冥土:Second Lost

 本日、二度目だ。気が付いたら、全然違う場所にいたという経験は。


 さっきまで何もない橋の上に立っていたはずなのに、ミュウ達は知らない市街地のど真ん中に立っていた。


 いや、市街地と呼ぶには現実離れしているものが多すぎるのだが。


 まず、足元。踏んでいる感触は砂地。けど、視界に映る地面の質感は明らかにアスファルト。いや違う。時折、白い花畑のようなレイヤーがアスファルトの上に重なってくる。けれども、花を踏んでいるような感覚は全く無い。


 続いて、目の前に立ち並ぶ家屋。戸建てとかマンションとか色々ある。けれども、そのどれもが、空虚な廃墟かと思いきや、明かりが漏れるほど生き生きとした姿に変わったり、鉄骨が剥き出しの不気味な姿に戻ったりする。住んでるのか住んでいないのか、そもそも住める場所なのかそうじゃないのか、姿が逐一変わりすぎてはっきりしない。


 空を見上げると、太陽すら良く見えない。いや、陽光という概念すら怪しくて、鉛色の分厚い雲が空一面を覆い尽くしている。というかそもそも、2区画くらい先は真っ白な濃霧に覆われていて何も見えない。


「あの……ここはどこなんですか?」


「ここは、冥土だ。ありていに言えば、死の世界だな」


「えっ!!?」


 司山ヨシヒサの口からさらりと返ってきた答えに、ミュウは吃驚した。


「し、ししし、死の世界!? 死の世界ってどういうことですか? ここって現実の世界じゃないってことですか? てか、死って、あたし達、死んじゃったんですか!??」


「やかましい! 喚いたところで理解出来んくせに捲し立てるな! お前の残念な頭でも理解できるよう順を追って話してやるからその口を塞げ!」


 司山ヨシヒサは顔面をぐいっとこちらに寄せて一喝した。罵倒されるのは腹が立つが、あの眉目秀麗な顔をドアップで近付けられると、流石のミュウも黙ってしまう。


「まず、最初に断っておくが、僕達は死んでいない。生きたまま僕達はここにやって来た。普通なら、生きているもんはここに来たら無事では済まん。瞬く間にここの住人となり、現実の世界には二度と戻れん。つまり、死ぬってわけだ。


 ん? なのになんで無事なのかって顔をしているな? 理由は簡単だ。まず僕は司山一族の正統後継者であるから。そして、お前と狗美が無事な理由は――」


 司山ヨシヒサは、ミュウの胸元を指差しながら答えた。


「——メイド服を着ているからだ」


 寒い空気が流れた。決して、死者の国の空が曇天で気温が低いからではない。


「え……、それ本当ですか?」


 ミュウの指摘に、司山ヨシヒサはニヤリと笑んで答える。


「ああ、そうだ。別に洒落で言ってるわけじゃない。本当だ。どうして給仕と黄泉の国がどちらも『めいど』と呼ばれているのか知っているか? メイド服の起源は、現世と冥界の均衡を守る戦士達の戦装束だ。故にメイド服ならぬ冥土服……これ、あながち珍説でもなくてな、長くなるから原理は省くが、メイド服特有のデザインが僕以外の人間が冥土の環境で活動するには最適なんだ」


 ミュウは開いた口が塞がらなかった。死の世界に連れてこられたかと思いきや、メイド服ならぬ冥土服? 頭がこんがらがりすぎて、理解どころか思考すら放棄したくなってくる。


「話を戻すぞ。お前をここに連れてきた理由だが、さっきもちょろっと話したが、お前には冥土の戦士になってもらう」


「冥土の戦士!? なんですかそれ!?」


「現世と冥土の秩序の維持を担う者達だ。生者は現世に、死者は冥土に――そんな当たり前のことが分かってない不届き者が世の中にはいやがってな。そいつらを力尽くで分からせてやるのが、冥土の戦士だ」


「……なんですかそれ。もしかしてあたし、世間で言われてるようなメイドをやるわけじゃないんですか?」


「そうだ。冥土の戦士なんてもんは、司山ソーシャルなんたらの所ではまずやらんだろうな。なあに、安心しろ。お前が想像しているようなメイドの仕事もやらせてやる。合格出来たらの話だがな」 


 ミュウは頭を抱えそうになった。憧れのメイドになれるチャンスというのは大変に有難い。だけど、良く分からない危険な役割まで付随してくるなんてのは予想外だ。だけど、身寄りも衣食住も無い自分には拒否権なんてない。やるっきゃないという選択肢しかないのだ。


「どうした。急に大人しくなったのは成長したようだから誉めてやらんでもないが、ただ俯いて黙りこくってるのは感心しないな。もう質問は無しか?」


 質問とかの前に、まずは事態の理解と受容をする時間が欲しかった。だけど、高慢な男に対して何も言えないのもなんか悔しいので、ミュウはとりあえず聞いてみた。


「あの、あなたの言っている不届き者ってなんですか?」


壊素怪火えすけぴだ。名前だけなら僕の執務室でも聞いてなかったか? 今、僕達はそいつを探している。お前が倒せ。それが、実技試験の概要だ」


「倒せって……簡単に言いますけど、そんなのあたしに出来るんですか?」


「やり方なら教えてやる。安心しろ」


「それに、エスケピってなんなんですか? 不届き者って言いますけど、どうしてそんなものがいるんですか?」


「それは説明したら長くなる。まずはそいつを探すために移動しなければならん。どうせ、ここで一気に説明した所で分からんだろう。動きながら説明するから聞いていろ」


 かくして、ミュウ達は摩訶不思議な冥土の世界を散策する。


 ★★★


 生者は現世に、死者は冥土に。司山ヨシヒサの言葉通り、冥土にも住民達はいた。けれども、案の定とも言うべきか、直視しようという気にはなれなかった。


 例えば、すぐ近くを通り過ぎた女性。多分、女性。若い女性かと思いきや、腰の曲がった老婆に変わり、かと思いきや今度は少女の姿に変わっている。歩いていると思われるが、どう見ても歩幅と移動してる距離が合っておらず、滑るように動いている。顔は、曖昧過ぎて分からない。前を見ているのか。それとも、こちらを見ているのか。


 冥土の住民達と何度もすれ違うが、実際の人込みを歩いているのではなく、人の歩く映像で四方を囲われているだけのような感覚がして、妙な寒気がした。ただただ、司山ヨシヒサと狗美の後をついて行くしか出来なかった。


「賢明だな。冥土の住民に場所を聞こうとしないのは正しいぞ」


 いきなり司山ヨシヒサがそんなことを口にするものだから、ミュウは思わず「えっ!?」と彼の方を見た。


「死者と会話をするということは、死者と関係を持つってことだ。関係を持つということは、死者に引き込まれるということだ。つまり、お前も死者となって二度と現世に戻れなくなる。だから、冥土の住民に話しかけないというのは実に賢明だと言ったんだ」


「そうなんですか? 知らなかったんですけど!? あの、もし知らずに話しかけてたらどうするつもりだったんですか?」


「まあ、力ずくで止めてやるさ。もっとも、お前も死者共を見て分かるだろ? 生者は死者に話しかけようとは思わんさ。だから、わざわざ説明する必要はないと判断してたんだ。流石は僕だ。良い先見の明だと思わんか?」


 なぜ、いつの間にか解説から自画自賛に変わっているのだろうか。


「なんだ。賢明と言ったが前言撤回だ。ノリが悪すぎる。メイドになりたければ、少しは何か言ったらどうだ」


「ええ……。あ、では、流石は――むぐぐっっ!?」


 何かお世辞を言おうとした途端、ミュウは司山ヨシヒサに口を塞がれた。


「黙れ。……奴の気配が急に近くなった」


(はあ? 何か言えって言っておいて!?)


 いかにもなダブルバインドに苛立ったミュウだが、司山ヨシヒサの様子は明らかに異なっていた。軽率にからかう感じではない。周囲を見渡しながら、どこか剣呑なオーラを振り撒いている。


 ふと、ミュウも周囲を見渡して眉を潜めた。さっきまで自分たちは、人(死者)気の多い市街地の中を歩いていたはずだ。なのに、急に何もかもが、波風に晒された砂山のように消え去っている。


 代わりに目前に広がっていたのは、大河。渓流のように流れは速く、水深は小石のようなものがうっすら見える程度。対岸は濃霧に覆われており、距離が全く分からない。


 やがて、濃霧がゆっくりと薄れ始めていく。向こう岸に人影が見えた。数は多いようが、大人ばかりではなさそう。


「あれは……違うようだな」


 霧の向こうの人影が、次第にはっきりとした輪郭を帯びていく。


 司山ヨシヒサは警戒を緩めたのだろう。ミュウの口元にかかる圧力が緩んだ。


 人影の正体が分かった刹那、ミュウは考えるよりも早く駆け出していた。


「な、おい! お前! 何をやっているんだ!」


 ミュウは走る。背後からの怒鳴り声など知らない。


 得体の知れない川だろうが構わない。スカートのすそまで濡れていようが、流れが何度脚に絡みついて来ようが、それがミュウを止める理由にはならない。


 なぜなら、目の前にいるあの人影は……!


なおくん! ヴァンくん! かく兄っ! てらちゃん! 武尊ほたかくん! しろちゃん! けいくん! ななちゃん! 富小路とみのこうじさん! あたしよ! あたし! ミュウだよ!」


 ミュウは叫んだ。目の前にいる、かつての家族の皆の名前を叫んだ。


 向こうは、こちらに気付いていない。


 だけど、叫ばずにはいられない。


「本当だった! ここにいるってことは、本当だったんだ! 本当に、みんな死んじゃったんだ! みんな死んじゃって、あたしだけ生き残っちゃったんだ!」


 彼らの姿を見た途端、あの時の思い出が怒涛のように脳裏に蘇ってきた。


 そうだ。いくら司山ヨシヒサと腹の立つやり取りをしていたとて、彼等との思い出なんて消えるわけがない。


 豊かじゃない。


 良いことばかりなわけがない。


 他の子たちなら当たり前に持っているはずのあれやこれやなんて、自分たちの家には何も無い。


 どうして自分だけそれが無いんだろう。どうして自分だけこんな目に遭っているんだろう。どうして自分だけずっとこうなんだろう。


 どうせ自分なんてずっとこのままなんだろう。どうせ自分なんて……。


 だけど、代わりに皆がいた。


 無いものばかり数えてたって辛かったから、無い知恵を絞ってみんなで楽しい時間を作るよう頑張ってきた。


 富小路さんという優しいメイドがいつもいてくれたから、どうしようもない毎日をなんとか必死に食いつないで生きていけた。


 豊かさとは縁が無かったけど、それでも毎日が暖かった。


「みんな、ごめん。あたしだけ生き残っちゃった。あの日に限って帰りが遅くて。みんな待ってた筈なのに。それなのに、それなのに……」


 思い起こされる温かさと、消えてしまったという喪失感。


 あの世で逢えた懐かしさと、生き残ってしまった罪悪感。


 様々な思い出と感情が頭の中でぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになりすぎて、目の前が歪んで何も見えない。自分でも何を言っているのか分からない。


「ミュウ姉?」「ミュウちゃん?」「ミュウ?」「もしかして、ミュウさんなの!?」


 向こうから声がした。ミュウの知っている声だ。あの子たちだ。こっちに気付いてくれたんだ。


「みんな、あたしはここ――」


「なにをやってんだお前えええええええええええええええっ!!!」


 次の瞬間、怒声が両者の雰囲気に割って入った。追いついた司山ヨシヒサが真後ろからミュウを羽交い締めにしたのだ。乱暴な力で持ち上げられ、ミュウはその場で脚をばしゃばしゃと虚しく空を蹴る。


「そんな。何するんですか! みんなが、みんなが、目の前にいるんですよ!?」


「お前、さっき僕が言ってたのを忘れたのか! 生者のお前が死者と会話をするということは、お前が死ぬということだ! お前もここの住人になるつもりか! このクソバカ女がっ!!」


「嫌! だからって見てるだけなのは嫌! あたしの家族なんだよ!? 『ただいま』も言ってないのにみんな死んじゃった家族なんだよ!? なにもせずに見ているだけなんて耐えられない!! みんな! みんな! あたしは、ミュウはここにいるよ!」


 喚きながらミュウは必死に抵抗した。


「ミュウ!? ほんとだ! ミュウだ!」


「ここはどこなんだミュウ!? なんでお前だけいなかったんだ!?」


「ミュウさんのくせに薄情ですね。こういう時に限っていないなんて」


 みんなが声を掛けてくれている。みんなにもっと近づきたい。だから、いい加減にこの腕を解きやがれ! ——最後の力を振り絞り、ミュウは司山ヨシヒサの拘束を力づくで振りほどく。後ろ手を掴んでくる手すら強引に振り払い、対岸に向かって駆ける。


「ふざけるな、この馬鹿野郎っ! おい、狗美! 奴を止めろ。足を撃っても構わん!!」


 司山ヨシヒサは隣の狗美に命令を下す。激昂する司山ヨシヒサの一方、狗美はこの状況でもなお沈着冷静だった。


「ご主人様、ですが、あの状況は妙ではございませんか?」


「なに?」


「ご主人様のご説明の通りでしたら、ミュウ様は向こうの彼らの問いかけに応じた時点で既に絶命している筈です。なのに、ご主人様の拘束を強引に解き、また彼女は走り出しました。これは、本来ならばありえないことです」


「……まさか、あいつは死者と会話しても死なんのか? つまり、いや、――」


 そんな二人のやり取りなんざ関係ない。ミュウは走る。目の前にいる家族の皆へ向かって走る。失った在りし日の思い出を再びつかみ取るかのように、ミュウは走りながら手を伸ばす。


「ミュウさん! 会いたかった! 本当に怖かった! ミュウさんだけいないなんて嫌だった!」


 家族の皆がこっちに向かって走ってくる。ミュウも負けじと彼らに向かって走る。


「みんな! そうだよね! でも、またみんなに会えて嬉しい! ここで、たくさん喋れるね! 場所は変わっちゃったけど、また、みんなで――!」


 手を伸ばすミュウ。手を伸ばす向こうの家族達。


 両者の距離は、もう目と鼻の先にまで近付いて――


「——————!!?」


 まさに、その時だった。


「——————え?」


 突然、目の前の家族の皆の動きが止まった。


 目を見開き、顔を青白くさせ、驚愕とも苦痛とも言えぬ表情で固まってしまった。


 ミュウは、何が起きたのか分からなかった。


 それは、瞬く間の出来事だった。


 皆の腹部から、鋭い何かが貫いていたのだ。


 ミュウが視線を落とすと、まるでオーロラを束ねたような半透明で鋭利な先端の触手が、彼ら一人一人の背中から腹部にかけて一突きにしていた。


「ミュウ、怖いよ……」


 それが分かった時には、彼らの身体は、謎の触手に刺さった所から、光の粒子のようなものへと変化していた。変化はやがて全身へと変わり、彼らの姿は徐々に消えていく。


「そんな……」


 家族と接するはずだったミュウの手は、彼等だった粒子すら触れることは叶わなかった。


 触手は、まるで水分を吸収する植物の根の如く彼等だった粒子を吸収すると、濃霧の彼方へと引っ込んでいく。


 目の前には、なにもない。


 ミュウのかつての家族は――

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