炎刃:Shit About Three Inch

 矢櫃やびつ工業・宮ヶ瀬みやがせ工場のあるブロックから離れ、自動車の往来の多いメインストリート――その両脇に壁の如く立ち並ぶ雑居ビルの数々の中に、その事務所はあった。


 カインドフルサービスインターナショナル、略称:KSI。国内にある人材派遣会社の中でも最高峰と評される企業——の数ある営業所のひとつ、羽出庭はでにわ営業所だ。


 自動ドアを開けてひとたび内部に足を踏み入れれば、シンプルながら社名とロゴが大々的に設置された受付が来訪者を出迎え、隣に目を見やれば応接用のボックス席が小部屋単位で区切られて並んでいる。スーツを着た社員が出入りしていることから、既にいくつか利用されているようだ。


 訪れた人物を、受付にいた女性が応対する。


 普段通りの対応。


 けれども、そんな彼女も丁寧な営業スマイルの裏側で、その人物に対して湧き立つ不審な感情をなんとか隠そうと努めていたのかもしれない。


 小太りした男。ツナギを身に纏い、長年洗っていないのか全体が煤や油汚ればかり。艶も収まりも無い黒い髪を乱暴に束ね、黒ぶち眼鏡をかけた眼はほぼ虚ろ。肌は酷く荒れており、太い首筋には土のような汚れまでこびり付いている。


 要するに、この閑静で清潔なオフィスにはまるで場違いな服装。というか、砂と汗の臭いが交じり合っているのか、目に刺さりそうなほどの臭いが辺りに漂ってしまっている。


 男が受付と二~三言交わすと、程なくしてオフィスの向こうから誰かがやってきた。ツナギ姿の男とは比べ物にならないほど清潔感に溢れたスーツを身に纏った中年の男だ。素人目にしても、ここの所長か職制か何かだと瞬時に感じ取れるほどの貫禄が伺える。


 スーツ姿の男は、目の前の人物の放つみすぼらしさと異臭に一瞬顔を顰めそうになったが、顔を見て表情を一変させた。目を見開き、泡を食った表情のまま立ち尽くしていた。


「ぜ、善波ぜんば準一じゅんいち……!!」


「ああ、そうだ。やはりいたか」


「お前、なんでここにいる!? お前は――」


「おまえたちも、おれのものになってもらうぞ」


 刹那、善波準一と呼ばれた男の姿は変貌していた。


 シイタケの類を彷彿とさせる笠、ヒラタケやシメジを彷彿とさせる具足、カビや地衣類を彷彿とさせる蓑。放浪の武人を模したキノコの怪物——キノコエスケピへと。


 スーツの男、受付の女——突然の壊素怪火を目の当たりにした彼らに慄く暇は与えられなかった。キノコエスケピが現れた瞬間、壊素怪火を中心に胞子の旋風が吹き荒れ、狭いフロア全域に充満したからだ。一息吸えば瞬く間に身体の自由と意識——やがては命すら奪う胞子を至近距離から浴びてしまえば、オフィスの外へ逃げ惑うことすら叶うまい。


「そうはいくかっ!」


 だが、キノコエスケピによる第二の支配は、突如響き渡る甲高い少女の叫び声によって阻まれた。


 火の玉が営業所全体を高速で縦横無尽に駆け巡り、充満する胞子を片っ端から焼き尽くしてしまったのだ。


 正気を取り戻した男は恐怖で腰を抜かして倒れるも、震える足を精一杯振り絞って立ち上がり、入り口へと駆けて行った。だから、彼は必死すぎて気付かなかった。入り口で、彼女とすれ違ったことに。


「またおめえか。よくここが分かったな!」


 キノコエスケピの目がすっと細まる。


「生憎、ご主人様の技術力って凄くてね! あんたがどこへ逃げてったかなんて、簡単に分かっちゃったよ!」


 ぴんと立った猫耳、ゆらめく尻尾、はためくフリルとワンピース、猫耳のメイド――安仁屋ミュウが凛と立っていた。


 ★★★


 キノコエスケピに逃げられた後、ミュウはすぐさま司山ヨシヒサに報告していた。


「ご主人様! 壊素怪火がっ! 壊素怪火に逃げられました!」


『ああ、お前がしくじったのは見ていたから分かっている。よくもまあハメられたもんだ。だったら、次に何をすべきかは分かってるだろう。それを早くしろ』


「え? いやあの、それが分からなくて困ってるのもあって連絡したんですけど」


『つべこべ抜かすな。くそっ。お前の脳味噌の容量が小さすぎて、メイドリングの手順伝達機構に漏れがあったようだな。いいか、手短に説明するから聞け。墨路首領が作った切創から冥歪反応をメイドリングで感知して壊素怪火の場所を感知することが出来る。お前の頭でも分かるように説明すると、刀傷で奴の位置がメイドリング付属のマップでマーキングされるようになったからそこへ行けと言っているんだ。分かったら早くしろ!』


「は、はい!」


 相も変わらず角の立ちまくった主の命令だったが、とりあえず今はそこはなんとか押し込んで返答する。


 メイドリングを起動すると、なるほど、目の前に投射された地図の中に刀傷のようなマークとそこへ至るまでの最適な道程が御親切にも追加されているではないか。


『あと、もうひとつ、あの戦いを見てて、伝えておきたいことがある――』


 かくして、ミュウもカインドフルサービスインターナショナルのある雑居ビルを発見し、今に至る。


 ★★★


 オフィスは阿鼻叫喚の巷と化していた。


 狭いオフィスの中で、キノコエスケピとミュウの剣戟が始まってしまったのだから。


 ミュウはエントランスで早々に決着を付けるつもりだった。


 だが、先手の斬撃を避けられ、受付を背にしてしまったのが運の尽き。キノコエスケピの反撃を受け止めるも背後の受付の壁がぶった切られた。壁の向こうは多くの社員がいる事務室。続いて繰り出された蹴りでミュウはそこへ吹っ飛ばされる。


 いくつかの机を蹴散らしてしまうもミュウは立ち上がる。が、キノコエスケピも遅れてオフィスの中に入ってくる。


 まずエントランス側で悲鳴が起きて、続いて、刀を持ったメイドが突然吹っ飛んできて、遅れて凶器を手にした異形の怪物が現れた。まして、周囲には怪しげな胞子が舞っているときた。これらの状況に一般の従業員がどう思うかなど、火を見るよりも明らかだろう。


「おれのものにならないなら、みんなぶった斬ってやるまでだ」


「やばい、逃げて! みんな、逃げて!」


 キノコエスケピの凶刃が振り下ろされる。咄嗟に反応したミュウが斬撃を受け止める。


 悪い直感は正しかった。キノコエスケピの斬撃の軌道はミュウではなく、代わりに逃げ遅れた付近の従業員と重なっていた。最初からここの人を狙っていた。


 甲高い音が響き渡る。幾重も斬撃が交錯する。書類が舞い、斬り飛ばされた備品が舞い、恐慌状態に陥った従業員達が逃げまどう。エントランスの出入口か向かいの非常口を目指して走る。


 キノコエスケピの胞子が机やディスプレイをポルターガイストよろしく持ち上げる。滅却の相がそれらを打ち消し、打ち消しから漏れてこちらに飛んできた備品をミュウが刀で斬り落とす。


 その隙にキノコエスケピが狙っていたのは、壁際で腰を抜かしていたOLだった。刀の切っ先がまさに怯える彼女の目と鼻の先にあったのを目の当たりにしたミュウは、すぐさま踏み込んで刀を振り下ろした。間一髪、キノコエスケピの刀は目前のOLを刺突する為ではなく、ミュウの斬撃を防ぐ為に使われた。両者の間にミュウは割って入り、ミュウはOLを救うことに成功する。


「なんの恨みがあるのか知らないけど、丸腰の人から襲うのとか普通に弱い者いじめでしょ!」


「何を言うか! おまえはこいつらがどんなのか分かっていないようだな。これは、おれの復讐のためだけではない。世のため。そして、霊心尊師の望みでもある!」


 忌々しい人物の名前がキノコエスケピの口から出たものだから、ミュウはより眉間に皺を寄せた。


「霊心!? 尊師ぃ!!? これがあたしの家族を殺した挙句存在まで消したクソヤローの 望みってんなら、なおさら許すわけにはいかない! まして、これが世のため? 絶対にありえないでしょ!」


「尊師に家族を殺された? 尊師が殺したということは、つまり、おまえの家族とやらはここの奴らと同じ、この世の為に殺されるべきものだったということだろう」


「ふざけんな! そんなわけあるかぁ!」


 交錯。激昂のまま振り下ろされた斬撃が、キノコエスケピの刀と衝突した。両者の刃は真正面から拮抗し、鍔迫り合いの状況となる。


「殺されるべきだった? 殺された家族にそんなこと言うなんて! 絶対に許さない!」


「おれもだ。おれの邪魔を何度もした挙句、おまえは尊師をバカにした。だれよりも先におまえを斬ってやろう」


 鍔迫り合いから先に仕掛けたのはキノコエスケピ。後退しながらの引き胴。ミュウの反応は早かった。切っ先を下に向けた構えで斬撃を受け流すと、切っ先が大きく円を画く軌道で袈裟に斬り付ける。


 再び始まる剣戟。斬り合い、かわし、受け流し、再び斬り合う攻防が続く。


 ミュウが後方へとんぼ返りしながら机の裏へ回避すれば、キノコエスケピが机を左右に割る。パーティションの裏に隠れれば、付近の観葉植物ごとキノコエスケピがぶった斬る。壁際に追い込まれれば、キノコエスケピがオフィスの壁紙に無数の切創を残していく。


 ふと、ここでミュウは従業員達の悲鳴が耳朶に触れていないことに気が付いた。


 キノコエスケピと戦う傍ら、周囲に視線を見やってみると、彼らの姿がほとんど見当たらない。どうやら、オフィスの人達は全員避難が完了したようだ。


 少しだけミュウは胸を撫で下ろす。ほっとしたおかげで頭の中のもやが少しだけ晴れたのだろうか、頭が冴えるような感じがした。具体的には、キノコエスケピの捜索中に司山ヨシヒサが言っていた、あの言葉が脳裏を過ったのだ。


『あと、もうひとつ、あの戦いを見てて、伝えておきたいことがある。お前、メイドリングにインストールしてある剣術をまだ自分のものにしていないな? まあ、流石にお前の脳味噌の容量のこともあるだろうし、一朝一夕で身に付くもんだとは期待していなかったが、これだけは心がけろ。——『二寸五分』ずらせ』


(二寸五分ずらす……!)


 司山ヨシヒサの平常運転な口調はさておき、そのキーワードの存在をミュウはすっかり失念していた。意味は――メイドリングのおかげで。ただ、使うのを。それだけ。


 いつしか、整然と机や備品が置かれていたオフィスも、ほとんどの机は斬り落とされ、パーティションやホワイトボードの類もバラバラになって床に散乱していた。電子機器の類も、火花が散っているものすらある。


 お互い、肩で息をするようになってきた。経戦時間も限界が近付いているようだ。


(いい加減、この建物をめちゃくちゃにしちゃうのもだめだよね)


 墨路首領を中段に構える。次の一手で決める。


 仕掛けたのはミュウ。上段へ振り上げる。これに反応したキノコエスケピが、切上げの軌道で下からミュウの体躯を狙う。


 それは、ミュウの『誘い』だった。刀を振り下ろす軌道は変えず、ミュウは足さばきだけで身体を『二寸五分ずらす』。


「————!」


 明らかに手応えがあって、何かが床にごとんと落ちた。


 それは、刀を手にした小手だった。


 キノコエスケピの斬撃は、確かにミュウを捉えたはずだった。しかし、ミュウが身体を二寸五分ずらしたおかげで、斬撃の軌道もまたミュウの身体から重ならなくなっていた。一方、ミュウの斬撃の軌道は変わっていない。となれば、結末は明らかだ。


 キノコエスケピが膝を付いた。


 腕を斬り落とされ、壊素怪火からくぐもった唸り声が漏れる。


「ぐぐ……おのれ……!」


 ミュウはこの大きな好機を逃さない。


 メイドリングより『冥歪滅却の法』を起動。


 胞子を焼き払うべくオフィスを飛び回っていた火の玉がミュウの元へ飛来。


 墨路首領の抜身の刀身にまとわりつく。墨路首領が火炎の刃の刀と化す。


「はあっ!」


 左下から右上への切上げ。燃え盛る黒い軌道がキノコエスケピを仰け反らせ、背後の空間に巨大な斬撃を抉る。


 次の瞬間、キノコエスケピの背後にある斬撃跡が、眼を見開くが如く大きく開かれた。空間の大傷とも称すべき巨大な斬撃跡の彼方に広がるのは、渦を巻く冥界への入り口。現世に降り立った不届き者を、あるべき世界へ還すための門。


 ミュウは刀を高く振り上げる。一歩踏み込み、渾身の力で真下へと振り下ろした。


 墨路首領の刃は壊素怪火の傘のてっぺんから足元まで一直線に通り抜ける。


 刹那、キノコエスケピの背後にある門が、壊素怪火の断末魔の叫びを聞き入れてその体躯を吸い込んだ。一瞬の出来事だった。裂け目のような門は、キノコエスケピの巨躯を取り込んだかと思いきや、眼を閉じるが如く消えた。あたかも、最初からその場に何も無かったかのように。


 静寂が流れる。


 荒れ果てたオフィスには、壊れた備品と舞い散る書類と、無数の切創だけが残っていた。斬り落とされたあいつの腕も刀も無い。何もかも、あの門が吸い込んでしまった。


 戦いの爪痕だけを残して壊素怪火が消えていったことに、ミュウは「あれだけ戦ったのに、本当に何も残らないんだ」と虚無感を覚えた。


 オフィスには誰もいない。外へ避難したようだ。このビルでの戦いは、犠牲者はいなかったようだ。


 でも――


(あの工場では、たくさんの人が死んじゃったんだよね)


 不気味な菌類に覆われて絶命した彼らを姿を思浮かべるだけで、ミュウは過去の忌々しい記憶を想起してしまう――燃え盛る『家』の前に落ちていた、かつての家族。工場の人達もミュウの家族と同じように、壊素怪火に襲われ、殺されてしまったのだ。自分だけが、その中から運よく生き延びられただけに過ぎない。……正確に言えば、一旦死んでいるのだけど。


 今回の犠牲者を想いながら、ミュウは誓った。


 ――あたしと同じ目に合う人が、もう二度と現れないようにしなきゃ駄目なんだ。


 ★★★


「随分と遅かったじゃないか」


「ご主人様に言われて、壊素怪火を倒してきたんですよ。忘れたんですか?」


「おお、そうだったな。そういえば、こちらでも確認していた。御苦労だったな」


 帰って早々、ミュウはエントランスで待っていた司山ヨシヒサに出迎えられていた。


「しかし、酷いやられようだな。どれだけ拙い戦い方をしたんだ、お前は?」


「頑張って壊素怪火を退治してきたのに、労いの言葉とか無いんですか?」


「あるわけないだろ。まあ、失敗して手駒が減ってしまうよりは、下手糞でも生きて帰って来られた方がずっとマシだがな」


 むすっとして返すと、更に冷徹な言葉が返ってくる。本当に、この人は性格が悪い。


 と、内心げんなりしているミュウに、司山ヨシヒサから小瓶のようなものを手渡される。


「これは?」


「うちが使っている特製の傷薬だ。メイドリングの治癒システムでは傷の再生能力を一時的に向上させるだけで、今のお前のような手の傷は治しきれないからな。これを使って早く治せ。なんだかんだでお前がいなくなったら困るのだ」


「ご主人様……?」


「なんだその呆けた面は。さっさと家事の支度をして来い」


 乱雑に言い残し、司山ヨシヒサは館の奥へと去って行った。


 大変だった長い一日は、こうして終わっていくのだった。

 

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