打解:Belief has been Remaining

 翌日。ミュウは再び、金時会館の清掃を任されていた。


 あの後、会館のメイド総出で展示物を戻した。作業はすぐに終わったが、倒れた展示物にはいずれもキズや欠失は見られなかった。ミュウ達はほっとすると同時に、高い頑丈さを誇る対馬の性能を垣間見た。


 その後、ミュウは母屋の一角にある部屋で寝泊まりした。狗美だけではなく金時のメイドと一緒の相部屋だったが、ルームメイトのメイドは仕事が終わるなりすぐに眠ってしまい、会話という会話は出来なかった。


 ショールームの清掃がひと段落すると、今度は会館前の外の掃除を依頼される。竹箒で掃き掃除をしていると、ミュウは母屋近くにある中庭のベンチに座っている小さな影を見つけた。自室にいるはずの立人だった。


 ミュウが近付くと、こちらに気付いた立人は酷く驚いていた。察するに、こっそり抜け出してここに来たのだろう。


 ミュウは、立人の座りにそっと座る。


「ねえ、立人君。昨日のことはもういいから、立人君が遭ったっていう怪物について教えて?」


 ミュウの切り出した話題に、きょとん顔の立人。ミュウは話を続ける。


「立人君が遭った壊素怪火っていうの、多分、壊素怪火のことだと思うんですけど、私も何度か遭ったことがあるんです。ほら」


 首のメイドリングを操作し、ミュウは今までに戦った壊素怪火の映像を見せる。全体像が分かる程度のもので、ショッキングなシーンは省いたものだ。


「すごい! じゃあ、君は信じてくれるんだね? 僕が見た怪物のことも!?」


 立人の反応に、ミュウは心の中でビンゴ! と叫んだ。


「ええ。ですから、詳しい話を教えてくれませんか? どんな見た目をしていたんです?」


「僕が……、僕が見たのは、虫みたいな見た目をしていたんだ。とっても大きくて、羽が生えてて、ハサミみたいな大きな顎があって、腕がとても鋭かったんだ」


「……!?」


 その説明に、ミュウの心臓がどくんと跳ねあがる。


 ――なに、怖がるこたあねえ。見た目と違って、いたぶる趣味はねえからよ。


「どうしたの?」


「いや、気にしないで。もっと、詳しい話を聞かせて? あたし、立人君の力になれるかもしれません。どこでそれを見たんですか?」


 ミュウが訊くと、立人は下を向いてしばらく黙りこんだ。やがて、ゆっくりと口を開く。


「一週間くらい前の夜なんだけど、廊下の窓から見えたんだ。外に大きな影があったんだよ。すごく大きくて、とんでもなく怖かった。部屋で寝ていると、ブーンと音を立てて飛んでいて、窓から差し込む陰に虫の影があって……僕はいつか食べられちゃうんじゃないかって、本気で思うようになってたよ」


 たどたどしくも、立人は話を続けていく。


「その後なんだよ。実は、うちのメイドが一人死んだんだ。僕は現場を見せてもらってないから分からないけど、首を斬られて死んだんだって。きっと、あの虫の化け物に襲われて死んだんだと思う。いつか僕もそうなるんじゃないかって、本当に怖かった。ママは大丈夫って言ってただけだけど、本気で気にかけてくれたのはパパの方だった。僕の為に、パパは警護のメイドを増やすって言ってくれたんだ。ママのせいで、プレゼンの時までってことにされちゃったけどさ」


「立人君……」


 淡々と語ってくれた立人だったが、その顔は今にも泣きだしそうだった。無理もないだろう。相当な恐怖を経験したのだから。自分だってよく分かる。なのに、ちゃんと喋れるだけ大したものだ。


 立人の一連の行動の意味を、ミュウはやっと理解した。ミュウは、立人の手をぎゅっと握りしめる。


「その壊素怪火、多分、あたしも遭ったことがあります。そいつに、あたしも酷い目に遭わされました」


「え?」


「でも、大丈夫です。立人君は、あたし達が守ります。その壊素怪火、あたし達がぶっとばしてあげますよ! だから――!」


 ミュウは立人の手を握ったまま、立人の目を見て言った。


「だから、あたし達のことを信じてください。いくらその怪物が怖いからって、仲間が死んだのが怖かったからって、あたし達を試すのはもうやめてください。合格とか言ってましたけど、立人君がちょっかいなんて出したばかりに、壊素怪火からの対応が遅れて大惨事! みたいなことがあったら大変ですよ。立人君は、お父様とお母さまは、あたし達に任せてください。……あたしの言ってること分かりますか? 守ってくれますか?」


 立人は無言で何度も頷いた。ミュウはそんな彼を、そっと抱きしめた。


「それでは、立人君、一緒に部屋に戻りましょう」


 ★★★


 この扉は立人を現しているのだろうか、可愛くデフォルメされた熊の顔を模した表札がぶら下がっていた。


「メイドのお姉ちゃん、ええと……」


 子供部屋に入る直前、ミュウの方を振り向いた立人は、少しばつが悪そうに下を向いた。


「あたしのことはミュウでいいですよ、立人君」


「ミュウ……お姉ちゃん、今日はありがとう。僕、ミュウお姉ちゃんもメイドの皆も信じるよ。……またね」


「はい、立人君」


 かくして、立人は部屋の向こうへといった。これでもう、彼が勝手に邸宅中をうろつきまわって騒がせることはないだろう。静かになった扉を眺めながら、ミュウはほっと胸を撫で下ろ――


 もにゅん


「ひゃああん!?」


 ミュウが変な叫び声を上げたのは、司山ヨシヒサが後ろから胸を触ってきたから。それも、脇の下から腕を差し込んで。


「金時会館で掃除するよう命令したはずだ。なぜここにいる?」


 寄せて、離して。互い違いに、上下。互い違いに、円。


「そ、それはっ、とひゅんをみつひゃっ……立人君を見つけたのであんしんせてょにひやにもどっ安心させて一緒に部屋に戻っていたから……です……」


「お前、何言ってるか分からんし、身をくねらせすぎだ」


(あんたが触ってっからでしょこのやろおおおおおっ!)


 下をさわさわ。持ち上げて、下ろして。人差し指で先端を。


「お前、懐いていない猫並みに敏感だな。やはり若いからか? 狗美も相当な感度だったが、お前はその上を行くな」


(何言ってんのこいつマジであり得ないってぇ!)


 なんとか喚いて抵抗をしようとしても身体が言うことを聞かない。無様な喘ぎ声しか口から出ない。


 もしこんな様子を巡回中のメイドに見られてもしたら――死ぬなんてもんじゃない。想像するだけで顔から火が出るってレベルじゃない。


 ねっとりした主からの制裁は数分くらい続いた。けど、ミュウには何時間にも感じられた。


 ——さらに、数分後。


「お前、いつまでうずくまってんだ?」


 そんな司山ヨシヒサを、ミュウは胸を両手で押さえて真っ赤な顔で睨みつけた。


(誰のせいでこうなってるんだよバカッ!)


 ——そして、さらに数分後。


「ったく、主は金儲けばかりの七光りで、夫人は腑抜け。挙句の果てに、長男は放蕩息子と来た。つくづく、救いようのない一族だ」


 ようやくミュウから事情を聞いた司山ヨシヒサは、そう吐き捨てて左右に首を振りながら嘆息を漏らした。


 そんな司山ヨシヒサに、ミュウも流石に腹が立ってきて。


「もういい加減にしてくださいよ。昨日も言いましたけど、なんでそんなに依頼人をバカにした態度してるんですか? あたし達、依頼で来てるんですよね? 何がそんなに気に入らないんですか?」


「ああいうのが、この国の病理を作っているからだ」


 深い溜息をつきながら、司山ヨシヒサは続ける。


「雇われや零細ならまだしも、国の舵取りすら口出せる程のモンならば、自分の儲けだけではなく、てめえ一人では小銭ひとつ得られんような雑魚共も視野に入れた物の見方をしていかなければならん。だが、あのタケシ含め、この国のバカみたいな金持ち共はそれが全く出来ておらん。特にとか猶更だ。奴らがあの程度だから、力丸なんぞに心酔するクズ共が後を絶たんのだ!」


 ひとしきり毒を吐き続けた司山ヨシヒサは、ミュウの方を見て我に返ったように「お前には難しい話だったかもしれんな。とにかく、僕はあいつらが嫌いだ。ずっとやらかし続けてるのに昔から何一つ変わってないのが気に食わんのだ」と付け加えた。


「正直、今のあたしにはピンとこないです。でも、力丸——霊心というクソヤローの名前が出てくるあたり、天冥逆転や壊素怪火と何かしら関係があるんだろうなってのは分かりました」


「それが分かるなら上出来だ。話が分かったら持ち場に戻れ。安心しろ。タケシ共が嫌いなのは事実だが、依頼はきっちりやるからな」


 司山ヨシヒサは歯を剥き出しにして笑むとその場を後にした。同じくミュウも金時会館へと戻る。その道中、ミュウは気付く。


(結局、ご主人様はここに何しに来てたの? あたしの胸触って、依頼人に愚痴ってただけだよね?)


 ★★★


 金時邸には、メイド達が寝泊まりする部屋だけでなく、飲食するための広い食堂もある。流石にミュウの学食ほど広いわけではないのだが、母屋の一階に食堂を設置できる辺り、流石は大企業のトップの豪邸といったところか。


「お疲れ様です、狗美さん。そちらは何か異常はありましたか?」


「今のところ、特に御座いませんでした。ミュウさんの方も特に何もないようで」


 定刻になると、ミュウは狗美と共にこの食堂に来ていた。数多の同業者メイド達がいるとて、やはり金時邸は『アウェー』な環境。こういう場所だからこそ、近くに知っている人がいると色々と安心する。


 配膳のメイドより自分用の料理を頂いて適当な席に座るわけだが、ここでミュウは知っている人物が座っているのに気付く。


「ミュウお姉ちゃん! 狗美お姉ちゃん! やっぱりここにいたんだ!」


「立人君!」


「金時の御子息様!」


 金時立人がいたので、ミュウは彼の隣の席に座ることにした。狗美はミュウの向かいに座る。


「狗美さんも立人君を知ってたんですね」


「ええ。私達と金時一族とのご縁は以前から御座いましたので。ミュウさんも、いつの間にか御子息様と良き関係になっているようですね」


「いやあ、立人君があたし達を信じてくれたおかげなんですよ」


「いやいや、ミュウお姉ちゃんこそ約束してくれたからだよ」


「いやあ、それこそ――」


 というわけで、和気藹々と談笑しながらの食事が続く。


 終わりかける頃、ふと、あることが話題になった。


「ミュウお姉ちゃんって、金時グループについてはどんなイメージがあるの?」


「イメージ、ですか? うーん、特に無いですが、かつて直君のお父さんが勤めてた会社と関係があったくらいですかねえ……」


「直君?」


 聞いたことのない人物に立人が首を傾げると、狗美が補足する。


「もしかしてその方は、かつて住んでいた『家』の同居人の一人ですね?」


「そうです。碓氷うすい直道なおみち君。あたしやヴァン君と違って小学生くらいの頃から『家』に来た子なんですけれど、お父さんが飲酒運転で死亡事故を起こして捕まっちゃって、お母さんも病死しちゃって、他に行く当てが無くなっちゃったから来たんですよね。あたしにとっては優しい弟みたいな子でした。


 で、そのお父さんが勤めてた会社ってのが、金時グループと取引してた企業だったって直君が後で教えてくれたんですよね。そういうイメージです」


 すると、立人はしばし思案した後、何かハッとした表情を浮かべた。


「もしかして、その企業って……安中あんなか製作所のことじゃないかな? 僕、知ってる。3年くらい前、社員が死亡事故を起こしたからって、パパが契約解除をした企業だ」


「なんですか、それ!? まあ、直君は今年で9歳になるし、来たばかりの頃は直君は6歳くらいだったし、確かにそうかもしれません。でも、良く知ってますね、そんな話」


「僕、社会勉強って名目で、よくパパとママの大切な会議に出席させられることがよくあるから」


「うわ、すご……あたしには全く想像出来ない世界の話なんですが……」


「まあでも、基本的には単なる見学だし、どれだけつまんなくても居眠りはしちゃいけないし、楽しい思い出なんてちっともないよ」


 なんて苦笑交じりに答える立人だったが、突然、表情を曇らせた。


「でもあの時、安中製作所の契約解除を宣言した時のパパの顔は一番怖かった」


「怖かった? すごく怒ってたってことですか?」


「いや、そういうんじゃないんだ。……安中製作所って、それなりの企業で社員もたくさんいて、それなのにたった一人が死亡事故を起こしたからという理由だけで、社長に面と向かって契約解除を言っちゃうなんて。しかも、それがきっかけで安中製作所は潰れちゃったんだ。


 パパは当然の結果だって言ってたけど、あれがきっかけでどれだけの人が不幸になったか分からない。なのに、パパは全部自己責任だって。悪いことしたんだから苦しんで当然だってみんなに言い放ったんだ」


 ミュウは驚いた。あんな柔和な雰囲気の男に、そんな酷薄な一面があったとは。


「安中製作所の件だけじゃない。パパは、弱い立場の人達に厳しすぎるんだ。厳しいっていうか、なんか憎んでる。弱い人達は自分達じゃ何も出来ない癖に、いくら恵んでやっても感謝するどころかそれを当然だと思うだけでもっとつけあがるだけ。連中はこの国の経済にとって足手まといに過ぎないのだから、むしろもっと間引くべきだって、そんなことばかり言ってるんだ」


 立人の言葉に熱がこもる。


「でも、そうじゃないと思う。本当は、金時一族ぼくたちが弱い人達と思っている人達がモノを買ったりしてるから、金時の事業って成り立ってるんだと思う。パパの言う通り、弱い人達はろくでもないから弱い人達なのかもしれない。でも、その人達がお金を持っていたら……、そりゃ直接感謝とか期待できないかもしれないけど、巡り巡って僕達全員にも恩恵があるんじゃないかなって、足手まといって考え方そのものが足手まといなんじゃないかなって、僕は思うんだ――」


「立人君……」


「ほう、面白いこと言ってる奴がいるな」


「「うわぁっ!?」」


 立人とミュウが驚きのあまり叫んでしまったのは、司山ヨシヒサがいつの間にか隣の席に座っていたから。


 なんでいつも神出鬼没なんだこの男は!? 驚きのあまり、ミュウはまたもや両手で胸を押さえてしまった。


「い、いたんですか? ご主人様!?」


「当然だ。そこの御子息がうちのメイド共に御高説を垂れてたもんだから聞きに来たんだ。悪いか?」


「いや、悪くはないんですけど……」


 ミュウはそう返すも、肝心の立人がバツが悪そうに俯いてしまってる。


「……その、僕だって、綺麗事のひとつやふたつ、言ってもいいじゃないですか」


「いや、綺麗事なんかでは断じてない。むしろ、よくぞ言ってくれたと称えてやる」


「「えっ!!?」」


 司山ヨシヒサの返答に、立人だけではなくミュウも目を丸くしてしまった。


「なに鳩が豆鉄砲、食ったようなツラしてやがる。間違ったことは言ってない。確かに、お前のことは陰で放蕩息子とは評していた。だが、それは撤回してやる。金時の未来は明るいぞ」


 ニヤリと笑む司山ヨシヒサだったが、ミュウは気持ちの整理が追い付かない。日頃色んな人達を罵倒してばかりの主が、急に誰かを持ち上げるなんて不気味としか思えないからだ。


「立人だったか? かつて、お前と全く同じことを言っていた奴がいた。先代会長、金時重望しげもちだ。あいつもまた、雑魚共がきっちり金を持っていることこそが、国や金時の発展に於いて重要であると喝破した男だった」


「どういうことですか、それ? てか、どうしてご主人様がそんなの知っているんですか!?」


「昔、重望とは交流があった。あいつは若いころから色々と分かっていた。肝心な時に早々逝きやがった挙句、跡継ぎには金稼ぎの巧さだけしか引き継がれてないという有様だったが……まさか孫には引き継がれていたとは驚きだった。これは、素直に喜んどいた方が良い案件だろう」


 司山ヨシヒサの上機嫌ぶりに、ミュウと立人はただただ困惑して顔を合わせるしか出来なかった。けれども、司山ヨシヒサは嘘を言っているようには見えなかった。


 先代が金時を今の規模にまで押し上げたという話は、事前にミュウも聞いている。まさか、そんな人物と同じような考えを立人が持っていたとは。ましてそれを、主が高く評価していたとは。


 主の歓喜する会食はこうして幕を閉じたのだった。

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