第57話 古文書

 学園の中ほどにある大図書館、そこに併設された建物が伝承学科の校舎だった。

 その中に一歩足を踏み入れただけで、かび臭い古本の匂いとインクの匂いが鼻につく、所狭しと資料が置かれた通路を通り、様々な標本の置かれた迷路のような回路を抜けた先にアヤカさんの居るゼミ室があった。


「おいアヤカ入るぞ」


 勝手知ったる他人の部屋。ノックもそこそこに入室した気軽さに二人の仲を感じていると、部屋の奥に何やらもぞもぞと蠢くものの姿があった。

 その物体は異様な臭気を放ち、ぺらぺりと奇妙な鳴き声を放ってながら、机の前にかじりついてた。


「はぁ、お前一体いつからここにこもりっきりなんだ」


 リリアーノ先輩は、ため息を吐きつつ、窓を開けて換気をする。


「わわ、やめてくれ。資料が何処かに飛んでしまう」


 バタバタと手を振り抗議するのは、度の強い丸メガネの上からでも分かる程、目に強い隈を作った、小柄な女性だった。


「夏だと言うのに、窓を閉め切りこもりきり、汗臭くてかなわん。ちょっと水浴びでもして来い」

「まったく、リリアーノは横暴だなぁ」


 その女性は特大の欠伸をしながら、おもむろに服を脱ぎはじめる。


「わわ! 馬鹿! なんでここで脱ぎだすんだ!」


 リリアーノ先輩は慌てて、シャツをめくる手を止めると、そのまま彼女を抱きかかえる。


「すまん、ちょっとこいつの目を覚ませてくる」


「危険だから、無暗に触るなよー」と言い残し、走り去ってゆくリリアーノ先輩、俺たちは唖然ととそれを見守りつつ。主のいなくなった部屋に立ち尽くした。





「やぁやぁ、恥ずかしい所を見せてしまったな」


 アヤカ先輩は、まったく恥ずかしくなさそうに、淡々とそう言った。汗臭さは洗い流せたものの、濃く刻まれた目の隈はそう簡単に洗い流せるものでなく、どんよりと沈んだ不健康そうな雰囲気を纏う女性だった。


「ふあぁあ。それで、こんなことろに大勢で押しかけて来て何の用事だい?」

「はぁ、まだ寝ぼけてるの、いやどちらかと言うと睡眠不足のほうか。

 まぁいいアヤカ、例の古文書の件について説明したら一眠りして来い」

「ん? ああ、アレの事か! そうそう、アレは非常に興味深い品だった! よくぞ僕の所に持ち込んでくれたものだ!」


 アヤカさんは目を爛々と輝かせながら、俺たちと握手を交わす。うむ、正直怖い。


「それでは、説明しよう。うむ、アレはやはり20年前に書かれた個人的な手記だった」


 そうしてアヤカ先輩は例の古文書についての解説を開始した。


 この手記の持ち主、つまりあのネクロマンサーの名前はライアン・クレイシー。大戦後には掃いて捨てるほどいた無法者の1人と言う事になる。

 だが、唯の無法者ではない、邪教を信仰し、国家転覆を企む狂信者の教祖だった。当然そんな危険人物をほって置くわけにはいかず、討伐隊が編成され、彼は追われる身となった。


「討伐隊ってもしや、神父様の事ですか?」

「ああ、聖戦士ロバートも勿論それに含まれる。彼は王国の守護者として秩序と安寧を取り戻すのに尽力した一人だ」


 ただまぁ邪教の教祖とは言っても、そう派手なものでは無かったらしい。手記の大半は誇大妄想や被害妄想のオンパレード。他の資料と照らし合わせると、世界を揺るがすにはやや足りない、十把一絡げの危機の一つと言った所だったそうだ。


「十把一絡げの危機とはまたすごい表現ですわね」

「だが、その通りだ。戦後の混乱期はある意味では大戦中よりも厄介だったと言う話だよ」


 泥沼の戦後。その中でライアンは神父様と言う最悪の狩人に狙われた。変わり身、身代わり欺瞞工作、多種多様の手管を利用し、辛くも神父様から逃げおおせた彼は、何とかあのダンジョンまで逃げ延びた後、そこで命を落としたと言う事か。


「その様だね。まぁ聖戦士ロバートに、他の優先すべきことが出来て見逃された、と言った方が正確かも知れないがね」


 その詳しい理由については、別件でまだ調査中とのこと、高々20年前の話だと言うのに記録があやふやなのは、それ程時代が混乱していたと言う事だろう。


 しかし、その手記に置いて最も脅威と記されていたのは神父様では無かったそうだ。


「顔に、罪人の刺青を入れられた女性の召喚師。そいつが最高に厄介だったそうだよ」

「罪人の……刺青?」

「ああそうだ、綺麗な顔に大きく刻まれた刺青が特徴的な女性だったそうだよ。

 おそらくは司法取引で外に出て来たんだろう。あの時代は何もかも不足していたからね、そう珍しい話じゃない」

「その人の名は!」

「おぉっと、そう猛るんじゃないよ少年。その女性の名はアリア、残念ながらファミリーネームまでは不明だがね」


 罪……人? 罪人? 村を救ってくれたあのサモナー・オブ・サモナーズが罪人だった? 予想外の事実に俺は思わずよろめいた。


「しっかりしなさいアデム!」


 チェルシーが叱咤の声と共に俺の背中を張る。


「アヤカ先輩。その一団の中に私の父、エドワードの姿はあったんでしょうか」

「ああそうだね、アリアの見張りの様な役割を果たしていたらしい。もっとも敵の証言だ、ホントかどうかは分からないがね」


 アヤカ先輩はそう言って肩をすくめる、多角的に資料に当たり、可能な限り主観を排除していく作業が大切なんだそうだ。


「ってことは、チェルシー」

「ええそうね、やはりお父様に聞くのが一番手っ取り早いって事よね」


 だがその答えに、アヤカ先輩は苦い顔をする。


「んー、それはそうなのだが、教授連中はあの時代の出来事をあまり話したがりはしないんだ」

「どういう事なんですか先輩?」

「それは僕が聞きたいぐらいさ。歴史を司るウチの教授もそうなんだぜ。余程話したくない内容なんだろう事は想像が付くけどね」

「父がそんな事に関わっていたと言う事ですか!」

「正確には、エドワード教授がじゃなくて、あの時代がって所なんだろうけどね」


 あの時代、戦後の混乱の時代に何があったのだろう。俺たちはそう思いつつゼミ室を後にした。

 そして、今のままエドワード教授の所に向かっても、口は割らないだろう。もっと決定的な証拠を手に入れてから立ち向かうべきだ。と言う結論に俺たちは達した。


「お父様もああ見えて大概強情だからね」


 やれやれと、その血を濃く引いているチェルシーは肩をすくめたのだった。

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