魔鎧のカスパール

黄鱗きいろ

第1話 喝采なき勝利

 その機体の足元には、雑魚が転がっていた。

 ぼろぼろに破壊された関節部から魔力波が漏れ出ているその『雑魚』たちは、少年が数分前に制圧した三体の魔鎧だ。

 魔鎧とは魔力によって生成された鎧を身にまとう、パワードスーツの総称だ。

 少年の目の前にある魔鎧は、いずれも二メートルほどの体長。鎧の表面は白色だが、土埃が積もる床に押し付けられたせいで、その姿は灰色にくすんでしまっている。

 対する少年の魔鎧『カスパール』はさらに小型。一七〇センチほどの体長しかない。

 彼の目の前に倒れ伏す魔鎧『ヴァルキリーワン』は割れたヘルメットの隙間から少年を睨みつけた。

「……殺すなら早く殺しなさいよ」

「え、嫌だけど?」

 少年は即答した。鷹を模したようなヘルメットに半分顔は隠されているが、声変わりを迎えているのか分からないほど、若い声色だ。

「はっ、慈悲でもかけるつもり? 私も舐められたもの……」

「まさか。そんなことするわけないじゃん」

 だったらどうして、とでも言いたそうにヴァルキリー1を操縦する魔鎧師クラッドは眉を寄せる。

 ヴァルキリー1の胸部には【1pt】の標的ターゲットが浮かんでおり、それを破壊すればこの場はカスパールの勝ちとなる。現に彼を仕留めようと一緒に突入してきたヴァルキリーツーとヴァルキリースリーは、カスパールによってポイントを奪われ、床に沈められている。

 カスパールは朽ちた受付カウンターに腰掛けると、頭部の武装を解きその素顔をあらわにした。

 彼はどこにでもいそうな顔の少年だった。少し跳ねた黒髪に、大きな黒い瞳。全体的に見ればかわいらしい部類に入るだろう。

 彼は魔鎧師養成学校≪イースト・コンパス≫の最終学年であり十七歳である。だが、実際の年齢よりも彼はずっと幼く見える顔つきをしていた。

 しかし、彼が浮かべる表情は不気味そのもの。

「だって今殺したら、君がここに来てくれた意味が無くなっちゃうじゃないか」

 何の裏表もなさそうなさりげない笑顔のまま、少年は非道な言葉を口にする。

 楽しんでいるのならばまだいい。だが、彼の声色には愉悦はない。彼にとってこれは当たり前のことなのだ。

 少年は息をするように邪悪な言葉を吐きだした。

「君たちのリーダーを仕留めるために、せっかくここに誘い込んだっていうのに」

 ヴァルキリー1は悔しそうに唇を噛んだ。彼女の四肢の関節はつぶされ、身動きが取れなくなっている。このままでは利用されてしまうということは彼女にも分かっていた。

 彼女たちがいるのはかつてオフィスビルとして使われていた建物の一階。彼女たちのリーダーが駆る、巨大な機体には不利なフィールドだ。

 だが、彼女には逆転の一手が見えていた。

「そう簡単にいくかしらね。うちのリーダーには主砲があるのよ。装甲の薄いアンタなんて近づかなくても一撃で消し飛ばしちゃうんだから」

 彼女たちのチーム≪北方神話ノースユーロ≫のリーダーは、『オーディン』という魔鎧をまとっており、そこには魔鎧を動かす魔力波を収束して打ち出す大型砲が一門組み込まれている。速さと隠密だけを追求したカスパールでは到底太刀打ちできない代物だ。

 だがカスパールの魔鎧師は目を丸くして、まるで日常会話をしているかのような気楽さで尋ね返した。

「え、それわざわざ口に出しちゃう? もしかしてヴァルキリー1ってバカ?」

 挑発のためではなくただ純然たる疑問のような口調に、彼女はカチンときたようだった。しかし敵に情報を渡してしまったことは事実。それでも何かを言い返そうと口を開いたが、カスパールはそれを遮る形で彼女を否定した。

「できないよ。君たちのリーダーは優しいからね」

 その言葉が何を意味しているのか、ヴァルキリー1にはすぐに分からなかったらしい。何も言い返さない彼女に、カスパールは手袋をはめた手で彼女たちを指さしてみせた。

「だって君たち、魔鎧がほとんどはがれちゃってるじゃん」

 あたりには鋭い羽のような形をした、三人のヴァルキリーたちの魔鎧の破片が飛び散っている。カスパールの罠によって削られた装備たちだ。

「対する僕はほぼ無傷だ。僕の持つ標的ターゲットを消し飛ばそうとすれば、君たちは怪我をしてしまうかもね」

 魔鎧がはがれれば、その下にある制御コア「魔核」がむきだしになる。魔核さえ破壊されなければ、直接的ダメージはほとんど魔鎧師に伝わらない。だが、ここまで装備がはがれてしまえば、強力な攻撃でコアごと破壊されてもおかしくない。

 彼女は顔色を真っ青にして黙り込んだ。

「それにここで君を見殺しにして僕を取り逃がしたら、もうポイント逆転は不可能だろうし撃ってこないよ。まあそこは君たちのリーダーの良心とか脱落済みの参謀さんの判断に任せよう」

 小さく肩をすくめるカスパールを、ヴァルキリー1は呆然と見上げることしかできない。追い打ちをかけるように、カスパールは彼女に念押しをした。

「どうせこの会話、リーダーたちに筒抜けなんでしょ? そのために君を気絶させずに残したんだから、ちゃんと伝えてあげてね」

 カッと一気に頭に血が上り、ヴァルキリー1は叫んでいた。


「この……卑怯者ォ!」


 カスパールは何度か目をぱちぱちとさせ、首を傾げた。

「卑怯? それの何が悪いの?」

 本当に何が悪いのか分からないとでも言いたそうな表情で彼は尋ね返す。ヴァルキリー1は一瞬言葉を失い、それでもなんとか彼に食らいついた。

「悪いに決まってるでしょ! 魔鎧の戦いは高潔なものなのよ! 互いに名乗りを上げて公正な審判のもとで戦うものなんだからぁ!」

 最初カスパールは、床にはいつくばって声を上げる彼女をいつも通りの顔で見ていたが、ふと不機嫌そうに目を細めると腰掛けていたカウンターから飛び降りた。

「口ばっかりで僕に勝てさえしないくせに」

 低い声でカスパールは言う。突然の豹変に驚き、ヴァルキリー1は口を閉じる。カスパールはそんな彼女に歩み寄ると、ヘルメットの上についた髪のような部分を片手でつかみ上げ、しゃがみこんだ自分と目を合わさせた。

「勝てばいいんだよ。それができない人間には発言権なんてないね」

 カスパールは口の端を持ち上げて、彼女だけに見えるように嘲笑の顔を作る。その顔を正面から見てしまったヴァルキリー1は、黙り込んで震えはじめた。

 特徴的な笑い声が、カスパールの通信機から響いてきたのはその時だった。

『ゲッゲッ! おーい、敵影確認だぜユズルよぉ!』

「りょーーかい」

 ぽいっとヴァルキリー1の頭から手を放し、カスパールは頭部装甲をオンにする。鷹のようなヘルメットが鼻あたりまでを覆い隠し、その隙間から覗く目の前には敵のデータが映し出されるサングラスが現れる。

 消耗を抑えるためにスリープにしていた魔鎧をあらためて起動し、魔力を体中に循環させる。パーツの継ぎ目から魔力波の光が漏れ出て、足や腰につけられたブースターが音を立てて動き始めた。

 唯一の装飾用パーツである尾羽が耳の上で立ち、アンテナも兼ねているそれをカスパールはとんとんと叩いた。

「敵は?」

『もう一ブロック先に来てるぜぇ!』

「そっか」

 声量は大きいが頼もしいアドバイスを受け、カスパールはビルの入り口へと向きなおる。巨大な足がビルの前で止まったのはその時だった。

「無事か、みんな!」

 通信機もこちらも大声だ。違うのはこちらは快活で、通信機の向こうの友人は乱暴だ。

 快活な声の魔鎧の名はオーディン。全長およそ四メートル。巨大な砲門を備え、動きはそれほど速くないが、単純なパワーは強い。

「うおおお! ヴァルキリー1、今助ける!」

 センサーで一階部分にいる人数を確認したのか、オーディンは咆哮を上げた。

「わぁ、相変わらず熱血漢だね」

 そんな誰にも聞こえていない独り言を言いながら、カスパールはビルの階段を駆け上る。オーディンをここまで引きずり出せたなら、人質はもう不要だ。

 あとは極力、姿を現さないまま、奴に接近して標的を破壊すればいい。だが窓に近い位置を駆け抜けた一瞬、オーディンは彼を視認したようだった。

「む、今日こそ決闘を受けてもらうぞ、カスパール!」

「やだね。そんな高尚なことするわけないじゃん」

 ぼそりとカスパールは答える。当然それはオーディンの耳には届いていなかったようで、彼は勝手に大声で名乗りを上げた。

「我が名はオーディン! イースト・コンパスの大砲台である!」

 当然カスパールは何も答えない。壁からそっと覗くとオーディンは数秒返事を待ったあと、こちらの様子をうかがおうとかがみこんで窓へと手をかけてきた。

 ――ここだ。

 オーディンが手を置いた瞬間、ビルの壁は爆発し、驚いた彼は姿勢を崩す。

「うおぉ!?」

 二階部分の床はがらがらと崩れていく。カスパールは落ちていくがれきの中、脚部に魔力を集中させ、魔力波を放出した。

 カスパールの体はブースターの推力によって浮かび上がり、オーディンの死角へともぐりこむ。定石通りなら彼らは胸部に標的を設定しているはずだ。

 砂煙の中で体勢を整え、一丁だけ背負った猟銃型の砲台を標的へと向けて、彼は引き金を引いた。

「何ぃ!?」

 標的が三個、ほぼ同時にはじける音がした。

 一瞬の決着が理解できなかったのか、オーディンは手を伸ばしかけた姿勢のまま固まっていた。

 カスパールはブースターの出力を徐々に落とし、がれきだらけになった一階部分へと降り立つ。息を吐き、ヘルメットを解除する。そんな彼を狙う震える指があった。

 ヴァルキリー1は燃える目でカスパールをにらみつける。なんとか起動した魔鎧の矢。標的は隙だらけ。あとはこの引き金を引くだけ――

 破裂音が響き、魔鎧の矢は吹き飛んだ。彼女がその先を見ると、猟銃の先端をこちらに向けるカスパールの姿が。

「見え見え。それで勝てると思った?」

 カスパールは仕方なさそうに首を振る。それでも彼女は諦めなかった。

 まだ吹き飛んだだけだ。壊れていない。矢が落ちた場所はそんなに遠くない。あれさえ、あれさえつかんでしまえば。

「あぐぅ……!」

 伸ばしたその手を、カスパールは躊躇なく踏みつけた。駄目押しのようにぐりぐりと力を込めてくる。その痛みに顔を歪めながら、ヴァルキリー1はカスパールを涙目でにらみつけた。

「この、悪魔……!」

 言い終わらないうちに、カスパールのつま先はヴァルキリー1の胸部に抉りこまれ、彼女は声も出せないまま気絶した。

「悪魔だなんて照れちゃうな」

 標的がパリンと割れる。カスパールは振り返った。

「でもさ、もっとフレンドリーに『善川ユズル』って呼んでくれる?」


 学内演習の中継を見上げ、クラスメイトや教師は沈黙する。

『全ての標的の破壊を確認しました』

 誰も言葉を出せないまま電子音が、勝利したチーム名を読み上げた。

『勝者、≪表裏悪魔オネストイビル≫!』

 喝采はなかった。ただその勝利への苛立ちだけがユズルに向けられていた。

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