遭遇:The Escapee

 誰もいなくなった。


 せっかく再開したはずなのに、またもや目の前で消えてしまった。


 二度目の喪失は、最後の立つ気力すら抜き去った。


 膝を付く大河へと、頬からの一筋が虚しく落ちる。


 目の焦点すら合わないほど呆然とするミュウの目の前で、濃霧が少しずつ晴れていく。


 家族を消した忌々しい半透明の触手。それらを無意識に目で追っていくと、何かへと収斂していくのが――いや、『そいつ』から無数の触手が出ているのが見えた。


 人だった。


 人の形をしていた。


 体系や顔付きから見るに、男。


 この世界の住民にしては、明らかに見た目がしている。


 袴のような衣装の上に、丈の長いコートを羽織っている。胸元は開け放たれおり、白い素肌が露になっていた。


 服のボリュームのわりに、体系は肋骨が浮き出るほど細いようだ。けれども、袖と裾の先は漆黒の闇に紛れてしまい、腕や手足が如何様なのかは判らない。


 素顔はこちらからでは分からない。恐らくキツネか何かの獣の頭骨がモチーフなのだろう――ピンと立った耳が特徴的な仮面を被っている。金色の光沢を放つ仮面の眼窩の向こうは真っ黒で、不気味なまでに腹の底が読めない。


 ミュウは理解した。


 こいつだ。


 こいつが、やったんだ。


 こいつが、あたしの家族を。


 喪って空っぽとなった心に、別の何かが湧き立ち、流し込まれていくのを感じる。


 煮えたぎるほど熱く、全てを壊し尽くすほど苛烈で、慈悲も容赦もないほど冷たい何かが――。


「あたしの家族をかえせえええええええええええええっ!」


 考えるよりもまず身体が動いた。


 足元の流水など知らぬ。川底の砂礫を蹴り、目前の何者か目掛けて駆け――


「家族? そんなものは知らぬだろう?」


「————!?」


 次の瞬間、ミュウの身体が真後ろまで吹っ飛んだ。


 漆黒の袖がこちらを向いたのは分かった。突風だったか? いや、突風にしては実体のような感覚があった。


 ミュウは背中から地面へ――いつの間にか彼女の背後に回っていた司山ヨシヒサが、彼女の背中を真正面から受け止めていた。


「憧れのメイドとやらになれて気分でも昂ったか! 馬鹿め。奴はお前を手にかけた壊素怪火よりも遥かに格上だ。今のお前が敵うと思うな」


 ミュウを窘めると、司山ヨシヒサは彼女を足元に下ろす。


 動揺が止まらない。家族を奪われ、目の前のあいつに吹っ飛ばされ、涙も荒い息も止まらない。そんなミュウをよそに、司山ヨシヒサは冷徹な眼差しを目前のそいつに向ける。


「まさかここでお前に会えるとはな、力丸りきまる!」


 普段の上から目線で飄々とした口調ながら、その声色にはいくばくか威圧的な怒気が孕んでいた。。


「……力丸? その名で呼ぶのは控えたまえ、ヨシヒサ。雫石しずくいし霊心れいしんだ。偉大なる天冥逆転の開祖である。いい加減、覚えてくれたらどうだ」


「断る。お前の偽りの正義ごっこなんざ付き合うつもりは無い。今すぐ投降しろ。さもなくば、殺すだけでは済まさんぞ!」


 獣が唸るような司山ヨシヒサの低く小さな怒声は、この静寂が支配する冥土にはよく響く。それは酷く不整に脈打つミュウの精神すら刺激し、強引に落ち着かせてしまうほど。


「……へえ、力丸とか霊心とかなんとかとか知らないけど、あんた、そういう名前なんだ。覚えたからね! よくもあたしの家族を! 絶対に許さない!」


「なあ、さっきから家族家族と言っているが、お前、何を言っているんだ?」


「!!?」


 刹那、こちらを振り向いてさらりと言った司山ヨシヒサの爆弾発言に、ミュウは愕然とした。


「え? な、何を言っているんですか? 家族ですよ。さっきまでいたじゃないですか! 霊心とかいうあいつが、へんなにょろにょろの使って、あたしの家族をみんな消しちゃったじゃないですか! てゆうか、あたしの履歴書を持ってるなら分かってるんじゃないですか? あたしがどこに住んでて、誰と住んでいるかくらい!」


「いや、お前にははずだ。いや、佐縁馬ホールディングスのあの施設にお前ひとりだけ住んでいるというのは確かに妙だとは思っていたが――」


 ミュウは我が耳を疑った。司山ヨシヒサがふざけて言っているように全く見えなかったからだ。あたかも、自分に家族なんて最初からいなかったことが事実であると。家族がいると主張するこちらの方が至極おかしいのだと。


 が、次の瞬間、司山ヨシヒサが眉を顰めた。明らかに動揺していた。


「いや、確かにいなかった。そうで間違いない。だが、もしそうだとするなら……! お前……まさか!」


 一方、霊心もまたミュウと司山ヨシヒサの様子を見て「ほう」と嘆息を漏らす。


「面白い。実は、霊心はこの辺りに『奴』の気配を感じたから来た。奴はいなかったようだが、代わりに興味深いものが見れた。散歩はするものだな。さて、霊心はここを後にするとしよう」


 ずずず……と、空間同士が擦れ合わさるような不気味な音が響く。どうやら、袖と裾の先が未知の闇に覆われた霊心が動こうとすると、かような音がするらしい。無論、そんな行動を二人が黙って見ているわけがいかない。


「散歩!? あんた、それだけの為に、あたしの大切な家族を消したの!??」


「逃げるな、力丸! お前にはまだ聞かなければならんことが山ほどある!」


 怒鳴るミュウと司山ヨシヒサに対し、霊心は飄々と後ろに下がるのみ。


「霊心ら天冥逆転が打倒せねばならぬのは司山グループであり貴様らではない。相手は代わりの者に任せるとしよう。——のう、八木山やぎやま鳴子なるこくん」


 霊心が名を呼ぶや否や、見知らぬ人影がミュウ達の前に立ち塞がった。


 真っ黒なセーラー服を着ていることから、ミュウと同じ女子高生のようだ。肌は白磁のように白く、首筋や手首から青い静脈がこれでもかと浮き出ている。艶の無い長い黒髪はぼさぼさで収まりが無く、前髪が長すぎて鼻から上が良く見えない。


 だが、前髪の隙間からこちらを除く目だけは、ミュウは直視したくなかった。なんというか、忌々しい『あいつ』と同じ狂気を感じたから。


 次の瞬間、霊心が八木山鳴子と呼んだ少女に囁いた。動かぬ少女の右から左から――あらゆる方向から。


「見ろ。メイドだ。豪奢な館に住み、かっこいい主に付き従い、華やかな生活を営む、キラキラした最高の存在だ。そして、お前の親から富を奪い、お前を今の有様にした象徴だ! お前が貧しい暮らしを強いられていたのはお前のせいではない。まして、お前の大切な親でもない。全ては司山グループがお前達から搾取しているのが悪いのだ。さあ、叩き潰せ。叩き潰して司山に消えぬ傷跡を穿ち、霊心ら天冥逆転の力を示せ」


 次の瞬間、少女が叫んだ。女の子らしい声じゃない。もっと甲高い。獣が威嚇する時に発する、相手を威圧するような――咆哮。


 八木山鳴子が一歩前に踏み出した時、もはや彼女は少女の姿をしていなかった。


 尖った吻、ビー玉のように円らな目玉、パラボラアンテナのように巨大な耳――頭部の作りは『家』でも見かけるアイツの特徴を捉えていた。けれども、全身が毛むくじゃらというわけではなく、四肢と身体の前半分には体毛が無い。それどころか褐色の外殻に覆われており、表面が油のような何かに覆われている。頭部からは身の丈ほどの長い触角が生え、脚部は不自然なまでに長かった。要するに、頭と背中と尻尾がネズミで、前足と胴と腹部がゴキブリで、触角と後ろ足がカマドウマの怪物!


 屋内の嫌われ者を掛け合わせた怪物を目の当たりにして、ミュウは思わず後退りしてしまった。


「な、なんなんですか、あれ? 女の子が、怪物になりましたよ!?」


 一方の司山ヨシヒサはというと、冷静な様子で眼鏡のふちを指で押し上げ、淡々と答える。


壊素怪火えすけぴだ。……参ったな。あいつが、今まさに僕達が探していた、お前の実技試験の相手だ。このタイミングで出くわすとは!」


「あいつが――!」


 ネズミとゴキブリとカマドウマの壊素怪火——オクナイエスケピがミュウ達を睨み、じりじりとこちらに忍び寄る。呼び出した壊素怪火の様子を背後から眺めなる霊心の全身を、濃霧が徐々に包み込み始める。


「それでは失敬する。期待しているぞ、鳴子くん」


「待て! ……くそ。今は、目の前の壊素怪火の退治が先だ。ミュウ、奴を倒せ。狗美、万が一の時は分かっているな」


 司山ヨシヒサからの指令に狗美が無言で首を縦に振る。


 ★★★


「生者は現世に、死者は冥土に――その理を無視して現世に飛び出した奴は、まともな姿で現世に居続けることは出来ない。感情や理性を失い、醜い化け物となって現世を破壊しつくしてしまう。そうなってしまった奴らのことを、僕達はエスケピと呼んでいる」


 まだミュウ達三人で冥界の市街地を散策中の時、司山ヨシヒサは壊素怪火について解説していた。


「壊れた素に怪しい火で壊素怪火と書く。牢屋等からの脱出者を意味する『Escapeeエスケーピー』が語源とも言われてるらしいが、まあ、諸説ある。そいつらを倒し、現世と冥土の均衡を保つのが僕達の役目だ」


 「おおまかな概要は以上だ。なにか質問はあるか?」と訊いてきたので、とりあえずミュウは色々訊いてみる。


「現世に飛び出すってそんなの出来るんですか? そんなの、どうやってやるんですか?」


「出来るか、否か、なら出来る。死者共は冥土に永遠にいられるわけじゃない。時が経てば、連中は完全に。だが、ごくまれにその事実を受け入れられないバカがいてな、そういう奴が現世に出ようとして壊素怪火になる。


 で、どうやってそれをやるかだが、現世に飛び出すには莫大なエネルギーが要るんだが、そのエネルギーを確保するために死者を食らう。正確には、死者のエネルギーを吸収して現世に飛び出す力に変換させるんだが、それをすると死者が消えてしまう。要するに、壊素怪火とは、死者共の存在そのものを踏み台にして蘇る迷惑集団ってわけだ」


「消えるって……死者が消えるとどうなるんですか? あと、もし壊素怪火が増えすぎるとどうなるんですか?」


「死者が消えるということは、現世の記憶から消えるということだ。完全に忘れ去れるってわけだな。で、壊素怪火が増えすぎるとどうなるかというと、生と死の均衡が崩れ、死んでいるのか生きているのか。話せば長くなるから今は解説しないが、過去にそのせいで貴重な現世の区画がまるまるひとつ消失した事もあった」


「なんですか、それ……。というか、あたし、『えすけぴ』なんて今まで聞いたことなかったですよ。……でも、最近、変な怪物が町で出るようになったみたいな噂話は学校で聞いたことあります。そういうのって、昔からあったんですか?」


「知らん。お前の学校で広まっている噂が壊素怪火を指しているのかどうかは僕には分からん。だが、世間が今まで壊素怪火を知らなかったのは当然だ。これは、誰にも広めていない話だからな。だが、壊素怪火が出没する件数なら、よりは明らかに増えている。これも後で詳しく話す案件だが、何もかもあの馬鹿共のせいだ!」


 「他に質問はあるか?」と不機嫌交じりに司山ヨシヒサが言ったので、ミュウは最後にひとつこれを聞いてみた。


「そもそもなんですが、『えすけぴ』ってどんな見た目しているんですか?」


「なんだ? お前も奴に殺されたんだから、どんな見た目だが分かってるだろう? ……まあいい。一般的には、複数の生き物を合わせたような見た目をしている。合わさる生き物の種類が多いほど、連中の等級が上がる。現世に飛び出すときに、人以外の魂魄をそれだけ取り込んできたわけだからな――」


 ★★★


 一瞬だけ脳裏を過ったかつてのやり取りは、甲高い雄叫びによって強制的にかき消された。


 オクナイエスケピが襲い掛かる。油気のある外殻の脚で床を蹴り、ミュウ目掛けて飛び掛かる。


 ミュウは頭を押さえて屈んだ。頭上を何か嫌なものが通り過ぎた気がした。勢い余ってオクナイエスケピは背後の川にざばあと飛び込む。付近には、流水を長年受け止め続けていた巌があった。そいつがすっぱりと切断されているのを見て、先刻自分の頭上を通り過ぎたのは、そいつの前足にある鋭利な刃物だと理解した。


「ちょ、ちょちょちょ! あたし、どうすればいいんですか!? あんな怪物、あたしには無理ですよ!?」


 ミュウは慌てて司山ヨシヒサに助けを乞う。しかし、返ってきたのは、


「メイドリングの存在を忘れたのか。さっさとしろ。しくじったら死ぬだけだ」


「えっええ……!!?」


 この状況に、なんたる無責任で他人事な返答。


 河原からむくりと立ち上がったオクナイエスケピがこちらを見る。黄泉の世界の流水が、エスケピの油分に弾かれて、外殻の上を何滴もぬるりぬるりと滑っている。


 オクナイエスケピは完全にこちらに狙いを定めていた。さしずめ、メイドの中で一番弱そうなミュウをまず始末して、続いて狗美や司山ヨシヒサを襲うつもりなのだろうか。


 主の死はメイドとして断じて防がねばならぬ事態。さりとて、まず自身の命を守れなければどうしようもない。ミュウは司山ヨシヒサの言葉を信じるしかなく、メイドリングを起動させる。


 リングが光り、ホログラムとなって眼前に投影される映像。


 掃除用具、食器、どれを選ぶ。どれを選べばいい!?


 いや、すぐに見つかった。頭の中の混乱を一気に吹っ飛ばさんくらい、分かりやすいアプリが目の前にあったからだ。


 ――武装アーマードメイド。


 変なマークだった。中央にツナ缶詰を模した絵があり、上部には猫耳、周囲を燃え盛る炎が囲っている。


(もしかして、『これ』?)


 直感的にミュウはそれを選んだ。


 オクナイエスケピは、第二の攻撃の体勢に入っていた。壊素怪火がミュウへ飛び掛かったのと、ミュウの首から何かが飛び出したのは同時――『それ』は、今まさに凶悪な腕を振り下ろさんとしたエスケピを明後日の方向へ吹っ飛ばしてしまう。


 目の前でふわふわと浮かんでいる『それ』は、ミュウにはエプロンのように見えた。白っぽくて、フリルのようなものもあって、籠手のような手袋も見える。中央にはあのアプリの絵と同じ、炎で囲われたツナ缶と猫耳のエンブレム。それと、猫の耳と尻尾のようなものも。


 次の瞬間、『それ』は分解するように散らばったかと思いきや、ミュウの全身に装着される。


 何が起きたのかは、すぐに分かった。ミュウの姿は変貌していた。身に纏っていたのは、赤い刺繍が所々に施されたフリル付きエプロンに、赤みがかった丈の短いワンピースの組み合わせの新たなメイド服。両手は籠手のような白手袋で覆われ、足もブーツの感触。耳には無線機のような何か。


 そしてさらに驚くべきモノが頭の上にあった。それは新たな感覚で、自力でぴょこんと動かせる。試しに両手で触れてみたら、そこにあった毛の敏感さに、思わず鳥肌が立った。そしてなにより、なんだか異常に聴覚が冴え渡る。


 瞬時に理解した。これは人の耳ではない。猫の耳だ。なぜだか分からないが、自分の頭の上に新たに猫の耳が生えてしまっていたのだ! つまり、この状況を一言で表すと、


「あたし、ネコミミのメイドになってるううぅー!!」

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