第4話 理想と現実3
静かな室内に、万年筆を滑らせる音が優しく響く。室内は古くはあるが手入れの行き届いた清潔な匂いがしていた。
そこにコンコンと遠慮がちにドアをノックする音が響いて来る。万年筆を滑らせていた女性は苦笑しながらそれに返事をする。
「どうぞ。空いていますよエドワード先生。
「いや、そうは言ってもだね、カッシェ君。女性が1人作業している部屋に入るには、おじさん勇気がいるもんだよ」
先ほどの試験官であり、召喚学科の院生でもある。カッシェ・リアーソンは困った人だと眉を寄せながら筆を休めて、エドワード・リシュタイン学科長へ振り向いた。
「ああいいよ、作業を続けて。お茶は私が入れよう」
エドワードは、腰を上げようとしたカッシェを引き留め、水場へと向かう。
「今回の受験生はどうだったかね、定員割れは何とか避けられたみたいだけど」
エドワードはお湯を沸かせながら、カッシェにそう尋ねる。
「本日の試験は無事に終了致しました、残るは明日の面談だけですね……と言いたいところですが、1人問題がありました」
「ほう、それは?」
困ったような、申し訳ないような顔をしてそう尋ねるエドワードに、カッシェは一枚の願書を抜き出してこう答えた。
「受験番号13番、アデム・アルデバル君です。彼の適性値が高すぎる問題です」
「高すぎるって成績優秀だったって事? 良い事じゃないか」
「韜晦しないでください先生。召喚獣との同調力が高すぎるんです、危うく私のグーちゃんが彼に持っていかれる所でした」
召喚符試験において、受験生が召喚に成功してしまう事は多くは無い、逆を言えば成功例も出ることは出る。しかし彼の場合は桁が違った。召喚符に魔力を通しただけで真名を探り当て、支配権を丸々奪いかねない所だった。
「彼は是非、
ふうむ、とエドワードは唸ってから、お茶と一緒に一枚の手紙をカッシェに差し出した。
「……なんですこれ?」
「私宛の手紙だよ、試験官の君に余計な先入観を与えたくなくて君に見せていなかったが、もういいだろう。読んでくれる?」
何だろうと、オドオドとしたエドワードの様子に、嫌な予感を持ちながらカッシェはその手紙を受け取った。
「誰から……って、鉄風のロバート・マードックからじゃないですか!」
「あーうん、そう、ロバートからの推薦状なんだけど」
エドワードは消え去りそうな声でそう話す。
「えーっとなになに、『下地は作った、後はそっちで好きにやってくれ』って何ですかこれ? これだけですか? ってなに!? アデム君ってあのロバート・マードックの直弟子って事!!」
「いや、内弟子と言うほど大仰な事じゃないみたいだけど、打ったら響く子だったんで面白半分でみっちり仕上げたみたいだよ」
「いやそれにしても、ロバート・マードックと言えば数々の功を立てた星教会の伝説的聖騎士ですよね。そんな彼に修業を受けていたなんて、なんて羨ましい」
「いや、彼は大概雑な性格だから、そのアデム君はとてもとても苦労したと思うよ」
エドワードは実感を込めて、そう呟き茶をすする。若い身空は彼もロバート達と冒険をした、そして多くの艱難辛苦と戦った、その記憶がお茶の渋みを深くする。だが、今となってはそれも良き思い出だ。
「ともあれ、明日の面談には私も同席しよう。君には是非色眼鏡で見る事無く彼以外の受験生にも気を配ってあげてほしい」
「それは、勿論ですが。彼の素質は危険でもあります。学科の方も問題ありませんでしたし、彼は是非うちで仕込む必要性があります!」
カッシェは鼻息荒くそう言ったのであった。
「どうも、ただいま」
記憶不明の学科試験に、険しい顔で止められた実技試験。俺はお先真っ暗な気持ちで教会の裏口を潜った。
「あら、アデム君お帰りなさい、試験の様子は……ってその顔を見るに今一だったようですね」
落ち込む俺とは対照的に、シエルさんの顔は輝きを増す。どうやら彼女は俺を勧誘する夢を諦めていないようだ。
「ははは、大丈夫です。明日の面談で盛り返しますから」
「んー、面談ってそう盛り返せるようなものでもないと思いますが」
「ははは……言わんといて下さい。それにしても何ですかシエルさん! 召喚師の現状についてどうして教えてくれなかったんですか!」
「いやー、アデム君の決意は固いようでしたから、自分で見るのが手っ取り早いと思ったんですが、効きすぎたようですね」
シエルさんは香辛料の良く聞いたハーブティーを入れてくれる。こういう場面では落ち着いた味のモノを出すのが普通だと思うのだが、彼女は大の辛党なのでこれでも気を使っているのだろう。
そして俺は彼女から召喚師の現状について聞くこととなる。
俺が生まれるより少し前、世界を揺るがす戦乱があった。多くの者が戦い多くの者が傷ついた大戦争だ。その時までは召喚師も花形魔術師の一つだった。だが時代は変わる。
平和となった世界では過剰な火力を持つ召喚師は、戦争を深化させた加害者としてやり玉に有ってしまったのだ。
また、召喚師を襲った悲運はそれだけではない、今まで簡単に召喚できていた召喚獣との契約が難しくなってしまった。現在でも原因不明だが、召喚獣たちに愛想をつかされたと言うのがもっぱらの評判だ。
現在では、グミを1段階、ドラゴンを5段階とする階級で。2段階の者と契約できれば一流。3段階の者と契約できれば超一流の昔と比べれば、遥かに渋い世界となっている。
と言う訳で、国や世間から白目で見られ、肝心かなめの召喚獣にもそっぽを向かれた召喚師の現状は、なんともお粗末なものとなってしまったそうだ。
えっと俺が返答に窮していると彼女はこう話を続けた。
「だから、不思議なんですよねー。アデム君の村を救ってくれた人は本当に召喚師だったんですか?」
「それは召喚獣を召喚していましたし……そうなんじゃないですか?」
「んー、私としては流しのビーストテイマーと言われた方が納得いく話ですよねー」
専門家ではないので、詳しい話は学校で聞いて下さいね。と前置きをして彼女は言う。
「そもそも、多重召喚なんて荒業出来る人の方が奇跡的です。1頭の召喚獣を操る難度を1とすると、2頭同時なら10、3頭なら100と、難度は対数的に増加するって話ですよ。5頭同時なんて聞いたこともありません」
「でも確かにあの時は!」
「そうですね、だから不思議なんです。いいですかアデム君。この話はとてもきな臭い話ですので、あまり多数の人の耳に入れない方がいいかもしれません。先生に聞く時も気を付けて聞いて下さいね」
シエルさんはそう言って話を締めくくったのだった。
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