の事件。

 加見野圭代プロデューサは、アイドルを搾取していた。

 デビューさせる見返りとして、事務所所属のアイドルの卵たちが身体を強要されていたが、回数を重ねても一向に約束が履行されることはなく、詐欺だと悟ったイブンシェルタ代表補佐、馬津冬詩バツとうたが祝多出張サービスへ依頼。天罰を受けたプロデューサだったが、絶命しておらず、当然致死までプランに組み込まれていると思い込んでいた馬津冬詩は決壊し、楽屋に置いてあった撮影用の銅像でプロデューサを殺害。死体損壊の表明として、彼が手がけた人気アイドルグループのCDをばら撒いていたところで、絶命したと思われていた遺体が蘇生。

 代表が言うには、プロデューサはそこで自らの罪の大きさを受け止めたらしい。「彼は天罰を受け入れたのです」

 馬津冬詩が退室したのち内側から鍵を掛け、床に散らばっていたCDを背に乗せ、偽装工作をしたのち今度こそ絶命。出番になってもなかなか現れないプロデューサを呼びに来た番組スタッフにより発見。その際ドアを外側から破っている。

 第5の事件。

 予備校講師三名は、生徒たちを搾取していた。

 学力の火急的迅速な向上を謳って行われていた個別授業の裏で、少女たちが餌食にされていた。文葦学園高校三年の阿邊流秋は、その噂を聞きつけ、夏季学力強化合宿に潜入。噂の真相を確かめ、合宿をぶち壊す狙いで祝多主張サービスへ依頼。天罰を受けた講師三名だったが、絶命しておらず、当然致死までプランに組み込まれていると思い込んでいた阿邊流秋は失意し。

 首を吊った。

「ルシユさんが亡くなったのは誤算でした」代表が言う。

「どういうことですか」誤算?

 第3の事件。

 尼子屈肥留市職員は、援交少女に搾取された。

 惣戸杏里耶は、あらかじめ時間を指定し、市役所に居残らせていた市職員を女子トイレに呼び出し、個室の鍵を掛け、便座に座った状態の市職員に跨り、自らの膝にビデオカメラを載せ、録画ボタンを押した。達して朦朧としている市職員に、もっと気持ちがよくなる薬と称した毒物を言葉巧みに服用させ、殺害。

「私が知っているのはここまでです」代表が席を立つ。「行方不明の少女を捜していましたね」

 有谷霜子。

 そうだった。他にいろんなことがありすぎて。

「イブンシェルタにはいないんですよね?」

「出入りを禁じました。それでは」

 止める人がいないので僕が呼び止めるほかない。「あの、有谷霜子は」どこに。

「そちらで保護している惣戸アリヤさんは別人です。ケーサツの方にそうお伝えください」

「全然わからないんですけど」ケーサツの方って。

 僕だっていちお、ケーサツの方には違いない。

「そろそろ戻ってきていると思いますよ」そう言い残し、代表は帰ってしまった。

 帰していいのかわからなかったが、スーザちゃんがいないのが悪い。代表の話を延々聞きたくなかったからかもしれない。知っていることをくどくどと。

 やはり知っているのだ。スーザちゃんは。

 有谷霜子が戻りそうなところといったら。

 有谷小児歯科。

 立ち入り禁止のテープは取り去られていた。

 調べることはもう何もない。

 三人の共犯。

 結果的に三人の共犯になってしまった。

 のではなくて、最初から。

 三人は共犯で。

 有谷小児歯科に勤めたとしたら。

 三人の共通点。イブンシェルタ。

 殺さない祝多出張サービスに代わって。

 殺している。

 イブンシェルタが。

 天罰を下している。

「ケーサツの人?」クリニックの看板を見上げていた少女が言う。

「どうやって密室にしたんだろう?」僕は尋ねる。

「簡単」少女が答える。「出口は一つだけです」

 行方不明者を捜すのに、どうして。

 課長が写真を寄越さなかったのか、

 いまわかった。

「ドアよじ登ったってこと?」

「ソウコちゃん、釈放してくれません?」少女が言う。

 惣戸杏里耶と。

 見分けがつかない。同じ制服。似たような髪型。

 手足が白く長い。

 貼りついた無表情。

「あたしの身代わりになってるんです」

 誰に連絡していいのかわからなかったので。

 スーザちゃん?否。

 胡子栗?否。

 まだ何も裏切っていないと思われる瀬勿関先生に。

「どうすれば」

「本人なんだな?」先生はすぐに出てくれた。

「有谷霜子さん?」僕は、少女に尋ねる。

「お父さんに会いたいんですけど」少女が僕のケータイに向かって。誰と話しているのかお見通しとばかりに。「死んでないんでしょ?ソウコちゃんが言ってた」


      3


 国立更生研究所 所長

 瀬勿関先生が首からかけているIDカードにそうあった。

「私にぶら下がってる肩書の中で最も知名度が低い」

「高いのはなんですか」反射的に尋ねてしまったが。

「疑問は三つ以内に厳選しろ」瀬勿関先生が無機質な壁にIDを近づける。「お前もだよ。有谷霜子」

「本当にお父さんに会わせてくれるんですよね?」

「それが一つ目でいいのか」

 目隠しを条件に同行を許可されたので、詳しい住所は不明。建物の中まで来てようやく視覚を解放されたため、建物の立地条件も不明。だいたい更生研究所とはなんなのか。ここに有谷長名がいるのか。

 白く無機質な廊下を進む。照明が先回りして後始末までしてくれる。僕と有谷霜子と先生の靴音だけが響く。総合病院や大学の付属病院のような匂い。

「ここで待っていろ」そう言い残して先生が姿を消す。僕らにはわからない扉から廊下を脱したのだろう。

 向かって左にちょっとしたスペースがあった。博物館か何かの映像コーナに似ている。希望のボタンを押すとそれについての解説が始まる。有谷霜子は迷わず1のボタンを押した。

 スクリーンに鮮明な映像が。周囲が暗いので余計に際立つ。

 有谷長名だった。

 全裸の。

「お父さん」有谷霜子が立ち上がる。「やっぱり」生きていた。

「霜子か」

「そうだよ。わたし。霜子だよ」

 有谷長名はきょろきょろと上下左右を検分する。どうやら向こうからこちらは見えていないらしい。ワンサイドミラ。

「どこだ?霜子」

「ここだよ。お父さん。わかんないの?」

「違う。違うんだ。私は」有谷長名は、僕らには聞こえない声に怯えているようだった。両耳を塞いで首を振る。「私は。娘とわかっていたらあんなこと。違う。違うんだ。信じてくれ」

「どうしたの?お父さん。しっかりして」有谷霜子はスクリーンに手をつける。「わたしはここにいるよ?お父さん」

「そうだ。違う。お前は私の娘なんかじゃない。知らない。あんな娘。私の娘は霜子だ。アリタニソウコ。そいつは誰なんだ。ソウコアリヤという娘は」

 有谷長名は、僕らに見えない何かに必死に言い訳をしている。

 有谷霜子ならここにいるが。

 惣戸杏里耶は、第3の事件の被疑者として。

 保護されたのでは。

「お父さん?どうしたの?大丈夫」

「違う。私がしていたのは治療だ。私を誰だと思っている。歯科医だ。歯科医の私がするのは歯の治療以外にない。そうだろ?だったらもう何も言わないでくれ。反省しているから。もうしない。絶対だ。頼む。私を」

「お父さん」

「殺してくれ。耐えられない。私は、私が娘を」

 有谷長名の後方に、

 瀬勿関先生が立っている。

 黒の下着姿に白衣を羽織った。

「罪を認めたって駄目だ。何も悔い改められない。お前らにできるのは、ここで、永久に、死ぬまで、いや、死んでも人類の役に立つ有意義な実験と研究にそのつまらない肉体とくだらない精神をささげることだ」

 死刑宣告のようだった。

 有谷長名が床にへばり付いて。礼拝でも土下座でもない。

 これが、

 国立更生研究所で執り行われている実験と研究。

「許してくれ」床が喋る。

「許さない」天井が答える。

「なんでもする」

「最初からそう言えば世話はない」瀬勿関先生が一歩下がると。

 白衣の男と、看護師らしき男が部屋に入って来て。

 有谷長名の両脇をそれぞれで拘束して部屋の外へ。

 瀬勿関先生が白衣を翻してくるりと向きを変えると。

 画面が沈黙した。

「お父さん!」有谷霜子が叫ぶ。「お父さんお父さん」他のボタンを連打するがスクリーンに明かりは戻らない。「どうして」

「どうしてか。そいつがわからないほどに馬鹿な娘か有谷霜子」

 僕らのすぐ後方に。

 瀬勿関先生が立っている。

 気配。

「録画ですか」スクリーンの映像。

「惣戸杏里耶の保険証を使って別人になりすましたところで、歯の治療はしてもらえなかったんだろ? あいつがやってたことは万死に値する。が、死なせてなどやらない。死なせてやるものか。終わらせない。未来永劫私の」

 瀬勿関先生は、スクリーンの映像とまったく同じ格好だった。

 死んだスクリーンに映る。

 いささか過激すぎるデザインの黒の上下。

 ガータベルトで吊られた黒のタイツが如何わしすぎて視線が逸らせない。外出用の赤いハイヒールでなく、歩くとぺたんぺたんな来客用スリッパなのがこれまたアンバランスで。

 決して胡子栗が自分を棚に上げていなかったことが判明する。しかし、五十歩百歩のドングリの背比べだ。

 片や全裸で女装。

 片や下着で白衣。

「返してください」有谷霜子が瀬勿関先生に食らいつく勢いで。

「私にはお前らのような思慮のない娘を守る義務がある。親権も効力を持たない」

「違います。ソウコちゃんは?」

「ああ、そうか」瀬勿関先生がほくそ笑む。「大丈夫だ。保護しているよ。言ったろう?」

「ソウコちゃんは冤罪です。真犯人のわたしを捕まえてください」有谷霜子が両腕を差し出す。

「だ、そうだ。対策課のムダ君」

「具体的に何をしたの?」無駄な質問。

「ソウコちゃんを殺します。お父さんをあんなにしたから」

「質問の一つ目を使います」僕は瀬勿関先生の首から上を見る。「課長はここにいますね?」

「君は切れ味が良すぎる」


      EVEn5


 示し合わせたわけじゃないけど、きっと。

 今日あたりだと思った。

 イルナがやらなきゃあたしがやってたくらいだし。

「天罰ですね」ヨウヒが言う。遅刻ぎりぎりでこっそり忍び込むあたしを見つけて。

「どこ?」有谷センセのなれの果ては。

「どうして死んでないの?」イルナの絶叫が聞こえる。

 診察室。

 一番奥の椅子。リクライニングされている脚。

「天罰じゃないの?」イルナが言う。錯乱一歩通り過ぎて。

「酷い顔だけど」有谷センセを見る。「死んでないわけ?」触りたくなかったのでイルナに訊く。「依頼したんでしょ?」

「イワタ様がいないから」ヨウヒが言う。「殺されたんです」

「誰が誰によ?」

 ヨウヒは自分だけで話が飛んじゃってわかりにくい。

 イルナは自分だけで話を進めちゃってわかりにくい。

「誰が殺されたってのよ?イワタ様が」殺された。

 誰に。どうして。

「イワタ様がいないんじゃ」イルナがあっちの世界で唱える。どうしたらいいか。お先真っ暗。

 違う。

 天罰は。

「スイナさんがいるじゃない?そうでしょ」あたしたちもいる。

 同質の7人。

 イワタ様の遺志を継げばいい。

「天罰ですね」ヨウヒがそっちの世界で唱える。

「天罰よ」そうそう。

 死ぬしかないわけ。

 有谷センセ?

「天罰ね」イルナが包丁を振り下ろす。


 Q.有谷長名には死ぬ価値があったのか

「イルナに訊いてよね」

 ※少女5 高らかに笑いだす

「あたし、なんて言った?憶えてないの?」

 A.夜は避けたつもりだ

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