第2話 ジャンクコネクト

 かつて『日本』と呼ばれたこの島に、都市国家が乱立するようになったのはおおよそ二百年前である。

 その原因は主に人口減少にある。

 第三次世界大戦を契機に緩やかに減少していった人口は、一国という巨大な共同体を維持することすら危うくさせた。それに対する政府が見出した方策が、主要都市を『都市国家』に作り替えることだった。

 人々は人口減少によって失われつつあった文明的な生活を送るために、都市国家の移住を進め、政府は都市の周囲に防壁を作ることによって市民の安全を保障した。

 十年かけて全人口の八割が都市国家への移住を完了したころ、政府は『日本解散』を宣言した。

 そして約百年もの間、都市国家は小政府によって平和に運営されてきた。

 『魔鎧』と呼ばれる兵器が発明されるその時までは――


 魔鎧師養成学校≪イースト・コンパス≫の第一演習場は、都市国家トーキョーから五キロほど離れた場所に位置している。

 百年前に勃発した魔鎧大戦が集結し、十五年が経った今となっても、魔鎧師養成学校は消えることなく存在している。その生徒であるユズルたちは、週に数度の頻度でこの演習場に通っては戦闘演習を行っていた。

 とは言っても魔鎧というのものが、戦争の道具であるという認識は薄れている。

 魔術と魔術が派手にぶつかり合う魔鎧師同士の戦いは、戦争が終わった今となっては市民に人気のエンタメとなっているのだ。

 演習場の片隅にある待機所。演習が終わり、鞄からタオルを出して汗を拭いていたユズルのもとに、一人の生徒が足音荒く近づいてきた。

「あれ、リコちゃん」

 肩を怒らせて大股でユズルに歩み寄ってきたのは小野木リコ。ヴァルキリー1に搭乗する魔鎧師だ。

 彼女は魔鎧を脱ぎ去って、関節部に防具がつけられた白のパイロットスーツだけの姿になっている。ユズルは首を傾げた。

「どうしたの、そんなに怒って」

 ユズルのとぼけ顔を見て、リコは一気に顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。

「どうしたのって……!」

 大声が届く前に、ユズルは耳に手を当てて蓋をした。そんなことをしても大して声は遮られてはくれないが、ないよりはましだ。

「アンタねぇ! あの戦法、何よ! こそこそ隠れて、罠ばっかり張って、あげくのはてに人質を取るなんてむごい戦法、どうしてそんなこと思いつくのよ!!」

「小説とか読んで考えてみたんだ。効率的でしょ?」

「そういうことを聞いてるんじゃないのよ!」

 演習場の控室に散らばっていたクラスメイトたちが、何事かと集まってくる。

「じゃあどういうことを言ってるのさ」

 いくらリコが怒り狂っていても、ユズルの表情はほとんど変わらない。人の好さそうな笑顔のままだ。

 リコはそれを見て一瞬怯えたような顔をした後、その感情を振り切るかのように大声でユズルに言い放った。

「そうやって卑怯な戦い方して、スサノヲ様たちに恥ずかしくないの!?」

 スサノヲ。その単語を聞いた途端、ユズルの表情が変わった。

 荒ぶる神の名を冠した彼は、≪高天原タカマガハラ≫という英雄的魔鎧師チームの一員であり――混迷を極めた都市戦争中に、魔鎧同士の戦い方のマナーを『決闘』という形に固めた伝説の人物だ。

 ユズルは表情を消して、リコを見上げた。

「君たちこそ僕に負けて恥ずかしくないの?」

「なっ……!」

「結局のところ、決闘なんてマナーはお遊びにすぎないんだよ。そんなものを気にして大事なものを失うなんて本末転倒。お上品な君たちには分からないかもしれないけどね?」

 饒舌にユズルは語る。リコは、自分より低い位置からだというのにユズルに見下されているようにすら感じた。

 反論がないと確認したユズルは、彼女のことを鼻で笑ってみせた。

「五人がかりで一人を相手に勝てなかったくせに、雑魚が吠えないでよね」

「このっ……!」

 思わず殴りかかりそうになったリコを、チームメイトが慌てて止める。周囲のクラスメイトたちも怒りと嫌悪に満ちた表情でユズルを見ていた。

 一触即発な空気になったその場に、不意に乱暴な声が響いた。

『おいおいユズルよぉ、んな嫌われるようなこと言うもんじゃねぇよ』

 両者の間を取り持つように、都市からの通話ウィンドウを開いた彼は、阿久津リョウ。ユズルの唯一のチームメイトであり、唯一無二の親友だ。

『そいつらにはそいつらの流儀ってもんがあるだけだろうが。まぁそれで負けてちゃあ世話ないがな!』

 生来の凶悪な目つきでそんなことを言うものだから、周囲の怒りはさらに増したようだった。

 ――これ以上会話しても何の得もないな。

 そう判断したユズルは、リョウの通話ウィンドウを消し、荷物を持って踵を返した。

「帰る」

「待ちなさい! まだこっちの話は終わって――」

 ユズルは振り返り、いつも通りの笑顔で、彼女の言葉を遮った。

「一緒に帰ったら『君たち』が気分悪くなりそうだし」

 リコはとっさに言い返せず、ユズルはそのまま演習場から出ていこうとした。だが、そんな彼の前に一人の人物が立ちはだかった。

「待て、カスパールよ」

 背の高いその男子生徒は、天王寺トウヤ。先ほどまで戦っていたオーディンを駆る魔鎧師だ。

 トウヤはユズルを見下ろすと、怒りも嫌悪もないその場にそぐわない奇妙な態度で、彼に宣言した。

「お前はつわものだ。俺はいつかお前と勝負がしたい。そう思っているぞ」

 ユズルは何度かまばたきをすると、その言葉を無視して、トウヤの横を通り過ぎた。

 外へと続くドアを開けると、屋外の空には灰色の雲が立ち込めていた。急がないともしかしたら雨が降るかもしれない。

 ユズルは胸に埋め込まれた魔鎧核に手をやり、小さく起動式をつぶやいた。

起動クリエイション、カスパール。≪狩人の喜びよイエーガーフェアグニューゲン≫」

 魔鎧核が光り輝いて、無数の結晶のような形が肌に浮かび上がり、そこを中心にして、金属のような質感の魔鎧が全身を覆っていく。

 まず胸から上半身に黒色の防具が。

 次に足が灰色の鎧に隠されていき、ふくらはぎから足首にかけて現れたブースターが音を立てて蒸気を噴き出す。

 結晶の光は腕へと伸び、防具と呼ぶには心もとないが、可動性だけを追求した形が作られていく。

 腰に巻き付く形で現れた角ばったブースターから、太ももの両側に向けて板のようなパーツが出現する。板にセットされた暗器は、カスパールの主兵装の片割れだ。

 鷹を模したヘルメットが出現し、顔は隠さないままあごの下を固定する。

 最後に現れた柔軟性のあるマントが上半身を覆う。戦闘時にはこのマントが分解され、敵をしとめる罠になる。これがカスパールの第二の兵装である。

「よっ、と」

 魔鎧装着を終えたユズルは、自分の荷物を持ち上げて脚部のブースターを起動した。魔鎧の隙間から魔力波が放出され、ユズルの体は緩やかに浮かび上がる。

 その時、何の前触れもなくユズルの前にビデオ通話のウィンドウがポップアップした。

『突然切るなんてひでぇじゃねぇか、ユズルよぉ』

 駆け足で走るぐらいの速度で、ユズルは都市国家トーキョーを目指して進み始める。

「ごめんごめん。でもあれ以上しゃべってたら、君への誤解が進むだけだったと思うよ」

 ウィンドウの向こうにいるリョウに軽く視線を向けながら、ユズルは体を傾けて道からそれた。

 念のため他の班と出会わないように回り道をしていこう。自分が嫌われているのは承知の上だ。別にむやみにクラスメイトたちと喧嘩をしたいわけでもないのだから。

『今、テメェ、自分が嫌われてることについて考えてただろぉ?』

「よく分かったね。顔に出ちゃってた?」

『いんや、顔には出てねえよ。ちゃんといつも通りの張り付け笑顔だぜ』

「……それって褒めてる?」

『ゲッゲッ! 苦言を呈してんだよ!』

 三白眼をにぃっと細めてリョウは言う。

『回り道をしたってことは他の奴らに会いたくねぇってことだ。他の奴らに会いたくねぇってことは、自分が奴らにどう思われてるのか考えてるってことだろぉ?』

「お見事名推理。さすが≪表裏悪魔≫のブレーンだね」

『ブレーンも何も≪表裏悪魔≫は俺たち二人しかいねぇだろ?』

 ≪表裏悪魔≫は善川ユズルと阿久津リョウのたった二人の魔鎧師チームだ。

 通常、魔鎧師のチームは、5~7名で構成され、魔鎧師は最低でも三人はいる。だが≪表裏悪魔≫の魔鎧師はユズル一人だけ。リョウはそれを補助する魔鎧整備士だ。

『ユズルよぉ、あんまり恨みを買うもんじゃねぇぜ? たしかにお前は正々堂々とした戦い方はしたくねぇんだろうが、いずれ軍属の魔鎧師になるんだからよ。少しぐらい譲歩しておかねぇとこれからキツくなってくぞ?』

 リョウの言葉に、ユズルは最初沈黙で返した。

 徐々に風が強くなり、気温も下がっていく。予想通り一雨降りそうだった。

「……いくら正々堂々戦ったって、勝たなきゃ意味なんてないんだよ」

 ぽつりとユズルは言葉を口にする。

「あの時、僕が一騎打ちさえ申し込まなければ、どんな汚い手でも受け入れて勝負を終わらせていれば――」

 言葉をつづけながらユズルはぎゅっと両手の拳を握りしめる。リョウはユズルの考えていることが手に取るように分かり、黙り込むことしかできなかった。

 数十秒そうしていた後、ユズルは唐突に話題を変えた。

「そういえば調整したって言ってたけど、今回ザミエルの調子はどうだった?」

 はぐらかそうという魂胆だというのはリョウにも分かったが、彼はそれをとがめずに、答えを返すことにした。

『何も問題ないぜ。絶好調ってやつさ』

 ザミエル。かつてリョウが駆っていた魔鎧であり、彼の魔鎧師としての適性が低かったがゆえに、今ではユズル専用の戦闘補助センサーとして役立てている機体だ。

「都市から五キロ離れてるのにこの精度か……。そろそろ上に報告したら? うまくいけば卒業を待たずに軍に入れるかもよ? 軍関係の研究所でアルバイトしてるんだし」

 独自に開発したその結果を学校に報告すれば、そのまま軍へと話が通るかもしれない。その可能性を提示され、しかしリョウは居心地悪そうに視線をそらした。

「え? 軍に入りたくない理由でもあるの?」

 魔鎧師の学校である≪イースト・コンパス≫に通っている以上、ユズルたちの将来は間違いなく軍関係になる。速いか遅いかの問題だ。

 だというのに、それをためらっているということが理解できず、ユズルは困惑顔になる。

『ええとな……軍に召集されたらその……』

 普段の勢いはどこへやら、リョウは消え入りそうな声でぼそぼそと告げた。

『……テメェと一緒のチームでいられなくなるじゃねぇか』

 ユズルは一瞬だけ思考を止めた後、ぷっと噴き出して笑いはじめた。

「ふっ、あははっ、そう、そういうことねっ」

『う、うるせぇ!』

 リョウは耳まで真っ赤になって逆切れし、ユズルにびしっと指を突き付けてきた。

『だからよぉ! テメェもちょっとは協調性を見せて、軍に推薦されるような奴になれってこったよ!』

「ふふ、分かったよ、善処する」

『忘れんなよ! 約束だぞぉ!』

 いつも通り凶悪な顔ではあったが機嫌がよさそうな笑みを満面に浮かべ、リョウはユズルに宣言する。ユズルも張り付けた笑顔を崩して、声を上げて笑っていた。

 ―――――!

 不意に、ユズルは足を止めると、右手に視線をやった。そこには何もない。

『どうしたぁ、ユズル』

「なんか、聞こえた気がして」

 それは、ノイズのような何かだった。誰かが叫んでいるようにも聞こえたし、しかし美しい歌声のようにも聞こえた。

 ユズルはそちらへと方向転換し、ブースターに力を込めた。

「ちょっと見てくる」

『あ、おい!』

 ウィンドウを閉じて、ユズルは木々の間を飛び進んでいく。その速度は徐々に上がり、やがて彼の目の前に、その惨状は姿を現した。

 そこにあったのは、横転した小型のトレーラーだった。事故が起きて間もないのだろう。電動エンジンらしき場所からまだ、細く煙が上がっている。

 遠目で見て、運転者は気絶しているようだった。ユズルはそれに駆け寄ろうとし――その寸前に起きた衝撃で吹き飛ばされた。

 響き渡る轟音。

 ユズルの体はいともたやすく宙を舞い、大木の幹へとたたきつけられる。胴体ではなく右腕が当たったのは幸運だろう。装甲の薄いこの魔鎧では、この程度の衝撃でも傷を負ってしまうのだから。

 何が起こったのかを把握しようと顔を上げると、内側から爆発した積み荷が目に入った。そこから覗いて見えるのは、沈黙する一体の魔鎧だった。

「なんで魔鎧だけ……?」

 魔鎧は、人間が魔力を注いで実体化させるものだ。基本的に魔鎧だけで存在させる意味は、整備時以外ほとんどない。

 訓練を積んだ魔鎧師でも実体化の維持は半日が限度だ。だから魔鎧だけで輸送するだなんて、通常はありえないことなのだ。

 困惑しているユズルの視線を受けながら、その機体はゆっくりと立ち上がった。

 やはり中に誰かがいて装着しているのか。

 身構えながらそれを観察する。魔鎧はふわりと浮かび上がると、ぼろぼろとそのパーツを自壊させながら、ユズルへと近づいてきた。

 ユズルは一歩後ずさろうとした。だが、その時不意に見えた『彼女』の姿に、ユズルは動きを止めてしまった。

 それは十歳をすぎたぐらいの少女だった。髪は肩の上で切りそろえられた茶髪、淡い灰色の瞳。身にまとっているのは魔鎧師のパイロットスーツ。

「……カナデちゃん?」

 ユズルは呆然と彼女の名を呼ぶと、彼女はユズルに手を差し伸べてきた。

 彼は思わず自分の手を伸ばし――二人の指先は触れる。

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