送迎:Into The Another World

 司山ヨシヒサ曰く、実技試験は車で移動した先で行われるそうで、ミュウは彼の後を追って豪奢な正門から外に出る。


 司山ヨシヒサは腕の携帯端末を操作して自動車を呼び出したのだが、やって来た車両がミュウにとっては少し予想外の代物だった。


 SUV。それも、かなりデカい。摩天楼の林立する都市の雰囲気にギリギリ馴染める程度の高級感こそ醸し出してはいるものの、洗練さやスマートさというよりはむしろ無骨さや泥臭さの方が際立っている。要するに、


(……なんか、この人の乗ってそうなイメージと違う)


「どうした、ボケ面こいてないでさっさと乗れ」


 気が付いた時には、司山ヨシヒサは今まさに運転席に乗らんとしていた。そして、ミュウはこちらへと言わんばかりに狗美がSUVの後部座席を開けている。


「え? え? あ、はい」


 案内されるがまま、ミュウも後部座席に乗る。オーク柄の意匠面が映える、高級感に満ちた内装が彼女を迎える。


「お前、もしかして、なんで僕みたいな人間がこんな車に、しかも運転席なんかに乗ってんだ? とか思ってるんじゃないだろうな?」


 座った途端、司山ヨシヒサからそんなことを言われ、ミュウは思わずどきりとした。


「え、あ、いや、そ、そんな、別に……」


 図星だった。


 ミュウ――メイドに憧れる現代の少女達には、金持ちの暮らしに対して抱く典型的なイメージがいくつかある。その一つが、外出する時だ。最高級のリムジンが目の前に颯爽と現れ、主は傍らのメイドが後部座席のドアを開けることによって乗車するのだ。無論、自動車のお抱え運転手を担うのも別のメイドだ。


 ところが、実際はどういうことだ? 現れた車は、高級車っぽい雰囲気こそあれ、スマートなセダンやリムジンの類ではなく、無骨で大柄なSUV。しかも、お抱え運転手のメイドではなく自動運転によって主の前に現れ、挙句の果てには、お付きのメイドが助手席に座っていて主が運転をしている。普段のイメージと全然違うじゃないか――素直にそう思ってしまっていた。


 司山ヨシヒサにはお見通しだったようだ。


 アクセルを踏みながら、司山ヨシヒサは愚痴るように捲し立てている。


「全く。世の全ての金持ちが、センチュリーやロールスロイスに乗ってメイドなんかに運転してもらってると思うな。あんな見てくれの良さだけが取り柄で、少し荒れた程度の砂利道すら走れない軟弱な車のどこが良いんだ。それに、自分で行くべき場所へ行くのを、どうして他人任せにする必要がある? そもそも、車ってのは自分で運転してナンボってもんだろう」


 ——そんなことも分からん奴らが上層部のかじ取りをし、下の奴らがアホみたいにそれが良いと勘違いして乗せられてやがる。何もかも『あのバカ』のせいだ。全く以て世も末だ。実に下らん。


 不満をぶちまけまくったおかげで、車内の空気はすっかり冷え込んでしまった。


 エンジン音や振動の一切届かぬ静粛さは流石は高級車と称えたい所だが、今やそれはマイナスに作用していた。普段は可能な限り取り除かれるべきだと言われる走行中の騒音の類も、今みたいな気まずい空気をある程度緩めるのに役に立っていたらしい。


 ミュウもこの空気には耐えられなくて、無言で窓の外を見るしか出来ない。


 車窓から眺めるに、司山ヨシヒサの住む邸宅は市街地から切り離された場所に建っている。今しがた瀟洒な正門を通り抜けたようだが、この辺りは緑の山々に囲われており、家屋の類がそんなに見られない。随分と自然豊かな場所のようだ。


 そして何より――全体的に違和感があった。山から絶景を眺める時、遠くの山は近くの山よりも青っぽく見えるものだ。それは彼我との間に分厚い大気のフィルターがあるからだが、そんな青っぽさが、なぜかすぐ目の前の街路樹や生垣から感じられるのだ。なんというか、窓の向こうに映る全てが全体的に遠くにあるような、もっと言えば、現実的ではないのである。


 自分がおかしくなっただけなのか?


 眉を潜めながら車窓を見ていると、車はトンネルへと入る。程なくして抜け、車は市街地に差し掛かった。良く知る街並み――ミュウの生まれ育った町が目の前に広がっていた。


(……え? あの館、あたしの町の近くにあったの?)


 思わず目を擦った。本当にあの町なのかと訝しんだのもあるが、何より窓の外の解像度がくっきりとしているのが大きい。トンネルに入る前と後——どちらも現実の光景であるのは間違いないはずなのに、前者の光景は空気がうっすらと浮世離れしていたような。


 ふと、見慣れた所に差し掛かる。司山グループなどのメジャーなコンテンツの大々的な宣伝がいつも放映されているスクリーンの先、例の五辻交差点の信号で司山ヨシヒサのSUVが止まった。


(あ、まただ)


 群衆が目の前の横断歩道の上を歩いている。その中に――挙動に違和感のある人影が混じっていた。性別は、服装から考えて女性。左から右へ歩いている筈なんだけど、脚がぴたっとしたまま動いていない。ほぼ直立のまま滑るように前進している。何より、顔は進行方向を向いている筈なのに、残像なのか錯覚なのかこちらを見ているようにも見える。なのに、顔はちっとも判別できなくて、それが不気味さを煽る。


 謎の人影は、やがて群衆に混じって見えなくなって――


「ほう。お前、分かるのか? 目で追ってたのがバレてたぞ」


「————!?」


 いきなり司山ヨシヒサがそんなことを言ったもんだから、ミュウはシートから飛び上がりそうになった。


「え? え? 分かるんですか? あれが? さっきいたあれが……!?」


「ふむ、どうやらお前は、単なるみすぼらしいバカ女ってわけじゃなさそうだ。初めてお前を、とんだ拾いもんだと評価できたぞ」


「あの、あれってなんですか? 知ってるなら教えてくれませんか!?」


 ミュウは身を乗り出して叫ぶように訊いた。今はあの男の癪に障る言い方とかどうでもいい。イラつきより気になるの方が勝る。


「ご主人様、予定を変更して、それを追跡致しますか?」


「いや、いい。もう反応が消えてしまって追いようがない。引き続き、後部座席のうるさい奴の実技試験の方を優先する」


 無視。


「あのーっ!?」


「さっき僕が言ってたのが聞こえてなかったのか? 前言撤回しよう。やはりお前は馬鹿女だ。これ以上、やかましく騒いでいたら今すぐこの車から降ろすぞ。野垂れ死にたくなければ黙っていたまえ」


(はああああああああああああ!??)


 質問に無視した挙句、さらなる罵詈雑言でこちらを無視させるという暴挙。ああそうだ。貴方の言う通りだ。あんなもんに気になってた自分が馬鹿だった。言われたとおりに黙ってやるが、本当にイライラする男だ。


 ★★★


 さらに走行することしばし。SUVは繁華な市街地を抜ける。


 人通りの多い町がすぐ近くにあるというのに、交通量が一気に減ってしまった。生い茂る木々が日光を遮っているせいなのか、日中なのにも関わらず妙に寒気がする。


 やがて、SUVが止まった。ミュウ達は車から降りる。


「ついて来い。あれが、試験会場だ」


「……え?」


 ミュウの目の前にあったのは、橋だった。


 深い断崖の両端を繋ぐ為に架けられたのだろう、かなり立派で頑丈な橋だ。中央に車線がキッチリ引かれており、車同士がすれ違うのには十分な幅がある。


 一方で、歩行者も通れるほどの幅こそ確保されておらず、何より柵が転落防止用にしては不自然なまでに高すぎる。柵のてっぺんで有刺鉄線がぐるぐる巻きになっているのは一体――考えようとするだけで皮膚の辺りがぞわぞわしてしまう。


「あの……、あの橋が、試験会場なんですか?」


「そうだ。さっき言っただろう。さっき僕が言ってたのを聞いてなかったのか?」


「いえ、その、なんで橋なのかなって」


「それは試験の説明をするときに答えてやる。その前に、お前にまず訊こう。お前はあの橋について何を知っている?」


「何を知ってるって……、いや、あたしがずっと前からある橋だなってことくらいしか……。もしかして、司山グループが所有している橋とかだったりするんですか!?」


 司山ヨシヒサから深い溜息。


「そんなわけあるか。間違えて馬鹿を晒すんなら、せめてもう少し面白い回答をしろ。……とりあえず、お前は五辻で見かけた『アレ』は見えるが、ここにある『アレ』は見えないってことが分かった。それさえ分かれば結構だ。ついて来い」


 というわけで、相も変わらずの司山ヨシヒサの暴言にイラッとしながらも、ミュウは彼の後に付いて行く。


「さて、ここにある『アレ』というのがこれだ。見えるか?」


 橋の中腹あたりで司山ヨシヒサがいきなりそんなことを言うもんだから、ミュウは驚いて「え?」と返してしまった。はっきり言って橋の中腹には何もない。ミュウと司山ヨシヒサと狗美の三人がいるだけだ。強いて挙げるなら、石ころが転がっているくらい。


「何が「え?」だ。おいちょっと待て。お前、まだメイドリングを嵌めてないじゃないか。今すぐ付けろ。出発する前に渡したアレだ」


「え? あ、はい」


(これ、メイドリングっていうんだ)


 司山ヨシヒサに言われて、ミュウは彼の部屋でのやり取りを思い出し、あのバングルを服のポケットから取り出す。金属の光沢を放ち、『Shiyama Technical Research Institute』の刻印が刻まれたあのバングルだ。指示されるがまま、ミュウはメイドリングを装着した。


 次の瞬間、メイドリングが。手首にぴったりハマったかと思いきや、手首の中へ沈み込むように消えてしまったのだ。


 え? と思ったのも束の間、今度は首に違和感。触ってみると金属のような固い感触。どうやら手首に沈み込んで消えたメイドリングが、チョーカーとなって首回りに現れたようなのだ。


 そんなバカなと思った矢先、もう一つの違和感に気付く。メイドリングと神経が繋がっているような感覚だ。例えるなら、口や瞼のように動かせる器官が、喉に新しく付け加えられたような。試しに動かしてみると、何かが接続されて作動したような感覚がして、ミュウの目の前に立体映像が映し出された。


(え? なにこれ、どういうことなの……?)


「よし。適合も基本動作も上出来だ。まあ、それすら出来んなら話にはならんわな。次は『境界視覚』を作動させろ。そうすれば、お前の頭でも僕の言う『アレ』が何なのか理解できる」


(境界視覚……これかな? ――!?)


 映像内にあるアプリ映像を選択した途端、「わっ」という声がミュウの口から飛び出した。


 すぐ目の前——さっきまで何も無かったはずの橋の中央に光る物体が現れたのだ。


 見た目は、巨大なヒビのように見える。亀裂が四方八方に入っており、その隙間から光が漏れている。けど、光の色彩こそ明るいのに、なぜか直視したくない。決して眩しいからではない。直感が告げるのだ。見てはいけないものだと。


「——見えました。この、光るヒビみたいなのが、司山ヨシヒサさんの言う『モノ』なんですか?」


 ミュウが訊くと、司山ヨシヒサは首肯する。


「そうだ。で、いわゆる試験会場の入り口でもある。試験の詳しい説明はおいおいしてやる。まずは、いつまでもそんなみすぼらしい服のままでいては話にならん。メイドリングを操作しろ。そうすれば、お前の服装をそこに登録してある衣装データに瞬時に着替えられる」


 指示通り、ミュウはメイドリングを操作する。衣装データとはこれだろうか?


 登録されている衣装データが何度も並んでいる。その中で――選べと言わんばかりに赤枠で囲われているものが視界に入った途端、ミュウは息を飲んだ。驚きのあまり、何度も司山ヨシヒサや狗美と目が合った。本当ですか? これ着ていいんですか? 様々な感情が零れ出してしまう。


 ヘッドドレス、ワンピースに白いエプロンの組み合わせ――紛れもない。これはメイド服ではないか!


 ミュウは選択した。少し、身に纏っているものの重さが変わったという感覚。そして、自分の姿が憧れのメイド服になっていると分かった瞬間、得も言われぬ情念が身体中を駆け巡った。学祭や施設内でのパーティで何度か着たことはあった。でも、これはそんなちんけなもんじゃない。本格的な本物の代物だ。まだ試験の段階だというのに、この時点で気分が高揚してしまう。


「何またボケ面こいてんだ。服装が変わっただけだろう。試験の説明の続きをするから聞け」


 全く、自分にとってメイド服が着れることの喜びがどれだけ大きいのか、あの男は理解出来ないらしい。けど、今はそんなのに腹を立てるのは後回しだ。素直に聞かなければならない。


「いいか。その服は、これから試験会場ん中に行くのに必要なもんだ。ああ、まだ外には出てないな。いいか、この中に『試験官』がいる。探し出して、そいつの相手をするのが実技試験の概要だ」


「試験官の相手……あの、なにかおもてなしをするんですか? この中にいる人に?」


「まあ、そんな感じだ。メイドとしてのお前の実力ってもんを見せてもらうぞ」


 司山ヨシヒサは口の端をぐいっと釣り上げた。


 おもてなし。その言葉を聞いた途端、ミュウの胸の中でぎらつく様に何かが灯った。自分もまたメイドに憧れる一介の少女。自分だったらどうやって相手に奉仕するか、今日まで何度も何度もシュミレートしてきた。所詮、妄想に過ぎないかもしれない。だけど、やらないのをやめずにはいられなかった。それほど、メイドへの想いは強いのだ。


 というか、今更気付いたのだが、境界視覚を発動させてからというもの、周囲の雰囲気がおかしい。大気のフィルターが掛かっているような、見ているもの全ての距離感が狂うような違和感。どうやら、境界視覚を使っている間は、あのトンネルに入る前の景色と同じような視覚になるようだ。


「よし、それでは境界視覚を維持したまま、目の前の境界クラックに触れろ。そして、現世と冥界の波長を自身の生体エネルギーと同調させるんだ。……失礼。お前の頭では僕が何を言ってるのか理解できなかったな。まあいい。やれば分かる。それなりのセンスがあれば誰でも出来るからな」


 司山ヨシヒサの放言はさておき、とりあえずミュウは目の前で司山ヨシヒサや狗美がやっている通りに、ヒビ――境界クラックに軽く手の平を翳してみる。


(……!?)


 明滅する枝先のようなクラックに触れた途端、細い亀裂の向こう側から何かが胎動してきたような感覚がした。思わず、ミュウの眉間にしわが寄る。


 続いて、謎の振動もまた自分の体内からもしてくる。これは、息が上がった時に強く感じるものとは少し違う。心臓よりももっと奥底から響いてくるような、根本的な生きたいというエネルギーのような何か。


 クラックから感じられる振動と体内から感じられる振動。交互に繰り返される振動がミュウの全身を駆け巡る。まるで波と波が喧嘩して、ぶつかったり引っ張り合ったりしているようだ。ともすれば、それらエネルギーに自分の身体がぺしゃんこにされたりバラバラに引き裂かれかねないほどの大きな波だ。


 そうか。この波を上手く重ね合わせることが、司山ヨシヒサの言う『同調させる』なのか。


 これは一瞬の出来事だった。その間に、様々なものがぶつかり合っていた。けど、その気になったらあっさり出来てしまった。ふたつの波が重なり合い、調和し合い、身体の中と外でひとつの緩やかな波となる。


「……え?」


 気が付いた時、ミュウの目の前はがらりと変わっていた。

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