第72話 出発
「君は孫娘の恩人だ、此処にいる限り安全は保障しよう」
フィオーレ翁はそう言って客室を手配してくれた。足を取られそうなほどフカフカの絨毯や豪華絢爛な調度品の整えられた客室はシャルメルの別荘を思い出させる。
「まぁ、行くか。取りあえずシャルメルに顔を出さないと怒られちまう」
此処にいれば安全と言われても、そんな訳にはいかない。俺はサモナー・オブ・サモナーズになる男だ、安全地帯でぬくぬくと過ごすために、厳しい修行を超え、村を飛び出て来た訳じゃない。
俺が、客室のドアを開け、廊下に顔を出したその先に、エフェットの姿はあった。
「よう、エフェット。休んでなくて大丈夫なのか?」
幼女にあの旅は辛かったはずだ、今日一日は寝ているものと思っていたが。
「あんた、王都に戻るつもりなの?」
「ああ、シャルメルに借りたこの服を返さなきゃな」
俺は、御下がりの燕尾服をつまみながらそう言う、大分汚れちまったが、返さないよりはマシだろう。
「そんなもの! 幾らでも買ってあげるわよ! 王都は危険よ! 国王が敵なのよ!」
「んー、そうは言ってもな、授業もあるし」
「学校なんて行けるわけないじゃない!韜晦するのもいい加減にしなさい!」
まぁ罪人の汚名を着せられても、世のため人の為サモナー・オブ・サモナーズとして活躍した先達が居るのだ、卒業証書の有無など大したものでは無い。
俺はポンポンと、エフェットの頭に手を伸ばす。
「まぁ俺の事は心配するな。俺はサモナー・オブ・サモナーズになる男だぜ、こんな所で止まってられねぇ」
「このわからず屋! 貴方をこんな事に巻き込んだ私の立場はどうなるのよ!」
エフェットは俺の手を振りほどきながらそう叫ぶ。
「心配してくれてありがとうよ。けど俺一人ならどうとでもなる。神父様との修行生活は伊達じゃねぇって」
「アンタの事なんてどうでもいいのよ!私の顔が丸つぶれだって言ってるの!」
エフェットは泣きそうな顔をしながらそう言った。まったく我儘お嬢様は手におえない。
「まぁまぁ、何だったら土産でも買ってくるから。飴ちゃんでもいいか?」
「あほ! ばか! このわからず屋!」
エフェットはそう言うとポカリと俺の脛を蹴り、その反動ですッ転んだ。神父様との修行によって鍛え抜かれた俺の体は幼女の蹴り如きではビクともしない。
エフェットは「きゃっ」っと言いつつ、下着丸出しで廊下にでんぐり返る。
「おいおい、下着が丸見えだぞはしたない」
俺は倒れた彼女に手を伸ばすが、彼女は顔を真っ赤にしたまま立ち去って行った。
「はぁ、行くか」
何だかどっと疲れてしまった。話によれば屋敷の周りには騎士団の手のものがぐるっと囲っているらしい。だが、俺一人なら隙間を見つけて脱出する事も無理じゃないだろう。時間は丁度夜明け前、一目を忍ぶにはいい時間帯だ。
「行くのかね?」
「ええ、行きます」
廊下の奥から姿を現したフェオーレ翁に返事をする。
「では、これを持っていきたまえせめてもの餞別だ」
フェオーレ翁はそう言って、独特の装飾がなされた短剣を渡してくれる。
「これは?」
この文様は見覚えがある、そうこれはあの遺跡で見たものと同じものだ。
「本当ならば、我が家所縁の品物を送りたいのだがね。それでは足かせとなってしまう可能性が高い、なんせ今の我が家はお尋ね者を生み出した反逆者だ」
翁はシニカルな笑みを浮かべて肩をすくめる。
「フェニフォート人の……」
「そう、君が偉大なる召喚師を志すなら、持っていて損は無い品物だろう」
そうだ、この文様。どこかで見覚えがあると思っていたが、この文様は召喚陣にとても良く似ている。
スラリと、さやから抜き放つ。刀身は無垢な白刃と言う訳では無く、どうやって細工したのか分からないほど微細な文様が刻まれていた。
「凄いなこりゃ」
「だろう? そこまで原型を留めている逸品はそうそう無い」
「逸品だぞ」っと、翁は自慢げにニヤリと笑う。
「ありがたく」
俺は素直に首を垂れる。芸術品の類なのでこれでチャンバラするわけには行かないだろうが、元々俺のスタイルは無手が主なので問題は無い。
「それではちょっと騒ぎを起こさせよう、君はその隙に逃げると良い」
翁はそう言って立ち去って行った。行く先は玄関の方、きっと騎士団の連中に派手な文句でもつけるつもりだろう。
俺は再度翁に頭を下げ、屋敷の裏庭へと駆けだした。
「フラ坊、出ろ」
裏庭の木に紛れる様にフラ坊を召喚する。
「よし、ここなら大丈夫だな」
アデミッツ家を囲む塀は簡単な城壁にも等しい。肩車しても向こうが覗けない高さの塀だが、魔力爆破で駆け上る事は用意なものだ。
サン助に乗り一気に王都まで帰るのも考えたが、2度も同じ手は通じないだろう。ここはひっそりと屋敷から抜け出して、郊外まで出たところで人目を忍びながら召喚するのが吉と見た。
相手もまさかきた早々に屋敷を抜け出すとは思いまい。
ザワリと塀の外が喧しくなった。翁が一演説ぶちかましているんだろう。
「よっしゃ行くか」
俺が塀を超えようかとした時だ、屋敷の方から人が駆け寄ってくる足音が聞こえて来た。
「エフェット、まだ何か用事があるのか?」
彼女は息せき切って俺の元まで走って来た。
「はぁ、はぁ、ホントに行くのね、この馬鹿」
「ああ、行く」
誰に何と言われようが、俺の決意は変わらない。
「この馬鹿! 分かったわよ!」
エフェットはそう言うと、俺の脛を蹴り飛ばす……代わりに金的に思いっきりパンチを打ち込みやがった!!
「うごっ……」
油断していた、何時もの蹴りだと思っていた俺は思いっきり気を抜いていた!俺は思わず腰をかがめる。その時だ、彼女の追いうちが俺の頬を貫いた。
ちゅっ、とそれは小さく柔らかく暖かい一撃。
「えっ、エフェット?」
俺は脂汗を垂らしつつ、彼女の方に視線をよこすと。彼女は朝日に負けないほど頬を赤らめながらこう言った。
「絶対! 絶対帰って来なきゃ許さないんだから!」
彼女はそう言って屋敷の方に走り去っていったのだった。
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