矢櫃:Beware of Dangerous Fungus
壊素怪火の反応を辿って、ミュウのスクーターは市街地から外れたエリアに差し掛かる。
消えていない落書き、ふらふらと歩く通行人、陰惨な雰囲気が奥から漂う裏路地への入り口、路駐してある不自然に高級な乗用車……同じ町、同じ空気の筈なのに、町中を漂う緊張感が全然違う。メインストリートからワンブロック外れただけで、こうも印象が変わるのか。
アンモニアを孕んだ空気が鼻腔に触れ、ミュウは少し眉をしかめた。嫌いな臭いだけど、ミュウにとってはこれもまた、故郷を忘れないためのジグソーパズルのピースのひとつ。
――ふと、司山ヨシヒサとの邸宅でのやり取りが脳裏に浮かび上がった。
★★★
「お前、あの地域と施設で育ったわりには意外過ぎるほど育ちというか、立ち振る舞いがまともだな。何があった?」
「意外過ぎるってなんですか……。まあ、
「富小路……?」
「あたしの『家』に住み込みで働いていた司山グループのメイドです。その方から教わったんですよ。『誰もひとりで生きていけないのだから、たくさんの人を頼って、たくさんの人に頼られるようになりなさい』って」
「ほう、なかなか悪くないことを言うメイドだな。お前にしては過ぎた人間だ」
「なんですかそれ。でも、富小路さんはあたしにとって偉大な人でした。あたしがメイドに憧れたのは、富小路さんの存在も大きいんです。ご主人様も名前くらいは聞いたことあるでしょう?」
すると司山ヨシヒサは眉間に皺を寄せ、指を口元に当て、唸るように答えた。
「とみのこうじ……僕は聞いたことが無い。
そんな答えに、ミュウは文字通り食ってかかった。高級そうな司山ヨシヒサのスーツを引っ掴んで捲し立てた。
「無かった!? そんなわけ……そんなわけないじゃないですか! 富小路さんは私の育ての親なんですよ!? ご主人様だって冥界でも見たじゃないですか! あいつに、雫石霊心に食われる直前まであたし達の目の前にいたじゃないですか! それを知らないって言うんですか? 存在してないって言うんですか? もっと探してくださいよ!」
主のスーツを跡が付かんばかりに掴んで握りしめるなど、メイドとしてあるまじき行為だろう。だけど、ミュウは止められなかった。一方の司山ヨシヒサは、ミュウを払いのけなかった。ミュウの感情を真正面からただ受け止めるのみだった。
――その晩。
「見付けたぞ。ミュウ、こいつか?」
狗美とロビーで仕事をしていた時、司山ヨシヒサが二人の前にやって来た。彼の掌の上に映された立体映像には、『
「富小路さん! そうです! この人です!」
ミュウは瞳を輝かせた。さっきまで持っていた清掃用具から手を放し、立体映像を浮かべる司山ヨシヒサの手を掴んだ。
「やっぱりいたじゃないですか! いないなんておかしかったんですよ!」
「……司山グループのメインサーバーの過去の過去まで掘ってようやく見つけたぞ。ただの『誤記』として総務部によって事務的に処理されていたようだ」
「ご……誤記……!?」
とんでもないワードに、さっきまで輝いていたミュウの表情が固まった。司山ヨシヒサの手を掴んでいた手がするりと落ちる。
「そうだ。この富小路とやらは、総務のどっかのバカがやらかした単なる書き間違いか悪戯書きとしか認識されていなかったってわけだ。人事のデータベースでも富小路は入社当時の改定から全て削除されていた。まあ、富小路とかいう馴染の薄い苗字はさておき、住所や顔写真まで丹念に拵えらえた悪戯書きが、どうして何年も司山グループの人事発令にあったのか、不思議な話ではあるがな」
「それは……富小路さんがいたからじゃないですか!」
「そうだ。富小路というメイドはいたのだ。だが、誰も富小路を知らない。お前以外な」
司山ヨシヒサが、顔をミュウへとぐいと近付ける。
「お前は壊素怪火に食われた人間の記憶を失わない。長年、冥界の秩序を維持してきた僕ですら持っていない、あまりにも奇異な能力を持っている。死者と会話が出来るのも含め、お前の力については調べる価値がある。いや、責務があると言っても良い」
異性に急接近され、ミュウは思わずたじろいだ。その隙に、司山ヨシヒサは踵を返して去る。
「富小路のデータベースはお前のメイドリングに送信してやろう。ああ、あと、あの石碑は、お前の能力を確認するために作ったものだ。懇意からによるものではないから勘違いするなよ。あと、いつまでもモップを床に置いたままにするな。さっさと仕事に戻れ」
我に返ったミュウは、慌てて仕事に戻る。ただ、最後の露悪的なカミングアウトは、流石に少しイラッともしたけれど。
★★★
あの時、皆で目の当たりにしたにも関わらず、食われた人間を自分しか覚えていない。なんて恐ろしく孤独に満ちた話だろうか。
壊素怪火との戦いは、ミュウにとっては不本意に巻き込まれた事件に過ぎない。だけど……スクーターのハンドルを握る力が、いつの間にか強まっていく。
程なくして、ミュウは目的地に到着した。
『
スクーターを非実体化させてメイドリングに収納し、正門から現場の様子を伺ってみる。
窓の無い巨大な倉庫がL字を画くように建ち、窓のある階層の高い建物が隣接している。前者が工場の現場で後者が事務所の類だろう。この手の建築物は、ミュウも以前から見たことがある。
が、様子がおかしい。
静かすぎる。
時刻は午後の五時前——稼働音が聞こえて来ないのは近隣住民への配慮だからだろうか。にしては、出入りするトラックやフォークリフトすら見掛けない。まして、こちらは学生服を着た女子高生だ。正門でキョロキョロなんてしてたら守衛が注意してくるはずだが……それすらない。
「おじゃま、しまーす……」
矢櫃工業の敷地内に足を踏み入れる。
宮ヶ瀬工場のフロアマップも主からメイドリングにインストールされている。地図を見るのは苦手だけど、おかげで境界クラックの場所と道筋は分かっていた。マップに記載された名前から察するに、事務所の類ではなく現場のようだ。
「……!!? なにこれ!?」
内部に忍び込んで早々、ミュウは我が目を疑った。そして、思わず咳き込んでしまった。
酷く荒らされていた。
掘立小屋が何件も収まらんばかりの高さと広さの空間に、掘立小屋の大きさに相当する機械が並んであるのは分かる。だが、搬送機械や棚といった類がことごとくひっくり返され、雑多な備品類が床に散らばっていた。
そして何より、煙っぽい何かが部屋中にうっすらと充満していた。
ミュウが咳き込んだ理由はそれだ。少し吸い込むだけで喉の奥に引っ掛かる感じがして、すぐにむせ返ってしまう。塵とか埃とかとはちょっと違う。何かの粒子のような。
境界視野を作動する。
次の瞬間、周囲に充満する煙っぽい何かが一斉に発行した。薄暗い室内で粒子が大量に光るもんだから、小さな星雲の中にいるかのような感覚になる。だけど、今のミュウはそれに対する感動よりも緊張感の方が勝っていた。なぜなら、この粒子は、
(壊素怪火の一部……!? やっぱり、ここのどこかにいる)
やがて、ミュウは発見した。
身の丈以上もある巨大な産業機械の真上に、光り輝くヒビが虚空に走っていたのだ。
神々しいほどに眩い光が隙間から漏れ出ている一方、なぜか直視はしたくない不気味さも兼ね備える謎の亀裂。だが、かつてあの橋で見掛けたモノとは様子が異なっていた。
中心部分が大きく開いていた。その向こうで、直視したくない不気味な光の波が蠢いている。明らかに、何かが亀裂の向こうから出てきた後だ。で、真下にある機械がぺしゃんこになっている辺り、亀裂から飛び出した何かが機械の上に落下して、その後に大暴れしたのだろう。
潰れた機械の周囲を見てみると、光る粒子が踏み固められたことにより形成されたのだろうか、足跡が奥へと続いているのが見えた。早速、辿ってみる。
(おかしいな。この工場って、まだ仕事終わってないはずだよね? でもなんで、人がいる気配が無いんだろう)
薄いビニール状の自動シャッターが巻き上がった先にあるフロアに足を踏み入れた瞬間、ミュウはその意味を理解する。
「なにこれ!!?」
また大声が飛び出してしまって、続いて喉を刺されたような不快感にまたもや酷くむせ返ってしまった。
さっきまでいた薄暗いフロアとは雰囲気が全く異なっていた。
まず、周囲を漂う粒子の数が多い。それこそ、このフロアこそが充満の根源であると断定しても良いくらい。
そして周囲にあるもの。それが明らかに問題だった。
人間だ。おびただしい数の。作業着だけではなく、スーツ姿やメイド服姿も見られることから、ここの現場社員だけではなく、隣接する事務所にいた間接社員や幹部役員付のメイドまでここに集められているのだろう。
彼らはただ横たわっているだけじゃなかった。全身から何かが生えていた。ミュウには、キノコの類に見えた。ある者はシイタケのような典型的な形状のものが生え、またある者からはヒラタケのような異なる形状の何かが生えていた。また、いずれもカビや地衣類のような何かで覆われていた。
なにより、そこにいた誰もから生気が感じ取られなかった。
呼吸が荒くなるのを感じる。またむせ返りそうになる。血の気が引くのを感じる。『家』の燃えた光景がフラッシュバックしそうになる。
奥が気になる。まるで心身が吸い込まれるかのように、自然と足が動く。
人だった何かが床や壁や天井に張り付いている異様なフロアを進む。
(もしかして、この工場にいた人達、この訳の分からない胞子みたいなののせいでこんなんなっちゃったのかな。それこそ、胞子の猛毒でやられちゃった的な)
歩きながら、ミュウはこの状況について考察する。そうでもしないと、周囲の異常さと恐怖で頭がおかしくなってしまいそうだからだ。
(でも、これだけ胞子が充満してるのに、ここに来るまで逃げる人達と全然すれ違わなかったのは、今のあたしみたいにこの胞子を吸っちゃうと自然と奥の方へと歩いちゃうからなんだと思う。誰一人逃げられずにここに集められちゃってるのは、それだけ、この胞子の毒が強いからなんだと思う)
奥に進むにつれ、人々の纏っている菌類の量が増えていく。次第に、人かどうかすら曖昧な個体まで目に付くようになってきた。
(で、なんであたしだけ大丈夫なのかというと、多分、この胞子が壊素怪火のばら撒いたもので、メイドリングがそういう冥界に関係のある悪い何かからあたしを守ってくれてるからなんじゃないかな。ほら、境界視野とか出来るし)
やがて、フロアの深部に聳え立つ『それ』を見た途端、ミュウは言葉を失った。
このフロアの本来の用途はミュウは分からない。かなり高い位置に水銀灯が見える点から、体育館のような高くて広い空間なのだろう。恐らく、ここは最初に潜入した現場とは異なる工程の現場か、在庫を補完する倉庫の類。
ミュウの目の前にあったのは、巨大な菌類の塊だった。天井に到達するほど高く、広い空間を仕切らんばかりに幅も広い。そして、それを構成していたのはおびただしい数の人間とそれらを繋ぎ合わせる不気味な菌糸だった。
見れば見るほど気分の悪くなる巨塊だった。作業着らしきものが多く見られる点から、主に近辺のフロアで働いていた現場作業員が主にこの塊を構築しているのだろう。菌類による影響だろうか、体組織が分解されて曖昧になりすぎて、最早どこに誰がいてどんな姿だったのかすら判別不能になってしまっている。
(ひどい……! 誰が、こんなことを……!)
刹那、頭上から嫌な気配。
咄嗟に前方へうつ伏せにになるように跳躍。慌てて、後ろへ向くようにして立ち上がると、目の前にそいつがいた。
キノコの怪物——それが、ミュウの第一印象だった。
笠を被り、具足を身に纏い、蓑を羽織ったシルエットは、メディアや教科書でも見たような放浪の武人のよう。ただし、笠の外見や質感はシイタケ、身に纏う具足はヒラタケやシメジ、羽織る蓑はカビや地衣類をそれぞれ彷彿とさせた。
「キノコの壊素怪火……!? これ、あんたの仕業? 目的は何? こんなことして、何するつもりなの!? うっ、げほっ!」
怪物と相対する自分の鼓舞を兼ねて勇ましく振舞おうとしたけど、思わず咳き込んでしまった。
キノコエスケピの鋭い眼——キノコの白い軸にナイフで乱雑に刻み付け、赤い何かを詰め込んだような不気味な眼——が、ミュウを睨みつけた。
「おめえ、ここのモンじゃねえな? なら、答えてやるつもりはねえ。俺にはここ以外にも、行かなきゃいけねえトコがあんだ」
キノコエスケピが喋った。けど、ミュウは動じない。壊素怪火が喋れるのはあの忌々しい虫の壊素怪火で経験済みだから。上位の壊素怪火は言語を操れるくらい造作無いことも主から教わっているから。
「行かなきゃいけないトコ!? つまり、ここ以外にもここくらい酷いことしたい場所があんたにはあるってわけ? なら、止めてやるまでさ!」
メイドリングからアプリを展開。
「変身っ!」
実体化されたアーマーが、ミュウの全身へと装着。セーラー服姿から、猫耳のメイドへと変貌した。
胞子を纏った斥力の波が、ミュウを中心にして発生する。その勢いたるや、キノコエスケピも圧倒される。メイド服の加護が発動し、冥界の歪みである壊素怪火の力を自動的に跳ね除けたからだ。
無論、メイド服の加護が跳ね除けるのは、外側だけではなくて、
「うっ!? うげえへえええええええええええええええ!!??」
吐いた。体内の胞子を。たくさん。煙草とかそんなレベルじゃなく、気化する吐瀉物の如く。
(嘘でしょ? こんなにたくさん入ってたの!? よく無事で済んだな、あたし!?)
そんなミュウに対し、キノコエスケピの目が細まる。
「おめえ、メイドだったのか。なら、殺すまでだ。メイドは敵だからな!」
キノコエスケピの頭部——キノコの傘から高濃度の胞子が舞い上がる。それらは足元にあるネジやら何やらを集めて凝集し、硬度を有した複数の塊となる。
弾丸——射出された胞子の弾は、ステップで回避したミュウの右頬を掠めた。
嫌な汗が流れた。胞子の塊はメイドリングおよびメイド服によって打ち消されるが、胞子と共に慣性の法則で飛び出す金属片は別だ。当たればひとたまりもない。
胞子弾が放たれる。何発も何発も。キノコエスケピの頭上で凝集した胞子から。
肉薄。正中線を左右にずらすようなステップで胞子弾を回避しつつ、キノコエスケピに接近。頭部へと左ジャブ。
続いて、右を頭部へ――キノコエスケピが反応して頭部をガードしたのが見えた――と見せかけて、脇腹にボディブロー。続いてもう一発。
反撃の右フックを仰け反って回避。正中線をずらして左わき腹へショベルフックを当て、後ろ足を畳む動きに合わせてキノコエスケピの顔面へと右ストレート。立て続けの二打撃を食らい、キノコエスケピが後方へとたたらを踏む。
追撃。後ろ足を前足に引き寄せてからの、後ろ足を蹴った渾身のストレート。
胞子が、キノコエスケピを防護するように凝集したのが見えた。けれど、冥界の悪しき干渉を打ち消すメイドリングの力の前では、そんな障害は無いに等しい。
頭部に直撃。続いて、左右から二打三打……のラッシュ。からの、ストレートのフィニッシュ。キノコエスケピの巨体が吹っ飛び、背中から壁に衝突する。
(よし――おっと、忘れる所だった。後は……!)
メイドリングを起動。『冥歪滅却の法』を起動。滅却の法の象徴たる、あの火の玉を顕現して――
「見くびっていたぞ、メイド。もう容赦はしねえ!」
キノコエスケピが立ち上がる。
次の瞬間、キノコエスケピが蓑から抜き出した『それ』を見て、ミュウは愕然とした。
反りの入った長い何か。途中に鍔と思しき部分があり、片方にのみ異様に鋭い刃があるそれは――
「か、刀ぁ!?」
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