第7話 果報は働いて待て
「あらお帰りなさい、早かったですねアデム君」
裏口から教会に入った俺を一番に見つけたのはやはりと言うかシエルさんだった。
「……暇なんですか?」
「おやおや、口の悪い事を、お姉さん怒っちゃいますよー。あっそれとも試験の結果が思わすくなくてふて腐れてるんですかー?」
そう言ってニヤニヤと笑いながら彼女は近づいて来る。くそっ! 俺がこうなる事など予想していたくせに。
まぁいい、試験は結果を聞くまで分からない。どんなにか細い糸でも可能性は0じゃないんだ。とは言っても俺に残されたのは天に祈る事だけ。人事を尽くして天命を待つだ。
その前に、シエルさんに厄介ごとを投げて意趣返しとしゃれ込もう。
「アプリコット入って」
俺が入室を促すと、彼女はおずおずと不安そうな様子で裏口の門を潜って来た。
「おやおや、試験の片手間にナンパですか、アデム君も隅に置けないですねー」
「茶化さないの。神様じゃなくシエルさんにお客さん。悩み相談があるんだって」
ふむ、とシエルさんは眼鏡の蔓をクイット持ち上げてから、「お姉さんでよければ相談に乗りましょうか?」といかにも頼りになりそうなお姉さん風を装った。
「なるほどー、大事な所で緊張してしまって思うようにいかないですかー」
それは大変ですよねー、分かります。と、この人に緊張するなんてことあるんだろうかと思うほど鋼の神経をしてそうなシエルさんは、うんうんと頷いた。
「それで……私はどうすればいいのでしょう」
アプリコットは、シュンとした表情で俯き加減にそう尋ねる。
「まぁなる様になりますよ」
「は?」「へ?」
あっけらかんとした表情でシエルさんはそうのたまった。
「神は超えられるべき試練しか与えはしません。貴方にとってそれが超えるべき試練なら、いつか超えられる日が訪れるでしょう」
「いやちょっとシエルさん。そこをもうちょっと何とか」
「そうは言ってもですね、アデム君。こう言ったものは、意識すればするほどドツボにはまってしまうもの。アプリコットさん、貴方は心優しく、責任感の強い女性です、私から言える事としたら、緊張するあなた自身を受け入れてあげてと言った事でしょうか」
「私自身を、受け入れる」
「そうです。そもそも緊張しない人間なんていやしません。いきなり緊張を楽しめなんて高度な事は求めません。緊張している自分を一度俯瞰して見て、それから受け入れてみてください」
「……わかった? アプリコット」
正直分かったような分からないような、基本ルールに『自分を客観視しろ』と有るがそれの亜種と言った所だろうか。
「……はい、今はまだ、難しいかもしれませんが、少し心が軽くなったような気がします」
アプリコットはそう言ってほんの少し力の抜けた笑顔を浮かべた。
「なーに、出会ったばかりのアデム君に心配事を相談できるなら十分に見込みはありますよ」
シエルさんがそう言うと、アプリコットは顔を真っ赤にして俯いた。
「いやイジメないでよシエルさん。話を振ったのは俺なんだから」
「はー、まったく。師弟揃って女心に鈍感な人達ですねー、いいですよ、それじゃあアプリコットさん、朴念仁は放って置いて女二人でお茶しますか」
わっわっわっと、慌てふためくアプリコットを連れてシエルさんは俺の部屋から出ていった。
二人の内緒話がどうなるかは分からないが、アプリコットが教会にいると言う事は彼女の従者に伝言が言っている筈だから、多少長くなっても安心だ。
しかし、結果発表まで1ヵ月、どうしたものかと考えていたら、ひょっこりとシエルさんがドアを開けて顔を出した。
「ああ、そう言えばアデム君当てにお手紙が来ていましたよ」
何だろうと思って机の上を探せば、それは神父様からの手紙だった。
「えー、何々。村や家族の事は私に任せて、結果発表まで教会でこき使われて来い?」
うーむ。まぁそう言う事ならお言葉に甘えて王都での生活を楽しもう。
「まぁこれが最初で最後の王都生活になるかもしれないからな……」
俺は肩を落としながらそう呟いた。
「いやーアデム君は良く働いてくれますねぇ、やっぱりこのまま教会で働きませんか?」
「お断りします」
こき使われて来いと言われたところで、教会での暮らしは神父様の地獄の修行生活と比べれば天国のようだった。何しろ死の縁に立つことが無い。
早寝早起き、家事野良仕事は村での必須スキルだし、特に言うことは無いかった。ただ礼儀作法や教会作法については多少戸惑ったが、シエルさんを始め先輩方が丁寧に教えてくれた。
懸案事項だった、神父様を左遷した大司教様との関係だが、特に可もなく不可も無く、いい意味でも悪い意味でも特別扱いされる事無く、偶に神父様についての嫌味を言われる以外はごく一般の修行僧として扱ってくれた。
「それでー、今日が結果発表の日でしたっけ? お姉さんが、一緒に見に行ってあげましょうか」
「……遠慮します」
ニヤニヤと意地悪そうに笑うシエルさんを無視して、洗濯を続けながらそう言った。
「あははは、そう緊張しなくても大丈夫ですよ。近年召喚学科は欠員続きって言う事ですし、普通に受けていれば普通に受かりますって」
「だから、その普通が出来ていなかったから悩んでるんですよ!!」
あはははと笑う、血も涙もない冷血シスターにおもちゃにされる。やはりこの人は暇なのだろう。
今に見ていろ、いつか仕返ししてやる。と内なる力を高めつつ、俺は朝の仕事を終え、精神を統一する。
アプリコットじゃないが、これ程緊張するのは生まれて初めてだ。
パン! と両手で頬を張り再度気合を入れ直す。
「それじゃ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。吉報を待ってますよ」
シエルさんを始めとし、手の空いた方達が俺を見送ってくれる。その様は戦場へ出立する戦士を送るようだった。
「って、戦い自体はもう終わってるんだよなぁ」
教会から離れるにつれ、ドンドン不安が増してくるので、意気地の無い自分を鼓舞する様に、俺はダッシュで街を掛ける。背後から迫る不安の影に追いつかれたら、俺は立ち上がれなくなってしまいそうだったからだ。
この一月ちょっとで勝手知ったる王都の裏路地を駆ける。ここなら全力出して走ろうと、誰も文句を言ってこないのが都合がよい。
だが、幾ら全色を出して走ろうと、不安の影は振りほどけない。必死で走る1人芝居の追いかけっこ、そしてゴールが見えて来た。
「ついた!」
学園の敷地に入ってすぐの広間にその掲示板は立っていた。
「どこだ、どこだ」
魔術学部には召喚学科を含めて7の学科が存在する。受験者が一番多く花形と言えるのが攻撃魔術を得意とする真言魔術学科、続いて補助系の魔術を得意とする付与魔術学科、さらに基礎研究中心の、鉱石、天体、植物、伝承学科とあり。
「あった! 召喚学科!」
見つけた、心なしぼろい掲示板には、召喚魔術学科の文字が書かれている。
「1・2……」
俺の受験番号は13番、13番、上から順に一文字たりとも見逃さないように見ていく。
「12・13!!!」
「あっっっっっったぁぁぁああああああ!!!!」
周囲の目? そんなもん知るか!! 俺は全身全霊で叫びをあげる。長かった、神父様との修行の日々、村での生活、王都での生活、色々な物が走馬灯のように流れていく。
それらが全て報われた。
「あの」
と掛けられた声に、無意識に反応し、俺はその人物に抱き付き「やったよやったよと」大喜びをする。今日は無礼講だ! 構うな構うな!
「ひゃっひゃめて下さいアデムさん!」
「ん? その声は」
ガバリと、肩を掴んで離して見ると、そこには顔を真っ赤にしたアプリコットの姿があった。
「どっどうだった」
俺は緊張し、彼女の答えを聞く。
「大丈夫でした受かりました!」
彼女はそう言って一番の笑顔を見せてくれた。
「ひゃっほーーーーい」
俺は彼女を持ち上げクルクルクルクル、回る回るまわ――
ギロリと物凄く血走った眼で俺を見つめるメイドさんと目が合ってしまい、静かに彼女を下ろす。流石にはしゃぎ過ぎたようだ。
「お初にお目にかかります、貴方がアデム様でございますね」
そのメイドさんはアプリコットを隠す様にずずいと前に出て来てそう言った。
「あっああ」
「私の名はカトレア・リヴストーン、アプリコットお嬢様の専属メイドを承っているものです。貴方様にはお嬢様が幾度となくお世話になっていると伺っております、以後お見知りおきを」
ずずずいと射殺す様な視線と共に
「あーいや、まぁお互い受かって何よりだってアプリコットに伝えておいてください」
「はい、了解いたしました」
自分の主を俺の視線にさらさないためか、鼻と鼻がくっつきそうな距離まで接近して全力で睨みを効かせる彼女越しに、アプリコットにお祝いのメッセージを送ると、俺はそそくさとその場を立つ。
「あっアデムさーん」と言うアプリコットの呼び声は遠く、カトレアさんの圧力の前では風前の灯火だった。
しかしまぁこれからは、学科は違えど同じ学生、またどこかで合う事もあるだろうと。俺はシエルさんに報告に教会への道を急ぐことにした。そしてその時だ。
「見つけましたわ!!」
そんな俺の前に立ちふさがるはご一行。燃えるような赤髪を優雅にはためかすシャルメル嬢のご登場だった。
「あーはは、えーいや、この前はどうも」
「どうもじゃございませんわ! 先日はよくもまぁ
彼女はそう言うと手袋を外す。
「決闘ですわ! 見た所貴方も無事合格した様子。当学園は生徒通しの私闘は禁じられていますが決闘禁止されておりません! 淑女の誇りを汚した貴方には決闘を申し込みますわ!」
大勢の受験生、もとい新入学生の前でシャルメル嬢はそう宣言をしたのであった。
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