2-1 勇者は優しい
今後の予定といっても、いくつかの村や町を経由し、暗黒大陸へ渡る手段のある要塞都市へ向かう。それだけだ。
ついでに陛下たちに伝えるよう言われていたことも、勇者様へ伝える。
「ちなみにヘクトル様は先に出立しています。要塞都市でモンスターたちの侵攻を止められるそうです。勇者のフリをすることで、陽動も兼ねると仰っておりました」
「ヘクトル殿下……」
勇者様は心痛な表情を見せていたが、その必要はあまり無いだろう。
なんせヘクトル様は、「くっくっくっ、やっと出陣が許されたな! 魔族やモンスターたちを地獄に落としてくれるわ!」と、やる気満々で悪役みたいな台詞を吐いていた。
もしかしたら辿り着くころには暗黒大陸まで侵攻を果たしており、魔王を打ち取っているかもしれない。……本当にあり得そうだ。ぜひ、そうしてもらいたい。
まぁそんな希望的観測を交えた会話をしていると、勇者様が眉根を寄せた。
「ねぇ、ラックスさん」
「どうしました?」
「なぜそんなに大きな鞄を持っているの?」
彼女の問いに対して、俺はニヤリと笑った。
「実は、うちの実家は道具屋なんです。この鞄の中には、旅で使えそうな物が詰め込まれております! なんでもお任せください!」
自信満々に告げたのだが、なぜか勇者様は苦笑いを浮かべた。
「うん、そういう意味じゃなくてね? ほら、わたしはマジックバッグを持っているじゃない? 背負って旅をするのは大変だし、中に入れておけばいいんじゃないかな、と思ったの」
「……?」
しかし、マジックバッグなる物については、とんと覚えが無い。どんな鞄なんだ?
首を傾げている俺を見て、勇者様は手をポンッと叩いた。
「そうか、レアなアイテムなのね。……これのことなんだけど」
勇者様は腰に身に着けている、ポーチ程の大きさをした物を、こちらに差し出した。
受け取り、持ち上げてみる。布ではなく皮製品。手が込んでおり、中々の一品。
見覚えの無い皮だが、感触からも上質な皮であると分かる。さて、中は――暗黒だった。
パタリと閉じて、首を左右に振る。それからもう一度開き直し、中を見た。……暗黒だ。
影になっているのでも、暗いわけでもない。
そこには、全てを飲み込もうとする暗黒が納められていた。
「ふぅ……」
「納得してくれた?」
「かなりの一品ですね。旅の資金にしましょう」
「売らないわよ!?」
どうしてそういう考えに至ったのか、と勇者様に問い詰められ、詳しく説明をする。
話を聞いた彼女は肩を竦めた後、手を暗黒に突っ込んだ。
「ゆ、勇者様の腕があああああああああああ!」
「はい」
「無事出てきたあああああああああああああ!」
問題無かったのは良かったが、彼女の手にはなにかが握られている。恐る恐る受け取り、臭いを嗅ぐ。それから一口含んだ。
「……ただの干し肉ですね」
「正解」
勇者様曰く、この暗黒にはどんな物でも入り、取り出すことができるらしい。しかも、新鮮な魚なども鮮度を失わないとか、もう理解不能なアイテムだった。
それとマジックバックではなくダークバックだと主張したい。
しかし、魔王退治の旅に出たのだ。それくらいのアイテムは当然必要だろうし、あの剣や鎧、マント、その他の品々も尋常じゃない物だろう。道具屋の息子としての目利きに間違いはない。
なるほどなぁと頷いていると、勇者様が再度マジックバッグを渡してくる。荷物を入れろ、ということらしい。
「少し時間をもらいます」
「構わないけど、そのまま突っ込めばいいんじゃない?」
「この先、ずっと二人一緒に行動できるとは限りません。ハグれてしまうことだってあるでしょう。……そういった事態を想定して、最低限の荷物は互いに持つ。こうすることで、両者の生存する可能性が上がる、というわけです」
「なるほど、確かにその通りね。さすがラックスさん。わたしみたいな素人とは違うわ」
「いや、そんな褒められるほどのことでは……」
なぜか妙に気恥ずかしく感じてしまい、もごもごと答えてしまう。
勇者様は、自分のことを高く評価してくれている気がする。だがそれは間違いで、俺は大したことができない。だからできることを全力でやろうと決めているだけなのだが……。
まぁ、いいだろう。彼女が嬉しそうにしているのだから、きっとこのままでいいのだ。
大半をマジックバッグに。そして最低限の荷物を自分のバックパックに。
これで良し、と思っていたのだが、なぜか勇者様がバックパックを背負った。
「ちょ、それは自分が持つほうです。これでも兵士ですよ? 鍛えてますから!」
「あぁ、そういうことじゃないわ」
「そういうことではない?」
意味が分からずにいると、彼女は淡々と答えた。
「ラックスさん、道具屋の息子だって教えてくれたじゃない。つまり、わたしよりもずっと、この世界の道具に精通しているということになるわね?」
「えぇ、そうですね」
「ならマジックバッグは、わたしよりもラックスさんのほうが活かせるはずよ。それとこのバックパックは、わたしには少し大きいわね。次の町で買い替えましょう」
「あ、はい」
特に異論もなく、ただ頷くしかない。学生だったというだけあり、勇者様は賢い。理に適った行動を選んでいる、というように思えた。
素直に感心していると、勇者様が腰に手を当て、少し強めの口調で言った。
「それと、勇者様と呼ぶのもやめてね。バレてしまうから」
「あぁ、そうですね。人前では、ミサキ様と呼びます」
「その呼び方は不自然よ」
確かに不自然だ。その通りだと思い、改めて言い直した。
「ミサキお嬢様、のほうが自然でしたね」
「お、お嬢様!? どうしてそうなったの!?」
「主と従者、という分かりやすい形にしてみたのですが……」
よく分からないが、勇者様はお嬢様と呼ばれることが嫌らしい。謝罪すると、そうだけどそうじゃありません! と言われた。難しい。
やはり勇者として召喚される人間は違うのだろう。きっと俺なんかでは理解できないような、深い考えがあるに違いない。説明しても分かりません、って本人も言ってるからな。
多少の弱点などはあるのかもしれないが、あらゆる意味で、ほぼ完成している。それが『勇者』という存在なのだろう。
――そんな考えは、その日の内に覆された。
次の町までは遠く、まだ数日はかかる。
この世界のことなどを話しながら歩いていると、勇者様がなにかに気付いたように、指を一本立てた。
「モンスターを退治しながら進みましょう!」
「不要な戦闘は避けるべきかと思いますが」
「いいえ、不要じゃないわ」
勇者様が眼鏡を押し上げ、陽の光をキラリと反射する。
眩しさに目を細めていると、勇者様が言った。
「わたしには経験が足りない! そして、わたしたちはお互いの能力についても分かっていない! ならば早い内から、互いの力量を知っておくことが最善よ!」
「感服いたしました」
素晴らしいお考えだと、片膝をつき――止められた。一々膝をつくなということらしい。難しいな。
しかし、考えは分かったし、自分も同意したい。
まず俺から、どんなことができるかを説明した。
「自分は、全ての基礎魔法を納めています。ただし中級や上級は使えません。言うまでもないですが、それより上の魔法も一切扱えません」
「すごいわね! 全部納めているの!?」
目をキラキラとさせている勇者様に、少し頭を下げながら告げる。
「いえ、そうでもないです。基礎魔法を納めることは難しいことではありません。全属性というのは珍しいですが、より上の魔法を扱えることのほうが重要視されます」
「……あー、異世界にありがちな偏った考え方ね」
ブツブツと勇者様がなにかを言っていたが、あまり聞こえなかったので話を続ける。
「後は剣、槍、弓、盾。この辺りは基本的に扱えますが、一流というわけではなく――」
全てを伝え終わった後、勇者様は頷いた。
「なるほど。良く言えばオールラウンダー。悪く言えば器用貧乏ということね」
「ぐはっ!」
産まれてから何度同じことを言われたか。実家でも、お前は足りないところを埋められるから便利だなと、便利屋扱いをされていた。兵士となってからも同じだ。前が足りなければ前。後ろが足りなければ後ろ。穴埋めと言えばラックスと頼られていた。
しかし、大事なところは任せられない。
それが俺、ラックス=スタンダードの評価に他ならなかった。
だが、まぁ自分でも理解していることだ。今さら動揺などはしない。額の汗を拭っているのは、ただ兜が暑いからだ。他に理由は無い。
「わたしも先日、剣や魔法を教わったけど、先生方曰く「力業で押し切っている」という評価だったわ。つまり、細かい使い方がなっていないみたい」
勇者様が肩を落とし、俺も肩を落とす。
平兵士と新米勇者。前途は多難だった。
しかし、それならば俺でも力になれるかもしれない。なんせ、あらゆる基礎なら自信がある。一人前にはなれないが、一流の半人前だ。
良い方法は無いかと考えていたら、先に勇者様が口を開いた。
「とりあえず、この辺りにお手軽なモンスターとかはいたりする?」
「います。
「そうよね、そんな都合よく……いるの!?」
自分で聞いておきながら驚く勇者様。
そりゃここら辺は最前線からは程遠い。強いモンスターが、前線を抜けるなどということは許されない。見逃されるのは、弱いやつだけだ。そしてそれも、前線から離れれば離れるほど駆逐されていく。
つまり、ここら辺に出現するのは、基本的にかなり弱いモンスターだけだった。
「それで
「ふぁんたじーとはなにか分かりませんが、ゴブリンではなくコブリンです」
「でかい鼻、緑色の肌、小さな体……コブリン?」
「はい、コブリンです」
勇者様が首を傾げているので、軽く説明をさせてもらうことにした。
「コブリンとは、ゴブリンよりさらに小さな体をしており、凶悪な顔をしたゴブリンの子供、といった見た目をしています」
「凶悪な顔!? 子供みたいな体型なのに!?」
「知能は低く、人を見れば襲い掛かります。なんなら、馬に似た岩があれば、それにでも襲い掛かります」
「それはもう頭じゃなくて目に問題があるんじゃないかしら……」
「後、弱いです。とても弱い。簡単に倒せます。ゴブリンの子分にされるモンスター。それがコブリンです」
「な、なるほど」
大体の説明を終え、手頃な場所にコブリンがいないかを探す。もちろん、ゴブリンの子分にされていないやつを、だ。ゴブリンまで一緒に襲って来たら、かなり面倒なことになってしまう。
そして都合よく、草むらで寝転がっている、無警戒で脳みそ空っぽなコブリン五体を発見。木の陰に隠れながら、コブリンを指差した。
「あれがコブリンです」
「す、すごく怖い顔してない? 本当に弱いの? 嘘でしょ? あれ、狂犬とかそういう類のあれじゃない? 病気にならないかしら?」
「大丈夫です。蹴りでもくれてやれば、球のように転がります。よく子供のころ、コブリン蹴りをしたものです」
「なにその物騒な名前の遊び!?」
割とポピュラーな遊びだと思うのだが、勇者様の世界にはコブリンがいなかったらしい。あの楽しさを知らないのは可哀想だが、代わりに「さっかー」という遊びがあったようだ。
上半分が白で、下半分が黒の球を蹴る遊びを想像しつつ、コソコソとコブリンへ近づく勇者様を見守る。
コブリンたちは鈍いので、接近には気付いていない。……気付かれたところで、大した問題ではないが。
そして恐らく宝剣、と呼ぶに相応しいであろう逸品を、勇者様が引き抜く。
思ったより大きな音が出たのだろう。勇者様はあたふたしながら身を伏せた。
しかし、本当にコブリンのことを知らないんだなぁ。近くで鍋でも叩いたのならともかく、剣を抜く音くらいで、コブリンが起きるはずがない。やつらはともかく鈍いのだ。
恐る恐る体を起こした勇者様が、こちらへ目を向ける。
大丈夫ですよと頷けば、静かに前へ進み出した。
眠っているコブリンのすぐ前に辿り着き、勇者様は剣を逆手に握って振り上げる。あのまま脳天にでも突き刺そうという考えだろう。悪くない。
だが、勇者様はそのまま動きを止める。まるで銅像のように固まっていた。
なにがあったのだろうと、身振り手振りで合図を送る。こちらを見た勇者様は、半泣きで首を横に振っていた。さっぱり分からない。
「……ギッ?」
「あっ」
「ギ? ギッギッ! ギイイイイイイイ!」
「あわわわわわわわ」
コブリンの一体が、ついに目を覚ましてしまう。勇者様は目を泳がせ、オロオロとしている。
他のコブリンたちも目を覚まし、こうなってしまえばもう同じだと、大声で叫んだ。
「大丈夫です! 見た目だけのやつらですから、剣を適当に振っても倒せます!」
「あ、あうあう」
「なんなら殴っても蹴っても――」
「……違うのよ!!」
勇者様の声に驚き、俺だけでなくコブリンたちも動きを止める。一体、なにが違うと言うのだろうか?
彼女は剣を強く握りしめながら、やはり半泣きのまま、こう言った。
「こ、殺すことができないの!」
「……えっ」
まるで理解できないが、勇者様はコブリンを殺すことに躊躇しているようだった。
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