第14話 顕現

「ここは–––––––––––え?」

「止めろ遥香! 見るな!」

 腕がはち切れそうなほど力を籠めるが、縄は依然として切れない。

 遥香が体を抱え震え始める。

「そんな、いや、なにこれ、なんでみんなが……うっ!! うぇえ!」

 吐しゃ物の落ちる音が響く、充満する腐敗臭と血の匂いに酸味が混じりあい、荒い息とうめき声が室内に反響する。

「落ち着け、遥香! 今は何も考えるな!」

「嫌だ、嫌、嘘よ、私はやってない、あれは悪い夢、だからこれも夢」

「遥香?」

「私じゃない、私はやってない、だってあの時の服に血はついてなかった、包丁だってあった」

「手だって汚れてなかった、こんな場所知らない、知らないよ…………えっ?」

 遥香がふらふらと死体の山に近づいていく、そしてまるで糸が切れたようにその場にへたり込んだ。

「うそ」

 遥香が死体の山に手を伸ばし、何かを手に取った。

 明り皿が赤く照らしあげたのは、どこにでもあるような包丁だった。

 それを呆けたように眺めながら、遥香がポツリと呟く。

「私のだ」

 私は気づいてしまった。

 何があったのかを、あの神が整えた準備とやらを。

 この死体の山を築いたのは神だ、だがこれをしでかした肉体に遥香を使った、そしてその記憶を今、解放しやがった!

「ぃいやぁぁあああああああああ!!!」

 遥香の絶叫がこだまする。耳をつんざく悲鳴が室内にわんわんと反響し、死体をも揺らす。死体の山の一部が崩れ、遥香の周りに肉塊が転がり落ち、それを払いのけて遥香がより一層声を大にする。

「嫌! 嫌! 嘘! こんなの嘘だ! 嘘だって言って! 私は何もしてないの! 私はァあ!!」


『なかったことにしたいか?』

 

 どこからともなく、神の声が響く。

「うるせぇ黙りやがれ!」

 肺一杯に息を吸い込む、遥香の鼓膜はおしゃかになるが、こうなったら強硬手段だ。無理やりでも気絶させる!

 限界まで吸い込み、今!

『ここは神域ぞ、慎め』

 放ったはずの声が霧散した。

「なっ」

『もはやここは儀式の場、現世の法は通じぬ』

『先程から、主の存在は遥香に届いておらぬよ』

「てめぇ!!」 

『さぁ、もう一度問おう、すべてなかったことにしたいか?』

「……本当に、なかったことになるの?」

『当然だとも、私は神だ、主が願えば、この現実、この全て、あらゆる苦痛がなかったことになる』

「神様、お願い、全部、全部なかったことにして」

『承知した、では願え』

 遥香が組んだ手を額にこすりつけた。

「全部、全部なかったことにしてください」

『確かに承った――――ではその記憶、微塵も残さず消してやろう』

「えっ?」

 地面が振動し、天井から細かな砂が落ちてくる。振動が次第に勢いを増していき、壁や天井にひびが入り始めた。

 突如死体が溶け始め地面へと沈み、死体の山の鎮座した位置に複雑な文様が浮き上がる。文様は赤光を放ちながら、一筋ずつ消えてゆき、やがて最後の一筋が粒子を残して消滅。

 地面の振動が止み、次の瞬間、天井を突き破って光の柱が出現した。

『クハハハハハハ! よくぞ、よくぞ願ってくれた遥香よ!』

 光の柱から半面の女が現れる。手足をも隠す衣、宙を舞う枝垂れ髪。私たちを睥睨するその瞳は、あらゆる光を飲むかのような暗闇だった。

『死を覚悟して幾星霜、神の願いは聞き入れられずとも、今ここに己の力で再来したぞ世界!』

 神は声高におのれの存在を告げる・

『私は忘れ神、《忘却》の願いを体現する依り代なり! 今一度、この世に忘却の安寧を授けよう!』

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