5-5 甘い心


 静止した世界の中、最初に口を開いたのはエルだった。


「……ダ、ダメに決まっているだろう! それは吾のものだ!」


 俺の魂にはエルの魂が混じり合っている。彼女のものと言われても否定はできないだろう。

 続いて、勇者様が口を開いた。


「ラ、ラックスさんはわたしの仲間よ!? あなたに譲ったりする気はないわ! というか、一番大事なのは本人の意思よ! ラックスさんはどう思っているの!?」

「自分は勇者様の仲間であり、エルのものです。よって、アグラの元へ留まるつもりはありません」


 特に悩む必要もなく、逡巡せずに答える。


「そ、そう。ふふふ」

「よく分かっているではないか。くっくっくっ」


 二人は嬉しかったらしく、にへらと笑っている。

 しかし、当たり前だがアグラは渋い顔をしていた。


「ならば、全てが終わった後でもいい。もう一度交渉させてくれ」

「どうしてラックスに興味を持った? まずはそこから教えろ」


 アグラは大きな胸を張り、腰に両手をつけ、堂々と言い放った。


「こやつの目利きがあれば、我がコレクションはさらに充実する! 長く望んでいた、伴侶に相応しき相手だ!」

「伴」

「侶」


 首をぐるりと動かし、目を見開いた状態で、二人は俺を見ていた。正直、かなり怖い。


「ラックスさん。なんとなく分かるけれど分からないので、どういうことか教えてもらえる?」

「そうだな。吾らが風呂へ行っている一時間に満たぬ時間で、一体なにがあったのかを教えてもらおうか」

「……武器をくれるというから、見に行っただけですよ? なぁ、そうだろう、アグラ」

「我が心をニンゲンが射止めるとはな! 長く生きてみるものだ!」


 その目はさらに見開かれ、瞬き一つせずに俺を見ている。


「ご、誤解です。本当に言った以上のことはありません。武器の話をしただけです!」

「……えぇ、そうでしょうね。ラックスさんは嘘を言う人じゃないわ」

「分かっていただけたようで――」

「しかし、アグラを虜にするなにかがあったのは間違いない。……どれ、ここはハッキリと返事をしてやれ。それが優しさというものだ」

「わ、分かった」


 ようやく二人の表情は和らいだが、アグラは自信満々に立っている。絶対に断られない、と確信を持っているようでもあった。


「アグラ」

「全面的な援助を約束しよう。私の持つ全てを使用して援助する。そうなれば、旅は盤石のものとなるであろう」

「……だ、だが初対面の相手といきなり結婚の約束をするようなことは」

「返事は後でいい。保留しておけ。いくらでも待ってやる。もちろん、その間も援助はしてやろう。お前は、相手の気持ちを利用するような男ではない。それくらいは短い付き合いでも分かる」


 一度目を閉じ、少しだけ考える。この条件は考えうる最高のもので、何一つ損はない。彼女の性格から考えるに、最終的に断ったとしても根に持ったりはしないだろう。

 勇者様の身の安全を、エルの体を取り戻すことを考えれば、どうするのが最善であるのか。

 それを全て考えた上で、俺は目を開いた。


「腹を決めたようだな。では、今後の話を――」

「すまない。俺は、アグラの提案を受け入れることができない」

「……なぜだ? お前たちにデメリットは無いはずだが?」


 驚いた表情のアグラに、何度も頷いている二人。人の色恋沙汰を見ているのは趣味が悪いと思うので、二人には部屋を出てもらいたい。……いや、勝手に始めたこっちが悪いのか。


「部屋を出よう。別の場所で話がしたい」

「分かった」


 アグラと二人、別の部屋へ移動する。だが室内には四人いた。


「……勇者様とエルは外してくれませんか?」

「今後の話をする以上、わたしにも聞く権利があるわ。後、顛末が気になる」

「友人の色恋沙汰とは胸がときめくものだな……」


 俺は二人の背を押し、強引に部屋から出した。興味本位で話を聞かれてたまるものか。

 ようやく二人になれたところで、俺は改めてアグラへ言った。


「気持ちは嬉しい。だが、無理だ。本当にすまない」

「それは分かった。理由を教えろ」

「……アグラの気持ちを利用したくない。それは、ゲスのすることだ」


 本心だったのだが、アグラは俺の言葉を鼻で笑った。

 彼女は俺の首元を掴み、鼻がぶつかるほどに顔を近づける。後ずさる俺に、アグラは言った。


「――甘い!」

「……自覚はしている」

「していない! お前たちがやろうとしていることは、そんな考えでやり遂げられるものなのか?」

「己を曲げずとも、やり遂げてみせる。その覚悟はして――」

「いいや、覚悟などできていない。覚悟したつもりになっているだけだ!」


 下がり続けたせいで、壁へ背を押し付けられる。逃げ場を失った状態で、さらにアグラは怒鳴り散らした。


「利用できるものは利用しろ! 使えるものは全て使え! 打てる手を全て打っても、なお不測の事態は起きる。お前たちのやろうとしていることは、いくら備えても足りないことだと知れ!」


 彼女は将軍だった、と話を聞いている。俺よりも遥かに長い時間を生き、戦闘だけでなく様々な経験を積んでいるからこそ、この甘さを見逃せなかったのだろう。

 しかし、だ。俺は下唇を噛み、拳を握った状態で、彼女の額に自分の額をぶつけた。


「それでも、その気持ちを利用することはできない!」


 アグラは深々と溜息を吐いた。


「……なんて甘い男だ。いや、それでこそ私の惚れた男、とも言えるか」


 アグラは諦めたように手を放し、俺を開放した。

 ……だが、彼女の言っていることは正しい。

 勇者様の望みを叶えるためには、有翼人と話し合いの場を作らねばならない。そして話し合いとは、力が拮抗しているからこそ成り立つものだ。

 エルの復讐を果たすためには、不死を殺すという矛盾を乗り越えねばならない。この世の法則を捻じ曲げるような、そんな理不尽な力が求められている。


 甘すぎるな。考えれば考えるほど、アグラの言う通りだと頭を抱えてしまう。

 なにもかもが足りない。あの二人の味方でありたいと願いながら、俺には全てが足りていなかった。


「まぁいい、武器はくれてやる。援助もできる限りはしてやる。だが、それ以上を求めるのならば覚悟を示せ」

「覚悟を……」

「例えば、私と結婚をして三日くらい徹夜で目利きをする覚悟だな!」

「ごめんなさい。友達からお願いします」

「友達からか。ふむ? まぁいいだろう。返事は保留にしておく。いいな? 保留にしておけ」

「……すまん」


 結局、俺はアグラの優しさに甘えることになった。ハッキリ断るつもりだったのに、曖昧な答えを出している。どうしようもないほどに情けない、なんの価値もない男だ。

 彼女と友達となり、少しずつ進展していくのはいいだろう。しかし、その優しさにつけ入っているのは明らかで、ズーンと頭は重かった。


 トボトボ部屋に戻ると、勇者様とエルがバッとこちらを見る。期待と不安が入り混じったような目をしていた。俺は少し困ったが、正直に答えることにした。


「アグラとは、友達から始めることにしました」

「えっ、友達になったの?」

「ほう、それは意外だったな……」

「言いたいことは分かる。どう見ても断る空気を出していたのに、友達として戻ってくるなんて、情けないにもほどが――」

「いや、そうではない。もしかして気付いておらんのか?」

「……?」


 二人の言っていることの意味が分からずにいると、勇者様がクスクスと笑いながら言った。


「ラックスさん、自分で言っていたじゃない。エル以外の魔族と仲良くなんてなれない! って」

「あ……」

「だが、アグラと友達になったのだろう? それは、吾としては喜ばしいことだ」


 流されて妥協しただけではあるが、確かにその通りだ。俺は、アグラと友達になることを受け入れた。特に疑問を感じることもなく、だ。

 ……なにか妙な感じがする。人はそんな簡単に変わらない。なのになぜ俺は、アグラを友人として受け入れられたのだろうか?

 眉根を寄せていると、両肩をポンッと叩かれた。


「食事に行きましょう」

「風呂の後は飯だ」

「……えぇ、お供します!」


 きっと大したことではないのだろう。俺はその違和感を忘れることにして、二人と食事へ向かうのだった。

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