第6話 紅の淑女

 俺たちの前に立ちふさがった金髪少女は、虎の威を借る何とやら、ペチャクチャと先ほどの俺の発言について文句を言う。


 こいつは参った、俺は取りあえず頭を下げると、先ほどの非礼を詫び……詫び……。

 何を詫びよう。不用意な一言本心だったが、彼女を無視することがそれ程の罪なのだろうか。悩みに悩んだ俺は、ちらりと例のシャルメル嬢の方に視線を向ける。すると彼女は所作なさげに、よそ見をしていた。

 成程、威を借られている虎自身はどうでもいいと思っている様だ、ならば静かに首を垂れ続ければそれでいい。しかし俺はそれでもいいとして、アプリコットをそれに突き合わさせるのは申し訳ない。かと言え、この状況から彼女だけを……。


「ちょっと! ちゃんと聞いていますの!」

「ああごめん、ちょっと考え中。もちょっとタイム」

「なっなんですの! その言いぐさは!」


 おっとしまった。自分より強い敵との戦いには慣れているが、自分より地位が強い敵との戦いに不慣れな俺は、ついつい本音を口走ってしまった。

 そう言えば基本ルールのなかに宮廷作法は入っていなかった。神父様も苦手だったんだろうな。

 ともかく、ここまでこじれちゃったら開き直るのもまた一興。


「あー、すまんすまん。俺は田舎者なんで正直なんに謝ればいいか分からなくなってきたとこなんだ、次から気を付けるから今回は勘弁してくれ」


 はっはっは、と俺は笑いながらそう告げる。もうどうにでもなれだ。


「シャルメル様」と虎に泣きつく狐を見ると、その視線が俺とアプリコットの間をチロチロと往復している事に気が付いた。

 もしかして、この少女の目標は俺ではなく、アプリコットだったのかもしれない。しかし今の状況で「ヘイ! アプリコット! あの狐ちゃんの名前知ってる?」なんてことを聞いた日には末代まで祟られそうだ。


 めんどくさい、アプリコットを連れて逃げるか、と逃走の試算をしていると。流石に虎が動き出した。


「はぁ、そこら辺でよいでしょう、ジスレアさん。貴方がわたくしの事を思ってくださるのは分かりますが、わたくしはこのような事で一々目くじらを立てたり致しませんわ」


 言外の部分に、田舎者には興味なしと言う言葉も感じられるが、まぁほっとこう。ともあれこれで、お姫様抱っこで大逃走と言う、狐ちゃん大激怒のイベントを回避できた。


「ああ、助かるよ。シャルメルさん」

「まぁいいですわ、えーっと」

「ああ、自己紹介が遅れたな。俺はアデム。アデム・アルデバル召喚学科希望だ」


 もっとも、希望は希望で終わってしまうかもしれないが。と付け加えようとしたその時だ。


「召喚師……ですって」


 ぴしりと、虎の尾を踏んだ音がした。


「あ、あぁ、召喚学科を希望しているんだが」


 ぴしり、ぴしり。それまでの気だるげと言うか興味なさげな雰囲気は霧散して、一気に燃えるような怒りのオーラが周囲に充満していく。


「……そんなに悪い事なの?」


 俺はアプリコットに小声でそう尋ねる。彼女はビクっと震えた後、恐る恐るこう返してくれた。


「さっ、先の大戦時に、彼女のおじい様が召喚師に手酷い目にあわされ、一時期はミクシロン家の屋台骨を揺るがすほどの損害だった……とか」


 成程それは恨み骨髄、祖父の怒りは7代続くと言った所か。


「まっ、まぁまぁ、そんな何時までもクヨクヨと過去の事に縛られずにさ! 上を向いて歩こうぜ!」


 俺は精一杯の励ましの言葉を掛けたつもりだった。だが……。


「お黙りなさいッ!」


 どうやら説得は失敗に終わってしまった、やはり下を向いて歩くことが最近のトレンドみたいだ。

 彼女の周囲の魔素マナが、凝縮し今か今かと彼女の号令を待ちわびる。

 やばい、こんな場所であんなもんをぶっ放されちゃ、アプリコットに被害が及ぶ。尚且つ、理性を失った彼女ではあの魔素マナを制御できるか、怪しい所だ。

 アプリコットや彼女自身を傷つけずにこの場を治める方法は――。


 タンッ!


 俺は一瞬踵に魔力を圧縮し解放することで、それを推進剤とし数歩離れたシャルメル嬢との距離を0にする。


「なっ!?」


 彼女が瞬きする間もない、彼女には俺が突然目の前に現れたようにしか見えない筈だ。やや目測を誤って、鼻と鼻が触れ合うくらいまで近距離に近づいてしまったが、防衛戦はこれが初めてなので緊張していたのだ、勘弁してくれるとありがたい。

 この距離まで接近してしまえば、アプリコットは完全に俺の影に隠れているし、俺を狙っても彼女諸共自爆してしまう。結果的に、彼女は無理やりにでも矛を収めるほかない完璧な展開――。


「きゃぁああああああ!!!」


 といったような、いかなかったような、俺の予想とは少し異なり、彼女は顔を真っ赤にしてその場に蹲ってしまった。

 抜群の身体コントロールにより、接触事故キスはしていないと言うのに失礼な。


「だが、チャンスはチャンスだ」


 俺は、そのまま脱兎の様に逃げ去り、そのついでにアプリコットをさらっていく。勿論ぐずぐずと手を引いて走っていたらシャルメル嬢が正気に戻ってしまうかもしれないので、迅速的確にお姫様抱っこでだ。


「あー、えーっと、ごめんねー、またいつかー」


 ドップラー効果で別れの挨拶捨て台詞を残しつつ、俺たちはこの場からの退散に無事成功した。





「ふぅ、ここまでくれば大丈夫かな。ごめんなアプリコット怖い目に合わせちゃって」


 学園の敷地を出てひとっ走り、人気のない所まで来たことで、俺はアプリコットを静かに立たせる。


「いっ、いえ、その、大丈夫、です」


 彼女は真っ赤になりつつも、そう返事をしてくれた。疲れた、なんだか知らないけどとにかく疲れた、害獣退治や山賊討伐と違い、ご近所トラブルは色々と気を遣う事が多すぎる。


「あっ、あの、アデムさんは、大丈夫ですか?」

「んっ? あーあー、大丈夫。俺は彼女に指一本触れてないし、触れられても無い、全く持って問題なし……だと言いなぁ」


 落ち込む、凹む、反省する。神父様ならもっと上手く……いや、あの人も女性の扱いはあれだったから参考にならないか、師弟揃って要反省だ。

 うーん、俺がとんでもないカリスマの持ち主かつ色男だったらあの場でキスでもかましてれば解決できたんだろうか、残念ながら今の俺には何もかも足りない主にガッツが足りない。

 そう、アプリコットに相談したところ。


「知りません!!」


 と、真っ赤な顔のまま怒られた。全く女心は複雑怪奇でござる。


 ともあれ、俺たちは一路教会を目指したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る